第53帖 手習 / 第14場面
僧都の下山と剃髪
あらすじ・人物・読み方
一品の宮の修法に召された僧都が下山し、浮舟のねがりを聞き入れて、その夜のうちに髪を下ろさせる。
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暮れ方に、僧都がいらっしゃった。南面を払い、仕度して、丸い頭つき、行き違い、騒いでいるのも、例と変わって、たいそう恐ろしい心地がする。母の御方に参って、
「どうですか、月ごろは」など言う。「東の御方は物詣でしてしまったとか。ここにいらっしゃった人は、なおいらっしゃいますか」などお尋ねになる。「その通りです。ここに留まって。心地が悪いとおっしゃって、忌む事を受けようと、おっしゃっていました」
と語る。立ってこちらにいらっしゃって、「ここにいらっしゃいますか」と言って、几帳の元に座ると、遠慮がちだけれど、いざり寄って、返事をする。
「不意に、お目にかかり始めたのも、そうなるべき昔の契りがあったからこそと思って。お祈りなども、丁寧にしましたのに、法師は、その事とはなしに、お文を聞き受けるのも、都合がなければ、自然に疎かになるようになってしまいました。
たいそう不思議な様子で、世を背いた人の御あたりに、どうしていらっしゃるのでしょう」とおっしゃる。「世の中に、いないと思い立った身が、たいそう不思議で今までいたのを、心痛いと思いながら、万事に、させてくださったお心ばえを、言い甲斐ない心地にも、
思い知られるのを、なお、世に合わないばかり、ついに止まることができないだろうと思われるのを、尼にしてください。世の中に、いても、例の人として、長らえるべくもない身です」
と申し上げる。「まだ、たいそう行く先、遠そうなお年頃に、どうして、ひたすらにそのように、思い立つのでしょう。かえって、罪のあることです。思い立って、心を起こす程は強く思うけれど、年月が経てば、女のお身というものは、たいそう退屈なものだ」
とおっしゃると、「幼くおりました頃より、物をばかり思うべき様子で、親なども、尼にして見ようか、など思っておっしゃっていました。
まして、すこし物思いを知って、後は、例の人並みではなく、後の世をだけでも、と思う心が深かったのを、亡くなるべき程がだんだん近くなったのでしょうか、心地がたいそう弱くばかりなっているのを、なお、
どうにか」と言って、打ち泣きながらおっしゃる。「不思議に、このような容貌、様子を、どうして身を厭わしく思い始めたのだろう。物の怪も、そのように言っていた」と、思い合わすのに、「そうした訳こそあるのだろう。今までも、生きているべき人だろうか。
悪い物が見つけ始めたのに、たいそう恐ろしく、危ういことだ」と思って、「どうあれ、こうあれ、思い立っておっしゃるのを、三宝がたいそう賢く、褒めることです。法師として、聞き返すことではありません。
お忌む事は、たいそう易く、授け申し上げるべきなのを、急ぐ事に退出したので、今宵、あの宮に参るはずです。明日からか、御修法が始まるはずでしょう。七日、終わって退出する時に、仕えましょう」
とおっしゃると、「あの尼君がいらっしゃれば、必ず言い妨げるだろう」と、たいそう残念で、「乱れ心地の、悪かった程に見たようで、たいそう苦しくおりますので、重なれば、忌む事の甲斐なくはありませんか。
なお、今日は嬉しい折と思っております」と言って、ひどくお泣きになると、聖の心に、たいそうかわいそうに思って、「夜は更けてしまったでしょう。山から、下りることは、昔は事とも思わなかったのを、年が老いるままには、堪え難くおりましたので、うち休んで、内裏には参ろう、と思っておりましたのを、そのように思い急ぐ事ならば、
今日、仕えましょう」とおっしゃるのに、たいそう嬉しくなった。鋏を取って、櫛の筥の蓋を差し出すと、「どうした、大徳たち。ここに」と呼ぶ。初めに、見つけた二人ながら、供にもいたので、呼び入れて、
「お髪を下ろし申し上げよ」と言う。本当に、素晴らしかった人のお様子なので、「現人として、世にいらっしゃるのも、情けなくもあるだろう」と、この阿闍梨も、道理に思うのに、几帳の、帷子の綻びから、
お髪を、掻き出していたのが、たいそうもったいなく、美しいので、しばし、鋏を持って、ためらった。このような頃、少将の尼は、兄の阿闍梨が来たのに会って、下にいた。
左衛門は、この私の知っている人に会い仕えるといって、このような所については、皆それぞれに、心寄せの人びとが珍しく出て来たのに、儚いことをした、見入れなどしていた程に、
こもき一人して、「このようなことです」と少将の尼に告げたので、慌てて来て見ると、わが御上の、衣、袈裟などを、わざわざ程に着せて、
「親の御方を拝み申し上げてください」と言うのに、どちらとも知らない程、堪えきれずに、お泣きになった。「ああ、驚いた。どうして、このように、奥のない業を、させなさるのですか。上(尼君)が、帰っていらっしゃっては、どのようなことをおっしゃるでしょう」
と言うけれど、これほどにし始めたのを、言い乱すのも、煩わしいと思って、僧都が諌めると、寄っても、妨げることができない。「流転三界中」など言うのにも、「断ち果ててしまった物を」と思い出すのも、さすがだった。お髪も、削りかねて、
「穏やかに、尼君たちをして、直させなさい」と言う。額は、僧都が剃る。「このようなお容貌を、やつして、悔いるな」など、尊い事どもを、説き聞かせる。
「直ぐにさせられるべくもなく、皆、言い知らせたこと(剃髪)を、嬉しくもしたな」と、これだけは、仏は生きている験があってと、思ったのだった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第53冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。