第53帖 手習 / 第7場面
中将の来訪
あらすじ・人物・読み方
尼君のかつての婿である中将が、横川参りの道すがら小野に立ち寄り、簾の隙から浮舟の姿を垣間見て心を奪われる。
原文の一節を選ぶと、発音の読みと現代語を確認できます。読むだけでは音は出ません。どの読み方から始めても読了を記録できます。
表示と音声の設定
原文・発音の読み・現代語
現代語で読む
尼君の昔の婿の君が、今は中将でいるが、その弟の禅師の君が、僧都の御もとにいて、山籠もりしているのを、見舞いに、兄弟の君たちが常に登っていた。
横川に通う道の便りに寄せて、中将がここにいらっしゃった。前駆を追い立てて、上品な男が入って来るのを見出して、密やかにいらっしゃった人の御様子や気配が、はっきりと思い出される。
これもたいそう、心細い住まいの所在なさだけれど、住み着いた人びとは、物清らかに、趣深くして、垣根に植えた撫子も面白く、女郎花、桔梗などが咲き始めたのに、
色々の、狩衣姿の男たちの、若い者が大勢いて、君も同じ装束で、南面に呼び据えると、眺めていた。年は二十七、八の程で、年成って整い、心地悪くない様子を備えている。
尼君は、障子口に几帳を立てて、対面する。まず打ち泣いて、「年ごろが積もるにつれ、過ぎ去った方は、ますます気遠くばかりになるのを、山里の光になお待ち申し上げることが、打ち忘れず止まないのを、一方では不思議に思います」
とおっしゃると、「心のうち、あわれに、過ぎ去った方の事どもを、思い出されない折がないのを、無理に、住み離れた顔の御様子に、怠りながら。
山籠もりも羨ましく、常に出かけますのを、同じくはなど、慕い纏われる人びとに、妨げられるようでして。今日は、みな、省き捨てていらっしゃいました」
とおっしゃる。「山籠もりのお羨ましさは、かえって、今様めいた御物真似でしょう。昔をお忘れにならない、お心ばえも、世に靡かせなさらなかったと、並々ならず思われる折が多く」
など言う。人びとに水飯などのような物を食べさせ、君にも蓮の実などのような物を出したので、馴れたあたりで、そのようなことも包みない心地がして、村雨が降り出すのに止められて、
物語を、静かにする。「言い甲斐なく亡くなった人よりも、この君のお心ばえなどが、たいそう思うようだったのを、他人の物に思いなしたのが、たいそう悲しい。
どうして、忘れ形見をさえ、留めなさらずにしまったのだろう」と、恋い偲ぶ心だったので、たまたま、こうしていらっしゃるにつけても、珍しく感慨深く思われるだろう、問わず語りも、し出してしまうだろう。
姫君は、自分は自分と、思い出す方が多くて、眺め出していらっしゃる様子が、たいそう美しい。白い単衣の、たいそうみすぼらしく、色褪せたのに、袴も桧皮色に倣ったのか、光も見えず黒いのを着せているので、「このような事どもも、
見たのとは変わって、不思議でもあるな」と思いながら、ごわごわして、粗い物どもを着ているのが、たいそう美しい姿だ。御前にいる人びとは、
「故姫君がいらっしゃった心地ばかりしていたのに、中将殿をさえお目にかかれば、たいそう感慨深い。同じなら、昔の様子でいらっしゃればなあ。
たいそうよいお似合いに、なるだろうに」と言い合うのを、「ああ、大変だ。世に生きて、どうしてもどうしても、人に見られるのが。それについてこそ、昔のことが思い出されるだろう。
そうした筋は、思い絶えて、忘れてしまおう」と思う。尼君が入った間に、客人は、雨の様子を見かねて、少将と言った人の声を聞き知って、呼び寄せた。
「昔見た人びとは、みなここにいらっしゃるだろうかと思いながらも、こう参って来ることも難しくなったのを、心浅いのか、誰も誰も見なしているだろう」
などおっしゃる。仕え馴れた人で、感慨深かった昔の事どもも思い出した序でに、「あの廊の端に入った程、風の騒がしかった紛れに、簾の隙から、普通の様子ではあるまじかった人の、垂れ髪の、見えたのは、世を背いたあたりに、
誰だろうと、見て驚かれた」とおっしゃる。「姫君がお立ち出になった後ろ姿を、ご覧になったのだ」と思い出して、「まして詳しく見せたら、心が止まってしまうだろう。
昔の人は、たいそうこの上なく劣っていたのにさえ、まだ忘れ難くしているようだ」と、心一つに思って、「過ぎ去った御事を忘れ難く、慰めかねているようだった程に、覚えのない人を、お迎えになって、明け暮れの見物に思っているようだが、打ち解けていらっしゃる御様子を、
どうして、ご覧になったのだろう」と言う。「このようなことがあったのか」と面白くて、「何人だろう。本当に、たいそう美しかった」と、ほのかだったのを、かえって思い出す。詳しく問うけれど、そのままにも言わず、
詳しく問うけれど、そのままにも言わないので、「自然に、お聞きになるでしょう」とのみ言うので、唐突に問いただすのも、様子悪い心地がして、「雨も止んだ。日も暮れてしまいそうだ」
と言うのに促されて、お出になる。前近くの、女郎花を折って、「何、匂うのだろう」と、口ずさんで、独り言を言った。「人の、物言いを、さすがに、気にしていることよ」
など、古風な人たちは、物珍しがり合っている。「たいそう清らかに、理想的にも、年まさっていらっしゃったな。同じなら、昔のようにでも、お目にかかりたい」と言って、
「藤中納言の御あたりには、絶えず、通っていらっしゃるようだけれど、心も、留めなさらず、親の殿がちでいらっしゃると、言うそうだ」と、尼君もおっしゃって、
「心痛く、物をばかり思って隔てているのが、たいそうつらい。今は、なお、そうなるべきようだと思いなして、晴れ晴れしく振る舞いなさい。この五年、六年、時の間も忘れず、恋しく、悲しいと思った人の上も、こうお目にかかって、後からは、この上なく思い忘れられています。
思い申し上げるべき人びとが、世にいらっしゃっても、今は世に亡いものにこそ、だんだん、思いなさるだろう。万事のこと、差し当たったようには、できない業でしょう」
と言うにつけても、ますます、涙ぐんで、「隔て申し上げる心は、ありませんが、不思議に生き返った程に、万事のことが、夢の世に辿られて。
別の世に生まれた人は、このような心地だろうと思われますので、今は、知るべき人が、世にいるとも、思い出しません。ひたすらにこそ、睦ましく、思われます」
とおっしゃる様子も、本当に、何心なく、美しく、微笑んで、見守っている。中将は、山に着いて、僧都も珍しがって、世の中の物語をする。その夜は泊まって、声尊い人に、経など読ませて、夜一夜、遊ぶ。
禅師の君が、詳しい物語などする序でに、「小野に立ち寄って、物哀れでもあったな。世を捨てたけれど、なお、それほどの心ばえのある人は、難いことよ」
などある序でに、「風の吹き開けた隙から、髪がたいそう長く、美しい人が見えた。露わだとでも思ったのだろうか、立って、あちらに入った後ろ姿は、普通の人とは見えなかった。
そのような所に、よい女は置いているはずのないものでしょう。明け暮れ、見る者は法師です。自然に、目馴れて思うのでしょう。不憫なことだな」
とおっしゃる。禅師の君は、「この春、初瀬に詣でて、不思議に見出した人と、聞きました」と言って、見ないことなので、詳しくは言わない。
「哀れなことだな。どのような人だろうか。世の中を憂いとてこそ、あの所には、隠れていたのだろう。昔物語の心地もするな」とおっしゃる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第53冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。