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更級日記 · 学びのノート

更級日記「ゆかし」の意味|1節で読む物語への憧れ

更級日記の「ゆかし」は、物語を見たい、内容を知りたいという気持ちです。「いとどゆかしさまされど」を、姉・継母が語る話と少女の願いから読み解きます。「いとど」「ど」の働きや、省かれた主語を図解し、原文に戻って意味の根拠を確かめます。

 大石浩之

金箔地の平安時代の住まいで、朱色の衣の少女が姉と継母の話に耳を傾ける絵巻調の創作画。三人の温かな表情、紫や緑の衣の細かな文様、庭の草花を描き、物語をもっと見たいという少女の気持ちを表す。

Q. 「いとどゆかしさまされど」は、どんな気持ちを表すの?

A. 更級日記の「ゆかし」は、物語を見たい、内容を知りたいという気持ちです。姉や継母が語るのを聞き、「いとど」でその願いがいっそう強まります。「ゆかしさまされど」は、見たい気持ちは増すけれど、という流れ。上品さをほめる意味ではありません。

更級日記の少女は、物語の話を聞けば聞くほど、自分でも見たくなります。「いとどゆかしさまされど」は、その気持ちを表す一節です。ここでの「ゆかし」は、上品な雰囲気へのほめ言葉ではありません。まだ十分に知らない物語へ、心が向かっているのです。

大石浩之(磐田市/不動産業)です。今回は、古い言葉の意味を一つに決める前に、前後の文から根拠を拾います。文部科学省の「教育・文化週間」では、2026年11月1日を古典の日と案内しています。前日の10月31日には、物語を読みたいと願う人の言葉から、古典を開くきっかけを探せます。

本文は、吉川秀雄『新註更級日記』(1926年)の印刷1〜2頁と、当サイトの公開教材を確認しました。確認日は2026年10月31日です。以下の引用は採用底本に沿い、意味の説明はこの記事で書いたものです。表紙は姉・継母の話を聞く場面をもとに生成した創作画で、顔や部屋の配置を史実として再現したものではありません。

「ゆかし」は、物語を見たい気持ち

更級日記の冒頭にある「ゆかし」は、物語を見たい、内容をもっと知りたいという気持ちを表します。どんな対象に心を引かれているかを確かめると、訳の方向が見えてきます。

かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、我が思ふ儘に、そらにいかでかおぼえ語らむ。

少女が聞いているのは、物語や光源氏の様子についての話です。そのため、ここでは「物語を見たい気持ちがますます強くなる」と説明できます。本文の「ゆかしさ」は、その見たい気持ちを名詞の形で表した言葉です。

現代語の「奥ゆかしい」を思い浮かべ、控えめで上品だと訳すと、話の筋がつながりません。少女が誰かの立ち居振る舞いをほめている場面ではないからです。古語の意味は、今の似た言葉から一足飛びに決めない。この一節では、まず「何を見たいのか」を押さえます。

意外なのは、物語への憧れが描かれるこの箇所では、少女はまだ物語そのものを読んでいないことです。人から話を聞き、もっと見たいと思っている。その順序を残すと、「ゆかし」が知識を得た後の満足とは違う気持ちだと分かります。

知っている言葉の意味を文脈で確かめる読み方は、桐壺の「ときめく」を読む記事にも通じます。単語の現代的な印象をいったん置き、本文が示す相手や対象へ戻る方法です。

語る姉・継母と、聞く少女を分ける

更級日記の冒頭では、姉や継母などが物語を語り、少女がその話を聞いています。「ゆかしさ」が強まるのは、聞いている少女の側です。光源氏は話題に上る物語の人物で、この部屋にいる人物ではありません。

引用のすぐ前には、「姉、継母などやうの人人の、その物語」とあります。続く「かの物語」と合わせれば、話す人と話題を切り分けられます。「その物語、かの物語」は、あの話、この話といった広がりを持ちます。すべてを源氏物語の話だけに狭める必要はありません。

語り手の姉・継母などから、聞き手の少女へ話が届く関係図。話題は物語や光源氏の様子であり、光源氏がその場にいるという意味ではない。少女の側に物語を見たい気持ちが生じる。
図1 話す人・聞く人・話の中の人物を分けた整理。

原文の「聞く」に少女という主語は書き添えられていません。それでも、前から続く「見ばやと思ひつつ」と、後の「我が思ふ儘に」をつなぐと、誰の願いが描かれているかを追えます。現代語の説明に「少女が」を補うのは、この関係を見えるようにするためです。

ここでいう少女は、日記の中で回想される幼いころの作者です。後から振り返って書く立場と、当時の気持ちを区別しておくと、文章をその場の会話記録と取り違えずに読めます。ただし、この一節だけから実際の会話の全文までは分かりません。

日記の作者と文章の語り方を考える入口には、土佐日記の冒頭で男と女を確かめる記事があります。土佐日記と更級日記を同じ仕掛けだと決めず、それぞれの本文で語る位置を探せます。

「いとど」と「まされど」で増す気持ちを読む

「いとどゆかしさまされど」は、「いっそう、見たい気持ちは増すけれど」と読む流れです。「いとど」が強まりを示し、「まされど」が後に続く思いどおりにならなさへつなぎます。

意味のまとまりは、「いとど/ゆかしさ/まされど」です。「まされど」は、ここでは「増さる」の已然形「まされ」に「ど」が付いた形として捉えられます。「ゆかしさ」が増すのであって、誰かの身分が上がる話ではありません。

「まされ」の響きから「いらっしゃる」のような敬語を連想するかもしれません。しかし、この箇所では増しているものが「ゆかしさ」です。人物の行為を尊敬語で述べる形と決めつけず、直前の語と結び付けると読み違いを防げます。

いとど、ゆかしさ、まされどを縦に並べ、それぞれ、いっそう、物語を見たい気持ち、増すけれど、と対応させた図。下段で、話を聞くことで願いは強まるが、思うとおりには語ってもらえないという前後の流れを示す。
図2 語句の意味と、「けれど」の先へ続く文の流れ。

「ど」の先には、「我が思ふ儘に、そらにいかでかおぼえ語らむ」が続きます。「そらに」は本を見ずに、記憶によって、という意味です。少女の望むとおりに、どうして覚えて語れるだろうか。反語として、十分には語れないという方向に読みます。

「ゆかし」の訳だけなら短く覚えられます。けれども、「ど」まで読むと、願いが強くなる一方で、聞くだけでは満たされないという動きが見えます。文法の名前を覚えることと、気持ちの流れを読むことは、ここでつながります。

「見ばや」から「見せたまへ」へつなぐ

更級日記の少女が物語を求める気持ちは、「ゆかし」だけに書かれているわけではありません。前には「いかで見ばや」、後には「あるかぎり見せたまへ」があり、見ることへの願いが一節の両側を支えています。

「いかで見ばや」は、どうにかして見たいものだという願いです。その思いを抱く少女が、姉や継母の語る物語を聞きます。聞いた結果、見たい気持ちが消えるのではなく、「いとど」と強まる。この順にたどると、単語一つを孤立させずに済みます。

後では、少女が薬師仏を作り、都へ早く上げてほしいと祈ります。その願いの中に「物語の多く候ふなる、あるかぎり見せたまへ」があります。本文にある祈りの描写と、当時の人々全体の行動は別です。少女の一場面から、誰もが同じように物語を求めたとは言えません。

物語を対象にするため、この記事では「読みたい」と言い換える箇所があります。ただし、引用の文字は「見」です。「読む」と書いてあることにして引用し直すのではなく、文脈を踏まえた説明として分けています。何を補ったかが分かる訳は、原文へ戻る足場になります。

原文にある言葉と、説明で補う情景の違いは、百人一首17番の「水くくる」を読む記事でも扱っています。更級日記では、「物語を」という対象をどの言葉から補ったか、自分で指せるかを確かめます。

今日は「何を見たいか」の根拠を一つ残す

更級日記の「ゆかし」を確かめる練習は、第1場面で対象を表す言葉を探すことから始められます。意味を暗記して終わらず、「物語」「光源氏のあるやう」「見ばや」を原文の中で見つけます。

私は、短い現代語訳で全体の流れをつかめるのはよい点だと考えます。初めから一語ずつ調べる負担を減らせます。そのうえで、訳を読んだ後には原文の一語へ戻れる案内がほしい。「見たい」という説明の根拠が見えれば、別の訳と出会ったときにも確かめ直せます。

私は、「見たい」と「知りたい」のどちらを先に置くかには迷います。物語への関心は両方にまたがるからです。だから、今日一つの言い換えに決着をつけなくてもよいと考えます。まず対象が物語であること、聞いて願いが強まることを押さえる。根拠が一つ増えれば、次に読むための材料になります。これは運営者としての提案で、学習効果を保証するものではありません。

更級日記の第1場面を開き、「ゆかしさ」の前後を一度読みます。次に「何を」「誰が」「どうなった」の三つに短く答えます。物語を、少女が、いっそう見たくなった。答えた後、その根拠となる原文を一つずつ指せれば、今日の確認はそこで区切れます。

続きが気になったら、薬師仏への願いまで読み進められます。まだ分からない語があれば、場面一覧と出典に戻っても構いません。全文を説明できるまで待たず、確かめられた一節から読書を続ける方法です。

「ゆかし」を読むときの疑問

更級日記のこの一節では、現代語との違い、敬語との区別、訳で補う言葉を分けると確認しやすくなります。以下は冒頭の物語への憧れに範囲を絞った説明です。

「ゆかし」は上品という意味ですか?

この箇所では、物語を見たい、内容を知りたいという気持ちです。姉や継母の話を聞き、願いが強まる文脈で使われています。現代語の「奥ゆかしい」から上品さを連想するだけでは、続く祈りにつながりません。前の「見ばや」と、後の「見せたまへ」も合わせて確かめると、何を求めているかが見えます。

「まされど」は尊敬語ですか?

「ゆかしさまされど」の「まされど」は、ここでは気持ちが増すことを述べています。「増さる」の已然形に「ど」が付き、「増すけれど」と続きます。人物への敬意を表す形として読む箇所ではありません。増すものは何かと問い、直前の「ゆかしさ」を受けていることを確認すると、音の印象だけで決めずに済みます。

現代語訳では「読みたい」と補ってよいですか?

物語を対象としているため、「読みたい」は文脈を伝える説明になります。ただし、原文の「見」を「読む」に置き換えて引用してはいけません。原文は原文の形で示し、説明で読みたいと述べる区別を保ちます。授業や試験では指定された本文と訳の方針を確認し、異なる訳は前後の言葉と照らして考えます。

この記事は古文の読解を助けるための独自解説です。底本・編集方針によって表記や解釈に違いがあります。行事案内や公開情報は変更される場合があります。授業・試験などの個別の判断は担当教員等に確認してください。

わかったところから、作品へ

全部を覚えてから進む必要はありません。気になった一節を、今の目で読んでみましょう。

出典・確認した資料

本文の日本語による解説・練習例は独自に作成。解釈や学び方の提案は、原典の事実と区別しています。