ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

空蝉の原文

ねられ給たまはぬままに、「われはかく人ににくまれてもならはぬを、こよひなんはじめてうしと世をおもひしりぬれば、はづかしうてながらふまじうこそ思ひなりぬれ」などの給たまへば、涙をさへこぼしてふしたり。いとらうたしとおぼす。

てさぐりのほそくちいさきほど、かみのいとながからざりしけはひのさまにかよひたるも、思ひなしにやあはれなり。あながちにかかづらひたどりよらんもひとわろかるべく、まめやかにめざましと覚しあかしつつ、れいのやうにものたまひまつはさず。夜ふかういでたまへば、このこはいとほしく、さうざうしと思ふ。

女もなみなみならずかたはらいたしと思ふに、御せうそこおんしょうそこもたえてなし。おぼしこりにけると思ふにも、やがてつれなくてやみ給たまひなましかばうからまし。しゐていとほしき御ふるまひのたえざらんもうたてあるべし。よき程にかくてとぢめてむ、と思ふものから、ただならずながめがちなり。

君は心づきなしとはおぼしながら、かくてはえやむまじう御こころみこころにかかり、人わろくおもほしわびて、こぎみに、「いとつらうもうれたくもおぼゆるに、しゐておもひかへせど、心にしもしたがはずくるしきを、さりぬべきおりをみて、たいめんすべくたばかれ」とのたまひわたれば、わづらはしけれど、かかるかたにても、のたまひまつはすはうれしうおぼえけり。

おさなき心ちに、いかならんおりにかとまちわたるに、きのかみくににくだりなどして、女どちのどやかなる、ゆふやみのみちたどたどしげなるまぎれに、わが車にてゐてたてまつる。このこもおさなきをいかならんとおぼせど、さのみもえおぼしのどむまじかりければ、さりげなきすがたにて、門などささぬさきにといそぎおはす。ひとみぬかたよりひきいれて、おろしたてまつる。わらはなれば、とのゐ人などもことにみいれついそうせず、心やすし。ひんがしのつまどにたてたてまつりて、我はみなみのすみのまより、かうしたたきののしりていりぬ。

「人たちあらはなり」といふなり。「なぞかうあつきに、このかうしはおろされたる」ととへば、「ひるより西の御かたのわたらせ給たまて、碁ごうたせ給」といふ。さてむかひゐたらんをみばやと思ひて、やをらあゆみいでて、すのこのはざまにいり給たまぬ。このいりつるかうしはまだささねば、ひまみゆるによりて、にしざまにみとをし給たまへば、このきはにたてたる屏風びょうぶもはしのかたをしたたまれたるに、まぎるべき木丁きちょうなども、あつければにや、うちかけて、いとよくみいれらる。

火ちかうともしたり。もやのなかばしらにそばめる人や、わがこころかくると、まづめとどめ給たまへば、こきあやのひとへがさねなめり。なににかあらん、うへにきて、かしらつきほそやかにちいさき人の、ものげなきすがたぞしたる。かほなどはさしむかひたらん人などにも、わざとみゆまじう、もてなしたり。てつきやせやせとして、いたうひきかくしためり。

いまひとりはひんがしむきにて、のこる所なくみゆ。しろきうすもののひとへがさね、ふたあゐのこうちきだつもの、ないがしろにきなして、くれなゐのこしひきゆへるきはまで、むねあらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いとしろうおかしげに、つぶつぶとこえて、そぞろかなる人の、かしらつき、ひたいつき、ものあざやかに、まみくちつきいとあいぎやうづき、はなやかなるかたちなり。かみはいとふさやかにて、ながくはあらねど、さがりば、かたのほど、いときよげに、すべていとねぢけたる所なく、おかしげなる人とみえたり。

むべこそおやの世になくはおもふらめ、とおかしくみ給たま。心ちぞ猶しづかなるけをそへばやと、ふとみゆる。かどなきにはあるまじ。ごうちはてて、けちさすわたり、こころとげにみえて、きはぎはしうさうどけば、おくのひとはいとしづかにのどめて、「まち給たまへや。そこはぢにこそあらめ。このわたりのこうをこそ」などいへど、いで、このたびはまけにけり。すみのところどころ、いでいでと、をよびをかがめて、「とを、はた、みそ、よそ」などかぞふるさま、いよのゆげたもたどたどしかるまじうみゆ。

すこししなをくれたり。たとしへなくくちおほひて、さやかにもみせねど、めをしづとつけたまへれば、をのづからそばめにみゆ。めすこしはれたる心ちして、はななどもあざやかなる所なう、ねびれて、にほはしき所も見えず。いひたつれば、わろきによれるかたちを、いといたうもてつけて、このまされる人よりは、心あらんとめとどめつべきさましたり。

にぎははしくあい形づき、おかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、わらひなどそぼるれば、にほひおほく見えて、さるかたにいとおかしきひとざまなり。あはつけしとはおぼしながら、まめならぬ御こころみこころは、これもえおぼしはなつまじかりけり。み給たまかぎりのひとは、うちとけたるよなく、ひきつくろひそばめたるうはべをのみこそみ給たまへ、かくうちとけたる人のありさま、かいまみなどは、まだし給たまはざりつることなれば、なにこころもなうさやかなるはいとほしながら、ひさしうみ給たまへまほしきに、

こ君いでくる心ちすれば、やをら出給たまぬ。わたどのの戸ぐちによりゐ給たまへり。いとかたじけなしと思ひて、「れいならぬ人侍て、えちかうもより侍らず」「さてこよひもやかへしてんとする。いとあさましう、からうこそあべけれ」との給たまへば、「などてか。あなたにかへり侍なば、たばかり侍らん」ときこゆ。さもなびかしつべきけしきにこそあらめ、わらはなれど物の心ばへ、人の気色みつべく、しづまれるを、とおぼす成けり。

ごうちはてつるにやあらん、うちそよめきて、ひとびとあかるるけはひなどもすなり。「わかきみは、いづくにおはしますならん。この御かうしはさしてん」とて、ならすなり。「しづまりぬなり。いりて、さらばたばかれ」とのたまふ。此こも、いもうとの御こころみこころはたはむ所なく、まめだちたれば、いひあはせんかたなくて、人ずくなならんおりにいれ奉らんとおもふなりけり。

「きのかみのいもうともこなたにあなり。われにかいまみせさせよ」との給たまへば、「いかでか、さは侍らん。かうしには木丁きちょうそへて侍」ときこゆ。さかし、されど、とおかしくおぼせど、みつとはしらせじ、いとほしとおぼして、夜ふくることの心もとなさをのたまふ。

このたびはつま戸をたたきて入いる、みな人々しづまりねにけり。「此さうじぐちにまろはねたらん。風吹とをせ」とて、たたみひろげてふす。ごだち、ひんがしのひさしにいとあまたねたるべし。とはなちつるわらはも、そなたにいりてふしぬれば、とばかりそらねして、火あかきかたに屏風びょうぶをひろげて、かげほのかなるに、やをらいれ奉る。いかにぞ、おこがましきこともこそ、とおぼすに、いとつつましけれど、みちびくままに、もやの木丁きちょうのかたひらひきあげて、いとやをらいり給たまふ。とすれど、みなしづまれる夜の御ぞおんぞのけはひ、やはらかなるしも、いとしるかりけり。

女は、さこそわすれ給たまふをうれしきにおもひなせど、あやしく夢のやうなることを、心にはなるるおりなき比ころにて、心とけたるいだにねられずなん。ひるはながめ、よるはねざめがちなれば、春ならぬこのめもいとなくなげかしきに、ごうちつるきみ、「こよひはこなたに」と、いまめかしくうちかたらひてねにけり。わかき人は、なに心なくいとよくまどろみたるべし。

かかるけはひの、いとかうばしくうちにほふに、かほをもたげたるに、ひとへうちかけたる木丁きちょうのすきまに、くらけれど、うちみじろきよるけはひ、いとしるし。あさましく覚えて、ともかくも思ひわかれず、やをらおき出て、すずしなるひとへひとつをきて、すべり出にけり。

君はいり給たまて、ただひとりふしたるを、心やすくおぼす。ゆかのしもに二人ばかりぞふしたる。きぬををしやりてより給たまへるに、有しけはひよりは、ものものしくおぼゆれど、おもほしもよらずかし。いぎたなきさまなどぞ、あやしくかはりて、やうやうみあらはし給たまて、あさましくこころやましけれど、ひとたがへとたどりてみえんも、おこがましく、あやしとおもふべし。

ほいの人をたづねよらんも、かばかりのがるるこころあめれば、かひなく、おこにこそおもはめ、とおぼす。かのおかしかりつるほかげならば、いかがはせん、とおぼしなるも、わろき御こころみこころあささなめりかし。

やうやうめさめて、いとおぼえずあさましきに、あきれたるけしきにて、なにの心ふかくいとほしきよういもなし。世中をまだ思ひしらぬ程よりは、されば見たるかたにて、あえかにもおもひまどはず。われともしらせじとおもほせど、いかにしてかかることぞと、のちに思ひめぐらさんも、わがためにはことにもあらねど、あのつらき人の、あながちによをつつむも、さすがにいとほしければ、たびたびの御かたたがへにことつけたまひしさまを、いとよういひなし給たま。

たどらん人は心えつべけれど、まだいとわかき心ちに、さこそさしすぎたるやうなれど、えしも思ひわかず。にくしとはなけれど、御こころみこころとまるべきゆゑもなき心ちして、なを、かのうれたき人の心をいみじくおぼす。いづこにはひまぎれて、かたくなしと思ゐたらん、かくしうねき人はありがたきものを、と覚すにしも、あやにくに、まぎれがたく思ひいでられ給たま。この人のなに心なくわかやかなるけはひもあはれなれば、さすがになさけなさけしくちぎりをかせ給たま。

「人しりたることよりも、かやうなるはあはれもそふこととなん、むかしの人もいひける。あひ思ひ給たまへよ。つつむことなきにしもあらねば、身ながら心にもえまかすまじくなんありける。又、さるべき人どもゆるされじかし、と、かねてむねいたくなん。わすれでまち給たまへよ」など、なをなをしくかたらひ給。「人の思ひ侍らんことのはづかしきになん、え聞えさすまじき」とうらもなくいふ。「なべてひとにしらせばこそあらめ。このちいさきうへ人などにつたへてきこえん。けしきもなくもてなし給たまへ」などいひをきて、かのぬぎすべしたるうすきぬをとりていで給たまひぬ。

こ君近くふしたるをおこし給たまへば、うしろめたう思ひつつねければ、ふとおどろきぬ。とをやをらをしあくるに、おいたるごだちのこゑにて、「あれはたそ」とおどろおどろしくとふ。わづらはしくて、「まろぞ」といらふ。「夜中にこはなぞありかせ給たま」と、さかしがりて、とらまへて、にくくて、「あらず、ここもとへ出るぞ」とて、君ををしいで奉るに、暁ちかき月、くまなくさしいでて、ふと人のかげみえければ、「また、おはするはたそ」ととふ。「みんぶのおもとなめり」「けしうはあらぬおもとのたけだちかな」といふ。たけたかき人の常にわらはるるをいふなりけり。

おい人、これをつらねてありきけると思ひて、「いま、ただ今、たちならびたまひなん」といふいふ、われも此とよりいでて、わびしけれど、えもをしかへさで、わたどののくちにかひそひてかくれたちたまへれば、このおもとさしよりて、「おもとは、こよひはうへにやさぶらひ給たまつる。おとひよりはらをやみて、いとわりなければしもに侍つるを、ひとずくななりとてめししかば、よべまうのぼりしかど、なをえたふまじくなん」とうれふ。いらへもきかで、「あなはらはら。いまきこえむ」とてすぎぬるに、からうじていで給たま。なをかかるありきは、かろがろしくあやうかりけりと、いよいよおぼしこりぬべし。

こ君、御車のしりにて、二条院におはしましぬ。ありさまの給たまて、「おさなかりけり」とあはめたまひて、かの人の心を、つまはじきをしつつうらみ給たま。いとおしうて、ものも聞えず。「いとふかうにくみ給たまふべかめれば、身もうく思ひはてぬ。などか、よそにてもなつかしきいらへ計はし給たままじき。いよのすけにをとりける身こそ」など、心づきなしと思ひての給たま。ありつるこうちきを、さすがに御ぞおんぞのしたに引いれておほとのごもれり。

こ君をおまへにふせて、よろづにうらみ、かつはかたらひ給たま。「あこはらうたけれど、つらきゆかりにこそ、え思ひはつまじけれ」とまめやかにの給たまを、いとわびしと思ひたり。しばしうちやすみ給たまへど、ねられたまはず。御すずりいそぎめして、さしはへたる御ふみにはあらず、ただてならひのやうにかきすさみ給たまふ。

うつ蝉の
身をかへてける
このもとに
なを人がらの
なつかしき哉

とかき給たまへるを、ふところにひきいれてもたり。かの人もいかにおもふらんと、いとおしけれど、かたがたおもほしかへして、御ことづてもなし。かのうすきぬは、こうちきのいとなつかしき人がにしめるを、身ちかくならしつつみゐ給たまへり。

こ君かしこにいきたれば、あね君まちつけて、いみじくの給たま。「あさましかりしに、とかくまぎらはしても、人のおもはんこと、さり所なきに、いとなんわりなき。いとかう心おさなき心ばへを、かつはいかにおもほすらん」とて、はづかしめ給たまふ。ひだりみぎにくるしく思へど、かの御てならひとりいでたり。さすがにとりてみ給たま。かの御ぬけを、いかに、いせのあまのしほなれてや、など思ふもただならず、いとよろづにみだれたり。

にしの君も、物はづかしき心ちして、わたり給たまひにけり。またしる人もなきことなれば、人しれずうちながめてゐたり。こ君のわたりありくにつけても、むねのみふたがれど、御せうそこおんしょうそこもなし。あさましと思ひうるかたもなくて、ざれたる心ちに、物哀なるべし。

つれなき人も、さこそしづむれど、いとあさはかにもあらぬ御気色を、有しながらのわが身ならば、ととりかへすものならねど、忍びがたければ、この御たたうがみのかたつかたに、

うつせみの
はにをく露の
こがくれて
しのびしのびに
ぬるる袖かな

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底本:北村季吟『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館所蔵 本別3-1 第3冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。

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