第5帖 若紫 / 第11場面
父宮の迎えの意向
あらすじ・人物・読み方
父の兵部卿宮は、尼君を亡くした少女を引き取る意向を乳母に伝えます。
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現代語で読む
あちらには折しも今日宮がおいでになった。以前よりもはるかに荒れ方が増し、広く、古びた所が、いよいよ人も少なく、寂しいので、見渡して、「このような所にどうして、幼い人が少しの間でもお過ごしになれよう。やはりあちらへお移し申し上げよう。何も窮屈な事情でもない。乳母には部屋などを設けて、お仕えしてもらおう。
あなたは若い人々もいるので、一緒に遊んで、たいそうよく、お暮らしになれるでしょう」などとおっしゃる。〔少女を〕近くへお呼び寄せ申し上げなさると、あの移り香がたいそう優雅に深く、染みついていらっしゃるので、「何とよいお香りだろう。お着物はひどく、くたびれているのに」と、いたわしく、お思いである。
「長年病がちで年を召した方に付き添っていらっしゃるよりは、時々あちらにおいでになって、慣れなさるようになどと言ったのだが、不思議とお避けになりあちらの人も気を置いているようだったのに、このような折にあえて、おいでになるのも気の毒で」と、などとおっしゃるので、〔乳母は〕「いえ、何も。心細くても、しばらくはこのまま、おいでになるのがよろしいでしょう。少し物の道理をお分かりになるようになった頃に、あちらへお移りになるのがよろしいでしょう」と、申し上げる。
「夜も昼も恋い慕い申し上げていらして、少しの物もお召し上がりになりません」と言って、確かにたいそうお顔がお痩せになっているが、かえって、たいそう気品があって愛らしくお見えになる。「どうして、そうまでお思いになるのです。今はこの世にいらっしゃらない方のことはどうしようもない。私がいるのだから」などとお話し申し上げなさって、日が暮れて、お帰りになるのを、〔少女は〕たいそう心細いと思って、お泣きになるので、宮もお泣きになって、「そんなに思いつめてはいけません。今日明日にもお移し申し上げよう」などと、繰り返しなだめておいて、お出になった。
〔少女は〕慰め難いほど泣いていらっしゃる。将来自分がどうなるかということまではお分かりにならず、ただ長年離れる時もなく、まとわりつくように慣れ親しんでいて、今は亡い人におなりになってしまったとお思いになるのがたまらないので、幼いお心ながらも胸がふっとふさがって、いつものようにもお遊びにならない。昼はそうして、気を紛らわしていらっしゃるのに、夕暮れになるとひどく、恋い慕っていらっしゃるので、「このままではどうして、お過ごしになれるだろう」と、慰めかねて、乳母も一緒に泣いている。
源氏のおもとからは惟光をお差し向けになっている。「伺おうと思っていたのですが、内裏から、お召しがあるものですから。お気の毒にお見申し上げたことも、気にかかって、落ち着きません」と、言って、宿直の人をお差し向けになっている。
〔女房たちは〕「困ったことですね。冗談にしても、手始めから、このお振る舞いですよ。宮がお聞きつけになればお仕えする者たちがうかつだと責められることでしょう。決して、何かの折に子供らしく、うっかりお話し申し上げなさってはいけませんよ」と、言うのもそのことを何とも、お思いになっていないのは驚いたことである。
少納言は惟光にしみじみとしたさまざまな話をして、「年月を過ごした後にしかるべき前世からのご縁から、お逃れ申し上げられないことも、あるでしょう。けれど、今は思いも寄らず、たいそう、
〔少納言は〕不釣り合いなお話と存じますのに、不思議にそのようにお思いになって、おっしゃるのも、どのようなお心なのか思い当たるところもなく、困惑しております。今日も宮がおいでになって、『安心できるようにお仕えせよ。考えの足りないお世話を申し上げるな』と、などとおっしゃったのもたいそう気が重く、何もない時よりはこうした色好みのお振る舞いも思い出されました」と、などと言って、この人も何か事情があるかのように思うだろうかなどと気が進まないので、あまり嘆かわしそうにも言いはしない。大夫もどのようなことなのだろうと理解し難く、思う。
〔惟光が〕参上して、様子などを申し上げたので、〔源氏は〕いとおしく、自然とお思いやりになるが、そのまま、お通いになるのもやはりそぐわないような気持ちがして、軽々しく、誤った扱いをしたことと人が漏れ聞くだろうかなどと、ためらわれるので、いっそお迎えしてしまおうとお思いになる。お手紙は何度もお送り申し上げなさる。日が暮れるといつもの大夫をお差し向けになる。「差し障りがいろいろあって、参れませんのをおろそかだとお思いでしょうか」と、などとある。
〔少納言は〕「宮から、明日急にお迎えになるとおっしゃってきたものですから、気ぜわしく、しておりまして。長年の蓬の茂る住まいを離れるのもやはり心細く、お仕えする者たちも思い乱れております」と、言葉少なに言って、ろくに応対もしない。
物を縫ったり準備をする様子などが明らかだったので、〔惟光は〕退出して、参上した。源氏は大殿にいらしたのだが、いつものように女君はすぐにはお会いにならない。〔源氏は〕何となく、不愉快にお感じになって、和琴をすががきに弾いて、「常陸では田をこそ作れ」という歌を、声に出して、たいそう優雅に口ずさみながら、座っていらっしゃる。
〔惟光が〕参上すると、呼び寄せて、様子をお尋ねになる。「これこれでございます」と申し上げるので、残念にお思いになって、あの宮の所に移ってしまえばわざわざ迎え出すのも好色めいたことであろう。幼い人を盗み出したと非難を受けるだろう。その前にしばらく、人々にも口止めをして、移してしまおうと、お思いになって、「夜明け前にあちらへ出かけよう。車の支度はそのままに随身を一人二人、指示をしておきなさい」とおっしゃる。〔惟光は〕承って、席を立った。
源氏はどうしようか評判になって、好色めいたことになるだろうこの行為は、せめて、相手の年頃が物の道理を理解していて、女も心を通わせていたことと推測されそうでありさえすれば、
世間でよくあることだが。父宮が探し出しなさるのも、決まりが悪く、不都合だろうにと思い乱れなさるが、そうして、機会を失ってしまうのはたいそう残念だろうから、まだ夜の深いうちにお出になる。女君はいつものようにしぶしぶ心も打ち解けず、いらっしゃる。「あちらでどうしても、見ておかねばならないことがございましたのを思い出しまして。すぐに戻って、参りましょう」と言って、お出になるので、お仕えする人々も知らなかったのである。ご自分のお部屋でお直衣などはお召しになる。惟光だけを馬に乗せて、お出かけになった。
底本:北村季吟『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館所蔵 本別3-1 第5冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。