第22帖 玉鬘 / 第5場面
鏡の神の歌
あらすじ・人物・読み方
大夫監が屋敷を訪れ、后の位に落とさぬなど大言を並べて祖母おとどを口説く。帰り際、松浦の鏡の神に誓う歌を詠みかけ、姫君は長年の祈りを込めた歌で切り返す。
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現代語で読む
三十歳ほどの男で、背が高く重々しく太って、汚らしくはないが、思いなしに疎ましく、荒々しい振る舞いなどは、見るのも忌まわしく感じられる。顔色は気持ちよさそうに、声はひどく嗄れてしゃべり続けている。懸想人は夜に隠れているのを、夜這いといったものだが、様変わりした春の夕暮れである。秋ではないのに、変であったと見える。〔相手の〕心を損ねまいとして、祖母おとどが出て会う。
「故少弐がたいそう情け深く、立派でいらっしゃったのを、どうにかしてお話し申し上げようと思っておりましたが、その心ざしもお見せ申し上げないでいるうちに、たいそう悲しく、〔少弐が〕お亡くなりになったのを、その代わりに、一向にお仕え申し上げるべきだと、心ざしを励まして、今日は、たいそう一途に、無理をして参上しました。
ここにおいでらしい女君は、血筋が格別と承れば、たいそうかたじけない。ただ、私めの私の君と思い申し上げて、いただきに捧げ申し上げるべきです。おとどが渋々でいらっしゃる様子なのは、よくない女どもを大勢知っているのを聞き召して疎まれるからでしょう。それでも、粗野な者どもを、人並みにはいたしましょう。私の君を、后の位に落とし申し上げることはありますまい」などと、たいそうもっともらしく言い続ける。
「どうでしょうか。そのようにおっしゃるのを、たいそう幸運ありと思っておりますが、宿世のつたない人でしょうか、思い憚ることがございまして、どうして人にご覧いただけようかと、人知れず嘆いておりますように見えますので、心苦しく拝見しかねておりました」と言う。「決して、お思い憚りなさいますな。天下に、目がつぶれ、足が折れなさっても、私はお仕え申し上げてやめますまい。国のうちの仏神は、私に靡きなさっている」などと、誇って座っている。
「その日だけは」と言うと、「この月は季節の終わりだ」などと、田舎びたことを言って逃れる。下りて行く際に、歌を詠みたくなったので、しばらく長く思い巡らして、あなたに、もし〔私の〕心が背くことがあれば、松浦にある鏡の神にかけて誓いましょう。
この和歌は、お仕え申し上げた〔つもりだ〕とお思いなさい」と、微笑んでいるのも、世慣れずういういしいことよ。あれでもないので、返歌もしようがないと思うけれど、娘たちに詠ませるけれど、「私は、まして何も分かりません」と言って座っているので、たいそう長いのに思い悩んで、ふと思っていたままに、
長年祈ってきた心が〔願いと〕違うことになれば、鏡の神をつらいと見るでしょう。と震わせながら〔歌を〕口に出したのを、「待てや。これはどうおっしゃるのか」
と、不意に寄って来る気配に、おびえて、おとどは、顔色もなくなってしまった。娘たちは、そうはいっても、心強く笑って、「この方〔姫君〕が、様子が格別でいらっしゃるのを引き違えて、どこへお思いになるのかを、やはり、ぼんやりした人が、神にかけて、申し上げ間違いなさるようですよ」と解きほぐして聞かせる。
「おい、そうだ、そうだ」とうなずいて、「面白いお口ぶりだな。私どもは、田舎びているという名こそございますが、情けない民ではございません。都の人とても、何ほどでありましょう。みな知っております。お見くびりなさいますな」と言って、また、〔歌を〕詠もうと思うけれども、堪えられなかったのか、行ってしまったようである。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第22冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。