第28帖 野分 / 第11場面
玉鬘への戯れと贈答歌
あらすじ・人物・読み方
夕霧は西の対の玉鬘を訪ね、風にかこつけて戯れかけ、玉鬘は辛さに堪えかねて応じる。その様子を源氏が御簾の陰から覗き見て、二人の近さを訝しく思い、玉鬘の美しさをしみじみと眺める。やがて玉鬘が女郎花の歌を詠み、下露の歌が返されるが、その聞き取りは定かでない。
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現代語で読む
西の対では、〔玉鬘は〕恐ろしいと思いながら夜を明かした名残で、寝過ごして、今になって鏡なども御覧になっていた。「大げさに前駆を追わせるな」とおっしゃると、特に音も立てずにお入りになる。屏風なども皆畳んで寄せ、だらしない様子にしているのに、日が華やかに差し出たころ、くっきりと、清らかな様子をして座っておられた。近くに座って、いつものように、風にかこつけても同じ筋のことで、うるさく申し上げ戯れると、〔玉鬘は〕堪えられず不快に思って、「こんなに辛いからこそ、今夜の風に誘われて出て行きたいほどでございましたのに」
と、むっとしておっしゃると、〔相手は〕たいそう気持ちよく笑って、「風に誘われて出て行こうとなさるなんて、軽々しいことです。それでも、引き止める手立てはあるでしょう。だんだんこうしたお気持ちの向きが加わってきたのですね。もっともなことです」とおっしゃると、「本当に、思いのままを申し上げてしまったことだな」
とお思いになって、〔玉鬘〕自身も微笑んでいるのが、たいそう趣のある顔色と頬つきである。酸漿などといったようにふっくらとして、髪のかかる隙間隙間が美しく思われる。目もとがあまりに笑みを含んでいるのは、たいそう品高くは見えなかった。そのほかの点は、少しも非の打ちどころがない。中将〔夕霧〕が、たいそう細やかに申し上げているのを、〔源氏は〕「どうにかこのお顔を見たいものだ」と思い続ける心で、隅の間の御簾の、几帳が添いながらだらしないのを、そっと引き上げて見ると、紛らわしい物どもも取り除けてあるので、たいそうよく見える。このように戯れている様子が明らかなのを、
「不思議なことだ。親子と伺いながら、こんなに懐を離れず、近づきすぎるほどの仲だろうか」と目に留まった。「見つけられてしまうのではないか」と恐ろしいけれど、不思議さに心も驚いて、なお見ると、柱の陰に少しそっぽを向いておられたのを、引き寄せなさったところ、御髪が波のように寄って、はらはらとこぼれかかったとき、女〔玉鬘〕も、たいそううるさく苦しいと思っている様子ながら、さすがにたいそう穏やかな様子で、寄りかかっているのは、「よほど馴れ馴れしい仲であるらしい。まあ、何と不快な。どういうことなのだろう。思い寄らない隅々まで行き届くお心で、もともと見馴れ育て申し上げなかった方には、こうした思いが加わっているらしい。なるほどもっともなことだ。ああ、疎ましい」と思う心も恥ずかしい。「女の様子は、本当に、姉妹兄弟とはいっても、少し身を引いて、異腹なのだから」などと思うのは、「どうして心が過ちをしないことがあろうか」と思われる。
昨日見た御様子には劣っているけれど、見て微笑まれる様子は、立ち並ぶほどにも見える。八重山吹の咲き乱れた盛りに、露のかかった夕映えが、ふと思い出される。時節に合わない例えではあるけれど、やはり思い浮かぶようだよ。花には限りがあるし、乱れた蕊なども混じるだろうが、人のお顔の良さは、例える方途のないものであることよ。
御前に人も出て来ず、たいそう細やかにささやき語らい申し上げると、どうしたことか、まじめな様子になってお立ちになる。女君〔玉鬘〕は、吹き乱れる風の様子に、女郎花がしおれてしまいそうな心地がいたします。〔その歌を〕詳しくは聞こえないのに、口ずさんでいるのをかすかに聞くと、憎いほど趣があるので、なお見届けたいけれど、「近づきすぎたと見られまい」と思って、立ち去った。
お返しの歌、下露になびくようであったなら、女郎花は荒い風にもしおれなかったでしょうに。なよ竹〔夕霧〕を御覧なさい」
などといったところか、聞き違いがあったのか、よく聞き取れたわけでもない。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第28冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。