ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第45帖 橋姫 / 第17場面

十月の宇治参り

あらすじ・人物・読み方

十月、薫は網代見物を退けて忍びやかに宇治へ参る。宮は喜んで饗応し、夜更けには旧い文を前に阿闍梨も交えて義を講じ合う。明け方、薫は姫君たちの琴の音の残りを聞きたいと願い、宮自ら琵琶を弾いて客人を促すが、姫君たちは応じない。宮は残り少ない命を思い、姫君たちの行く末を薫に託す心をほのめかす。

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十月になって、五、六日頃に、宇治へお参りになる。「網代を、この頃はご覧になるでしょう」と、言う人々がいるけれど、「何だ、その蜉蝣と争う心で、網代にも近寄ろうか」と、削ぎ捨てなさって、いつものように、たいそう忍びやかにお出かけになる。軽やかに網代車で、葛布の直衣と指貫を縫わせて、わざわざお召しになっていた。

宮は、待ち喜ばれて、その土地にふさわしいご饗応などを、趣深く整えられる。暮れると、大殿油(灯火)を近くに置いて、先々に読みさしなさった文どもの深い意味など、阿闍梨も招き下ろして、講義などをさせなさる。

眠りもせず、川風がたいそう荒々しい上に、木の葉の散り交う音、水の響きなど、心打たれるのも過ぎて、もの恐ろしく心細い所の様子である。

明け方近くになったろうと思う頃に、先日の曙を思い出されて、琴の音の心打たれることの話題を作り出して、「先の折の、霧に惑わされました曙に、たいそう珍しい楽器の音を、一声承りました残りが、かえってたいそう聞き足りなく、飽きずに思い続けられます」などとお話し申し上げる。「色も香も思い捨ててしまった後、昔聞いたことも皆忘れてしまいました」とおっしゃるけれど、人を召して、琴を取り寄せて、「たいそう似つかわしくなくなってしまったことか。手引きする楽器の音につけてこそ、思い出されるはずでした」と言って、琵琶を召して、客人(薫)に促しなさる。薫は取って調律される。

「まったく、ほのかにお聞きしたのと同じものとは思われませんでした。御琴の響きからでしょうかとこそ、思っておりました」と言って、心が解けても弾き立てはなさらない。「いや、ああ、困ったこと。そんなにお耳に留まるほどの手(技)などは、どこからここまで伝わって来るでしょう。あるはずのないことです」と言って、琴を掻き鳴らされるのは、たいそう心打たれ凄まじい。一方では、峰の松風が囃し立てるのであろう。たいそうたどたどしげに探りながらも、心遣いがある。一曲ほどでお止めになった。

「この辺りに、覚えがなくて、折々ほのかに聞こえる箏の琴の音こそ、心構えができているのだろうか、と聞く折がございますけれど、心を留めるなどもなくて、久しくなってしまったことか。心のままに、それぞれが掻き鳴らすはずなのは、川波ばかりが、打ち合わせているのだろう。言うまでもなく、楽器の用をなすほどの拍子なども、留まらないと感じられます」と言って、「掻き鳴らしてください」と、向こう(姫君たち)にお聞かせになるけれど、「思い寄らなかった独り言を、お聞きになっただけでもあるものを、たいそうきまりが悪い」と引き入りながら、皆お聞きにならない。度々促しなさるけれど、あれこれと言い逃れて、止んでしまわれたようなので、たいそう残念に感じられる。

そのついでにも、このように不思議に、世慣れない思いやりで過ごす有様の、思いのほかであることなどを、恥ずかしくお思いになっている。「人にさえどうして知らせまいと、育て過ごしてきたけれど、今日明日とも知れない身の残りの少なさに、さすがに、行く末の遠い人々(姫君たち)が、落ちぶれてさすらうであろうこと、これだけが、実に、世を離れる際の絆なのだ」と、ふと語りなさると、薫は心苦しくお見上げ申し上げる。

「わざわざのご後見役と申す、しっかりした筋ではございませんが、疎遠に思われないだろうと存じます。しばらくでも長らえます命のほどは、一言でも、このように申し出る様子を、違うことはございません」と薫が申し上げると、「たいそう嬉しいことだ」と、宮はお思いになりおっしゃる。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第45冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。