第45帖 橋姫 / 第9場面
薫、宮を訪ねて法を聞く
あらすじ・人物・読み方
実際に訪ねてみると、宮の住まいは聞いていた以上に侘しく仮の草庵で、障子一つを隔てて姫君たちがおられる気配が伝わる。薫は好き心を抑えて宮と親しく交わり、法の教えを受ける。三年ほどの交わりの中で、宮の住まいには冷泉院からの消息も届くようになり、人の目に触れる時も出てきた。
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実に、聞いていたよりも心打たれる様子で、お住まいの様子をはじめとして、たいそう仮住まいの草の庵で、思いなしか、一切が削ぎ落とされている。同じ山里でも、それなりに心が留まりそうな、のどかな所もあるのに、たいそう荒々しい水の音、波の響きに、もの忘れさえして、夜などは、心が解けて夢さえ見られそうな時もなく、寒々と風が吹き払っている。
「聖めいたお方のために、こういう所こそ、心が留まらないで催されるのだろう。女君たちは、どんな心地で過ごしておられるのだろう。世の常の女らしくなよなよした方面は、縁遠いのだろうか」と推し量らずにはいられないご様子である。仏のお部屋との隔てに、障子ばかりを隔てておられるようである。好き心のある人なら、様子ありげに近寄って、お方のご気性をも見たいと思い、さすがにどうしたものかと、気にもなるご気配である。
けれども、「その方面を思い離れる願いをもって、山深く尋ね申し上げた本意に反して、好き好きしいいい加減なことを言い出して嘲笑の種にするのも、特に違うことだろう」などと思い返して、宮のご様子のたいそう心打たれるのを、丁寧にお見舞い申し上げ、度々参上しながら、思っていたとおりに、在俗の信者ながら勤行する山の深い心や、法文などを、わざわざ賢そうにではなく、たいそうよくお説き知らせになる。
聖らしい人、学才ある法師などは、世に多いけれど、あまりに堅苦しく、気遠い感じの宿徳の僧都・僧正の位の人々は、世に暇なく気難しくて、物事の心を問い顕そうとするのも、大げさに感じられる。また、その人(宮)でない仏の弟子たちは、戒律を守るだけの尊さはあっても、気配が卑しく言葉が訛って、田舎びて世慣れしていて、たいそう見苦しく、昼は公の勤めに暇がないなどと言いながら、静かな宵の頃に、身近な御枕上などに召し入れて語り合われても、たいそうやはり堅苦しいことばかりであるのに対して、宮は、たいそう上品に、心苦しいような様子で、おっしゃり出す言葉も、同じ仏の教えをも、耳近な譬えに引き混ぜて説かれ、たいそうこの上なく深いご悟りではないけれど、よい人は、物事の心をお得になる方面がたいそう格別でいらしたので、次第に見慣れ申し上げるたびごとに、いつもお目にかかりたいと思い、暇がないなどとして時が経つ時は、恋しく思われる。
この君(薫)が、このように尊敬申し上げになるので、冷泉院からも、いつも御消息などがあり、長年、評判にもめったに聞こえ申し上げなかった、寂しげだったお住まいに、次第に人の目が注がれる時々がある。折々に、お見舞い申し上げることが、厳かで、この君も、まずしかるべきことにつけては、風流な様子にも、まめやかな様子にも、心を寄せてお仕え申し上げることが、三年ほどになった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第45冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。