第46帖 椎本 / 第8場面
宮の文と鹿の歌
あらすじ・人物・読み方
兵部卿宮から弔いの文と鹿の歌が届き、大君にせがまれた中の君が返歌を書く。翌朝、薫からも鹿の歌が届くが、中の君は返事をためらう。
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現代語で読む
〔兵部卿宮の〕喪も明けていない。限りがあるので、涙の乾く暇もないかとお察しになって、〔宮は〕とてもたくさんの文を書き続けておられた。時雨がちの夕方に、
牡鹿が鳴く秋の山里はどうであろうか、小萩に露がかかっている夕暮れは。
ちょうど今の空模様は、〔あなたが〕お分かりでない様子でいらっしゃるのも、あまりにそっけなく思われることでしょう。枯れてゆく野辺も、ことさら眺められる頃ですのに」などと〔文に〕ある。
「本当に、あまりに〔こちらの気持ちを〕お分かりでない様子で、何度もそうなってしまいましたが、それでもなお、お返事をください」などと、〔兵部卿宮は〕中の宮を、例によって、そそのかして、〔大君に〕お書きにならせなさる。
「今日まで生き長らえて、硯などを近くに引き寄せて見ることがあろうなどと思ったでしょうか〔思いもしませんでした〕。つらくも過ぎてしまった日数ですこと」とお思いになると、また〔目が〕ひどく曇って、物が見えないお気持ちでいらっしゃるので、〔硯を〕押しやって、「やはり、書くことはできそうにありません。ようやくこうして起き座っていられるようになりましたが、本当に、〔命に〕限りがあったのだと感じられるのも、疎ましくつらくて」と、いとおしい様子で泣き伏していらっしゃるのも、とてもお気の毒である。
夕暮れ頃から〔待っていた〕お使いが、宵を少し過ぎてやって来た。「どうして、帰って参れましょうか。今宵は旅寝をして〔帰れ〕」と〔大君に〕言わせなさるが、「すぐお戻りになってこそ、〔宮のもとへ〕参るのでしょう」と〔使いが〕急ぐので、お気の毒に思って、ご自分が賢明に思い静めなさるのではないけれど、〔書くのに〕見かねなさって、
涙ばかりで霧に閉ざされた山里では、籬のそばで鹿が諸声で鳴いている。
黒い紙に、夜の墨のつき具合もおぼつかないので、取り繕うところもなく、筆に任せて、押し包んで〔使いに〕お出しになった。
お使いは、木幡の山のあたりも、雨も夜でとても恐ろしそうだけれど、そのようなものを恐れそうにない者を〔宮が〕選び出されたのだろうか、険しそうな笹の茂みを、馬を引き留める間もなく急がせて、あっという間に参り着いた。〔宮の〕御前でも、ひどく濡れて参ったので、褒美をいただく。
以前ご覧になったのとは違う筆跡で、今は少し大人びて優れ、風情のある書きぶりなどを、「どれが〔大君の筆で〕、どれが〔中の君の筆〕だろうか」と、手を置く間もなくご覧になりながら、すぐにはお休みにならないので、「〔返事を〕待つといって、起きていらっしゃいます」「またご覧になっている時間の長さは、どれほど〔宮の〕お心にしみることでしょう」と、御前にいる人々が、ささやき合うのが聞こえて、〔宮を〕恨めしく思う。眠たいからであるらしい。
まだ朝霧の深い朝に、〔大君は〕急いで起きて〔返事を〕差し上げなさる。
朝霧に友を惑わせる鹿の声を、どうして他人事のようにあわれとも聞くことができようか。
「〔鹿の〕諸声は劣らないはずです」
と〔歌に〕あるけれど、「あまり情け深く見せるのも煩わしい。一所の〔父宮の〕ご庇護に隠れていたのを頼りとしてこそ、何事も安心して過ごしてきました。望みもせず生き長らえて、思いがけないことの紛れが、少しでもあれば、気がかりにばかりお思い残しになった亡き〔父宮の〕御霊にまで、傷をつけ申し上げることになろうか」と、すべてとても遠慮され恐ろしく思って、〔薫には〕申し上げなさらない。
この宮〔兵部卿宮〕などを、軽々しく並大抵の方ともお思い申し上げない。何気なく走り書きなさった筆遣いや言葉も、趣のある様子で優美でいらっしゃるご様子を、多くはご存じでないけれど、ご覧になりながら、「その由緒正しく情け深い方面で、言葉を交わし申し上げるのも、ふさわしくない身の上どもであるので、何の必要があろうか、ただ、こうした山伏のようにして過ごしてしまおう」とお思いになる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第46冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。