ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第48帖 早蕨 / 第1場面

宇治の新春、阿闍梨の初蕨

あらすじ・人物・読み方

大君を失った宇治に春が巡る。中の君は姉のいない日々を夢のように過ごす。山の阿闍梨から、例年のように蕨や土筆が歌とともに届けられる。

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薮だからと分け隔てして日が差すわけでもないので、春の光を御覧になるにつけても、「どうしてこう生き永らえてきた月日なのだろう」と、夢のようにばかり思われなさる。

移り変わる季節の折々に、花や鳥の色や声を、同じ心で起き臥し眺めながら、ささやかな歌なども上の句と下の句を取り交わして詠み合い、心細いこの世の悲しさも辛さも語り合ってきたからこそ、慰めもあったのに、面白いこともしみじみとしたことも、聞き知る人がいないままに、すべては闇の中、心一つに思い悩んで、父宮が亡くなられた悲しさよりもいっそうまさって恋しくわびしいので、どうしたらよいかと、明けるのも暮れるのも分からず茫然としていらっしゃるが、世に生きている間は寿命に限りがあることなので、死ぬこともできないのが情けない。

阿闍梨のもとから、「年が改まってからは、いかがお過ごしでしょうか。お祈りは怠りなくお勤めしております。今は、お一人の御身のことを、ご無事にとお祈り申し上げております」などと申し上げて、蕨、土筆を風流な籠に入れて、「これは、童たちが供えました初穂です」といって、差し上げた。筆跡はとても下手で、歌はわざとらしく放ち書きにしてあった。

あなたのためにと、数々の春に摘んできましたので、例年どおりの初蕨です。

御前でお詠み申し上げてください」とあった。心を込めて詠み出したのだろう、とお思いになると、歌の心もまことにしみじみとして、いい加減で、それほどにも思っていないように見える言葉を素晴らしく好ましそうに書き尽くしなさる方のお手紙よりも、この上なく目がとまって、涙もこぼれるので、返事をお書かせになる。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第48冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。