第48帖 早蕨 / 第10場面
宇治を出発
あらすじ・人物・読み方
二月七日、中の君は宇治を発つ。車中の大輔の君と老女房の歌に中の君は世の無常を思い、月明かりの山路を京へ向かう。
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現代語で読む
すっかり掃除し、何もかも始末して、お車を寄せて、御前の供人は四位五位がとても多かった。ご自身も、ひどくおいでになりたかったが、仰々しくなって、かえって不都合になるので、ただ内密に事を運んで、気がかりにお思いになる。
中納言殿からも、御前の供人を数多く差し上げなさっていた。大体のことは、宮からのお指図があったようだが、細々とした内々のお世話は、ただこの殿から、気のつかないことなくお計らい申し上げなさる。
日が暮れてしまいそうだと、内からも外からもお促し申し上げるので、気ぜわしく、京はどちらの方角かと思うにも、まことに頼りなく悲しいとばかり思われなさる時に、お車に同乗する大輔の君という女房が言うには、生き永らえてきたので、嬉しい機会にも巡り会えたものを。身を宇治川に投げてしまっていたら、どうだったでしょう。ほほ笑んでいるのを、「弁の尼の気持ちと比べて、何という違いだろう」と、気にくわなく御覧になる。もう一人が、
亡くなった方を恋しく思う気持ちは忘れませんが、今日は何をさしおいても、まず嬉しく存じられます。どちらも年老いた女房たちで、みな亡くなった方に好意をお寄せ申し上げていたようだったのに、今はこのように気持ちが変わって言忌みするのも、「世の中は薄情だ」と思われなさると、何もおっしゃる気になれない。
道中の、遠く険しい山道の様子を御覧になると、つらくばかり恨まれた方のお通いを、「仕方のない途絶えであった」と、少しは理解なさった。七日の月が明るく照り出した光が、美しく霞んでいるのを御覧になりながら、たいそう遠いので、馴れないことで辛いので、つい物思いなさって、眺めると、山から出て行く月も、この世に住みかねて山へ帰って行くのでしょう。
生活が変わって、結局はどのようになるのだろうとばかり、不安で、将来が気になるにつけても、今までの物思いは何を思っていたのだろうと、昔を取り返したい思いであるよ。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第48冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。