第49帖 宿木 / 第8場面
北の院の対の御方
あらすじ・人物・読み方
薫は北の院に女二の宮を訪れる。宮の穏やかな人柄に、薫は安らぎを覚える。
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現代語で読む
夜が明け離れるにつれて、霧が立ち乱れる空が趣深い時に、〔薫は対に着く〕。
「女たちは、くつろいで朝寝をしておいでだろうよ。格子や妻戸をたたいて声をかけるのは、慣れないことだろう。朝早く早く来てしまったな」
と思いながら、人を召して、中門の開いているところから〔中の君の様子を〕見させなさると、
「御格子などは下ろされてございますでしょう。女房のお気配もございます」
と申し上げると、〔薫は車から〕下りて、霧に紛れて様子よく歩み入っておいでのを、「宮〔匂宮〕が忍んで通った所からお帰りなのだろうか」と見るのに、露にしっとり湿っておいでの香りが、いつものように、とても格別に匂って来るので、
「やはり、目覚ましいほどでいらっしゃるよ。お心をあまりに収めておいでなのが憎い」
などと、わけもなく、若い人たちは申し合い合っていた。
驚いた顔ではなく、よいほどに衣ずれの音を立てて、御茵を差し出しなどする様子も、とても見苦しくない。
「ここに控えよとお許しになるほどは、人並みな気持ちがしますが、やはりこのような御簾の前に放ち離しておられる情けなさに、たびたびは控えることもできません」
とおっしゃると、
「それでは、どうしたらよいのでしょう」
などと申し上げる。
「北面などのような隠れ場所がよいのです。このような古参の者などが控えるのにふさわしい休み所は。それも、また、ただあなたのお心次第ですから、恨み申し上げるべきでもありません」
と言って、長押に寄りかかっておいでになると、いつものように、人々が、
「やはり、あちら〔御簾の内〕へ」
などと、そそのかし申し上げる。
もとから、気配が浮き浮きと男らしくなどはなさらない人柄なのに、ますます静かに振る舞いを収めておいでなので、今は、〔中の君が〕自ら申し上げなさることも、だんだん嫌で恥ずかしかった方が、少しずつ薄らいで、顔馴染みになっておられた。
〔中の君が〕悩ましく思われているらしい様子も、「どうしてですか」などとお尋ね申し上げなさっても、はっきりとはお答え申し上げなさらず、いつもよりもしんみりしておいでの様子が気の毒なのも、愛しくお思いになって、細やかに、世の中のしかるべきあり方などを、姉妹のような者の世話の仕方のように、教え慰め申し上げなさる。
声なども、わざと似ておいでだとも思われなかったけれど、不思議なほどただその人〔大君〕だとばかり思われるので、人目に見苦しくないなら、簾も引き上げて差し向かい申し上げたく、悩んでおいでだろうお顔を見たくお思いになるのも、「やはり、世の中に物思いをしない人は、あり得ないことなのだろうか」と思い知らされる。
「人並みに華やかな方ではなくても、心に思うことがあり、嘆かしく身を悩ます様子などはなく過ごせるはずのこの世と、自分で思っていたが、自分の心から、悲しいことも、おこがましく悔しい物思いをも、あれこれと安からず思いますことこそ、とてもつまらない。官位などと言って、大事にするのがもっともな愁えにつけて嘆き思う人よりも、これ〔自分の物思い〕は、今少し罪の深さが勝っているだろう」
などと言いながら、折りなさった花を、扇の上に置いて眺めておいでになると、だんだん赤みを帯びていくのも、かえって色の合い目が趣深く見えるので、そっと〔簾の下へ〕差し入れて、
〔他のものに〕寄せてこそ見るべきだった、白露が約束して置いた朝顔の花を。
わざとらしくも振る舞わないのに、「露を落とさずにお持ちになったのですね」と、趣深く見えるのに、置いたまま枯れる様子なので、
消えないうちに枯れてしまった花のはかなさに、取り残される露はなおいっそう〔はかなく〕勝っている。
何にかかっているのでしょう」
と、とてもひっそりと、言葉も続かず、恥ずかしげに言い消えておしまいになるほど、「やはり、とてもよく似ておいでだなあ」と思うにつけても、まず悲しい。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第49冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。