第50帖 東屋 / 第18場面
小萩の贈答
あらすじ・人物・読み方
二条院に母君が訪れ、浮舟の姿に見入る。庭の小萩に寄せた浮舟の歌を読み、母君は返歌を詠む。
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少将の扱いを、守は、またないものに思い急いで、「諸心に、様悪しく、営まず」と怨ずるのだった。「ひどく心憂く、この人により、このような紛れどももあるぞ」と、またなく思う方のことのかかれば、辛く心憂くて、滅多に見入れない。
あの宮の御前にて、ひどく人らしくなく見えたのに、多く思い落としてしまったので、「私物に思い大事にしよう」など、思ったことは止みになった。「ここでは、どのように見えるだろう。まだうち解けた様子を見ないのに」と思って、のどかにいらっしゃる昼つ方、こちらに渡って、物から覗く。白い綾の、懐かしげなのに、今様色の擣目なども清らかなのを着て、端の方に、前栽を見ようとしておいでの様子は、「どこが劣る。ひどく清げであるらしいのは」と見える。娘が、まだ片なりに、何心もない様子で、添い臥していた。宮の上の、並んでいらっしゃった御様子どもを思い出せば、「口惜しい様子どもよ」と見える。前の御達に物など言い戯れて、うち解けたのは、ひどく見しように、匂いなく、人悪げで見えないのを、「あの宮だったのは、異少将だった」と思う折しも、言うことよ。
「兵部卿宮の萩が、やはり特に面白くもあるかな。どうして、そのような種があったのだろう。同じ枝さしなどの、ひどく、艶なこと。一日参って、お出になるほどだったので、折れずに終わった。『ことだに惜しい』と、宮がうち誦じなさったのを、若い人たちに見せたらよかったのに」といって、我も歌を詠み座っていた。「いや。心ばせのほどを思えば、人とも思えず、出で消えは、ひどく格別だったのに。何ごとを言ったのか」と、呟かれるけれど、ひどく心地なげな様子は、さすがにしないので、どう言おうといって、試みに、
標を結った小萩の上も迷わないのに、どのような露に映る下葉だろう。
とあるのに、惜しく思えて、
宮城野の小萩のもとと知っていたなら、露も心を分けることはなかったろうに。
どうにか、自分で申し上げさせ、諦めよう」と言った。
「故宮の御こと、聞いたらしい」と思うのに、「ますます、どうにか人と等しく」とのみ、思い扱われる。合わなく、大将殿の御様子や容貌ぞ、恋しく、面影に見える。同じように、素晴らしいとお見申し上げたけれど、宮は思い離れなさって、心も留まらず。侮って、押し入りなさったのを、思うも妬ましい。「この君は、さすがに尋ねお思いになる、心ばえがありながら、突然にも、言いかけなさらず、つれない顔なのがこそ痛いけれど、万事につけて、思い出されると、若い人は、まして、このように思い果て申し上げなさるだろう。我が物にしようと、こう憎い人を思ったことこそ、見苦しいことだったろう」など、ただ心にかかって、眺めのみせられて、ああだこうだと、万事に、良かろうあらまし事を思い続けるのに、ひどく、難い。
「貴い御身のほど、御持て成し、お見申し上げなさる人は、今、少し並でなく、どれほどでかは、心を留めなさろう。世の人の様子を見聞くのに、劣り勝り、卑しく上品な、品に従って、容貌も心もあるべきものだった。わが子どもを見るのに、この君に、似るべきかはある。少将を、この家のうちに、またない者に思うけれど、宮にお見比べ申し上げたのは、ひどく口惜しかったのに推し量られる。今の帝の寵愛の女をお得申し上げなさるだろう人の御目移しには、ひどくひどく恥ずかしく、慎ましいべきものかな」と思うのに、すずろに、心地もあくがれてしまった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第50冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。