第50帖 東屋 / 第9場面
中の君への訴え
あらすじ・人物・読み方
二条院に移った母君は、中の君に面会して浮舟の境遇と少将の仕打ちを泣く泣く訴える。中の君は慰め、薫の心深さを語る。
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女君の御前に出て来て、ひどくお慕い申し上げると、田舎びている、とお思いになってお笑いになる。「故上の亡くなりなさったほどは、言う甲斐なく幼い御ほどで、どのようになられようかと、お見申し上げる人も、故宮もお思い嘆いたのを、格別な御宿世のほどなので、そのような山懐の中にも、お育てなさったのであった。口惜しく、故姫君がいらっしゃらなくなったことこそ、足りないことだ」など、うち泣きつつ申し上げる。君もうち泣きなさって、
「世の中の恨めしく心細い折々も、またこう生きながらえれば、少しも思い慰められるべき折もあるのを、昔頼み申し上げた蔭どもに、遅れ申し上げたのは、かえって世の常と思いなされて、お見申し上げ知らずになったけれど、あるのを、やはりこの御ことは、尽きせず素晴らしく。大将が、万事に御心の移らない様子を愁えつつ、浅くない御心の様を見るにつけても、ひどく口惜しい」と仰ると、「大将殿は、それほど世に、例のないまで、帝の寵愛をお受けになっているのに、心奢りなさるのだろうか。いらっしゃったなら、やはりこのこと、急かれしもなさらなかっただろうか」など申し上げる。
「いや。様のものと、人笑われな心地がしそうなのも、かえってだろうか。見果てないにつけて、心憎くもある世にこそ、と思うけれど、あの君は、どういうのだろうか、不思議なまで物忘れせず、故宮の御後の世をさえ、思いやり深く、後見し歩きなさるらしい」など、心美しく語りなさる。「あの過ぎた御代わりに尋ねて見ようと、この数ならぬ人をさえ、あの弁の尼君には仰った。そうだろうかと、思いなさり寄るべきことではございませんけれど、一本ゆえにこそはと、畏れ多いけれど、あはれに思いなさられる御心の深さである」など言うついでに、この君をもてあまらせることを、泣く泣く語る。
細かにはないけれど、人も聞いたと思うのに、少将が思い侮った様子などほのめかして、「命がある限りは、何か。朝夕の慰め草にて、見過ごしできよう。うち捨ててしまった後は、思いもよらない様子に、散りぼうのが悲しさに、尼にして、深い山にやし据えて、そのような方へ世の中を思い絶えていようなど、思いなさりわびては、思い寄ります」など言う。
「実に、心苦しい御様子であるけれど、何か。人に侮られる御様子は、このようになった人の性にこそ。それでも、堪えられない行いだったので、まったくその方に思い置いていらっしゃった身でさえ、このように心より外に生きながらえれば、まして、ひどくあるまじき御ことだ。おやつれになるのも、気の毒げな御様子にこそ」など、ひどく大人びて仰ると、母君は、ひどく嬉しく思った。年老いた様子だけれど、悪くない様子して清げだ。ひどく肥え過ぎていたのが、常陸殿とは見えた。
「故宮が、辛く、情けなく、お思い放ちだったのに、ますます人らしくなく、人にも侮られなさると御覧になるけれど、こう申し上げさせ、御覧になられるにつけて、昔の憂さも慰みます」など、年ごろの物語、浮島のあはれだったことも申し上げ出す。「わが身一つのとのみ、言い合わせる人もない筑波山の様子も、こう諦め申し上げさせて、いつも、ひどくこうしてお仕えしたいと思いなさりなってしまったけれど、あちらには、よからぬ怪しい者どもが、どのように立ち騒ぎ求めるだろう。さすがに心慌ただしく思いなさられる。このようなほどの様子に身をやつすは、口惜しいものだと思い知らされるのを、この君は、ただ任せ申し上げさせて、知りなさるまい」など、かこち申し上げ隠すと、「実に、見苦しくもないだろう」と御覧になる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第50冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。