第51帖 浮舟 / 第16場面
母、宇治を去る
あらすじ・人物・読み方
母と乳母が宇治を去り、浮舟は二人の男の間で揺れる身の行く末を思い、宇治川へ身を投げる思いに傾いていく。
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大将殿は、卯月の十日とお定めになった。「誘う水があれば」とは思わず、たいそう不思議に、「どうしなすべき身なのだろう」と浮いた心地ばかりするので、「母の御もとにしばらくお渡りして、思い巡らす間があろう」とお思いになるけれど、
少将の妻が、子を産むはずの時期が近くなったと言って、修法、読経など、隙なく騒ぐので、石山にもお出になれない、母がこちらにお渡りになって来た。乳母が出て来て、
「殿から、人々の装束なども、細かにお思いやりになって。どうにか清らかに何事も、とお思いになるけれど、乳母の心一つには、不思議にばかりして出てしまうでしょう」
などと言い騒ぐのが、心地よさそうなのをご覧になるのにも、君は、「怪しからぬことどもが出て来て、人笑いになれば、誰も誰もどう思うだろう。あいにくにおっしゃる人は、また、八重立つ山に籠もっても、必ず尋ねて、私も人も無駄になってしまうだろう。
やはり、心安く隠れてしまうことを思えと、今日もおっしゃったのを、どうしよう」と、気分が悪くて臥していらっしゃる。「どうして、こんなに例になく、ひどく青ざめ痩せていらっしゃるの」
と驚きなさる。「日頃不思議にばかりです。儚い物もお召し上がりにならず、悩ましいようにしていらっしゃいます」と言うと、「不思議なことだな。物の怪などだろうか」と、
「どんなお気分だろうかと思うけれど、石山にお止まりになったそうです」と言うのも傍らにいて痛いので、伏し目である。暮れて月がたいそう明るい。有明の空を思い出すと、「涙のたいそう止めがたいのは、たいそう怪しからぬ心だな」と思う。
母君は、昔物語などをして、あちらの尼君を呼び出して、故姫君のお有様、心深くおいでになって、しかるべきこともお思い入れになったほどに、目の前で消え入りなさったことなどを語る。
「おいでになっていたら、宮の上などのように、申し上げ通いなさって、心細かったお有様どもの、たいそう格別なお幸せでございましたでしょう」
と言うのにも、「私の娘は別人だろうか。思うような宿世でおいでになれば、劣らないだろう」などと思い続けて、「世とともに、この君については、物をばかり思い乱れた気配が、少し緩んで、こうしてお渡りになるはずなようであれば、ここに参り来ることは、必ずしも特に、
お思い立ちにはならないでしょう。このような対面の折々に、昔のことを、心のどかにお聞き承りたいものです」などと語らう。「大変な身とばかりお思いになる身でしたので、細やかにお会い申し上げお聞かせするのも、どうして、はばかられて過ごしておりましたのを、打ち捨てて、お渡りになってしまったら、
たいそう心細くございましょうけれど、このようなお住まいは、心許なくばかり拝見するのを、嬉しくもございますでしょう。世に知らず重々しくおいでになるはずの殿のお有様で、こうして尋ね申し上げなさったのも、並々ではないだろうと申し上げ置いておりましたのに、浮ついたことだったのでしょうか。
などと言う。「後は知らないけれど、今は、こうお思い離れない様子におっしゃるにつけて、ただお案内を思い出し申し上げる。宮の上が、畏れ多くあわれにお思いになったのも、はばかられることなどが、自然とございましたので、中空に窮屈なお身だ、と思い嘆いておりまして」
と言う。尼君が少し笑って、「この宮が、たいそう騒がしいほど色においでになるので、心馳せのある若い人は、お仕えしにくいでしょう。大方は、たいそうめでたいお有様だけれど、その筋のことで、上が失礼とお思いになるのが無体だと、大輔の娘が語っておりました」
と言うのにも、「そうだな、まして」と、君は聞き臥していらっしゃる。「ああ、恐ろしい。帝のお娘を持ち申し上げていらっしゃる人だけれど、よそよそにして、悪くもよくもあろうとは、どうしようと、大げさに思いなしております。
よくないことを引き出しなさったならば、すべて身には悲しく大変だと思い申し上げても、また拝見しなかったでしょう」など、言い交わすことどもに、ますます心も潰れてしまう。「やはり、私の身を失くしてしまいたい。
ついに聞きにくいことは出て来るだろう」と思い続けるのに、この水の音の恐ろしいほどに響いて行くのを、「こうでない流れもあるだろう。世に似ず荒々しい所に、年月をお過ごしになるのを、あわれとお思いになるはずの業です」
など、母君がしたり顔に言っている。昔からこの川の速く恐ろしいことを言って、「この間、渡し守の孫の童が、棹を差し外して落ち入ってしまいました。すべて無駄になる人の多い水でございます」
と、人々も言い合っている。君は、「それにしても、私の身が行方も知れなくなれば、誰も誰も、あっけなく大変だと、しばらくはお思いになるでしょう。
生き長らえて人笑いに辛いこともあるのは、いつかその物思いの絶える時があるのだろうか」と、思い描くのには、障りどころもないはずで、爽やかに万事思いなさるけれど、反ってたいそう悲しい。
親が万事に思い言う有様を、寝た様子でつくづくと思い乱れる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第51冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。