ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第52帖 蜻蛉 / 第11場面

薫の文と四十九日の法事

あらすじ・人物・読み方

薫は母君に文を送って残された人々への後見を約束する。四十九日の法事は律師の寺で忍びやかに営まれる。

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蜻蛉・第11場面0 / 33
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尼君に消息せさせなさったけれど、

「ひどくひどく忌々しい身をばかり思いなさり沈んで、ますます物も思いなされず、惚れまして、うつ伏し臥しています」

と申し上げて、出て来ないので、強いても立ち寄りなさらない。

道すがら、早く迎え取りなさらずにしまったことが悔しく、水の音の聞こえる限りは、心ばかり騷ぎなさって、「骸をさえ尋ねず、浅ましくても止んでしまったなあ。どのような様子で、どこの底の空に混じったのだろう」など、やる方なく思われる。

あの母君は、京に子を産むべき娘の事により、慎み騷ぐので、例の家にも行けず、すずろな旅居ばかりして、思い慰める折もないのに、「また、これもどうなるだろう」と思うけれど、平らかに産んでしまった。忌々しいので、寄らず、残りの人々の上も覚えず、惚れ惑って過ごすのに、大将殿から御使が忍んであった。物覚えない心地にも、ひどく嬉しくあはれだ。

「浅ましいことは、まず申し上げようと思いましたのを、心も留められず、目も暗い心地して、ましてどのような闇に惑われなさるだろうと、そのほどを過ごしていたのに、儚くて日ごろも経てしまったことを。世の常なさも、ますます思いのどめる方がなくばかりありますのを、思いの外にも長らえれば、過ぎた名残とは、必ずそうあるべきことにも尋ねなさい」

など、細かに書きなさって、御使には、あの大蔵大輔をぞ賜ったのだった。

「心のどかに、万事を思いつつ、年ごろにさえなってしまったほど、必ずしも心ざしある様には御覧にならなかったでしょう。しかし、今より後、何事に付けても、必ず忘れ申し上げまい。また、そのように人知れず思い置きなさい。幼い人どももあるのを、朝廷にお仕えするにも、必ず後見を思うべきだ」

など、言葉にも仰っていた。

ひどくしも忌むまじい穢れなので、「深くしも触れていません」など言いなして、せめて呼び据えていた。御返り、泣く泣く書く。

「悲しいことに死なれません命を、心憂く思い嘆きますのに、このような仰せ言を見ますべきだったのでしょうか、と。

年ごろは、心細い有様を御覧になりながら、それは物の数でない身の怠りに思いなしつつ、勿体ない御一言を、行く末長く頼み申していましたのに、言い甲斐なくお見果てては、里の契りもひどく心憂く悲しくて。

さまざまに嬉しい仰せ言に、命が延びまして、今しばし長らえましたら、なお、頼み申し上げるべきにこそ、と思いなさるにつけても、目の前の涙に暮れて、申し上げさせられません」

など書いていた。御使に、並べての禄などは見苦しいほどだ。飽かない心地もするので、あの君に差し上げようと心ざして持っていた、良い班犀の帯、太刀の風情があるなど、袋に入れて、車に乗るほど、

「これは昔の人の御心ざしだ」

と言って、贈らせたのだった。

殿に御覧なさせると、

「ひどくすぞろな業だな」

と仰る。言葉には、

「自ら会いますとうれしくて、ひどく泣く泣く万事の事を仰って、幼い者どもの事まで仰せられたのが、ひどく勿体ないのに、また物の数でないほどは、なかなかひどく恥ずかしく、人に何故などは知らせないで、不思議な様どもをも皆参らせまして、仕えさせよう、と物していました」

と申し上げる。

「げに、格別な事ない縁結びにぞあるべきけれど、帝にも、それほどの人の娘を差し上げずやある。それに、そうあるべきで、時めかし思いなさるのは、人の誹るべきことか。ただ人、また、不思議な女、世に古り果てたなどを持ち用いる類が多い。

あの守の娘だったと、人が言いなすのにも、我が持て成しが、それに穢るべくあり始めたならこそあろう、一人の子をいたずらになしして思う親の心に、なおこの縁こそ重立だった、と思い知るほど、用意は必ず見せるべきこと」と思われる。

あちらでは、常陸守が、立ちながら来て、「折しも、このようにしていらっしゃることだ」と腹を立てる。年ごろ、どこにいらっしゃるなど、ありのままにも知らせなかったので、「儚い様子でいらっしゃるのだろう」と思い言っていたのを、「京になどお迎えになって後、面目あって、など知らせよう」と思っていたほどに、こうなれば、今は隠すのも合わなくて、あった様子を泣く泣く語る。

大将殿の御文も取り出して見せると、良い人賢くして、鄙び、物めでする人で、驚き臆して、繰り返し繰り返し、

「ひどく目出度い御幸いを捨ててお亡くなりになった人だなあ。己も殿人で、参りお仕えするけれど、近く召し使うこともなく、ひどく気高く思わせなさる殿だ。若い者どもの事を仰せられたのは、頼もしいことに」

など、喜ぶのを見るのにも、「まして、いらっしゃったなら」と思うのに、臥し転んで泣かれる。

守も今泣いているのだった。そういえば、いらっしゃった世には、なかなか、このような類の人こそ、尋ねなさるべきにもないよ。「我が過ちで失ったのも痛々しい。慰めよう」と思われるから、「人の誹り、ねんごろに尋ねまい」と思いなさった。

四十九日の事などせさせなさるのに、「どうなったことか」と思われると、どうあっても罪を得まじいことなので、ひどく忍んで、あの律師の寺でせさせなさった。六十僧の布施など、大きく置かれていた。母君も来いて、事どもを添えていた。

宮からは、右近のもとに、白銀の壺に黄金を入れて賜った。人見咎めるほど大きな業は、できなさらず、右近の心ざしでしていたので、心知らない人は、「どうして、このように」など言っていた。殿の人々、睦ましい限り数多賜った。

「不思議に。音もしなかった人の果てを、このように扱わせなさる。誰なのだろう」

と、今驚く人ばかり多いのに、常陸守が来て、主人ぶり居るのを、不思議と人々は見た。少将に子を産ませて、厳しいことをせさせようと惑い、家の中にない物は少なく、唐土新羅の飾りをもすべきなのに、限りがあるので、ひどく不思議だった。この御法事の、忍んでいた様子に思っていたけれど、気配がこの上ないのを見るのに、「生きていたなら、我が身を並べるべくもない人の御宿世だった」と思う。

宮の上も誦経しなさり、七僧の前の事をせさせなさった。今、「このような人をお持ちだった」と、帝までもお聞きになって、おろかでもなかった人を、宮に畏まり申し上げて、隠し置きなさっていたのが、痛々しいと思いなさった。

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底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第52冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。