方丈記 / 第9場面
山の暮らしと結び
あらすじ・人物・読み方
山歩きと閑居の日々、人との交わりを離れた心のあり方を自らに問い、建暦二年の奥書で結ぶ。
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原文・発音の読み・現代語
現代語で読む
山を歩いて、芹を摘み、若穂を拾って、帰ってきて、木幡山を越え、伏見の里を過ぎ、羽束師を過ぎて、筥取(はこ)を採って、石山〔寺〕に詣でた。
また、粟津の原を過ぎて、塚丸のほとりを訪ね、田上川を渡って、猪丸大夫の墓を拝み、蕨を折り、木の実を拾って、山の恵みを、楽しんでいた。
帰ってきては、埋み火をして、山中の気色を眺め、詩歌も、詠みながら、夜を明かしていた。
妻子のため、朋友のために、心を悩ますことは、仏法を楽しみ、世の交わりを、妨げるものとなるだろう。花や月を友として、人のために〔心を〕用いることはない。
自分の身一つを楽しんで、庵を愛し、庵を去ることも、心のままに、任せていた。衣食は、藁の寝床に、野鳥の声を、友として、汁の味にも、しみじみと感じ入っていた。
〔心に〕寓して言えば、三界は、ただ心一つのありように、その安らかでないのは、心の、迷いである。魚は、水に飽きることがなく、鳥は、林を恋いて、私は、庵を思う。
心の働きを顧みて、仏の教えの人を、訪ねようとする。念仏を三度唱えて、やんだ時、建暦二年、弥生の月ごろ、外山の庵で、これを記す。
底本:『方丈記』正保4年[1647]村上平楽寺刊(京都・二条通玉屋町)・国立国会図書館蔵 857-80。本文画像:所蔵機関の公開資料。正保4年[1647]村上平楽寺刊『方丈記』(国立国会図書館蔵 857-80)の本文を原画像と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補っています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。