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和泉式部日記 / 第8場面

師走から正月――北の方のもとへ

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師走から正月――北の方のもとへをもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

十二月十八日の月の夜、式部は冷泉院の北の方の対へ移ることになり、宮仕えが始まる。年が改まって正月一日、院の拝礼に居並ぶ宮の若々しい姿を見、東宮女御の迎えの騒ぎのうちに日記はふと筆を置く。

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和泉式部日記・第8場面0 / 8
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て、なお世の中に居果てまじいか、とおっしゃったので。呉竹の世々の古事も思われる、昔語りは私ばかりがしよう。と申し上げると。呉竹の憂き節しげい世の中に、いないだろうと思う、しばらくの間も。などおっしゃって、人知れず進ませなさるべき所なども、起きて慣れない人なので、はしたなく思うようだ。ここにも大変聞きにくく言おう。大変私が生きていて来ようとお思いになって、十二月十八日の月のよい程に成った程に、おいでになった。いつものお出させなされとおっしゃれば、今宵ばかりにこそお目とて、独り乗れば、人がいておいでなさる。さりぬべくはお推し開けさせても、のどやかに物語を聞こえようとあるけれど、例はこう物をなさらないのを、もしかこうとお思いになるべきかとて、相応しい人一人を率いて行く。いつもの所ではなく、とてもよくして、忍んで、人どもを具して居よとさせられた。さればよと思って、何の事かはわざわざし立てまい。どうして参ろうか。いつ参ったのかと中々人も思うだろうと思って、明けると、櫛の筥など取りにやる。宮をお参らせになるとて、しばらくこちらの格子など開けない。恐ろしい事ではないけれど難しい。今あの北の方にお渡し申し上げよう。ここには近ければ、許しげなしなどとおっしゃれば、下し込めて密かに聞くと、昼は人々、院の殿上人など参り集まって、どうしてこうしてはありそうか。直に取りどうしよう、と思うこそ苦しいけれどとおっしゃれば、それをなんと思いなさっていると聞こえる。お笑わせになって、まめやかにはよなど、あなたにある折は、用意しなさって、けしからぬ者どもは、覗きもする。今しばらくに成れば、書などはあの世子の相方においでになっておわせ。私が昼ある方は、人も(次ページへ続く)。依らないぞ、などおっしゃって、一三日あって、北の方の対にお渡しになったので、人々は驚いて、上に申し上げると、こういう事なくてさえ、あやしかったのを、何の高き人でもないのに、こうおっしゃって、わざと仰せばこそ、忍んでいておいでになったのだろうと思し召すのに、とても心付きなくおいでなので、いつもより物難しそうに思っておいでなので、とても惜しくお思いになって、しばしば内にお入れになって、人の言う事も聞きにくく、人の御気色もとても惜しくて、こちらにおいでになる。しかしかの事があるのは、どうしておっしゃらないのか。制し聞かせるべきでもない。とてもこう、身の人らしくなく、人笑われに恥ずかしいべき事と、泣く泣く申し上げなさると、人使いはむからに御覧えのないはずの事か。御気色に従って、中将なども、憎げに思っているのが難しいのに、頭なども梳らせようとてお呼びになったのだ。こちらなどにも、お召し遣わせなさってほしいとあると、とても心付きなくあれど、物もおっしゃらず。こうして日頃が経つと、ようよう候い付いて、昼も上に候い、お櫛など参り、万事にお遣わせになる。さらに御前も下げさせなさらない程に、上なども御方にお渡しになる事も、たまさかに成ってゆく。お嘆きになる事限りなし。と年が改まって、正月一日に院の拝礼に、男腹(おのこばら)の数を尽くして参りなさるのに、宮もおいでになるのを見ると、とても若く、美しい様子で、多くの人に勝れていらっしゃる。これにつけても、我が身は恥ずかしく思われるのに、上の御前にも、女房たちが出て見ているのに、まずそれをば見ないで、この人をみようみようと穴を開けて見騒ぐぞ。とても様の悪いことよ。暮れると事が終わって、宮もお入りになった。御送りに上達部が数を尽くして、御遊びなどあり、とてもおかしいのにも、つれづれであった故郷をまず思い出される。こうして候う程に、下衆などの中に(次ページへ続く)。も、難しい事を言うだろうお方をお聞きになって、こう人のお思いになるべきでも候わず、うたてあるかなと、心付きなければ、内にお入れになる事、ますます戸惑いである。こういうのもとても傍らに痛く思われてもどうしよう。大変どうもこうも、知らなくてもてなさせおいでになるままに従ってとて候う。御北の方の御姉は東宮の女御にて候いなさるのが、さらに物をなさる程にて、お文があった。どうぞこの頃人の言うとある。本当か、私さえなんと人らしくなく思われる。夜のまら様に参り候って、宮たちをもお見せ申し上げて、心も慰め候おう、と思いなさるのを、お迎えに来させよ。これよりはよも耳にも聞き入れ候うまいと思いなさって、などと聞かせなさって、去るべき物などを取り仕立てなさって、難しい所などを、取り払わせなさる。去ればしここにあろう。こうしてあれば、あぢきなくこちらにもお差し出しにならないのも、苦しくお思いになるだろうのにとのお言葉に、人々は、まあ、浅ましい世の中の人の浅み聞かせなさる事よ。参ったのもおいでになってこそ、お迎えさせおいでになった。すべきよし。去ればし来らしき声をお与えになる。余り物を聞かせおいでにならない、などと憎み合っているのに、御心にもとても難しくお思いになる。さばれ、苦しくもない。力だにも見聞かせまいとて、お迎えにと聞かせなさると、御世話の君たち、女御殿のお迎えに回らさせなさったので、そうお思いになった。御乳母のそうしなる者ども、難しい物どもなどを、払わせる程を聞いて、詮しこうこうして(次ページへ続く)。

お渡しになるそうだ。春宮の御評判をお聞きにならない事も候った。おいでになって、申し慰め申し上げおいでになっても、騒ぐのを見るも、ますます惜しく苦しいけれども、ともかくも言うべき事ではないので、大変聞いていた。こう聞き悪い所、去ってしまおうかと思うけれど、それも恨み立てするだろうので、ただ候うも、なお物思い絶えない身かなど思う。宮がおいでになれば、さりげなくおいでになる。本当か。女御殿にお渡しになると聞くのは、どうして車の事もおっしゃらないのかとおっしゃれば、何かあれよりとあればとて、物もおっしゃらず。宮の上はお文を書き、女御殿の御言葉ざしも、あら、「そうもあるまい」、書きなしである。

この作品の最後の場面です。和泉式部日記の一覧から、もう一度読みたいところへ進めます。

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底本:『群書類従 第11輯』塙保己一編(経済雑誌社、明治27年[1894])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

明治27年(1894)塙保己一編『群書類従 第11輯』(経済雑誌社)所収「和泉式部日記」の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、柱・振り仮名・小字の編者註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。