更級日記 / 第12場面
夫の死と阿弥陀の夢
あらすじ・人物・読み方
夫俊通の信濃下向を見送り、人魂の報せに死を悟る。天喜3年(1055)十月の夢に阿弥陀仏が現れる。尼となった人との最後の贈答で日記は閉じられる。
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またの日、山の端に日の掛かる程、住吉の浦を過ぎる。空も一つに霧渡れる、松の梢も、海の面も、波の寄せ来る渚の程も、絵に描いても及ぶべき方なく面白い。どう言って、何に例えて語ろうか、秋の夕べの住吉の浦。と見ながら、綱手を引き過ぎる程、顧みばかりさせられて、飽きず思われる。
冬になって上るのに、大津という浦で、舟に乗ったところ、その夜、雨風が岩も動くばかり降り吹雪いて、雷まで鳴って轟くのに、波の立ち来る音がし、風の吹き惑った様、恐ろしげな事、命が終わると思惑う。岡の上に舟を引き上げて夜を明かす。雨は止んだけれど、風はなお吹いて、船出しない。行方もない岡の上で、五六日を過ごす。ようやく風が少し止んだ程、舟の簾を巻き上げて見渡すと、夕潮がただ満ちに満ち来る様、取りもあえず。入江の田鶴の声を惜しまないのも趣深く見える。国の人々が集まり来て、『その夜この浦をお出させなさって、石津に着かせなさっていたら、そのままこの御舟は名残なくなりましたでしょう』など言うのが、心細く聞こえる。ある海に、風より先に船出して、石津の波と消えたでしょうに。
世の中に、とにかく心だけを尽くすのに、宮仕えといっても一筋にお仕え申したら、どうだろう、時々立ち出れば、何になるはずもないらしい。年はやや定まり過ぎ行くのに、若々しい様なのも似つかわしくなく思われ慣れるうちに、身の病がひどく重くなって、心に任せて物詣でなどした事もできなくなりたので、若葉の立ち出が絶えて、永らえるはずの心地もしないままに、幼い人々を、どうにかどうにか私の生きる世に見置く事ができたらと、臥し起き思い嘆き、頼む人の喜びの程を心もとなく待ち嘆かれるのに、秋になって待ち出た様だけれど、思ったのではなく、ひどく甲斐なく口惜しい。親が折々立ち返りながら見た東路よりは近い様に聞こえるので、どうしようもなくて、程もなく下るべき事どもを急ぐのに、門出では、女である人の新しく渡った所に、八月十余日にする。後の事は知らず、その程の有様は、物騒がしい程、人多く勢い立っていた。
二十七日に下るのに、男である者は添って下る。紅の打ったのに、萩の青、紫苑の織物の指貫を着て、太刀を佩いて、後ろに立って歩み出るのを、それも織物の青鈍色の指貫狩衣を着て、廊の程で馬に乗った。罵り満ちて下った後、この上なく徒然だけれど、ひどく遠い程ではないと聞くと、先々の様に心細くなどは思われないのに、送りの人々がまたの日帰って、『この暁に、ひどくきらきらして下った』などと言って、『ひどく大きな人魂が立って、京様へ来た』と語るけれど、供の人々などのだろうと思う。不吉な様に思い出したりするだろうか。今は、どうにか、この若い人々を成人させようと思うより外の事がないのに、帰る年の四月に上り来て、夏秋も過ぎた。
九月二十五日から患い出て、十月五日に夢の様に見ないで、思う心地、世の中にまた類がある事とも思われない。初瀬に鏡を立て申した時に、伏し転び泣いた影が見えたのは、これにこそあったのだ。嬉しげだった影は、来し方もなかった。今行く末はあるべき様もない。二十三日、儚く雲煙にする夜、去年の秋、ひどくし立て傅かれて、打ち添って下ったのを見送ったのを、ひどく黒い衣の上に、不吉な物を着て、車の供に、泣く泣く歩み出て行くのを見出して、思い出する心地、全て例える方ないままに、そのまま夢路に惑って思うのに、その人が見たのだろうか。
昔から、つまらない物語、歌の事ばかりを心に染めて、夜昼思って行いをしなかったら、こんな夢の世を見なかったかもしれない。初瀬で、前の度、稲荷から賜る印の杉よと言って投げ出されたのを、出た序でに稲荷に参っていたら、こうはならなかったかもしれない。年来天照御神を念じ申せと見える夢は、人の御乳母として、内裏辺りにいて、帝、后の御蔭に隠れるべき様ばかりを、夢解きも合わせたけれど、その事は一つも適わずに終わった。ただ悲しげだと見た鏡の影だけが違わない、哀れに心憂い。こうばかり心に物の適う方なくて終わる人なので、功徳も作らずなどして、漂う。
さすがに命は憂きにも絶えず永らえるようだけれど、後の世も思うに適わないだろうと後ろめたいのに、頼む事が一つあった。天喜三年十月十三日の夜の夢に、いた所の家の妻の庭に、阿弥陀仏がお立ちになった。定かにはお見えにならず、霧一重隔たった様に透けてお見えになるのを、せめて絶間に見申すと、蓮華の座の、土を上がった高さ三四尺、仏の御丈六尺ばかりで、金色に光り輝きなさって、御手片方を広げた様に、今片方には印をお結びになったのを、他の人の目には見つけ申さず、私一人見申すのに、さすがにひどく恐ろしいので、簾の元近く寄っても見申せないと、仏が、『それでは、この度は帰って、後に迎えに来よう』とおっしゃる声、私の耳一つに聞こえて、人は聞き付けないと見るのに、驚いたところ、十四日である。この夢ばかりを後の頼みとした。
甥どもなど、一所で朝夕見るのに、この様に哀れに悲しい事の後は、所々になってなどして、誰も見える事難くあるのに、ひどく暗い夜、六郎に当たる甥が来たのに、珍しく思われて、『月も出て闇に暮れたのを捨てて、何とて今宵訪ねて来たのだろう』と言われたのだった。
懇ろに語らう人が、こうして後訪れないのに、今は世にいない者と思うだろうか、あわれ泣く泣く、なおこそ経れ。
十月頃、月がひどく明るいのを泣く泣く眺めて、暇もない涙に曇る心にも、明かしと見える月の影かな。
年月は過ぎ変わり行くけれど、夢の様だった程を思い出せば、心地も惑い、目も掻き暗す様なので、その程の事はまた定かにも覚えない。人々は皆他に住み明かれて、故郷に一人、ひどく心細く悲しくて、眺め明かし侘びて、久しく訪れない人に、茂り行く蓬の露に濡れながら、人に問われない音をだけ泣く。尼である人である。世の常の宿の蓬を思いやれ、背き果てた庭の草むらを。
底本:『新註更級日記』吉川秀雄著(精文館書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。
大正15年(1926)吉川秀雄著『新註更級日記』(精文館書店)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、頭註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。