ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

更級日記 / 第3場面

京のすまひ・物語の日々

あらすじ・人物・読み方

京に居を定め、叔母から源氏物語五十余巻を得て読みふける。長恨歌の貸し借り、かばねたづぬる宮の物語。姫君(行成の女)と乳母の死を悼む。

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落ち着きもせず、ひどく物騒がしいけれども、早く見たいと思っていたことなので、『物語を求めて見せて見せて』とかと思っていたことなので、三条の宮に、親族である人の、衛門の命婦といって仕えているのを尋ねて、文をやったところ、珍しがって、喜んで、御前がお下ろしになったものだといって、わざわざためた草子どもを、硯の箱の蓋に入れてよこした。嬉しくてたまらなくて、夜も昼もこれを見ることから始めて、またまたまも見たいのに、落ち着きもしない都のほとりに、誰か物語を求め見る人がいるだろうか。

継母であった人は、宮仕えをしていたのが下ったので、思ってもいなかったことどもなどあって、世の中を恨めしそうにして、他へ移るといって、五歳ほどの稚児どもなども連れて、『しみじみと感じた心の程は、忘れる世もあるまい』などと言って、梅の木の、端近くて、ひどく大きなのを、『これが花の咲く折には来ようよ』と言い置いて移ってしまったのを、心の中で恋しく哀れだと思いながら、忍び泣きばかりして、その年も替わった。早く梅が咲かないか、来ようと言ったのを、そうであろうと、目をかけて待ち続けると、花も皆咲いたけれど、音沙汰もない。思い悩んで、花を折って送る。頼みにしたのを、なお待つべきだろうか、霜に枯れた梅をも春は忘れなかったことだ。と言って送ったところ、しみじみする事どもを書いて、なお頼みにしなさい、梅の立枝は約束を置かないけれど、思いの外の人も訪れるということです。

その春、世の中がひどく騒がしくて、まつさとの渡しで月影をしみじみ見た乳母も、三月一日に亡くなった。どうしようもなく思い嘆いていると、物語の見たさも覚えなくなった。ひどく泣き暮らして見出したところ、夕日がひどく華やかに差しているのに、桜の花が残りなく散り乱れる。散る花もまた来る春は見ることもあろう、すぐに別れた人が恋しい。

また聞くと、侍従の大納言の御女がお亡くなりになったそうだ。殿の中将がお嘆きになる様子は、我が身の悲しい折なので、ひどく哀れだと聞く。上京して着いた時、『これを手本にしなさい』と言って、この姫君の御筆跡を取らせてもらったのを、『小夜更けて寝覚めしなければ』などと書いて、鳥辺山の、谷に煙の燃え立ったら、はかなく見えた私だと思いなさい。と、言いようもなく趣深く見事にお書きになっているのを見て、ますます涙が加わる。

こうばかり思い沈んでいるのを、心も慰めようと、気の毒がって、母が物語などを求めて見せてくださるのに、本当に自然と慰んでいく。紫のゆかり(若紫の巻)を見て、続きが見たく思われるけれど、人に語り合うなどもできない。誰もまだ都に慣れない程で、見つけることができない。ひどくもどかしく、見たく思われるままに、『この源氏の物語を、一の巻からして皆見せてください』と、心の中で祈る。親が太秦にこ籠もっていらっしゃるのにも、他の事なくこの事を申して、出てしまうままにこの物語を見終わろうと思うけれど、見ることができない。ひどく残念に思い嘆いていると、叔母である人が田舎から上京した所へ移ったところ、『ひどく美しく成長したことだ』などと、しみじみ感じ、珍しがって、帰る時に、『何を差し上げよう。実用的な物はよくないだろう。見たがっていらっしゃる物を差し上げよう』と言って、源氏の五十余巻を、櫃に入ったまま、在中将、とほぎみ、せりかわ、しらら、あさうづなどという物語どもを、一袋取り入れて、得て帰る心地の嬉しさはひどいものだ。走る走るわずかに見ながら、心も得ず、もどかしく思う源氏を、一の巻からして、人も交わらず、几帳の中に臥して、引き出しては見る心地は、后の位も何だというのか。昼は一日中、夜は目が覚めている限り、火を近くに灯して、これを見るより外の事がないので、自然となどは、空に覚え浮かぶのを、大変なことに思っていると、夢に、ひどく清らかな僧が、黄い地の袈裟を着たのが来て、『法華経五の巻を早く習え』と言うのを見るけれど、人にも語らず、習おうとも思いもかけず、物語のことだけを心に留めて、私はこの頃は悪いけれど、盛りになれば、姿も限りなくよく、髪もひどく長くなるだろう、光源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のようでありたいものだと思った心は、まずひどくはかなく驚くべきものだ。

五月一日頃、端近くの花橘がひどく白く散っているのを眺めて、時ならず降る雪かと眺めただろう、花橘が香らなかったら。

足柄と言った山の麓で暗く広がっていた木のように茂っている所なので、十月頃の紅葉が、四方の山辺よりも格別にひどく面白く、錦を引いたようであるのに、外から来た人が、『今、参った道に、紅葉のひどく面白い所があった』と言うのに、ふと、どこにも劣らない物を、我が宿の世をあき終わる景色ばかりは。物語のことを、昼は一日中思い続け、夜も目が覚めている限りはこれだけを心にかけていると、夢に見える様子では、『この頃、皇太后宮の一品の宮の御料に、六角堂に、遣水を作る』と言う人があるのを、『それはどういうことか』と尋ねると、『天照御神を念じなさい』と言うのを見て、人にも語らず、なんとも思わずにやんでしまう、ひどく言ってもかいがない。春ごとに、この一品の宮を眺めやりながら、咲くのを待ち、散ったと嘆く春はただ、我が宿の顔に花を見ることだ。

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底本:『新註更級日記』吉川秀雄著(精文館書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)吉川秀雄著『新註更級日記』(精文館書店)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、頭註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。