更級日記 / 第2場面
あづまぢの旅・道のり
あらすじ・人物・読み方
隅田川を渡り、富士の山を望み、清見が関・足柄峠を越えて京へ近づく旅の後半。駿河の老女の家など、道中の見聞が綴られる。
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それより後、火焚き屋に女がいるのだ」と語る。野山蘆荻の中を分けていくよりほかのこともなくて、武蔵と相模との境にあって、あすだ河という、在五中将が、「いざこと問はむ」と詠んだあたりである。中将の集にはすみだ川とある。舟で渡ってしまうと、相模国に入った。にしとみという所の山は、絵をよく描いた屏風を立て並べたようである。片方の側は海で、浜の様子も、寄せ返す波の景色も、ひどく面白い。もろこしが原という所も、砂がひどく白いのを、二、三日進む。『夏はやまとでしこの花が薄く、錦を引いたように咲いている。これは秋の末なので見えない』と言うのに、なお所々はこぼれるように、あわれなほどに咲き渡っている。『もろこしが原にやまとでしこも咲いただろうよ』などと、人々が面白がる。
足柄山という山は、四、五日も前から、恐ろしそうに暗く広がっている。ようやく入り立つ麓のあたりでさえ、空の様子ははっきりとも見えず、言いようもなく茂り渡って、ひどく恐ろしそうである。
麓に宿っていたところ、月もなく暗い夜の、闇に惑うような時に、遊女が三人、どこからともなく出て来た。五十歳ほどの一人、二十歳ほど、十四、五歳のがある。庵の前に唐傘を差させて据えた。
男たちが火を灯して見ると、昔こはたと言った者の孫だという。髪がひどく長く、額がひどくよくかかっていて、色白く穢れなくて、『どうしてもいなければならぬ下仕えなどとしてもいなければならぬでしょう』などと人々がしみじみ感じていると、声がすべて似るものもなく空に澄み上って、見事に歌を歌う。人々がひどく感動して、近くに寄って人々も興に乗ると、『西国の遊女は比べものにならない』などと言うのを聞いて、『難波のあたりに比べれば』と見事に歌った。
見る目がひどく穢れなく、声までも似るものなく歌って、あれほど恐ろしそうな山中へ立って行くのを、人々は名残惜しく思って皆泣くのを、幼い心地には、なおさらこの宿を発つことまでも名残惜しく思われる。
まだ明け方から足柄を越える。まして山の中の恐ろしそうなことは言いようがない。雲は足の下に踏まれる。山の中なればかりの木の下のわずかな所に、葵がただ三筋ほど生え出ているのがあるのを、『世を離れてこんな山中にまで生えたことよ』と、人々がしみじみ感じる。水はその山に三箇所流れている。やっとのことで越え出て、関山に泊まった。これよりは駿河国である。よこはしりの関のそばに、岩壺という所がある。言いようもなく大きな石の四角な中に、穴の開いた中から出る水が、清く冷たいことは限りがない。
富士の山はこの国にある。私が生い育った国では西向きに見えた山である。その山の様子は、ひどく世に見えない様子である。様子の異なる山の姿が、紺青を塗ったようであるのに、雪の消える時もなく積もっているので、色こき美しいのに、白い袙を着たように見えて、山の頂の少し平らな所から煙が立ちのぼる。夕暮れには火の燃え立つのも見える。
清見が関は、片方の側は海であるのに、関屋がたくさんあって、海まで杭を貫いている。煙が合いでもするのだろうか。清見が関の波も高くなってしまうだろう。面白いことは限りがない。
田子の浦は波が高くて、舟で漕ぎめぐる。大井川という渡しがある。水が世の常ならず、すり粉などを濃くして流したように、白い水が速く流れている。
富士川というのは、富士の山から落ちた水である。その国の人が出て来て語る様子では、『一年ほど前に物詣でに参りましたところしたところ、ひどく暑かったので、この水のほとりで休みながら見ていると、川上の方から黄色い物が流れて来て、物に付いて止まったのを見ると、ほぐ(反故紙)である。取り上げて見ると、黄色い紙に、朱で濃く美しく書かれている。不思議に思って見ると、来年なるはずの国々を、除目のことを皆書いて、この国が来年空くはずなのにも、国守はなくして、また添えて、二人をなしている。不思議で驚くべきことと思って、取り上げて、干して収めたのを、翌年の司召に、この文に書かれていたのが、一つ違わず、この国の守とあった通りのままなのを、三月のうちに亡くなって、また交替したのも、この傍らに書き付けられていた人である。かかることがありました。来年の司召などは、今年この山にたくさんの神々が集まって、なさるのだなと御覧になりました。珍しいことでございます」と語る。
ぬましりという所もすらすらと過ぎて、ひどく病み出して、遠江国に入る。さやの中山などを越えたであろう程も覚えていない。ひどく苦しいので、天龍という川のほとりに、仮屋を作り設けたので、そこで数日過ごすうちに、ようやく治る。冬が深くなったので、川風が激しく吹き上げ続けて、堪え難く思われた。
その渡しをして、濱名の橋に着いた。濱名の橋は、下った時は黒木を渡してあったのに、この度は跡さえ見えないので、舟で渡る。入江に渡した橋である。外の海はひどく悪く、波が高くて、入江のむなしい洲々に、他の物もなく松原の茂った中から、波の寄せ返すのも、色々の玉のように見え、本当に松の梢より波が越えるように見えて、ひどく面白い。
それより上は、ゐのはなという坂の、言いようもなくわびしいのを上ってしまうと、三河国の高師の浜という。八橋は名ばかりで、橋の跡もなく、なんの見どころもない。二村の山の中に泊まった夜、大きな柿の木の下に庵を作ったので、夜通し庵の上に柿が落ちかかるのを、人々が拾うなどする。宮路の山という所を越える頃、十月の末であるのに、紅葉が散らずに盛りである。嵐が吹いて来なかったからだなあ、宮路山は、まだ紅葉が散らずに残っている。
三河と尾張との境になる、しかすがの渡しは、本当に思い煩ってしまいそうなほど趣がある。
尾張国の鳴海の浦を過ぎるのに、夕潮がちょうど満ちて満ち、今夜泊まろうにも中間に、潮が満ちて来たらこちらへも過ぎられまいと、ある限り走り惑って過ぎた。
美濃国になる境に、すのまたという渡しをして、野の上という所に着いた。そこに遊女たちが出て来て、夜通し歌を歌うのにも、足柄であったことが思い出されて、しみじみと恋しいことは限りがない。雪が降り、荒れ惑うのに、物の風情もなくて、不破の関、あつみの山などを越えて、近江国おきながという人の家に泊まって、四、五日いた。
みつさかの山の麓に、夜も昼も、時雨や霰が降り乱れて、日の光も明らかでなく、ひどく煩わしい。そこを立って、犬上、神崎、野洲、粟太などという所々を、なんとなく過ぎる。湖の面ははるばるとして、なでしこま、竹生島などという所の見えるのが、ひどく面白い。勢多の橋は皆崩れて、渡るのに難儀する。粟津に泊まって、師走の二日、京に入る。暗く着くはずだと、申の時頃に立って行くと、関が近くなって、山の面に、仮初めの切り掛けというものも慣れて、どこにともなくていらっしゃる仏かと、見やって過ぎる。これらの国々を過ぎて来たのに、駿河の清見が関と逢坂の関とだけはなかった。
ひどく暗くなって、三条の宮の西にある所に着いた。広々と荒れた所で、過ぎ来た山々にも劣らず、大きく恐ろしそうな深山木どものようで、都のうちとも見えない所の様子である。
底本:『新註更級日記』吉川秀雄著(精文館書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。
大正15年(1926)吉川秀雄著『新註更級日記』(精文館書店)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、頭註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。