和泉式部日記 / 第3場面
夏の贈答
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あらすじ・人物・読み方
夏、宮は車を寄せて訪れ、松や露に寄せた歌を交わす。人の噂を憚りながらも、逢瀬と文の往来は絶えない。
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原文・発音の読み・現代語
現代語で読む
の車でおいでになった。差し寄せて、早く早くと言うので、とても見苦しいことかと思い思い、押し出て乗ると、昨夜の所でお話などをなさるので、院の御方にお渡りになるとお思いになる。明けると、鳥の音がつらいとおっしゃって、そっとお乗せしておいでになったので、道すがら、こういう折は必ずおっしゃるので、いつもはどうしてと聞こえる。おいでになってお帰しなさった。しばらくあってお文があった。今朝はうっかりした鳥の音に驚かされて、つらかったので殺した、ご覧くださいとて、鳥の羽に書いて。殺してもなお飽きないことよ。寝ない鳥の、折節を知らない今朝の初声よ。お返し。どうしてかとは私こそ思う。幼くて啼かせてしまった鳥を殺したならば。と思いなさるのを、鳥の咎ではないのかとある。二三日ほどあって、月がひどく明るい夜、端に出て見ていると、どうだろう、月はご覧になっているかとて。私のように思うことはいつだろうか。山の端の月に懸けながら嘆く心を。いつもの折よりはおかしいうちにも、宮で月の明るさに、人が見るだろうと忍んでいた。思い至られるうちに、ふと、一夜見た月だと思うけれど、詠めば心も行かず目は空にして、と聞こえても、なお独り眺めているうちに、はかなく夜が明けた。又の夜おいでになった。こちらには聞こえず、あちこちに人の住む所なので、そちらに人の来ている車をご覧になって、人の侍にこそ車があると聞こえるので、よし帰ろうとおいでになった。人の言うことは真実だと思し召すのも難しいので、さすがに絶え果てる物とは思い入りければ、文をお遣わしになった。昨夜参ったとだけはお聞きになっただろうか。それも(次ページへ続く)。ご存じなかったのかと、思うこそひどい。松山に波が高いとは見てきたけれど、今日の眺めは例のないほどだ。とある。雨が打ち降るほどか。あやしかったことだなあ。人の空音を申し上げていたのかと思って。我をこそ末の松と思い続けてきた。万人並みには誰が越えようか。と申し上げた。宮は一夜のことを何となく心憂く思し召して、久しくおっしゃって、こう詠む。つらいとも、また恋しいとも、さまざまに思うことこそ絶えることがない。お返事は申し上げるべき事がないわけではないけれど、わざとらしく思われるのも恥ずかしくて、こうぞ。逢うことは、どうあろうと嘆かしいけれど、恨みが絶えない仲となってしまったら。と申し上げる。その後も間遠に。月の明るい夜、打ち臥して、羨ましくもなどと眺められると、宮に近く聞こえた。月を見て荒れた宿に眺めるとは、見に来ないまでも誰に告げようと。ひすまし童に持たせて、右近のぞうに差し取らせて、来よとてやる。宮は御前に人々がいて物語しておいでになる頃であった。人々が退出などして、お入りになるのに、右近のぞうが差し出たので、いつもの車に装束させよとて、おいでになる。女は待ちかねて座っている頃に、人が入って来たので、簾を下ろして座っていたところ、まことに見慣れたお姿ではなく、お直衣などひどく慣れた様子がおかしく見える。物もおっしゃらず、ただ御房に文を差し入れさせなさって、お使いが早く退出してしまったので、差し入れさせなさって、物が聞こえるには遠くて届かないので、女は扇を差し出して取った。宮もお上がりになろうと思し召した。前栽のおかしい(次ページへ続く)。中を歩かせなさって、「人は草葉の露である」などとおっしゃる。とても優艶である。近くお寄りになって、「今宵は退出しよう。誰に忍んでいるのかも見顕しになろう。明日は物忌だというのに、なければあやしいと思うだろう」とて、お帰りになると。試みに雨も降ってほしい。宿を過ぎて浦を行く月の影は宿るだろうか。人の言うほどより心を込めてあはれに思し召される。「我が君」とて、しばらくお上がりになって、お出になる時。あぢきなく雲井の月に誘われて、影こそどこへ、心は行くのだろうか。とておいでになった後。簾を揚げてあった。お文を見ると。私のために月を眺めると告げたので、本当かと見に出て来てしまった。とあるのを、嬉しくおいでになることよ。どうしてとてもあやしい物に聞し召したのだろうと、きっとお直しになったのだろうなどと思う。宮も言い甲斐がなくはない。つれづれの慰めにとお思いになる頃に、ある人々の聞こえる様子は、この頃は源少将などがいらっしゃるそうだ、昼も物をなさるそうだと言うと、ある人がいて兵部卿宮もおいでになるそうだなど、口々に聞くと、とてもおほどけしうお思いになって、久しくお文もない小舎人童が来た。ひすまし童が例によって語らうので、物など言って、お文はあるかと言うと、そうではない。一日おいでになったのを知ったけれど、御門に車があるのをご覧になって、お消息もないのだ。人々がお通いのようにお聞きになったので、物など言ってしまった。こう言うと聞いて、いよいよ惜しく、何やかやと、わざと申し上げ、わざとお頼み申し上げることはないけれど、時々もこう思い出されるほどは、申し上げ通わせてほしいと思っていた。事もあろうに、けしからぬことにつけても、か(次ページへ続く)。
底本:『群書類従 第11輯』塙保己一編(経済雑誌社、明治27年[1894])。本文画像:所蔵機関の公開資料。
明治27年(1894)塙保己一編『群書類従 第11輯』(経済雑誌社)所収「和泉式部日記」の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、柱・振り仮名・小字の編者註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。