ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

無名草子 / 第7場面

女の歌人たち

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女の歌人たちをもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

集を選ぶ女がいないという嘆きに、紫式部・清少納言を挙げて反論し、女の歌人たちを一人ずつ評する。小野小町とその老後・骸骨の伝説、清少納言と枕草子、小式部内侍、和泉式部、赤染衛門、伊勢大輔へと続く。

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無名草子・第7場面0 / 21
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などで隠れれば、見た人は去る事で、宮仕え人とてひた表に出で立ち、並べて人に知られるばかりの身を持って、この頃はそれこそなど人にも言われず、世の末までも書き留められない身にて止みなむは、すばらしく口惜しい業でありましょう。昔よりいかばかりの事とかは多いでしょうが、怪しのここし折一つ詠んで、集に入る事などだに、女はとても難い。まして世の末まで名を留めるばかりの事は言い出でじ。出でたる類は少なくこそ聞こえます。とても有り難い業なんでしょうと言えば、例の若い人、去るにても誰々かありましょう。昔今ともなし、自ずから心憎く聞こえる程の人々を思い出でて、その中に少しも良からん人との真似をしあればやと言えば、物真似は人のすまじかなる業を、淵に至りなさるでしょうと言って笑う。女御先は心憎くすばらしい例に書き伝えられさせなさるばかりのは最も有り難い。まして末々は道理なりかし。色を好み歌を詠む物、昔より多いでしょうが、小野小町こそ、見目形・もてなし・心遣いよりはじめ、何事もすばらしかったでしょうと思われます。色見えて移う物は世の中の人の心の花にぞあった。侘びぬれば身を浮草の根を絶えて、誘う水があれば往なむと思う。思いつつ寝ればや人の見えつらん、夢と知りせば覚めざらましを。詠んだのも、女の歌はかようにこそと覚えて、心に涙ぐましくこそと言えば、また老いの果てこそとても歌てけれ。さしも亡き人も森とさまでおる事やはあるとと言う人がいれば、それにつけても浮世の(次ページへ)。定めなさ思い至って、哀れにこそあります。屍になって後まで、「秋風の吹くたびごとにあなめめ、をのどは言わじ薄生えけり」など詠んであります。広い野の中に、薄の生えてありました。そのように聞こえたのでした。とても哀れで、その薄を引き捨てた夜の夢に、「かの頭をば小野の小町と申す物の頭です。薄の風に吹かれるたびごとに目が痛くあります。引き捨てなさったのは最も嬉しい。この代わりには歌をすばらしく詠ませ奉りましょう」と見えてあったとかや。その夢に見た人は道信の中将と人が申すのは真実でしょうか。誰かは去る事あるな。色をも香をも心に染むとならば、かようにこそあらまほしけれと言えば、また人、「すべてあまりになった人の、そのままであった例、有り難い業にこそあめれ」と。清少納言は、一条院の位の御時、宇治の関白が世を知らせなさる初め、皇太后宮の時めかせなさる盛りに仕えなさって、人より言うなる物と思いなされた程のどもは、枕草子という物に自ら書き現してありますので、細かに申すに及ばず。歌詠みの方こそ元輔の娘で、さばかりであった程よりは優れなかったとかやと覚えます。後拾遺などにも無下に少なく入ってあります。自ら思い知って、申し請いて、さようの事には交じらなかったのでしょうか、さらではとても言いすばらしかった物にこそあめれ。その枕草子こそ心の程見えて、とてもおかしい。さばかりおかしくも哀れにも、すばらしくもめでたくもある事どもを残らず書き尽くした中に、宮のめでたく盛りに時めかせなさった事ばかりを、身の毛も(次ページへ)。立つばかり書き出でて、関白殿が亡くなり、内の大臣が流されなさるなどした程も、衷へをば、かけても言い出でない程のすばらしい心延えでありけん人の、はかばかしい縁なども、なかったのでしょうか。乳母の子である者に具して、遥かな田舎に下って住んだのに、緒など言う物干しに、どに出づとて、昔の名残姿こそ忘れぬと、一人出で来たのを見ますと、あやしい衣を着て、綴りという物帽子にしてあったことこそ最も哀れです。真にいかに恋しかったでしょうなど言えば、また小式部内侍こそ誰よりもとてもめでたい。かかる例を聞くにつけても、命短かったことさえすばらしくこそ思われます。さばかりの君に取り分け覚し時めかせ奉って、亡き後までも御ぞなど言わせけむ程、宮仕えの本意、これにはいかが過ぎましょうと思う顔様さえ、とても思うように侍いかし。万の人の心を尽くしけん妬げにもてなして、大二条殿にすばらしく思われ奉って、止む事なき僧子どもら身を置いて隠れにけむことこそ、すばらしくめでたい。歌詠みの覚えは和泉式部には劣りためれど、病限りにあって死ぬべく思えた折に、「いかにせむ行くべき方も思わえず、親に先立ち道を知らねば」と詠んだのに、その度 の病がたちまちに止んだとかや。それにてこの道の優れた程は見知りました。また定頼の中納言に、「覚え山生野の道の遠ければ、まだ踏みも見ず天の橋立」と詠みかけた事なども、折につけては最も愛でたい事とこそ推し量られます。和泉式部が歌数など詠んだ(次ページへ)。

事は、真に女がこれ程の歌どもを詠み出づべしとも思われないのに、然るべき先の世の事にこそあめれ。この世一つの事とは思われません。その中にも保昌に忘れられて、貴船にももよ参って。物を思えば沢の蛍も我が身よりあくがれ出る玉かとぞ見る。と詠んだ事など、真に哀れに思われました。奥山にたぎりて落ちる滝つ瀬に、玉取るばかり物を思うな。と御返しがあったことこそ、とてもたどけれ。また小式部内侍が亡くなった後、女院より賜わせた御衣に。諸共に昔の下には朽ちずして、埋もれぬ名を見るぞ悲しい。と詠んで参らせた。留め置いて誰を哀れと思うらむ事は増すらむ、子は増さりけり、と詠めるもとても哀れです。また馬道の某僧都の許へ、「親の親と思わましかば問いてまし、我が子の子にはあらぬ成りけり」と詠んで献上したのも哀れです。書写の聖の許へ、「暗きより暗き道にぞ入りぬべき、遥かに照らせ山の端の月」と詠んで遣ったりければ、返しをばしないで、袈裟を遣わしけり。さてそれを見てこそ世にありました。その故にや、和泉式部は罪深くかかりぬべき人、後の世に助かった事など聞きます。何事より羨ましくありますと言えば、また宮の宣旨こそすばらしく思われます。男も女も人にも語り伝え、世に(次ページへ)。言いふらすばかりの物を思わざらむは、とても情けなく本意なかるべき業です。定頼の中納言が離れ離れになってありました時。遥々と野中に見える忘れ水、絶え間を嘆く頃かな。と詠みける程に、絶え果てなさった後、賀茂に参りなさると聞いて。よそにても見るに心は慰めまで、立ちこそ勝され鴨の川波。さてもとても涙の催しでした。恋しさを忍びもあえず、空蝉の移し心も無くなった。と詠める。繰り返しもすばらしい。誰々が程々につけて、物を思わね。されど左様の類は昔よりとても多い程に思いけむ。とても有り難く哀れに思われます。赤染が「待つとは留まる人や言いけむ」と詠める、伊勢大輔が近江の海に「かたからめ」と詠める、程々についてすばらしくないやはある。真に名を得てすばらしく心憎くあらまほしき例は、伊勢の宮すどころばかりの人は、どうして昔も今もありましょう。寛平法皇が世を背かせおられまして、つれづれにて籠もりゐたりけむ有様、聞きますなどこそ類なくすばらしく思われます。庭はとても白い物の殻、苔叢々生えて、藻竿の簾が所々破れて、上さび心細げであったのに、延喜の御時、若宮の御袴着の御屏風の歌をただ今詠んで奉るべく、惟平の中将の御使いにて仰せられたりけるに。(次ページへ)。

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底本:『群書類従 第11輯』塙保己一編(経済雑誌社、明治27年[1894])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

明治27年(1894)塙保己一編『群書類従 第11輯』(経済雑誌社)所収「無名草子」の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、標題行・振り仮名・割注は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。