ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

紫式部日記 / 第10場面

御堂への渡御と正月の御遊び

あらすじ・人物・読み方

十一日の暁、御堂への渡御。道長の「すきもの」の歌と返歌、水鶏の歌を経て、正月十五日の臨時客と管弦の遊びで結ばれる。

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十一日の明け方、〔中宮は〕御堂へお渡りになる。御車には殿〔道長〕と上〔中宮〕が〔乗り〕、人々は舟に乗って差し渡り…(次ページへ続く)…たのだった。それには遅れて、ようやく参る。教化を行うところは、山寺の作法を移して大懺悔をする。白塔などを覆う綸〔絹〕に書いて、興じてお遊びになる。上達部は多く退出なさって、少しだけお残りになっている。後夜の御導師や教化ども、説相は、皆それぞれ二十人ながら、宮がこのようにいらっしゃる由を、こちらが引きしな事は、絶えて笑われる事も多くある。事が終わって殿上人は舟に乗って、皆漕ぎ続けて遊ぶ。御堂の東の妻、北向きに押し開けた戸の前、池に作り下ろした橘の勾欄を押さえて、宮の大夫が座っていらっしゃる。殿が、かりそめにお参らせになる程に、宰相の君などが物語をして、御前であるので打ち解けない用意で、内も外も趣深い程である。月がおぼろに差し出て、若々しい君達が今様歌を歌うのも、舟に乗りおおせているのを、若く趣深く聞こえるのに、大蔵卿のお舟々が混じって、さすがに声を添えようも遠慮がちなのか、忍びやかに座っている後ろ姿が、おかしく見えるので、御簾の中の人も覗いて笑う。「舟の中にや、老いをばかこつらむ」と言ったのを聞きつけなさったのか、大夫が「徐福文成誰誕おほし」と、口ずさみなさる声も様子も、この上なく今めかしく見える。「池の浮き草」と歌って、笛など吹き合わせた明け方の風の気配までも、心が格別である。はかない事も、場所柄と折柄であることだ。

『源氏物語』が御前にあるのを、殿〔道長〕が御覧になって、いつものそぞろ事どもが出てきたついでに、梅の枝に敷かれた紙にお書かせになった。好き者と名を立てれば、見る人が〔梅の枝を〕折らずに過ぎることはあるまいと思う。とお与えになったので、

人にまだ折られていないものを、誰がこの好き者だと言って口馴らしたのだろう。目覚ましいほど〔見事だ〕。

と申し上げる。渡殿に寝た夜、戸を叩く人がいると聞いたが、恐ろしさに音も立てずに明かした翌朝、一晩中水鶏がより一層鳴く鳴く、横の戸口で叩いて侘びていた、その返歌、ただ事ではないとばかりに叩く水鶏ゆえ、〔戸を〕開けてしまったらどんなに悔しいだろう。

今年は、正月三日まで、宮たちの御戴餅に日々参上させなさる。お供に皆上臈も参る。左衛門督が抱き申し上げなさって、殿餅は取り次いで上〔中宮〕に差し上げさせなさる。二間の東の戸に向かって、上に戴かせ申し上げさせなさるのである。降り上らせなさる儀式は見物である。大宮は…(次ページへ続く)〔大宮は〕お上りにならない。今年の朔日、御賄い宰相の君は、いつもの物の色合いなどが特にひどく趣深い。蔵人は、匠、兵庫が、仕え申し、髪を上げた形などこそ、御賄いは、と特に見えなさる。困ったことだ、薬の女官で、賦也の博士が、利口ぶって才走って居た。唐薬が配られる、いつもの事どもである。一日、宮の大饗は留まって、臨時客は東面を取り払って、いつものようにした。上達部は伝の大納言、右大将、中宮大夫、四条の大納言、権中納言、侍従中納言、左衛門督、有国の宰相、大蔵卿、左衛門督、源宰相が向かい合って居なさっている。源中納言、左兵衛督、左右の宰相中将は、長押の下に、殿上人の座の上に着きなさっている。

若宮を抱き出し申し上げなさって、いつもの事どもを言わせ申し上げ、かわいがって申し上げさせなさる。上〔中宮〕に、かわいがって申し上げなさって申し上げると、右大将などが興じて申し上げなさる。上へ参りなさって、上は、殿上に出でさせなさって御遊びがあった。殿は、いつものように酔わせなさっている。恥ずかしいと思って隠れて居たのに、「どうして御父の御前の御遊びに召したのに、控えずに急いで退出したのは、ひがんでいる」などと〔殿が〕ご機嫌を損ねなさっている。それならば、歌を一つ仕えまつ〔れ〕…(次ページへ続く)〔歌を一つ仕えまつ〕れ、親の代わりに、初子の日である。「詠め詠め」とお責めさせになる。口に出そうにも、ひどく不恰好だろう。この上なくお酔いになっているようなので、ますます御色合いが清らかで、火影が華やかにあってほしいほどで、一昨年頃、宮がすさまじい様子で一所にいらっしゃるのを、騒々しく拝見したのに、このように難しいほど、左右に拝見するのは嬉しいことだ」と、大殿に籠もっている宮たちを、引き開けながら拝見なさる。「野辺に小松がなかったら」と口ずさみなさる。新しい事よりも、折節の人の有様が、めでたく思われなさる。

またの日の夕方、いつかと霞んだ空を、造り続けた軒の隙間なさで、ただ渡殿の上の程をほのかに見て、中務の乳母と昨夜の御口ずさびを賞めて申し上げる。この命婦こそ、物の心得があって、才気煥発に仕える人である。

かりそめに退出して、二の宮の御行く末は、正月十五日、その明け方満ちる頃に、小少将の君が、明け果てて見苦しくなっているところに参りなさった。いつもの同じ所に居た。二人の局を一つに合わせて、互いに里である間も住む。一度に参っては、几帳ばかりを隔てにしている。殿がお渡りになる。「互いに知らない人も語り合われるな」と、聞きにくく〔言う〕。しかし誰もそのような疎々しい事はないので、気安くて〔過ごす〕。

日が高くなって参上する。あの君は桜の織物の打衣、赤色の唐衣、いつもの摺裳をお着けになっている。紅梅に萌黄、柳の唐衣、裳の摺り目など今めかしいので、取り替えたいほど、若々しい。上の人ども十七人が、宮の御方に参っている。ひどく宮の御賄いは、橘三位、取り次ぐ人は、端には、小大夫、式部、中には小少将。帝と后は、御帳の中に、お二人ながらいらっしゃる。朝日の光が合わさって、まばゆいほど恥ずかしい御前である。上〔帝〕は御直衣、小口を差し上げ、宮は例の紅の御衣、紅梅、萌黄、柳、山吹のお召し物。上〔后〕には、葡萄染の織物のお召し物、柳の表白の御小袿、紋も色も珍しく今めかしく差し上げてある。あちらは、ひどく明らかなので、この奥にそっと滑り留まって居た。中務の乳母が、宮を抱き申し上げて、御帳の間から南向きに連れ申し上げる。細かくそばそばしいなどではない形で、ただゆったりと物々しい様子をして、その方面に人をしつらえるべき、才気のある気配がしている。葡萄染の織物の小袿、無紋の青色に桜の唐衣を着ている。その日の人の装束は、どれともなく尽くしているのを、袖口の合わせが悪く重ねた人までも、御前の物を取り色々と、多くの上達部や殿上人に差し出て、守られた事だと、後…(次ページへ続く)〔後に〕宰相の君などが口惜しがりなさるようだった。それは悪くもなかった。ただ合わせが定まったものである。

小大夫は、紅の一重の上に紅梅の濃い薄い五つを重ねている。唐衣は桜、源式部は、濃い〔色〕にまた紅梅の綾を着ているようだった。織物でないのを悪いとでもいうのか、それは無理な事で、明らかであるからこそ、取り違いのかすかに見えたそば目をも、おさせになるべきなのに、衣の劣り勝りは、言うべき事ではない。

餅を差し上げなさる事どもが終わって、御台など退出して、廂の御簾を上げる際に、上の女房は、御帳の西面の昼御座に、押し重ねたように並んで居た。三位を始めとして、内侍の輔たちも多く参っている。宮の人々は、若い人は長押の下、東の廂の南の障子を放って御簾を掛けたところに上臈が居た。御帳の東の間が、ただ少しあるところに、大納言の君、小少将の君が居なさる所を尋ね行って見る。上は平敷の御座で、御膳が参るのである。御前の物のした様子は、言い尽くしようがない。簀子に、北向きに、西を上として、上達部、左、右、内大臣殿、春宮の大夫、中宮の大夫、四条の大納言、それより下は見ることができなかった。御遊びがあり、殿上人は、この対の巽に当たる廊に控える。地下は定まっている。管絃の…(次ページへ続く)朝臣、これかぜの朝臣、行義、友政などといった人々、上に、四条の大納言が拍子を取り、頭の弁が琵琶、琴は経孝朝臣、左宰相中将が笙の笛と、双調の声で、安名尊、次に席田を、この殿などが歌う。曲のものは、鳥の破、急を演奏する。外の座でも、調子などを吹く。歌に拍子を打ち違えて咎められる。伊勢の海にこそあった。右大臣は、和琴がひどく面白いなどと聞き囃しなさる。戯れなさるようだった果てには、ひどい過ちが気の毒なことこそ、見る人の身まで冷え込んだ。御贈物は笛二つを、箱に入れてと見えた。

この作品の最後の場面です。紫式部日記の一覧から、もう一度読みたいところへ進めます。

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底本:『紫式部日記』長連恒校註(国民図書、昭和4年[1929])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

昭和4年(1929)長連恒校註『紫式部日記』(国民図書)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、頭註・傍註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。