紫式部
『源氏物語』の作者。中宮彰子に仕える女房で、この日記の筆者。宮中での見聞きや人々への批評、自身の内省を克明に記す。本IDはサイト既登録の紫式部のID(『小倉百人一首』の歌人登録、『源氏供養』でも使用)と同一である。
呼び名:式部・藤式部紫式部が中宮彰子に出仕した寛弘5年(1008)秋から同7年(1010)正月にかけての宮仕えの日々を記した日記。敦成親王の誕生をめぐる御産・産養・行幸・五十日の儀式の記録を前半に、女房たちの素描、和泉式部・赤染衛門・清少納言ら才女たちへの批評、源氏物語の書写や自身の才を隠してきた回想、出家への思いを後半に収める。底本は長連恒校註『紫式部日記』(国民図書、昭和4年)で、流布本をもとに校合された本文を用いる。
肖像は物語をもとにした創作画です。人物の年齢・衣装は場面によって変わります。
『源氏物語』の作者。中宮彰子に仕える女房で、この日記の筆者。宮中での見聞きや人々への批評、自身の内省を克明に記す。本IDはサイト既登録の紫式部のID(『小倉百人一首』の歌人登録、『源氏供養』でも使用)と同一である。
呼び名:式部・藤式部中宮彰子の父。左大臣として政権を握る。御産に心を配り、女郎花を折って歌を贈るなど風流な振る舞いも見せる。源氏物語を読み「すきもの」の歌を詠む。
呼び名:殿・左大臣藤原道長の長女。一条天皇の中宮。寛弘5年(1008)九月に敦成親王を出産する。土御門殿に里下がりして御産を迎え、後に内裏へ移る。
呼び名:中宮・宮・大宮中宮に仕える女房の重鎮。御産や行幸、五十日の祝いに中心的に関わり、御五十日の夜には式部とともに捕らえられて歌を所望される。
中宮彰子と一条天皇の間に生まれた皇子。後の後朱雀天皇。寛弘5年九月十一日に土御門殿で誕生し、産養・五十日・戴餅の儀が盛大に行われる。
呼び名:若宮・宮中宮に仕える女房。御産の場に居合わせ、後に式部と鴛鴦の歌を贈答する。
中宮に仕える内侍。御湯殿や行幸の儀式で御佩刀を取るなど要所に現れる。
敦成親王の御乳附(名代として乳をつける役)を務めた女房。
中宮に仕える若い女房。式部と文通し、時雨の歌を贈り合う。容貌・人柄ともに式部が高く評する一人。
中宮に仕える命婦。御産の場に居合わせ、装束の見事さが記される。
中宮に仕える内侍。行幸ではしるしの御箱を持ち、年末の騒ぎの折にも現れる。
一条天皇。中宮彰子の夫。敦成親王の誕生後、土御門殿へ行幸して若宮と対面する。
呼び名:うへ・帝中宮に仕える若い女房。舟遊びに誘われ、女房たちの素描でも容貌の優れた一人に挙げられる。
呼び名:小大夫の君中宮に仕える女房。筆者と同名の「式部」を名乗る別人。舟遊びや女房たちの素描に現れる。
中宮に仕える女房・歌人。伊勢の祭主藤原輔親の娘。日陰の草子の書き付けを式部に託される。「大輔の命婦」として現れる。本IDは『小倉百人一首』の歌人登録と同一である。
呼び名:大輔の命婦・大輔斎院に仕える女房。手紙のやり取りを通じて式部がその文才と人柄を論じる。作中では主に文を通じて現れる。
当代随一の歌人・女流作家。式部は「和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける」と文才を認めつつ、その振る舞いの一面を「けしからぬ方」とも評する。本IDは『小倉百人一首』の歌人登録と同一である。
大江匡衡の妻で歌人。宮中では「匡衡衛門」と呼ばれる。式部はその歌の詠みぶりを辛辣に評する。本IDは『小倉百人一首』の歌人登録と同一である。
呼び名:匡衡衛門『枕草子』の作者。故中宮定子に仕えた女房。式部は「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人」と、その賢しだちを痛烈に評する。本IDはサイト既登録の清少納言のIDと同一である。
女房の一人。物語好きで知られ、中宮が「日本紀をこそ読み給ふべけれ、まことに才あるべし」と評したことが「日本紀の局」の名の由来となったという逸話で登場する。
呼び名:日本紀の局紫式部の父。漢学の家に生まれ、幼い式部が兄より早く『史記』を読み取るのを見て「口惜しう、男子にてもたらぬこそ」と嘆いたという回想に現れる。作中では名は記されず「親」とのみ呼ばれる。
四条大納言。当代きっての文人・歌人。正月十五日の管弦の遊びで拍子を取る。作中では官職名で現れる。
呼び名:四條の大納言敦成親王の乳母の一人。御堂への渡御や正月の行事に若宮を抱いて付き従う。
『紫式部日記』長連恒校註(国民図書、昭和4年[1929])
底本:『紫式部日記』長連恒校註(国民図書、昭和4年[1929])。本文画像:所蔵機関の公開資料。
昭和4年(1929)長連恒校註『紫式部日記』(国民図書)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、頭註・傍註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。