紫式部日記 / 第2場面
御産
あらすじ・人物・読み方
九月十日、御産の気配が始まる。物怪との攻防のなか、十一日の午の刻に敦成親王が誕生する。御湯殿・鳴弦の儀式が続く。
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十日、まだほのぼのと〔夜が明けよう〕とする頃に、御設備が変わる。白い御帳〔の部屋〕にお移りになる。殿〔道長〕をはじめとして、公達や四位・五位の者たちが騒ぎ立て、御帳の帷子を掛け、御座などをあちこちへ運び違うほど、たいそう騒がしい。一日中たいそう気がかりな様子で、起きたり臥したり苦しみなさりながら、御物の怪どもを仮に〔憑代へ〕移し、限りなく騒いで大声を上げる。ここ数か月、殿の邸に伺候していた僧のことは言うまでもなく、山々寺々を探して、験者と呼ばれる限りの者を残らず参集させ、三世の仏もどうして〔祈りを〕聞き届けなさらないことがあろうかと思われる。陰陽師として世に知られる限りの者を召し集めて、八百万の神も耳を振り立てないことはあるまいと見受けられる。御誦経の使いたちが騒ぎ暮らして、その夜も明けてしまった。御帳の東側には、邸内の女房たちが参集して伺候している。西側には御物の怪が移った人々がいて、御屏風一双を引き寄せ、局口には几帳を立て並べ、験者がそれぞれ受け持って大声で〔祈って〕いる。南側には高貴な僧正や僧都が重なって座り、不動尊の生きておられるような像をも呼び出して現しつつ、頼んだり恨んだりする声が皆枯れて渡っているのが、たいそう痛ましく聞こえる。北の御障子と御帳との間は〔北の御障子と御帳との間は〕たいそう狭いところに、四十人余りが、後に数えてみると座っていたのだった。少しも身動きもできず、裳の裾や衣の袖を譲る〔場所〕も分からず、しかるべき大人などは〔声を〕忍んで泣き惑っている。
十一日の明け方に、北の御障子を二間分外して、廂にお移しになる。御簾なども掛け終わらないので、御几帳を押し重ねて〔中宮は〕いらっしゃる。僧正が仰せであるとか、僧都や法務僧都などが伺候して、加持を申し上げ、院源僧都が昨日書かせなさった御願書に、痛ましい事どもを書き加えて、読み上げ続けた言葉が、哀れで尊く頼もしいことこの上ないので、殿〔道長〕がそれに加わって仏を念じて申し上げなさる頼もしさに、そうは言っても〔助かるだろう〕とは思いながらも、たいそう悲しくて、人々は涙を拭い切れず、「痛ましい、こう〔なっては〕」などと互いに言いながら、〔涙を〕せき止められなかった。人気が多く込み合っては、ますます御具合も苦しくおなりだろうということで、南東側にお出し申し上げて、しかるべき限りの者だけがこの二間のもとに伺候する。殿の上〔倫子〕、讃岐と宰相の君、内蔵の命婦が、御几帳の中に仁和寺の僧都の君、三井寺の内供の君をもお召し入れになった。殿〔道長〕が万事について大声でお命じになる御声に、僧も消え入るようになって音もしないほどである。今この一座に座っている人々は、大納言の君、小少将の君、宮の内侍、弁の内侍、中務の君、大夫の命婦、大式部のおもと、殿の宣旨よ。たいそう年を経た人々ばかりで、心を乱した〔心を乱した〕様子が、たいそうもっともなことであるのに、またお見舞い申し上げる〔余裕〕もないほどで、類なく痛ましいと心を一つにして感じる。また、この後ろの際〔の部屋〕に立てた几帳の外に、内侍の上の女房である中務の乳母や、姫君の少納言の乳母、たいそうな姫君の小式部の乳母などが押し入って来て、御帳二つの後ろの細い道を、人も通れず行き違って、身動きする人々は、その顔なども見分けられない。殿の公達や、宰相中将兼隆、四位の少将雅通などのことは言うまでもなく、左宰相の中将経房、宮の大夫など、普段は近寄りがたい人々までが、御几帳の上から、ともすれば覗きながら、腫れた目々が見えるのも、あらゆる恥を忘れている。頭の上には、まいた雪のように〔白いものが〕降りかかって、押ししぼんだ衣が、どれほど見苦しかっただろうと、後になっておかしく思われる。御頭の御髪をおろし申し上げ、御戒を受けることをお受けさせ申し上げて、後のことがまだ先である頃、これほど広い母屋の南の廂や勾欄のあたりまで立ち込めた僧も俗人も、今しきりに声を上げて経を読む。
東側にいる人々は、殿上人に交じった様子で、小中将の君が左頭中将と見合わせてあきれていた様子を、後になって人々が言い出して笑う。化粧などを怠りなく〔していた〕優美な人で、明け方に顔を作っていたのを、泣き腫れて、涙にあちこち濡れて損なわれて、情けなく、その人とは見えなかったほどだ。宰相の君の顔が変わっておられる様子などは、たいそう珍しいほどであった。まして〔他の人々は〕どうであっただろうか。しかしその際に見た人々の心の様子が、互いに〔平生と〕違って感じられたのは、恐れ多いことだった。
今〔御物の怪を〕移させなさる際、御物の怪が嫉んで大声を上げる声などの恐ろしいことよ。源の蔵人のところには心繋はちそう阿闍梨、兵衛の蔵人のところにはそそくという人、右近の蔵人のところには法住寺の律師〔が付き〕、宮の内侍の局に阿闍梨をお召しに加えて大声で祈る。阿闍梨の験が薄いのではなく、御物の怪がたいそう強いのだった。宰相の君は、扇の人に栄花を添えたところ、夜通し大声で祈り明かして声も枯れてしまった。御物の怪を移れとお召し出しになった人々も、皆移らずに騒がれてしまった。
午の時に空が晴れて、朝日が差し出た心地がする。〔中宮が〕平らかでいらっしゃる嬉しさは類がなく、男〔皇子〕でさえお生まれになった喜びは、どうして並大抵であろうか。昨日しおれて日を暮らし、今朝の間、朝霧に包まれていたような女房などは、皆立ち別れて休む。御前には、うたた寝していた人々が、このような折節にふさわしく伺候している。殿〔道長〕も上〔倫子〕もあちらへお渡りになって、数か月御修法や御読経に伺候し、昨日今日お召しになって参集していた僧に布施をお与えになり、医師や陰陽師など、その道その道の験の現れた〔人々に〕禄をお与えになり、邸内では御湯殿の儀式などを、かねて準備させなさるはずである。
人々の局々には、大きな袋や包みをたくさん持ち違え、唐衣や紐物の裳を引き結び、螺鈿や縫い物を、とんでもないほどして引き隠し、「扇を持って来ないかしら」などと言い合いながら、化粧し繕う。いつもの渡殿から見ると、妻戸の前に、宮の大夫や春宮の大夫など、そうでない上達部も伺候なさっている。殿〔道長〕がお出ましになって、日頃埋もれていた遣水を整えさせなさり、人々の御様子も気持ちよさそうである。心の中に思う事がある人でも、今は紛れてしまうべき世の様子である中にあっても、宮の大夫が格別にほほえみ誇りなさらないけれど、人より勝る嬉しさが、自然に顔色に現れるのはもっともなことである。
右宰相中将は、権中納言と戯れ合って、対の簀子に座っておられる。内側から御佩刀を持って参上する。頭中将頼定は、今日伊勢の御幣帛使が帰る頃で忙しいので、立ったまま、〔中宮が〕平らかでいらっしゃる御様子を奏上させなさる。禄などもお与えになった。その事は〔私は〕見ていない。
御臍の緒は殿の上〔倫子〕が〔持ち〕、御乳付けは橘三位、御乳母はもとから伺候していて、仲睦まじく心地よい人だということで、大左衛門のおもとがお仕え申し上げる。備中守宗時朝臣の娘で、蔵人の弁の乳母である〔人が乳母である〕。
御湯殿は酉の時とかで、火を灯して、宮の下部が、縁の絹の上に白い単衣を着て御湯に参上する。
その桶を据えた台などは、みな白い覆いをしてあった。尾張守近光と、〔中宮の〕侍の長である仲信が来て、御簾の下に参上する。御厨子二つを、清子の命婦と播磨が次々に運び入れ、女房二人、大木工、右馬が汲み渡して〔並べ〕、御凳が十六を超えたので〔余分を〕壊す。〔女房たちは〕羅の上着、縹色の裳、唐衣を着て、釵子を挿し、白い元結をしていた。頭つきが映えて趣深く見える。御湯殿では宰相の君が〔役を務め〕、御迎湯は大納言の君で、湯巻姿の者たちの様子が例になく格別に趣があった。中宮は若宮を抱き申し上げなさって、御佩刀は小少将の君が、虎頭〔の太刀〕を中宮の内侍が取って御前に参る。唐衣は松の実の紋、裳は海部を折って、大海の摺り目を模してある。腰の部分は薄物で、唐草を縫ってある。少将の君は、秋の草むらや蝶や鳥などを白銀で作って輝かせてある。織物には限りがあって、人の工夫に及ぶべくもないので、腰の部分だけを例とは変えたようである。殿の公達が二か所で、源少将雅通などが、うちまきを投げてののしり合い、私の方が高く鳴らそうと争って騒ぐ。遍智の僧都が護身〔の加持〕に伺候なさっている。〔うちまきが〕頭にも目にも当たりそうなので、扇を差し上げて〔避けるので〕若い人に笑われる。女の声で読む博士役は蔵人弁広業で、勾欄のもとに立って『史記』の一巻を読む。弦を打つ者が二十人、五位が十人、六位が十人、二行に立ち並んでいた。
その夜の御湯殿も、体裁ばかりをしきりにして参る。儀式は同じである。御文博士だけは替わったのだろうか、伊勢守致時の博士とかで、例の『孝経』であるらしい。
また擧周は『史記』の文帝の巻を読むのだそうだ。七日の間、代わる代わる、万の物に曇りがなく、白い御前で、人の様子や色合いまでもはっきりと現れているのを見渡すと、よい墨絵に髪を生やしたように見える。ますます物がはしたなく輝く心地がするので、絵はあまり差し出されず、のどかで、東の対の局から参上する人々を見ると、色を許された者は織物の唐衣で、同じ桂〔摺り〕どうしなので、かえって美しく、個々の心も見えない。〔色を〕許されない人でも少し大人びた者は、傍らで見て痛々しいようなことはせず、ただ言いようもなく立派な三重五重の桂に、上着は織物、無紋の唐衣をすっきりと着て、重ねには綾羅を着た人もいる。扇などは、見た目にははなばなしく輝かせず、悪くない様子にしてある。心遣いのある本文を書きつけるなどして、申し合わせたようであるのも、それぞれに思ったけれども、年齢のほどが同じ〔世代の〕待ち合わせのように趣があると見交わしたりした。人の心の、思いが後れを取らない様子が、あらわに見えた。裳や唐衣の縫い物は格別で、袖口に置口を作り、裳の縫い目に銀糸を伏せて組のようにし、箔を飾って綾の紋にする、扇などの様子は、ただ雪深い山を月の明るさに見渡した心地がして、きらきらとして一か所とは見渡せず、鏡をかけたようである。
底本:『紫式部日記』長連恒校註(国民図書、昭和4年[1929])。本文画像:所蔵機関の公開資料。
昭和4年(1929)長連恒校註『紫式部日記』(国民図書)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、頭註・傍註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。