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紫式部集 / 第5場面

帰京と宮の五十日

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帰京と宮の五十日をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

女郎花の贈答、都へ帰る山路と逢坂の歌、苔むした仏の歌を経て、宮の五十日の祝いの盃と月見の歌に至る。

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紫式部集・第5場面0 / 39
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原文・発音の読み・現代語

現代語で読む

朝霧の美しいほどに、御前の花が色々に乱れている中に、女郎花がたいそう盛りなのを、殿が御覧になろうと、一文(ひと枝)だと折らせなさって、几帳の上から、これを対に返すとて下さった。女郎花の盛りの色を見るにつけ、露に分けた身こそ、さぞ心動かされることよ。と書かれたのを、たいそう(思い)…白露は、酔わせても置いてはおかないだろう。女郎花は、ててろからにや、色が染まるのだろう。

長く訪れない人を思い出して、忘れるのは憂き世の常と思うにも、身を置く方の秋(飽き)が侘しい。返歌。誰が里にも、訪ねては来るだろうか、郭公よ。心の限りに待ち侘びたことだ。

都の方へ帰ろうと山を越えた時に、よび坂という所があるあたりの、たいそう厭わしい懸け路に、腰も描き煩う(ほどで)。恐ろしいと思うところに、猿が木の葉の中からたいそう多く出てきたので、猿でさえも、遠くからの人の跡をたどる。この来るに侘びた逢坂を。

水海(琵琶湖)で、伊吹の山の雪がたいそう白く見える。名に高い越の白山の雪の荒れように、伊吹の嶽を兄と見立てる。

その年を経たものが、転び倒れながら人に踏まれるのをを、心当てに、ああ有り難いことよ。苔むした仏の御顔は、外には見えないけれど。

人の今日こうして書くにも、誰の心も見えないだろう。言葉を隔てない契りだというのに。返歌。隔てまいと洗ったほどに、夏衣の裏透く心を、まず去られてしまった。額の寒さに、岩間を壊れる谷水の、行く末こそ深くあるのだろう。

宮の御産屋、五日の夜、月の光さえ殊に隈なく明るく、水の上の橋に、上達部(かんだちめ)が殿より初めて奉るて、謡い乱れののしり給う盃の折に、差し出づ(歌)。珍しい光が差し添う盃を、持ち上がらこそ、千代も巡らめ。また別の夜、月の隈ない明るさに、若い人たちが舟に乗り遊ぶのを見、遣る中島の松を差し巡るほど、興あるさまに見えたので、曇りなく千歳に澄める水の面に、宿る月の影も、のどかなことよ。御以下の夜、殿が「歌を詠め」と仰せになったので、どう数えやるべきでしょう。八千歳のあまりにも久しい、君の御代を。殿(の歌)。鴛鴦と鶴の齢があるので、君の御代の千歳の数も、数え取ることができるでしょう。

たまさかに返事をしたその人が、その後もまた書かなかったので、男(が)。折々に、かく門は見えて、ささがにの、どう思えば絶えてしまうというのか。

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底本:『日本歌学全書 第3編』佐々木弘綱・佐々木信綱共編並標註(博文館、明治24年[1891])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

明治24年(1891)佐々木弘綱・佐々木信綱共編並標註『日本歌学全書 第3編』(博文館)所収「紫式部集」の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、標註・傍註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。