第49帖 宿木 / 第21場面
形代の談と浮舟の生い立ち
あらすじ・人物・読み方
九月、宇治を訪れた薫に、阿闍梨と弁の君は形代の旧事を語り、中の君の異母妹・浮舟の生い立ちが明かされる。
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現代語で読む
宇治の宮〔八の宮の邸〕を久しくご覧にならない時は、いよいよ昔が遠くなる心地がして、わけもなく心細いので、九月二十日過ぎごろにおいでになった。
いよいよ風ばかりが吹き払って、心寒く荒れそうな水の音だけが宿を守り、人影も特に見えない。見るにつけ、まず心が暗くなり、悲しいことは限りがない。弁の尼を呼び出すと、障子の口に、青鈍色の几帳を差し出して参った。
「とても畏れ多いことですが、ましてとても恐ろしそうでございますので、遠慮しておりまして」
と、まともには出て来ない。
「どのように眺めていらっしゃるだろうと思いやるのに、同じ心である人もいない物語も申し上げようと思って。はかなくも積もる年月ですね」
と言って、涙をひと目に浮かべていらっしゃると、老いた人〔弁〕はいよいよまったく堪えきれない。
「他人の身の上で、具合悪く物思いなさるようだったころの空ですよ、と思い出しなさるのに、いつとも申せないことではありますが、秋の風は身にしみてつらく感じられまして、本当にあの方が嘆いていらっしゃるようだったのも明らかな世の中でのご様子を、ほのかに承るのも、さまざまに〔感慨深く〕ございます」
と申し上げると、
「あれこれのことも、生き長らえれば、直ることもあるのに、つまらなく〔八の宮が〕思い沈んでいらしたことが、私の過ちのように、やはり悲しい。このごろのご様子は、何か、それこそ世の常です。けれども、心配そうにはお見受け申し上げないようです。言っても言っても、むなしい空に昇ってしまった煙だけが、誰も逃れられないことながら、後に残り先立つ間は、やはり言ってもかいがなかった」
と言っても、またお泣きになった。
阿闍梨を呼んで、いつものように、あの忌日の経や仏事などのことをおっしゃる。
「さて、ここに時々来るにつけても、かいがないことが少なくなく感じられるのが、とても益がないので、この寝殿を取り壊して、あの山寺のそばに堂を建てよう、と思うのですが、どうせなら早く始めたい」
とおっしゃって、堂がいくつ、廊などが、僧房など、あるべき事々を、書き出しておっしゃらせなさるのを、
「とても尊いことです」
と申し上げてお知らせする。
「昔の人〔八の宮〕が、由緒あるお住まいとして占めてお造りになった所を取り壊すのは、情けのないようですが、そのお志も功徳の方には進むべきだとお思いになっただろう〔八の宮の〕意向を、残っていらっしゃる人々が思いやって、そうはしてお置きにならなかったのでしょうか。
今は、兵部卿宮〔匂宮〕の北の方〔中の君〕こそは、ご存じでいらっしゃるだろうから、あの宮の御領とも言えるようになりました。ですから、ここをそのまま寺にするのは、都合が悪いでしょう。心に任せてそうもできないでしょう。場所の様子もあまりに川の面に近く、表立ってもいるので、やはり寝殿を取り除いて、別の様子に造り替えようという心でいます」
とおっしゃると、
「あれこれと、とても畏れ多く尊いお心です。昔、別れを悲しんで、屍を包んで多くの年首に掛けていた人も、仏のご方便によって、その屍の袋を捨てて、ついに聖の道にも入りました。この寝殿をご覧になるにつけて、お心が動いていらっしゃるだろうことは、一つには大げさなことです。また、後世への勧めともなるべきことでございます。急いでお仕えしましょう。暦の博士に計らせて申しているという日を承って、物の道理を知っている工匠を二、三人いただいて、細かな事々は、仏のお教えのままにお仕えさせましょう」
と申す。あれこれおっしゃって定めて、御荘の人々を呼んで、この間の事々を、阿闍梨の言うままにするべき旨などを仰せになる。はかなく日が暮れたので、その夜はお泊まりになった。
「このたびだけは見よう」と思って、立ち巡りながらご覧になると、仏も皆あの寺に移してしまったので、尼君〔弁〕の修行の道具だけがある。とてもはかなげに住んでいるのを、しみじみと、「どのようにして過ごしているのだろう」とご覧になる。
「この寝殿は、変えて造るべき次第がある。造り出す間は、あの廊にいらっしゃい。京の宮へ取り渡されるべき物などがあれば、荘の人を呼んで、しかるべきようにしなさい」
などと、実直な事々を語らいなさる。他のところでは、これほど年を取った人を、何かと見入れてご覧になるはずもないけれど、夜も近くに臥して、昔物語などをさせなさる。故権大納言の君のご様子も、聞く人がいないので心安くて、とても細やかに申し上げる。
「今はおなりになった時分に、珍しくいらっしゃるだろうご様子を、見たいものと思い申し上げなさるようだったご様子などを思い出しなさるのに、このように思いもかけない世の末に、こうして拝見しますのは、あの御世に親しくお仕えしておいた効験が自然とございましたと、うれしくも悲しくも思いなされます。つらい命の間で、さまざまのことをご覧になって過ごし、お思いになって知っておりますことが、とても恥ずかしくつろうございます。
宮〔八の宮〕からも、時々は参って拝見せよ、心もとなく絶えて籠もり果ててしまったのは、この上なく思い隔てていたようだなどと、おっしゃる折々がございますけれど、忌まわしい身でして、阿弥陀仏よりほかに、拝見したい人もなくなっております」
などと申し上げる。故姫君〔大君〕の御事々も、また尽きることなく、長年のご様子などを語って、何の折に何とおっしゃった、花や紅葉の色を見ても、はかなく詠んでいらした歌の話などを、尽きることなく、震えながらも、含みを持たせて言葉少ないながらも、趣深かった人のお心ばえだなとだけ、いよいよ聞き添えなさる。
「宮の御方〔中の君〕は、今もう少し今風であるものの、心を許さない人のためには、きまり悪く振る舞いなさるに違いないようにいらっしゃるらしいのに、私にはとても心深く情け深く見えて、どのように過ごそうか、と思っていらっしゃる」
などと、心のうちに思い比べなさる。
さて、物事のついでに、あの形代のことを言い出しなさった。
「京に、このごろ、いらっしゃるとは存じません。人づてに承ったことの筋だそうです。故宮〔八の宮〕が、まだこのような山里住まいもなさらず、故北の方がお亡くなりになったころに近かったころ、中将の君といってお仕えしていた上臈で、心ばえなども悪くはなかった人を、とてもひそかに、はかない間柄で何かおっしゃっていたのを、知る人もいませんでしたが、女の子を産んでおりましたのを、そうかもしれない、とお思いになることがあったために、具合悪く煩わしく厄介なようにお思いになって、二度とご覧に入れることもありませんでした。
具合悪くそのことに懲りなさって、やがて大方聖〔出家者〕におなりになったのを、きまり悪く思って、〔中将の君は〕お仕えできなくなってしまったが、陸奥国の守の妻になっていたのを、ある年に上京して、その君〔八の宮〕が平穏でいらっしゃる旨を、このあたりにも仄めかし申していたのを、〔八の宮が〕お聞きつけになって、まったくこのような消息があるべきことでもないと、おっしゃらせて放たれたので、かいがなく嘆いておりました。
さてまた、常陸〔介〕の妻になって下っておりましたが、この年ごろ、音信にも聞こえなさらなかったのが、この春上京して、あの宮〔八の宮の邸〕には訪ねて参ったと、ほのかに聞いておりました。
あの君〔浮舟〕の年は、二十歳ばかりにおなりになったでしょう。とても美しく成長なさるのが愛しいなどと、中ごろは、手紙にまで書き続けていたようでした」
と申し上げる。
詳しく聞き明らかにして、「それなら、本当でもあるのだろう。見たい」と思う心が出てきた。
「昔の方〔大君〕のご様子に、少しでも触れただろう人は、知らない国までも探し知りたい心があるのに、〔八の宮が〕数に入れなさらなかったけれど、近しい人ではあるのだろう。わざわざでなくとも、このあたりを訪れる折があるついでに、このように言った、と伝えてください」
などとだけおっしゃっておく。
「母君〔中将の君〕は、故北の方の御姪です。弁も離れない間柄であるはずでしたが、そのころはあちこちにおりまして、詳しくも見て馴染んではいませんでした。
先ごろ、京から、大輔のもとから申してきたのは、あの君〔浮舟〕が、どうにかあの御墓にだけでも参りたいと、おっしゃっているそうだから、そのような心づもりをせよ、などと言っておりましたが、まだここに、わざわざ訪れてはいないようです。今、それなら、その折のついでに、このような仰せなどを伝えましょう」
と申し上げる。
夜が明けたのでお帰りになろうとして、昨夜、遅れて持って参った絹や綿のようなものを、阿闍梨に贈らせなさる。尼君〔弁〕にも下さる。法師たちや、尼君の下衆たちの料として、布などというものまで、呼んで下さる。心細い住まいだけれど、このようなお訪ねが絶えなかったので、身のほどには目に余るほど、静かに修行していた。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第49冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。