ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

無名草子 / 第1場面

最勝光院の夜語り

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最勝光院の夜語りをもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

八十歳を三つ越えた老尼が最勝光院に参り、檜皮屋に宿って、集まった女房たちと物語や歌について語り合う。老尼は若い日に宮仕えした思い出を述べ、月・文・夢・法華経をめぐる問答の末に、源氏物語への讃嘆へと話を進める。

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無名草子・第1場面0 / 66
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八十路を過ぎて三年になる。いたずらに過ぎてしまった年月を思うと、ひどく悲しい。たまたま人として生まれた思い出に、浮き世の形見に残すほどのこともなく、このまま死んでしまうのかと思う悲しさに。髪を剃り、心根ではそのつもりでいたのだが、いよいよ昔は忘れがたく、古びた人は恋しく思われて。人が老いるのも忍びつつ、野辺の草むらにまどろんで花を摘みつつ、仏にお供えするわざばかりをして。多くの年の影も、自分ながら疎ましく思われ、人に見られることも、いよいよつつましく感じられて。道のままに花を摘みつつ、東山あたりをあちこちめぐり歩くうちに、ようよう日も暮れかかり、帰るべき住まいもないので。どこへ行って泊まろうかとあてを探そうと思い、「三界無安猶如火宅」と口ずさみながら歩いて行くうちに。最勝光院の大門が開いているのを見て、うれしくて歩み入るままに、御堂の限り、仏の様子などとてもありがたく、浄土もこうであろうかと。いよいよ(次ページへ)。いよいよ谷に進もうと、色も催される心地がして。昔からの古い御願など多くおがみ申し上げてきたが、これほど御心にかなった様子が見えて、金の柱・玉の旗をはじめ、障子の絵まで見どころのあるのを見申し上げるにつけても。まずこの世の御幸いも極まり、後の世もめでたくおわしましけることよと、うらやましく伏し拝み、立ち出て、西の方へ向かって、京の方へ歩いて行くと。都の内ではあるが、こちら側はむやみに山際めいていてとても趣があり、五月十日の宵の頃、このごろ降り続いた五月雨の晴れ間を待ち出て、夕日が鮮やかに差し出ておられるのも珍しいことに。ほととぎすさえ友を誘う顔に語らうのも、死出の山路の友と思えば耳が留まって。落ち帰って語らうならば、ほととぎすよ、死出の山路の道案内ともなってくれよ。と、うち思い続けられて。こちら側には人里もない宿。はるか見渡せば、稲葉をそよがせる秋風が思いやられる早苗田、青々と生い渡るなど、むやみに都を聞く心地がするのに。ひどく古びた檜皮の棟などが清らかに見える。どんな人の住まいなのだろうと、あわれに目を留めて、ようよう歩み寄って見れば。築地も所々崩れ、門の上なども覆われ、人も住むかとも見えない。たいしんでも。たい。(後半は読み未確定)渡殿などのような宿も、ゑようよう、いとかく住みたる様子である。庭の草もとても深くて。光源氏が露を分けてお入りになったであろう、蓬も場所を得た顔に生える中を分けて、中門から歩み入って見ると。南表の庭はとても広くて、紅竹を植え渡し、卯の花の垣根など、まとには咲かぬ夏草の茂みがひどくうっとうしい中に、撫子、ちやう春ぐゑばかりが、とても心地よさそうに(次ページへ)。咲こうと見える。軒近くの若い桜なども、花盛りが思いやられる木立が趣深い。南表の二間ほどは持仏堂などに見えて、上障子を白々と立て渡してある。不断香の煙が高くまでたゆたい満ちて、名香の香など香ばしい。まず仏がおわしましけると思うのもとても嬉しくて、花籠を肘にかけ日傘を首にかけながら、縁にお歩み寄りになると。寝殿の南東を隅二間ほど拝した御簾の内に、箏の琴の音がほのかに聞こえる。

ひどくそぞろに心惹かれることに、若やかな女声で、「とてもあわれな人の様子ね。あれほどの年に、どんな心で、あんな見苦しいわざをなさるのでしょう」と言う。「小野小町が肘にかけたという笹よりはめでたいこと」と言う人がある。「阿祿仙に仕えたという太子の御心よりもありがたく思われます」と言うのをはじめとして。同じほどの若い人三、四人ばかりが、色々の涼しの衣、練貫などを、なえばんだのを着て、縁に出てきた。所の様子が神さび古めかしく映るほどよりは、見やすい様子であることよと見る。昔の身のありさま、どうしてこんな人の果てなど、懐かしく問い尋ね合うと。ひどく疎ましい有様を、あちらで見などもなさらず、むやみに若いほどに慈悲深くあられたのも、このような仏の御辺に住まわせなさる御ゆえでしょうかなどと言い始めて。若い頃の身のありさまを、人並みに物語り申し上げましょう。聞きどころがあるとお思いになられるものでもございません。若い頃の話の積もりでは、あわれにもおかしくも愛らしくも、さまざまにお思いにならなければ。いとかい(次ページへ)。「なし」と聞こえるので、「それこそ聞きたいものです。さあさあ、昔から身にあったことども、聞き集めた世のことどもを、少しも残さずこの仏の御前で懺悔なさいませ」と言うと。昔語りを本当にしたいと思って、花籠・日傘などを縁に置いて、高欄によりかかった。人並み並みの所にはおりませんでしたが、恥ずかしながら十六、七の頃から、皇嘉門院と申し上げた方の御母の、北の政所に仕えて、讃岐院・近衛院などの御位の御時、百敷の内もかすかに見ておりました。そうしてお亡くなりになったので、女院に仕えるべきでしたが、なお九重の霞の迷いにはなやかに遊び、雲の上で月をも眺めたい心おながちでおりました。後白河院が御位におられた頃、二条院を春宮と申し上げた頃、その人かずにはおりませんでしたが、おのずから立ち馴れておりましたほどに、そういう方面で人にも許された馴れ者になって。六条院・高倉院などの御代まで時々お仕え申し、一部読み奉ることを怠りませんでした。今朝、独り出ておりまして、とかく迷っておりました程に、今まで怠けておりましたとて。頸にかけた経袋から、草子経を取り出して読んだところ、「暗くてはどうでしょう」などと言う人があって、「今は口に馴れて、夜も手探りでたびたび読めます」とて。一の巻の末の方、方便品・比丘得などから、ようよう忍びて読み上げなどすると、思いがけずあさましがって、「もう少し近くで聞きましょう」とて、縁へ呼び上ぼせば、ひどく見苦しく傍ら痛く思いましたが、法華経に所を置き奉ろうとするのを、しいて辞退しき(次ページへ)。「声も、積もり得てしまったでしょう」とて、縁にお上りになると、「同心ならこちらへ」と、中門の廊に呼び上ぼせて、対面などさせて、座らせた。十羅刹の御読経に殿上を許されております。まして後の世もとても頼もしいことなどと聞こえて、所々うち開けつつ読み奉る。思いがけず、僧などでさえこれほど添って、七、八人と居並んで、「今宵は御伽をして、そのまま居残りましょう。月も珍しいこと」などと言って、次々と哀れがった。一部読み終えて、滅罪生善などと随意を押し擦りて、「今もお休みでしょう」とて、寄り臥したが、この人々はそぞろごとをあれこれ言い、経の良し悪しなどを褒めそしり。花・紅葉・月・雪につけても、心々に取り々に言い合うのも最もおかしかったので、つくづくと聞き臥していると、三、四人が鼻をゐつつ物語をしめ(次ページへ)。

の心にお思いになることをおっしゃいませ、と言う人があるのに、花や紅葉をもてあそび、月や雪にたわむれるにつけても、この世は捨てがたいものです。情けのないのもあるのも嫌わず、心のないのも数ならぬのも分からないのは、このような道ばかりでしょう。それに取って、夕月の夜のほのかな頃、有明の心細い折も嫌わず、所も分からないものは月の光ばかりでしょう。夏もまして秋冬など月明るい夜は、そぞろな心も澄み、情けのない私も得させられて、知らぬ昔・今・行く先も、まだ見ぬ高麗・唐土も、残るところなく遙かに思いやられることは、ただこの月に向かいてのみあります。だから王子猷は戴安道を尋ね、蕭史が妻の月に心を澄まして、雲に入ったのも、理とぞ思われます。この世にも月に心を深く(次ページへ)。染めた例は、昔も今も多くありますまい。勢至菩薩でさえおわしますので、暗きより暗きに迷う道しるべまでも頼みをかけ奉るべき身であります、と言う人がある。またこれほど濁って思われる末の世まで、どうしてこのような光が残っていようかと、昔の契りも隔てなく思い知られるのは、この月の光ばかりでありますのに、同じ心である者もなくて、ただ一人眺めるのは、すばらしい月の光もひどくすさまじく、見るにつけても恋しいことが多いことが出てわびしかった。またこの世にどうしてこのようなことがあったのかと、めでたく思われるのは、文にこそあるのです。枕草子に繰り返し申しておりますので、事新しく申すに及びませんが、なおとても愛でたいものです。遙かな世界に書き離れて、何年も逢い見ない人だけれど、文というものだけを見れば、ただ今さし向かいたる心地がして、かえって打ち向かっては思う程も続けられない心の色も表し、言いたいことをもさまざまと書き尽くしたのを見る心は、珍しく嬉しく、逢い向かったのにおとってはいない。つれづれなおり、昔の人の文を見出したのは、ただそのありの心地がして、ひどくうれしく思われます。まして亡き人などの来た物などを見るのは、ひどくあわれに、年月が多く積もったのも、ただ今筆をうち濡らして書いたようであること、繰り返しめでたいことです。たださし向かいたる程の情けばかりであります。これは昔ながら少しも変わることのないのもめでたいことです。すばらしかった延喜・天暦の御代の古いことも、唐土・天竺の知らぬ事も、この文字というものがなかったならば、今の世の私たちが、片端もどうして書き伝えられましょう、などと思うにも、なおこれほど愛でたいこととはまさかありますまい、と言うと、また何の(次ページへ)。筋と定めてすばらしいと言うべきでもない。あだに果敢ないことに言い慣らしてはいるけれど、夢こそあわれにすばらしく思われます。はるかに跡が絶えてしまったけれど、夢には堰も強からず、戻し道も立ち返ることが多い。昔の人もありしながらの面影を確かに見るのは、ただこの道ばかりです。上東門院が、「今はなきねの夢ならで」とお詠みになった世も、とてもあわれであります、と言う人がある。また多くの世に取ってすばらしいなどと申すべきではないけれど、とてもあわれたものであります。情けのない武夫の和らぐともあります。色ならぬ心の内を表すものは涙です。ひどくまめだちあわれな様子をすれば、少しも思わないことにはこうもとぼれず、特にはかない世だけれど、うち涙ぐみなどするのは、心にまみて思うらむ程を推し量られて、あわれに心深く思われます。亭子(宇多)の帝の御使で、公忠の弁が、「鳴くを見ることあわれなりけれ」と詠んだのは、理でありますと言う人があれば、また事新しく申すべきではないけれど、この世に取って第一にめでたく思われることは、阿弥陀仏こそおわします。念仏の功徳の様などは、初めて申すべきではありません。南無阿弥陀仏と申すのは繰り返しめでたく思われます。人の恨めしいにも世の業の忙しいにも、物のうらやましいにもめでたいにも、ただどんな方につけても、しいて心にまみて物の覚える慰めにも、南無阿弥陀仏とさえ申せば、どんなことどもも毒が消え失せて、慰む心地がするものです。人はどうお思いになるでしょう。身に取ってはこう思われますので、人の上にも、ただ南無阿弥陀仏と申す人は思うだろうと、心憎く奥ゆかしく、あわれにすばらしく思われます。左衛門督(次ページへ)。

公光と聞こえた人。本見慣れた宮仕え人で、本と心などを使いけると聞いた後、たまたま行き逢って、今はその筋のことなど少しもかけず、大方世の物語、うち渡りのことばかり、言葉少なく南無阿弥陀仏と繰り返し言われておりましたことこそ。来し方行く先のことを言うより恥ずかしく、汗も流れてすばらしかった枯れた人がおりましたが、まして後の世のためどれほど功徳の中に、何事をおろそかなるど申す中に、思えば思うほどめでたく思われさせなさるのは、法華経こそおわします。どんなに思い広く愛でたい物語と言っても、二、三遍も見ればうるさいものなのに、これは千部を千部ながら聞くたびに珍しく、文字とともに初めて聞いたかのように思われることこそ、あさましくめでたいことです。無二無三と思わせられたのみならず、法華最第一とありますので、事新しくこのように申すべきではないけれど、さこそ昔より言い伝えたことども、必ずしも覚えないこともありますのに。これはたまたま生まれ合いたる思い出に、ただ逢い奉ったばかりと事と思うのに、どうして源氏とてあれほどめでたいものに、この経の文字の一偈一句もおわさないのでしょう。何とか作ら残し、書き漏らしたという一言どもがあります。これのみが第一の難と思われる、と言うと、ある中に若い声で、「紫式部が法華経を読み奉らなかったのでしょうか」と言うので、「いざや、それにつけてもひどく口惜しいことです。あやしの私の歌に後の世のためはさるもので、人のうち聞かむも情けをくれて覚えぬべきわざなので、しいて見奉りたいものですのに、あれほどであった人が、どうしてそんなことがあろうか」などと言うと、また「さるはひどく道心があり、後世のおそ(次ページへ)。

次の場面:源氏物語への全面的な讃嘆

次の場面:第2場面 源氏物語を讃える
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底本:『群書類従 第11輯』塙保己一編(経済雑誌社、明治27年[1894])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

明治27年(1894)塙保己一編『群書類従 第11輯』(経済雑誌社)所収「無名草子」の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、標題行・振り仮名・割注は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。