紫式部日記 / 第4場面
行幸と御五十日
あらすじ・人物・読み方
一条院の土御門殿への行幸。舟遊びと管弦のなか若宮が披露される。霜月一日、御五十日の祝いで、宰相の君と式部は隠れていたところを捕らえられ、歌を所望される。
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時雨の空には、もっともなことに雲の切れ間もあるけれど、眺める〔私の〕袖は乾く間もない。
その日、新しく造られた舟の数々を、〔岸に〕差し寄せさせて〔主上が〕ご覧になる。龍頭・鷁首の生きているような姿は、想像していたとおり鮮やかで美しい。
行幸は辰の刻〔午前八時ごろ〕とのことで、まだ夜明け前から人々は化粧をし、心づかいをしている。上達部のお席は西の対にあるので、こちら側は、いつものように騒がしくもない。内侍の司の殿のおそばでは、かえって人々の装束などもたいそう立派に整えなさると聞こえる。夜明けに少将の君がお参りになった。〔私と〕一緒に髪を梳くなどする。例の才人たちも日が長くなりそうだと、だるい気持ちがゆるんで、扇のたいそう立派なものを、また人に〔持って来るよう〕言っておいたのが、持って来るだろうと待っていたところ、鼓の音を聞きつけて、急いで参るのが体裁の悪いことである。御輿をお迎え申し上げる。舟楽はたいそう趣深い。〔御輿を〕寄せるのを見ると、駕輿丁はそれなりの身分でありながら、階から上ってたいそう苦しそうにうつ伏している。何の仰々しいことになるような高貴な方々との交わりも、〔結局は〕身の程というものか――〔次ページへ続く〕〔身の程には〕限りがあるのに、たいそう気楽なことだと〔私は〕見ている。御帳の西側に御座を設けて、南の廂の東の間に御倚子を立てた、その〔御倚子〕から一間隔てて、東に当たる端に、南北の端に御簾を掛けて隔てて、女房のいる南の柱のそばから、簾を少し引き開けて、内侍が二人出てくる。その日の髪上げの美しい姿は、淡い綾を趣深く描いたようである。左衛門の内侍は御剣を取る。青色の無紋の唐衣、末濃の裳、領巾、裙帯は、浮き綾を摺り綾に染めたものである。表着は菊の五重で、綾はすべて紅、姿つきや振る舞いは、少し外れて見える端の目にも、華やかで清らかである。弁の内侍は印の御箱〔を持つ〕。紅に葡萄染めの織物の領巾、裳、唐衣は前の色の唐衣に地摺りの裳、表着は一面に蘇芳の織物である。ただ右馬の中将だけが、葡萄染めを着ておられた。中の物どもは、濃い薄いの紅葉を混ぜ合わせたようで、中の衣どもは、例の――〔次ページへ続く〕〔続き〕栬子の濃い薄い、紫苑色、裏が青い菊を、あるいは三重など、それぞれ思い思いである。綾の縫われていないものは、例の年配の方々は無紋の青色、あるいは蘇芳などすべて五重で、襲はすべて綾である。大海模様の摺裳の水の色は、華やかで鮮やかで、腰のあたりは固文を多くしている。領巾は菊の三重・五重で、織物にはしていない。若い人は、菊の五重の唐衣を思い思いにしている。上は白く、青いのの上を蘇芳にし、単は青いのもあり、上は薄蘇芳、次々に濃い蘇芳、中に白いのを混ぜたものも、すべて仕方が趣深いばかりで、角々しく見える。言い表しようもなく珍しく、驚くほど立派な扇どもが見える。くつろいだ様子の中に、整わない姿が交じって見分けられるが、心を尽くして整え化粧し、劣るまいと仕立てた女絵の趣にたいそうよく似て、年齢相応の落ち着き、たいそう若い者との区別、髪の少し衰えた様子、また盛りの者がしなやかに下がっても、振る舞いに見所があるようだ。こうした中に、腫れていると見えるのこそ、この上ない〔美しさ〕であろう。
以前から、上の女房で、宮にお仕えする五人は、参り集まってお仕えしている。内侍二人、命婦二人、御賄いの人一人、御膳が参るということで、筑前と左京のおもとの髪を上げて、内――〔次ページへ続く〕〔続き〕侍の出入りする隅の柱のそばから出てくる。これは立派な天女である。左京は、青色に柳の無紋の唐衣、筑前は菊の五重の唐衣、裳は例の摺裳である。御賜の橘三位は、青色の唐衣、唐綾の黄色い菊の領巾が上着のようである。一本開けた柱の陰で、まともには見えない。殿が若宮を抱き申し上げなさって、御前に出て申し上げなさる。上が抱き移し申し上げなさる際、少しお泣きになる御声がたいそう幼い。鏡の宰相の君が、御佩刀を取って参りなさった。母屋の中の戸より西に、殿の上のおられる方に、若宮はおいでになる。上が外にお出ましになって、宰相の君はこちらに帰って、「たいそうあらわで恥ずかしい気持ちがした」と、なるほど顔を赤らめておられる様子が、細やかで趣深い。衣の色も、人より際立って華やかにしていらっしゃる。
暮れていくにつれて、楽の数々がたいそう趣深い。上達部が御前にお仕えなさる。万歳楽、太平楽、賀殿などという舞ども、長慶子を退出の音声として遊び、山の先の道を舞う。距離が遠くなるにつれて、笛の音も鼓の音も松風も、木深く吹き合わせて、たいそう趣深い。たいそうよく払われた遣水の行き届いた様子で、池の水波が立ち騒ぎ、なんとなく寒い時に、上の御柏をただ二つ差し上げなさったのだった。左京の命婦が自分の寒そうな様子に、うるさがって申し上げるのを、人々は忍んで笑う。筑前の命婦は、故院がおいでだった時、この殿への行幸は、たいそう――〔次ページへ続く〕たびたびあったことである。その折あの折などと思い出して言うのを、仰々しいこともありそうなので、煩わしいとして、特に相手をしない。だいたい帳を隔ててあるようだ。ああどうなったのだろうとさえ言う人があれば、〔帳を〕打ち壊してしまうだろう。
御前のお遊びが始まって、たいそう趣深いところに、若宮の御声が美しくお聞こえになる。右大臣が「万歳楽は、御辞に合って聞こえます」と、もてはやして申し上げなさる。左衛門督などが「万歳楽、千秋楽」と諸声で謡って、主人のお覚えの殿が「ああ、以前の行幸をどうして面目があると思いなさったのだろう。こうしたこともございましたものを」と、酔い泣きなさる。言うまでもないことだが、〔主上〕ご自身もお知りであることが、たいそうめでたい。殿は、あちらにお出ましになる。〔主上はお入りになって、右大臣を御前に召して、筆を取ってお書きになる。宮司や殿の家司のふさわしい限りに加階する。頭弁が案内を奏上させることがある。新しい宮の御喜びに、一族の上達部を引き連れて拝し申し上げなさる。藤原でありながら四分された者は、列にもお立ちにならなかった。次に、別当になった右衛門督、大宮大夫、宮の亮、加階した侍従宰相、次々の人が舞踏する。宮の御方にお入りになって、間もなく夜がひどく更けた。御輿を寄せよと騒ぐのでお出ましになった。
翌朝、内裏からの御使いが、朝霧も晴れないうちに参った。少し休み過ぎて見逃したようだった。今日初めて〔若宮に〕お付き申し上げなさる。特に、行幸の後ということで、翌日、宮の家司、別当、おもと人などの職が定まった。以前も聞かない妨げごとが多かった。日頃のお設えが例になく褒められたことが改まって、御前の様子はたいそう望ましい。長年気がかりに見申し上げなさっていた御ことがうち合って、明け方には、殿も上も参りなさりながら、大切にお世話申し上げなさる。香りがたいそう格別である。〔月が〕上って月がたいそう趣深い時に、宮の亮が女房に会って、格別の喜びも申し上げようというのだろうか、妻戸のあたりも御簾殿の気配に濡れ、人の香もしないので、この渡殿の東の端にある宮の内侍の局に立ち寄って、「ここですか」と案内なさる。宰相は中の間によって、まだ下ろしていない格子の上を押し開けて、「おいでですか」「などと言うけれど、出てこないので、大夫が「ここですか」とおっしゃるのにさえ、聞き忍ぶのも仰々しい様子なので、はかない応答などをする。たいそう思い悩む様子もない御様子どもである。「私へのお返事はせず、大夫を特別にもてなして申し上げるのは、もっともながら悪い。こうした所で上臈のけじめを、ひどく恥じるものか」とおあざけりになる。「今日の尊さ」などと声を面白く歌う。夜が更けるにつれて月がたいそう明るい。「格子の下を取り除けよ」とお責めになるけれど、たいそう下がって――〔次ページへ続く〕〔続き〕上達部がおいでになるのも、場所とはいえ傍らで痛い〔気恥ずかしい〕。若やかな人こそ、物の程度を知らないように戯れたのも、罪が許される。何か戯れがましいと思えば放さない。御五十日は霜月〔十一月〕の一日で、例の人々が仕立てて上り集まった御前の様子は、絵に描いた物合わせの所にたいそうよく似ておりました。御帳の東の御座の際に、御几帳を奥の御障子から廂の柱まで、隙もないように立て切って、南面に御前の物を参らせ据えた。西によって大宮の御膳、例の饗のお盆、何やかやの台であったのだろうか。そちらのことは見ていない。〔御膳を〕賜って大宮の御膳を、宰相の君と讃岐が取り次ぐ。女房も、銀子、元結などをしている。若宮への御賜りは大納言の君が、直に寄って参らせ据えた。小さい御台、御皿ども、御箸の台、洲浜なども、雛遊びの道具と見える。それより東の間の廂の御簾を少し開けて、弁の内侍、中務の命婦、小中将の君などが、然るべき限り取り次ぎながら参る。奥にいて詳しくは見ておりません。今宵、少輔の乳母は、色を許される。仰々しい様子をしている。宮を抱き申し上げた。御帳の中で殿の上が抱き移し申し上げなさって、いざり出でさせなさった。火影の御様子・気配が特にめでたい。赤色の唐の御衣、地摺りの御裳を美しく装束なさっているのも、畏れ多くもしみじみと見える。大宮は葡萄染めの五重の御衣、蘇芳の御小領巾を差し上げた。殿は、餅飯(もちひ)を参りなさる。上達部の座は、例の東の対の西側――〔次ページへ続く〕〔続き〕である。今もう一か所の大臣も参りなさった。階の上に参って、また酔い乱れてお騒ぎになる。折檜物、籠物どもなどを、殿の御方から、参上の君たちが取り続けて参ったのを、勾欄に続けて据え渡した。炬火の光が心もとないので、四位の少将などを呼び寄せて、紙燭を持たせて人々は見る。内裏の台盤所に持って参るべきところ、明日からは御物忌ということで、今宵みな急いで取り払いながら、宮の大夫が御簾のもとに参って、「上達部を御前に召そう」と申し上げなさる。「指図した」とあるので、殿から始め申し上げてみな参りなさる。橋の東の妻戸の前までお座りになった。女房は二重三重ずつ居渡された。御簾どもを、その間に当たっておられる人々が、寄りながら捲き上げなさる。大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍とお座りになった。右大臣が寄って、御几帳の綻びを引き断ち乱れなさる。定を過ぎた押しのけるのも知らず、扇を取り、戯れ言の際限ないのも多い。大夫が土器を取って、そちらにお出になった。蓑山を歌って、お遊びの様子ばかりだけれど、たいそう面白い。その次の間の東の柱もとに右大将が寄って、衣の褄と袖口をお数えになる様子は、人より特別である。酔いの紛れを侮って申し上げ、また誰かとなど思い待って、はかないことも言うのに、たいそう戯れ今めくよりも、なるほどおいでになるはずのようだ。左衛門――〔次ページへ続く〕〔続き〕督が「ああ畏れ多い、このあたりに若紫はおいでですか」とお伺いなさる。源氏に関わるような人はお見えにならないのに、あの上は、ましてどうでもおいでになるだろうと聞いていた。「三位の亮よ、土器を取れ」などあるところに、侍従の宰相が立って、内大臣がおいでなので、下から出てきたのを見て、大臣は酔い泣きなさる。権中納言が隅の間の柱のもとに寄って、兵部の御もとを引きこじ開け、聞きにくい戯れ声も殿がおっしゃる。恐ろしいはずの夜のお住まいらしく見て、事が終わるままに、宰相の君に言い合わせて隠れようとするのに、東側に、殿の公達や宰相中将など入って騒がしいので、二人が御帳の後に座り隠れたのを、取り払わせなさって、二人とも捕らえさせなさった。「和歌を一つずつ詠み申し上げよ、そうすれば許そう」とおっしゃる。たいそういとわしく恐ろしいので申し上げる。
どのようにどう数えやることができようか、八千年あまりも長い君の御代を。朝鶴の余りがあるので、君の御代の千年の数も数え取ってしまおう。「ああよく詠み申し上げたな」と二度ばかり謡わせなさって、たいそう早くおっしゃった。
あれほど酔っていらっしゃる御心地でも、お思いになっていたことの様子なので、たいそうしみじみともっともである。実にこうもてはやし申し上げなさるからこそ、万の飾りも良くおさせになるのだろう。千代も言い尽くせない――〔次ページへ続く可能性〕…く、〔私の〕行く末の数ならぬ心持ちにさえ思い続けられる。「宮〔中宮〕の御前よ、〔帝は〕お聞きになっていますか。〔私は〕お仕えしております。」〔帝が私を〕ほめてくださって、「〔私は〕宮の父であり、私は悪くなく、私の娘であることで宮も悪くはなさらず、母もまた幸せがあると思って、〔帝は〕笑っていらっしゃるようだ。よい男〔夫〕を持ったものだと思っていらっしゃるらしい。」と〔父が帝に〕冗談を申し上げなさるのも、この上ないお酔いの紛れと見える。そのようなこともないので、騒がしい心持ちはしながらも、ただめでたいばかりである。お聞きになって座っていらっしゃる殿〔藤原道長〕が、聞き苦しいとお思いなのか、お渡りになってしまった様子なので、「お送りしないといって、母〔倫子〕がお恨みになるでしょう。」と言って、急いで御帳の中をお通らせなさる。「宮〔中宮〕が〔私を〕軽んじているとお思いだろう。親がいるからこそ子も恐れ多いのだ。」と、〔道長が〕つぶやいていらっしゃるのを、人々は笑って聞く。
底本:『紫式部日記』長連恒校註(国民図書、昭和4年[1929])。本文画像:所蔵機関の公開資料。
昭和4年(1929)長連恒校註『紫式部日記』(国民図書)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、頭註・傍註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。