紫式部日記 / 第7場面
年末の騒ぎと正月
あらすじ・人物・読み方
臨時の祭、十二月二十九日夜の盗人の騒ぎ、正月一日から三日の戴餅と御まかなひの装束。
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臨時の祭の使者は、殿〔道長〕の権中将の君〔頼宗〕である。その日は御物忌なので、殿は〔中将に〕御宿直をさせなさった。上達部も舞人の君たちも籠って、一晩中、細殿あたりはとても騒がしい気配だった。翌朝、内大臣〔伊周〕の御随身が、この殿の御随身に〔品を〕差し取らせて去った。例の箱の蓋に、白銀の草子箱を摺り絵にしてあった。鏡を押し入れて、沈の櫛、白銀の笄など、使者の君の鬢をお掻かせになるはずの様子をしてあった。箱の蓋に葦手で描き出してあったのは、日蔭の返事のようだ。文字が二つ欠けて危うい。事の行き違いでもあるのかと見えたのは、あの大臣が、宮〔中宮〕からのものとお心得になって、このように仰々しくなさったのだと聞いた。他愛ない戯れ事を、気の毒なほど大げさにしてしまったことよ。
殿の上〔北の方〕も参上して、物をご覧になる。使者の君が、藤を挿してとても立派に大人びておられるのを、蔵の命婦は、舞人には目もくれず、じっと見つめては泣いていた。御物忌なので、御社から丑の時に帰参したので、御神楽なども形ばかりである。兼時が、去年まではとても似つかわしげであったのに、すっかり衰えた振る舞いは、見知らぬ人のことながら、しみじみと我が身に引き比べて思われることが多い。
十二月二十九日に〔宮中へ〕参る。初めて参ったのも今宵のことだったなあ。ひどく夢路に迷ったことよと思い出すと、すっかり慣れてしまったのも、疎ましいわが身のほどよと思われる。夜がたいそう更けてしまった。〔中宮が〕御物忌でいらっしゃるので、御前にも参らず、心細く伏していると、前にいる人々が「内裏あたりは、やはり様子が違うことよ。里では今ごろ寝ているだろうに、なんとまあ靴の音の頻繁なこと」と、色めかしく言っているのを聞いて、年が暮れて、私の人生も更けゆく。風の音に、心の中のすさまじさよ。と独り言を言った。大晦日の夜、追儺がとても早く終わってしまったので、鉄漿つけなど、はかない身づくろいをしようと、くつろいでいると、弁の内侍が来て、物語をして横になられた。内匠の蔵人は、長押の下にいて、あてきが、縫い物の重ねや捻りの教えなどを、じっとしていると、御前の方でひどく騒ぐ声がする。内侍は、起こしてもすぐには起きない。人が泣き騒ぐ声が聞こえるので、とても不吉で何も分からない。火事かと思うが、そうではない。内匠の君が「さあさあ」と先に押し立てて、「ともかくも、宮は下にいらっしゃいます。まず参ってご覧に入れましょう」と、内侍を荒々しく突いて驚かせ、三人、震えながら足も地につかない思いで参ると、裸の人が二人いた。教員と、小兵部であった。こうなっていたのかと見ると、いよいよ気味が悪い。御厨子所の人も、〔次ページへ続く〕皆出て、宮の侍も滝口も、悩み果てたままに、皆退出してしまった。手を叩いて罵っても、応える人もいない。御膳宿の刀自を呼び出すと、「殿上に、兵部丞と蔵人を呼べ、呼べ、呼べ」と恥も忘れて口々に言ったが、尋ねたけれど出て行ってしまった。つらいこと限りない。式部丞の賀業が参って、所々の差し油などを、ただ一人で差し入れられて歩く。人々の中には、訳も分からず向かい合って座っている者もいる。上から御使いなどがあり、とても恐ろしかった。納殿にある御衣を取り出させて、この人々にお与えになる。朔日の装束は取られなかったので、何事もないようではあるが、裸姿は忘れられず恐ろしいものの、滑稽だとも言えない。言葉も尽きない。
正月一日は坎日なので、若宮の御戴餅のことは中止になった。三日に〔若宮を〕参上させなさる。今年の御賄いは大納言の君で、装束は、元日は紅、葡萄染、唐衣は赤色、地摺の裳、二日は紅梅の織物、皆練に濃い青色の唐衣、色摺りの裳、三日は唐綾の桜襲、唐衣は蘇芳の織物、皆練は、濃いのを着る日は紅を中に、紅を着る日は濃いのを中に、など、いつものことである。萌黄、蘇芳、山吹の濃い薄い、紅梅、薄色など、常の色々を、一度に六つほどと上衣とが、とても程よく控えている。
底本:『紫式部日記』長連恒校註(国民図書、昭和4年[1929])。本文画像:所蔵機関の公開資料。
昭和4年(1929)長連恒校註『紫式部日記』(国民図書)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、頭註・傍註は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。