ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

狭衣物語 / 第12場面

源氏の宮との雪見

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源氏の宮との雪見をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

狭衣は源氏の宮のもとで雪見をし、文と歌を交わす。唐泊で入水した女の顛末も語られ、狭衣は形見の扇を前に悲嘆する。

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しさも恋しさも類がなかった。まことにすさまじいものに言い置いた師走の月も、見る人からか、宵過ぎて出る影がさやかに澄み渡って、雪が少し降った空の景色の冴え渡ったのも、言い知らず心細いのに、小夜千鳥までが妻を呼び渡るのに、貫之が「妹がり行けば」と詠んだのも羨ましく、眺め侘びなさるのに、心もあくがれ惑って、例の御乳母子の道季ばかりが御供で、あの宮にいらっしゃったところ、御門なども、わざとした頼る人もないのか、入って見渡しなさると、時を分かぬ深山木どもの、木暗く物深いのを訪ね寄るのか、四方の嵐も外よりは物恐ろしげに吹き迷って、雪も掻き暗し降り積もる庭の面は、人の気配もしないので、わざとも驚かしなさらず、中門に続いた廊の前に、つくづくと眺めお座りになった。見申し上げ始めた夜の有様より始めて、浅ましく儚かった契りの程は、我が御心にさえ思い過ぎ難いのを、まして世をお思い離れになったのも道理ぞかし、ああどれほど物をお思いだったのだろう、今となっても、一重に世を思い離れられまいかし、など言い訳ながらない人の御有様につけても、我が身を(次頁へ続く)憂いとお思い忘れる事はないだろうかし、ああただ今も寝覚めて思い出しなさるだろうか、また大層これほど思い嘆くのも夢に見なさるだろうか、それほど思うだろうなどお知りにはならないだろうかし、など思い続けなさるのに、袖も絞るほどになった。池に立ちいる鴛の音ないのも同じ心に思われて、狭衣(歌へ)私ばかり思いもしまい、冬の夜に番わない鴛の浮き寝であるとも。と言うも、聞く人がいないので、口惜しさに、もし寝覚ました人がいるかと、試しに近く寄ってお聞きになっても、音する人もなくて、格子どもの風に吹き鳴らされるのが、心もときめきさせられるよ。甲斐なくとも、近くの御気配をだけ聞きたく、若宮の御事もどう思われた事かと、御様子も見たいのを、今宵過ぎさせる事の心もないので、案内する人もなくて表に覚束ないのを、どちらともないだろう御中に入り立って、玉藻を刈る海人が尋ねようも今更にどうか、と包ましく思われても、ただこのようである間はお立ち帰りになるべき心地もしなさらないので、あれこれお探しになると、離れる所もあった。風の迷いに、そっと押し開けてご覧になると、御殿油が仄かで、物を見分ける様子もないけれど、そうかと見える方様子に伝い寄りなさる香りの、人が(次頁へ続く)りは特に、さっと匂ったのを、思いやりなさるのも著しく、姫宮は、いつも解けてお寝なさる事がなかったので、不思議と思して少し見やりなさるのに、浅ましく思い掛けなかった夜な夜なに変わらないので、その折よりも今少し心騒がせられて、萎えた御単衣を申し上げて、御帳の後ろに滑り下りなさるのも、わなわなと戦かれて、すぐにも動かれなさらなかった。男君もそのようだとお覚えになる御気配に、私も忍びかねず引き留めようと思っても、多くある御衣どもの上辺ばかりぞ残った。口惜しく心憂いとも、世の常の事をこそ言え、大層これほどまで、見ま憂い物にお思い置かれてしまったと思うと、身より外につらい人がなく、悔しく辛いのに、御衾も衣もそのまま押しやられて、ありながらの香りばかり留まったのに、終夜泣き明かしなさった涙に浮いた枕の探りつけられたのなど、大層これほどお覚えなさる事はなかったのを、悲しいなども世の常である。蠅も釣りするほどになってしまったのも、ただ我が身の上にこそあるだろう、これらの月頃を、知らない顔で、心が解けて明かす夜な夜なもあったのは、私ながらさえ恨めしく辛いのが、ただこのようであるまま死ぬる業もが(次頁へ続く)

なと思われて、この留め置きなさった御衣を引き被って、よよと泣かれなさる。狭衣(歌へ)片敷きに幾夜泣く泣く明かすだろう、寝覚めの床の枕が浮くまで。とますます流し添えなさる気配の辛いのを、遠くも退きなさらず、転び出なさっても、ただ御帳の片びらに纏われて、探りやつけられようと思すのに恐ろしくて、わなわなと震われながら、近くの程の御気配に、ますます催される辛さか、薄い御衣一重は、そのまま絞るほどに濡れてしまった。夜もようよう明けそうだろうと思うまで、起き出ずべき心地もしなさらないけれど、若宮が寝おびれなさって、急にお泣きになるのに、人々も起きる気配がして、「風が荒いので御殿油も消えてしまった。紙燭を持って参れ」など言うのにも、ただこのようで、伏籠の少将の様子になりたいけれど、甲斐ないものから、隠れていてどう侘しく辛いと思われるだろうと推し量るのも、今は更に、ただお座りになるにも御心に違わないのをだけ、人知れない志には、と切にお思い起こして立ち出なさるのに、奥の方には三の宮がお臥しになっているのだろう。御髪の手触りが艶やかに長く探られて、今ぞうち身じろぎなさる様子であるのを、昔の心であるならましかど、(次頁へ続く)総角もどうなっただろうと、さすがに美しかった御火影は思い出されるけれど、今はこのような方がまことに恋い果てた心地がしなさって、風の音に紛らわして出なさったのに、若宮の御声がやはり聞こえて、すぐにも立ち退きなさらない。狭衣(歌へ)知らなかった葦の迷いの鶴の声を、雲の上に聞き渡るだろうか。と言ってまことに過ぎ難かったけれど、咎めるべき人目もない所と言いながら、あまり長居すれば、それほど有り難く素晴らしかった御心の深さも、今更に浅はかに見なされなさるだろうと、味気ないけれど、明け暮れの程にお出になったけれど、あの御枕の雫ばかり心に掛かってお寝られにならないので、御手水をお召しになって行いつつ紛らわしなさる。源氏の宮の御方にも常よりは早く人々が起きた声がして、終夜積もった雪を見るのだろう。絶えずなさるままに、渡殿の外より見通しなさると、若い侍どもの汚げない、さまざまの狩衣や指貫など清げで、五六人が雪転ばしするのを見るといって、宿直姿である童や、若い人々など、出て座っている姿どもが、どれとなく面白げで、「踏むのが惜しい物を」など言えば、(次頁へ続く)御簾のうちなる人が、「同じくは富士の山にこそ作ろう」など言うと、「越の白山にこそあるだろう」と言うのだ。御前にはお起きなさったのかと見たく思えば、隅の間の御障子の細目に開いた所より、そっと見申し上げなさると、母屋の軒端である御几帳どもが押しやられて、常よりも晴れ晴れしくて、傍らの柱の面に脇息に押し掛かってお見出しなさっていた。皇太后宮の御形見の色にやつれさせなさっている頃で、この頃の枯野の色をした御衣どもの、濃く薄く透き透きであるのに、同じ色の撓んだ我もかうの織物の重なったのなど、他人の人が着たら物すさまじくなりそうなのを、春の花、秋の紅葉よりも、なまじなまめかしく見えるのは、人柄なのであろうかし。わざと引き繕いもなさらない寝崩れの御髪がこぼれ掛かっている肩の辺りなど、様子が特に見えさせなさる。人々の遊びそほるるのを御覧になって、笑いなどなさる愛敬など、曇りない雪の光に持て囃されて、急に辺りまで光るように見えさせなさる。やはり辛いと言ってもこれほどの人はあるまいかしと、見申し上げるたびには、一方の心惑いばかり見せられるので、多くの人をも徒にしつるぞかし、最後には我が身も(次頁へ続く)

ほかほかしい事もあるまいぞかしと思うと、涙は例のこぼれなさった。富士の山が大層大きく作り立て煙を立てたのは、まことに大層面白く見やられなさる。宮が、源氏がいつまで消えずもあるだろう、ああ雪の煙は富士の山と見える共とおっしゃると、御前である人々が心心に言う事もあるだろう。つくづくと見申し上げるのにも、なまじ心ばかり騒ぎ勝って、大層このように作り置き聞かせなさった結びの神まで恨めしいので、そっとお立ち退きになって、狭衣(歌へ)燃え渡る我が身ぞ富士の山よ、ただ雪が積もっても煙が立ちつつ。など思い続ける程は、行きも懈怠するのは、思えば大層心憂くて、狭衣が「南無平等大会一乗妙法」と忍びやかにおっしゃるのは、並でなく尊く聞こえるのに、人々が、「この渡殿の御障子より御覧になっていたのにこそあるだろう。浅ましげな朝顔を」と侘び合った。おとなしい人々は「煙も今はと言うべきもなく、面白い御様子かな」と褒め聞かせて、御心のうちを知る人はいない。春宮の御使いが参上したお聞きになると、例の心が病ましくて、御前に参上して見(次頁へ続く)なさると、母宮もこの御方で御文を御覧になる、御使いはやがて宮の亮であった。女房の袖口など並でなく、出て座りつつ物を言うようだ。御文は氷襲の唐の薄葉で、雪が大層積もり、言いようもなく染み凍った呉竹の枝に付けさせなさった。大宮が、「大層面白い御文だなあ。このような折は御自らも聞かせなさい」とおっしゃるのを、大将は、どうしてこれほど切に聞かせなさるのだろうと、相応しくなくお聞きになって、うち見やり申し上げなさると、大層つつましくて思いも掛けなさらないので、母宮が、「珍しげない古めかしさは、どう見所なく思われるのだろう」など、持て悩まさせなさっても、大将の君が、「上々の人でも恥ずかしげな御手ですぞ。今日はまして見所を待ちましょうか」と、見たげにお思いになったので、母宮が「大層あるまじき事にお思いになったのに、ますますこのようにおっしゃいます」と、笑わせなさって、そのまま母宮が「この御返事は数え聞かせなさい」と言って、御文も賜わせなさったのでご覧になる。春を頼めつつ幾世経るのだろう、竹の葉に降る白雪の消え返りつつ。硯の水も大層凍ったと見えて、筆枯れに書きなされた文字様などこそ、細かに面白(次頁へ続く)しげでないけれど、筆の流れなどは、大層上品に面白い御手であるなあとご覧になる。狭衣が「まことに痛ましくお仕えしているのを、聞かせ損なっては口惜しいか」と言って、うち置きなさると、源氏が「まして損なわないようはあるまい」とおっしゃっても、狭衣が「そうはいっても」と言って、(歌へ)末の世も何を頼もう、竹の葉に掛かれる雪の消えも果てないで。と書かせ申し上げさせなさっても、大層苦しいとお思いになりながらも、「どう」とも聞かせ申し上げなさらず、うち側にいて書かせなさる手つきなどの美しげさは類がない。雪の光に朝日まで差し添えて、御形有様が際立ってお見えになっても、例の心のうちは静め難く割りない。御使いが帰って、文紛れに、御硯の筆を取って、ありし御文の端に、手習いしなさるようにして、狭衣(歌へ)ああ、それでも頼むにもない小笹まで、末葉の雪の消えも果てないよ。「短き蘆のふしの間も」など、書きすさみてご覧になるのにも、我ながらこの上なく見所があるのを、何事にも及ぶまではなかった身でありながら、今一段劣り聞かせなさったろうか、先の世の(次頁へ続く)

行いの程、口惜しい中にも、心に任せて書き交わし、最後にはと思われた様子の羨ましさは、妬ましかった。狭衣が「道理と言いながら、これほどの事までも、この上なくお仕えするものかな。どうして御覧になるだろう」と言って参上させなさると、近くお仕えする人々が「大層したり顔な御様子だなあ」と笑うので、私も微笑みつつ、狭衣が「まことにもお仕えできまいよ。どうにこう」と切におっしゃると、見るともなくて傍らに置かせなさったのを、狭衣が「ああ、なんとおぼつかない業よ」と言って引き破りなさるのを、大納言の君という人が「賜わせなさい。見比べましょう」と聞くと、狭衣が「いや、助が怠れば、ましてはかばかしくお見せにはならないだろう」と言って、細々と破りなさった。このようにばかり、一重に明け暮れ見申し上げなさるままに、心肝をばかり砕きつつ、言い知らぬ言の葉の様子をも、一所の御目にも耳にも見知らせ聞かせなさっても、その様子を夢にも思い寄りそうもなく持て成しなさった。さすがに、強ちである様子で見申し上げようと思われれば、晴るべきもない。けれど殿などのお思いになる事も、大層得難く思いやり山が茂り難かるべきでもない。(次頁へ続く)

ない心地ばかりして、思うままにも乱れなさらないままに、ただ心一つにばかり砕けつつ、つれなくお過ごしになるのだろう。ありし寝覚めの床の浮き枕の後は、一方の物思いも増さって、ああ大層辛くばかり思いやられなさりつつ、どうして変わりなさる様子をだけ、近くの程で、今一度見申し上げよう、浅ましくいぶせき心のうちも、人伝でなく聞かせ知らせよう、などぞ心に掛かりなさるので、中納言のすけにも細やかに語らい歩きなさる様子は、過ぎにし方がこのようであるならと、恨めしげにお覚えになっても、すけが「いや、ためこそ人の」と、心憂がるのを狭衣が「例の心憂く余所人のようにおっしゃるのにこそ。大弐が心であるなら」と恨めしげにおっしゃるのも、まことにと思い知られる。筑紫へ下った式部大輔は、今年三河になるべきだそうだ。正月に上った。あの頼りなく聞いた人の事が、まことかと、聞きたく思われるのに、参上して、道の程の有様や、国の事など聞かせ申し上げる。国々の野山、浦々磯々の、面白かった所々など、海の底まで残りなく語り聞かせて、道盛が「浅ましい道の空で、急に悲しい目をお見せ(次頁へ続く)しかれば、万甲斐なくお仕えして、そのまま罷り上ろうと、お思いなさったけれども、大弐が切に誘いお仕えして。今日でさえ慰める方がなくお思いになれば、官を賜る事も、物憂くなってお仕えします」など、涙ぐんで聞かせ申し上げると、狭衣が「それでは、ますます行かぬ三河の八橋は、だけでも、蜘蛛手に覚えお仕えするのに、都を離れても何しようか」と物思い入った様子もどうだろうか。それにしても、どういう心で、急にそうであったのか」とおっしゃると、道盛が「そうで(次頁へ続く)だけでも、蜘蛛手に覚えお仕えするのに、都を離れても何しようか」と物思い入った様子もどうだろうか。それと知らなかった間でも、生心付きなく思われて、大層もあいしらいなさらないけれど、見始めた有様より始めて、道盛が「乳母が、心を合わせて盗ませた程、道すがら泣き焦がれ、心強く近くも寄せず、限りの様子になったので、心のどかにお思いになって、寄りも付かず、うち弛んでお仕えした程に、唐泊と申す所で、消え失せた有様が、海に落ち入ったのをご覧になりました。扇を取らせてお仕えしたのに、このように汚してしまいました。どう思ったのか、辿り着く様子もなく、七月八月ばかりにお仕えしたのは、何がしの少将でしょうか」と、語るのをお聞きになると、それはまことであったと思われるのに、様子も変わるだろうかしと思えるまで、大層覚えるけれど、つれなく持て成しなさって、狭衣が「まことに、ぼんやりと心深かった人だなあ。帰っては疎ましいまでこそ覚えよう」など言葉少なくお入りになった。折しも心付きなかった物忌よ、夢物語の序には、自ずから問い合わせてほしいのを、若宮の御様子で、美しくていらっしゃれば、人知れない様子ではいらっしゃせず、大殿にはお預け申し上げよう、と思われるのに、口惜しく悲しい事は限りない。さまざまにつけつつ、このような人々を徒になされたのも、昔の世の契り、心憂く思い続けられて、ますます袖の暇がない。露ばかり、それと知ってした事ではないけれど、人しもこそあれ、このような過ちをして、我が心をこうまで惑わすのも、罪重い心地がして、過ぎにし方の様にも、隔てなくは思いなさらないだろう。またの日、道季を通じて、「そのあった扇を送れよ。伝えよとあったのも大層見たくて」とおっしゃらせたので、直ちに持って参上して、道盛が「これは長い世の形見と思いなさるので、返して賜わりましょう」と申すのを、例のつれなく持て成しなさって、狭衣が「聞くような疎々しさなら(次頁へ続く)

ば、形見など強ちに倨ばでもありそうだかし。せめて無い様子に言いなさる程の、そら言か」などおっしゃると、大層な誓言どもを立てて、道盛が「生きて見ようと思えばと泣き侘びお仕えしたので、すべてただ丸寝でこそ、夜昼扱ってお仕えしました」と、せめて怪しかったけれど、大層もあいしらいなさらず、人々が退出などして、日も暮れたのに、この扇が早く見たいので、端の方に出て、色が知れく、あるか無いかであるのを、辿りご覧になると、辿る所のない水茎の跡は、そのまま差し向かった心地がして、今はと思って落ち入った程の有様など、ただ今見る心地がして、悲しいなども世の常である。姫が「誘う水だけ」と涙ぐんでいた様子も面影に思い出されるのに、このような跡を伝えに見て止むべき事とは、契り思わなかったかし、と思い続けなさるのに、ますます忍び難く辛くて、そのままその同じ水脈にも、流れ出てしまいそうに思われる。狭衣(歌へ)唐泊の底の御屑と流れたのを、瀬々の岩波を訪ねたいものだ。甲斐なくとも、あの跡の白波をだけ見る業もがなと思われても、都のうちのお歩きをだけでも、御心に任せなさらず、所狭く割りない御持て成しであるので、まして思い掛けるべき事でもないので、大層口惜しく思い続けられるのに、あの光源氏が、須磨の浦に潮垂れ侘びなさった住まいまでぞ、羨ましく思われた。狭衣(歌へ)漁りする蠅ともがなや、わたつ海の底の玉藻も潜き見るべく。嘆きの哀れを掛ける人でさえ、この御扇をご覧になるのは、浅からずだろうと思われないのに、限りない御嘆きの森の茂さに、何事も思い消しなさるので、やごとならぬ程の事は、まして思い消しなさったのでこそあったろう、忘れる世ではないので、大層すなはちのような心惑いは、多く留めてあったのを、今宵は夜通し泣き明かしなさって、翌朝も、いつしかとご覧になると、顔に当てて泣き入った涙の跡は大層知れく、絵どもが洗われ落ちたのを、また私もますます流し添えなさる。狭衣(歌へ)涙川が流れる跡はそのままに、柵で留める面影ぞない。

次の場面:女二の宮との文と歌の贈答が続く

次の場面:第13場面 女二の宮への文
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底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。