狭衣物語 / 第13場面
女二の宮への文
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あらすじ・人物・読み方
女二の宮との文と歌の贈答が続く。賀茂の祭や宮中の行事の中でも、狭衣の思いは宮に向けられる。
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などと書きつけて、この扇はお返しにならない。式部大輔は、この度上京しては、以前の様子ともお思いにならず、物々しい御様子なので、不審に思いながらも嘆いた。本当にあの若宮が御五十日にもなったのを、このような時期とてもどうしてかと、内裏から万事お世話なさった。類ない御美しさとお聞きになると、帰るついでに早く御覧に入れたいと、その夜、内裏にも女三の宮をお連れ申し上げて入られたのを御覧になるにつけても、多くの宮を連れて差し上げればよかったのにと思し召すのに、「亡きが多いのも」と、本当にこれかと、言忌みもなさらない。若宮を御覧になると、これほどまでとは思し召されなかったのに、大層優れた御顔つきで、行く末が推し量られて、このような児もいたのかと、見たいほどに御覧になる。中宮の若宮の御美しさを類ないものと申し上げなさっていたのに、このように様子が特に珍しい御有様なので、大層哀れな私物と思し召すのも、御自分の御世も今日明日とだけ心配にお思いになるには、この御方様と見置きなさるべき縁もなく、心細い御有様なのを、二の宮が思し置かれた有様で、大将に打(ち明けて…次頁へ続く)。(若宮を)連れて参上なさっていたら、そのまま譲らせなさっただろうなど、返す返す口惜しい事を嘆きなさって、三の宮の御事をややなおそのようにも言おうか、どうして懲りもせず思い寄られたのだろう。時になって餅を差し上げると、目覚ましく御殿油の明かりに見合わせ申し上げなさって、物語を高らかにしながら、微笑みなさる御顔の匂いと愛敬が、見たいほど美しくて、左大将の御顔に違う所なくお似せになっているのに、特別であるべき御仲でないからこそと御覧になるのも、飽きず美しく思われて、帝が「大将の声がしたのは」とお召し寄せになって、帝が「この御顔つきをどう御覧になるか。大臣が、そこだけを類ない光と思っているのに、このように違わない様子の人も出て来たものを」と、差し寄せ申し上げなさると、ふと見合わせて笑みなさるのは、本当にお似せ申し上げた自分の顔が、常の御心の驕りよりも増して、甚だお思い知らされるものの、何となく涙がこぼれるので、畏まった様子に紛らわしてお仕えになる。御覧じ比べて、帝が「武蔵野のもとの根ざしは、このように尋ねないのもあるものを、不思議なほど、違う所なくいらっしゃることよ」とおっしゃるのに、ますます、お聞かせになった事もあるかと大層道理がなく(次頁へ続く)。ので、お退きになったけれど、本当に、「袖の中にや」と、飽きない美しい御顔つきを、自分のものとして明け暮れ見たいものを、とお思いになるのに、口惜しく甚だしいのも世の常である。事どもが終わって人々は皆退出なさったけれど、例の御癖なので、あった御面影だけが恋しくて、立ち出ることもおできにならず、万事、何につけても袖に涙のかかった御身の物思い深さを、契りを恨めしく思い続けられて、そのまま夜を明かしなさった。この後は常にゆかしく思い申し上げなさるけれど、どうして思うままにも御覧に入れようか。人知れずますます物哀れに思い余っては、言い知れない事どもを、こまごまと書き続けながら、中納言の佐として甚だ忍びながら差し上げなさるけれど、まして今更に御返事など書き交わさせなさるべきでないので、そのしるしは露ばかりもない。このような事を見ず知らない所があればと、この人のゆかりと思し召せば、佐をさえ疎く思しなさったので、大層苦しくて、このようだと申し上げさせるけれど、道理だとは思い知られなさるけれど、知らぬ涙は人悪くこぼれなさりながら、どうしても近い程で、ひたすらにつらいものと思い染みたであろう罪の重さも、申し上げ知らせる方法があればなあ、(次頁へ続く)。
と語らいなさった。一方こそこのように思いの外になりなさるだろう、この底の藻屑でさえあったら、悔しい私物として、常に抱き慈しんでいただろうものを、言い甲斐のない事だ、どのような様子でもあると聞いたら、忍草ひとつを、物をねじけていてもどうしようか、尋ね取る方法もあっただろうに、ひたすらそれほど思いなったのだろう、時々もほのかに見たのに、思い取る方は少なく、物儚げに若びた人ざまだったので、世に長らえて申し上げる事が、甚だ思われたからこそ、と思い続けるにも、疎ましかった心の程とは思えず、自分のための哀れはますます深くばかり思われながら、あちらこちらこの頃はますます乾く世がなく、御袖の隙のなさのようだ。その夏頃から帝は御心地が例ならず思われて、どうにか静かな様子になって、行いをのどかにしたいと思し召して、嵯峨野のあたりに、厳かな御堂などを作らせなさった。世をお治めになって二十年にもおなりになった。一の御子がいらっしゃれば、飽きる事のない御身だけれど、世を捨てようとなさる事を、大殿などは大層口惜しく惜しみ申し上げなさった。そうあるべき御仲(次頁へ続く)。と言いながら、大層有り難くなつかしい御心ばえと有様なので、千年も変わらず御覧に入れたいと思うのも道理だ。けれども七月からは、本当に悩ましげで、物心細げな御様子を、中宮は大層忍びがたく思し嘆かれるのも、大層心苦しくて、限りあるだろう御別れの程も、引き止められさせなさるだろうと思し召されるので、まして少しでも現し心を通わせなさる日までは、片時もお退き申し上げられそうにもないけれど、公私につけても万事頼もしい御行く末に、このように今日とも知らない有様で、それほど思い離れ申し上げまいとしても、どうしてか、そうしてこそ、限りの別れの程も少し面馴れなさるだろう、などせめて思い捨てて、御出家の本意を遂げさせなさるべき御心構えなどをさせなさるのを、宮は年来の御慣れの名残なく、悲しく甚だしく思し召されて、嵯峨の宮にも諸共にお渡りになるべき様子で思し召し急がれた。万事よりも女宮たちの御事を、哀れに心配に思い申し上げなさって、大殿にも返す返す申し上げ置かせなさった。帝が「二の宮が、今はひたすらこの世の事を思い捨てたのも、思えばかえって大層よかった。斎院も大人びて、年(次頁へ続く)。頃は誰にも目慣らしなさらない慣わしで、それほど世の中が変わる区別もお分かりになるまい。三の宮などこそ大層心苦しいのを、そう思い始めた志もございます、なお大将に、若宮も諸共に思い後見するべき様子で、預けようと思います。今から様子が特別な生い先は、大層ゆかしげなのを、何となき生孫王で大層寄りがないよりは、ただ自分のものと思ってお世話せよ。思う心が異なる一人住みのようで煩わしいけれど、その打ちにくい志をば知らず、このような遺言を、そうは言ってもことの外には違えなさるまいと、ひたすら頼むのだ」などおっしゃってお泣きになるのを、大臣は甚だ哀れに御覧になって、堀川が「一日でも、世の中に立ち止まってお仕えする限りは、どの御事をも、どうして見離し申し上げようか。女子も持っておらず、あやしい窓の内のかしづき者にも、命の限りはお仕え申し上げるでしょう。大将の朝臣はどうあるべきか、明け暮れ思いあくがれた様子で、大層日が暮らしき怪しい心ざまでばかりいるので、打ちにくくも思い嘆くを役として。そうは言っても、このような仰せ言を承ったら、どうして疎かにしようか」など、互いに哀れな事も、頼もしげに(次頁へ続く)。
申し上げなさる。代わってこのようにばかりおっしゃるのを、自分さえ聞き忍びながらそのまま過ごしなさるのも、あるまじき事なので、大将の御様子も知らない顔で、嵯峨野の御移りのこちらに、三の宮をお迎え申し上げようとお思い立って、斎院がいらっしゃった方を、ますます磨き添えさせなさるのを、大将は、あのあった夜目にも著しく、この上なく劣りなさっていたものを、それほど飽きる事なく、何事もこれこそは、道理のままの限りの人の御有様のようだと、心の内にも疎かに思い申し上げるべき事もなかったのをさえ、心深く染みた方の並々でない目移りには、自分ながらも浅ましく、情けない心ばえをお見せ申し上げて、それほど契りを特に哀れであった人をも、雲のよそに見なして、悔しく悲しいと明け暮れ思い焦がれる心の内をさえ、夢ほども言い知らせ申し上げずに終わるだろうこの世の悲しさは、どの折に胸に少し隙があって、そのように世の常の有様をして申し上げようか、差し離れたあたりにさえなく、袖にそよめくばかりで、心より外に自分も人も、さぞかしと見聞かれ申し上げるだろうなど、思い続けるのに、全て今こそ世に見えない山路も、求め出すべき月日が来た心(次頁へ続く)。地がしなさった。心より外に、この世に変わらない様子ながらも長らえても、そうであろうとも、居場所を定めてはお聞き入れ申し上げまい、若宮をば、本当にそのように得申し上げたい、など、この御事にだけはさまざまに、浮き世もひたすら思い捨てることができなかった。八月十余日になると、嵯峨の院の御堂を急ぎ造り出させなさって、お下りになるままに御髪をおろさせなさる。悲しいなど今始めた事ではないけれど、あやしい人の上でさえ、なお見るも聞くも心騒がない様子はないのに、まして中宮などのお思いになった様子の心苦しいのを、大殿は申し上げ慰めさせなさる。春宮がお住まいになるなどは、限りなくめでたい御有様だけれど、御自身の御心の中には、変わった御住まいだけを、哀れに思いやり申し上げなさった。このような事どもが差し合いながら、三の宮の御移りも延びたのを、大将は人知れず大層嬉しいと思った。嵯峨の院では、御心地もよろしくおなりになって、宮たちをお迎え申し上げて御覧になると、互いに、大層悲しく思し召された。中にも入道の宮は、さまざま思い続ける事さえ多い御身の有様なので、御袖も引き離せない御様子が哀れだ。い(次頁へ続く)。いずれも、「今はこのようにして御覧に入れるのをさえ慰めに」と思しおっしゃるのも道理で心苦しいけれど、それほど引き続いたら、思い入った様子とは違ってか、と思し召せば、あるべき様子など申し上げさせなさって、入道の宮だけが、お止まりになる。嵯峨野をそのまま御前の庭として、大井川も程なく見やられるのに、小倉の山の篠薄もほのかに見えて、鹿の音と同じ心に泣き尽くしなさりながら、お行いになる様子は、本当に後の世は頼もしげだ。院もだんだん御心地がよろしくおなりになって、宵暁の念仏を、懈怠なく行い勤めさせなさりながら、後の世も必ず同じ所にと、語らい申し上げなさるのが、哀れに頼もしげだ。京では、大嘗会などが近くなったので、源氏の宮は女御の代わりをなさって、そのまま参りなさるべきであると、今初めて聞く事ではないけれど、大将の御心の内は思いやるべきだ。今はこのようにと数えられて、自分も浮き世を思い離れた日数も、残りないように思われるには、さすがである事が多くて、年来万事に有り難く思い忍び紛らわしてきた心の中も、ややもすれば自分の身も人の御身もどうなるかと乱れ増して、「敷島の大和にはあらぬ」と立(ち…次頁へ続く)。
居にお思い侘びた。けれどもかすかにも知る人がない御心の内なので、誰も急ぎ立たせなさった。年来思い定めてきた事なので、何事も並々であろうか、常の事に事を添えて、今行く末の例にもなるほどと、御心を留めて思い定めていたのは、本当に大層めでたい御心の急ぎだ。九月も晦日になったので、ただ今日明日ばかりこそはと、ますます吹き添う木枯らしも、身に染み増して物心細く眺め臥しなさっていると、寝殿の方に宮の琴の声が忍びやかに聞こえるのに、大層忍びがたくて、笛を同じ声に吹き合わせながら、参らせなさると、大方は大層物騒がしく忙しげな頃だけれど、この御方ではのどかにして、並々でない人々が五六人ばかり御前に近くて、廂の御座にいらっしゃって、若い人々や童などが、池の舟に乗って漕ぎ帰り遊ぶのを御覧になるのであった。自分も勾欄に押し掛かって、笛を吹きながらそのように申し上げさせなさるけれど、源氏が「同じ筋を習ったけれど、ことの外に劣っているだろう」と、かえって耳慣れさせなさるまいとでもいうのか、弾きすさびさせなさって、源氏が「さらばこれを同じくすれば」と言って、大納言の君し(次頁へ続く)。て琴を差しやらせなさると、常よりも心やすく引き寄せなさるままに、忍ぶ思いを音に立てよというのか、今宵は秋の調べの声の限りに。と言われるのを、人も耳を留めるだろう、本当に現し心もなくなったのかと、自分ながらもどかしくて、言い紛らわして、琴を手まさぐりにしなさりながら、空をつくづくと眺め入りなさっていると、霧がふさがって月もさやかでないのも、ますます物哀れなのに、あの天降りなさった御子の御姿の気配を、ふと思い出されて、大層恋しいのに、どうして浮き世に留まった事か、ますます悔しいことよ、又かと、試みたいけれど、簾からだけでも帰るもので、本意のままに見置き申し上げず、雲路に交わるのもなお心が病むので、御簾を引き上げなさって、長押に押し掛かって、狭衣が「この御琴は、弾かせなさるばかり、なつかしくてどうしてか、なお参らせよう」と言って、切に差し上げなさって、琵琶を引き寄せて、「衣がえ」を一わたり落として、「萩が花ずり」と、歌いすさびて、少し心を入れて弾きなさるのが、例の言い知れず心細く哀れなのに、かき返される撥の音が、面白く愛敬づいて、雲井遥かに(次頁へ続く)。響きがほろりとする心地がするのを、隠簔の中納言の二の舞になるのかと、むずかしいので、撥を差しなさったのを、人々も宮も飽きず思し召された。夕霧が絶え間ないのに、時雨立って折々うち暗がった空の様子が、物むずかしいので、「お入りになって御格子を下ろせ」などあるけれど、つくづくと眺めなさって、狭衣が「宮漏正に長し、空階に雨したよる」と、忍びやかに誦しなさる御声は、常の事だけれど、なお聞く毎に珍しくめでたいので、若い人々などは奥へも入り果てられず、めで入って、群れ居ながら、「この頃こそ、大層物思いなさった様子だ。何事だろう」なども言い合うだろう。こう言う程に、一条院が、日頃例ならぬ様子に思し召されるけれど、折ふし都合が悪くても、風邪かなど忍び過ごさせなさるのを、折々御胸をさえ悩ませなさって、俄に限りの様子に見えさせなさるのに、内裏のお思い嘆く様子は世の常でない。けれども、物の始めに、このような折の行幸はどうしてか、など誰も制し申し上げさせなさるので、不確かな事をさえ思し召すのに、程もなくお亡くなりになったので、あえないとも世の常だ。内裏では、御覧に入れさせなさらなかった事を(次頁へ続く)。
さえ、飽きず悲しいとも世の常だ。さらになべての世の別れとも思し召されなかった。世の中の御急ぎも皆打ち止んで、なべて黒み渡っているのも痛ましげだ。皇太后宮の斎院の御代わりには、一条院の后宮の姫宮がお住まいになった。大膳にお渡りになったのを、お帰りになって斎宮もお下りになった代わりに、お住まいになるべき女宮たちが、この頃いらっしゃる事を競った。源氏宮の御内裏参りはどうなるべき事かと、世の人々がだんだん言い出すのを、殿にもお聞かせになって、堀川が「ああつまらない。まだ二葉からただ人におなりになったので、今更に神も公もお知り申し上げなさるべきではない」と言って思しもかけない。お仕えする人々も、内裏あたりの今めかしさを、早くも心もとなく思うだろう。宮の御姿は、この頃はますます盛りに整い増しておいでになって、本当に光るとはこれを言うべきかとお見えになるのを、帝と申しても、このような人が世にはいらっしゃったと、そうは言っても御目は驚かせなさるだろうと、御覧になる限りは言い合わせながら心もとながっていると、宮の御夢に、不思議に心得られず物恐ろしい様子に、うち頬りお見えになるのを、どうにな(次頁へ続く)。るべきかと、人知れず心細く思し召されるけれど、こうこそなど、母宮にも申し上げさせなさらず過ごさせなさると、殿の内に夥しい物のさとしがあるのを、物とさせなさると、源氏の宮の御年を新しくなさって重く慎ませなさるべき旨を、多く申したのを、大層恐ろしく思し召し驚いて、さまざまな御祈りどもを、心特に始めなどさせなさると、殿の御夢にも、賀茂からと言って、禰宜と思しい人が参って、榊に差した文を、源氏の宮の御方に参らせるのを、開けて御覧になると、神代からしめ引き初めた榊の葉を、私よりほかに誰が折ることができようか。よし、試みなさい。そうすれば大層都合がよいだろう。と確かに書かれていると御覧になって、打ち驚きなさる心地は、大層物恐ろしく思われて、母宮や大将などに語り申し上げなさるのを、お聞きになる心地は、かえって心やすく、嬉しくおなりになった年来も、あれこれと、身一つを思い砕けながら、さすがに自分の物に引き忍び取り隠し申し上げて、ひたすら深い山里などに、持て彷徨わせるのも、ある甲斐はなかろう、そうは言っても親たち(次頁へ続く)。の思い寄らない有様で、ほのかに御覧に入れ始めても、かえっての心惑いは、ますます増すだろう、さらばそうでもあれとは、必ず思い許さない様子は、世になかろう、そうは言っても御心の中どもには、思わないでもあるかと、事に触れながら明け暮れ思い乱れるだろうのが、大層痛ましく心苦しいことだ、など思い嘆かれなさるのを、本当に神代から筋が特別であった御宿世なので、今はかえって心やすくて、明け暮れ妬み心が病む心の中はなかろう、と胸が開ける心地がしなさりながら、どのように定めてどのように嘆くのか、あれば会う世の限りさえなく、ここらの年来自分の思い砕けた筋は、遥かであるからこそ、と内々に思うのは、また様子が特別に甚だしい心の中だ。内裏の御夢などにも、定かに御覧になる事があって思い驚くのに、大殿に語り合わせ申し上げなさって、御心の中どもは大層口惜しいけれど、御占などがあるのに、公を始め申し上げ、殿の御ためにも、行く末遠くめでたいだろう様子にだけ占い申したので、あれこれ誰も思い定めるべき事でなく、定まりなさったのを、世の中では、思いかけず浅ましい事と言った。斎宮には、嵯峨野の宮がお住まいになったのも、大将の御心が、世の常の様子であるならま(次頁へ続く)。
ので、斎宮、斎院が、世に絶えなさってしまうだろうかと人知れずお思いになった。鈴鹿川の浪のよそにおなりになったので、それほどの御心には何とも思われまいけれど、こうとお聞きになるのはただ事でなく、終にどのような宿世があるのか、こうまでも、目安いだろう事どもは、さまざま持て離れて行くよ、もし唐国の中将のように、子持聖を設けようとするのだろうかと、自分ながら、まれまれ独り笑みせられなさった。三月になると、下った大貳の家に、斎院がお渡りになるべき事などを、今引き返して急がせなさる。母宮は昔の御有様などを思い出されるのに、今さえ神の斎垣に立ち添わせなさる事は、大層口惜しく思われて、かつ見るだけでも飽きない御有様を、どのように覚束ない月日、自然と隔たるだろうと思し嘆かれるのを、院は、どうしてそうかとだけ、恨めしげに恨み申し上げさせなさるのを、道理に心苦しくて、母宮が「尼にならない限りは、どうして覚束ない程にはいまい。行く末の事を思うこそ口惜しいのは」など、申し上げ慰めさせなさりながらも、今はとなるだろう命の程も御覧に入れまいことだと思われるのは、大層忍びが(次頁へ続く)。たく、今から思われた。大将は、御内裏参りの今日明日になったのに、思い留まった一節こそ、神の御方様が嬉しく思われたけれど、様子が特別に定まり果てなさったので、なお全く、注連の外に掛け離れ果てたことだと思い閉じ込めるのも、大層やる方なかった。思い余る折々は、間近い程で、心の中をもうち掠め、忍ばない涙を漏らし出るのに、慰むとはなかったけれど、万事に有り難い御有様に目慣れるのに、多くの物思いの紛れともなっていたのを、時々など参って、大層神々しく余所余所しくあるだろう御もてなしでは、どうして限りある命も長らえやることができようかと、大層心細くて、この頃はただこの御方に居暮らしなさりながら、人間には言い知れない御様子などが漏れ出るのを御覧になるままに、大層疎ましく心憂くも、神の斎垣にだけ急がれなさる。露ほども知らない様子に、もてなさせなさるのが、あまりに大層つらく思い余りなさって、狭衣が「ここらの年来思い砕ける心の内を、つれなく思い返して、どうしてはっきりと思い通り御覧に入れて過ごそうと、自分の身にも代えて念じ過ごしてきましたのに、どうして全く見ず知らない人のよう(次頁へ続く)。に、思し召したのだろうか。全くそれほどの事を、思い知るはずのない程でもいらっしゃらないのに、一つ、過ぎた方を悔しい様子を、忍びやりなさらず、淡(発言者表示。次セグメントの歌の詠み手表示とみられる)。神山の椎柴に隠れて忍ぶので、夕をも掛ける賀茂の瑞垣よ。そうは言っても思い知るだろうと思っておりましたのに、浅ましかった御心ばえにこそ、身も徒労になるだろう」と言って、堰くこともできない涙に、大層恐ろしくわりないと思って、お泣きになる気配などの近さには、ますます来るはずのない方や行く末の辿りも失せて、狭衣が「今はこうだけでも申し上げまいと、何度も思い念じてきましたけれど、物思うのに魂もあくがれるというのは本当にその通りです。今は現し心もない心地がして、今更にますます思し召し疎まれたからこそ。いや、今はどうであっても、同じ様子で世にいるべきでもないので、見えない山路にも諸共に、と思いようになりました」とまでおっしゃるのに、ますますゆゆしく思い惑われて、御汗も涙も一つに流れ増して、激しい事とは、源氏が「大層このように侘しい目を見せなさるな」と思い入った御様子の心苦しさは、神もどうして疎かに御覧になるだろうと見えるしるしか、夜(次頁へ続く)。
去りの御物参らせに人々が参ると、さすがにつれなくもてなして、泣く泣くお退きになる心地は、心に籠めて過ぎたのは物でもなかった。大層これほどの心地ながらは、過ごすべき様子もないのに、自分ながら慰め兼ねなさって、大津の王子の心の中をさえ思いやるのに、秋の月は程なく慰めなさるけれど、これは御命の限りにさえ、「生きる我が身」と、言い顔な行く末は、なお例なく思い焦がれなさる。今片一方の、侘しい床に惑わせなさった夜のつらさも恋しさも、思えば心からの業とは言いながら、大層それほど思い離れたのも、ただこのような方につけて物を思うべきであった、前世の契りであるならば、あの道芝の露も、この列に思い出すべきではないけれど、見る目なぎさには思いを掛けたなど、物思いのついでになお思い出されるのか、その扇を取り出して御覧になるのも、本当に千年の形見であるのも、かえっての催促だ。いずれも限りさえない御物思いは、ますます口惜しく慰める所さえない。私の恋が一方ならず悲しいのは、逢うのを限りの頼みさえもないことだ。「行く方も知らず」と詠んだことさえ、羨ましく思われた。斎院の御移りの日になったので、早朝から上達部や親王たちを始め、世にある限りの人が参り集まって、ますます物騒がしい。女房などもある限り参り集まった姿や有様、衣の色の擣目の重なりも、並々でなくめでたく群れ居ているのは、どれとなくああめでたいと見えて、内裏あたりの御交わりの程、どのようにもめでたいだろうと見えて、口惜しく見渡されるのに、御前に桜の織物の御衣どもが、表は少し匂って、裏は色々に打ち重ねた上に、紅の擣ちた桜萌黄の細長、山吹の二重織物の小袿などが、所狭い物として硬々しいのを、どうしたことか、たおたおと上品になまめかしくお着せになって、人々の参り集まったのを、御几帳のほころびから覗かせなさるなどする御有様や姿など、なお世の常の事をこそ言え、本当にゆかしいほどお見えになるのを、神もどうして見離し申し上げなさろうかと見れば、まして大将の御心の中は道理だ。心地もますますあやしく、現し心もない様子なので、起き上がるべくも思われないけれど、そうして臥していると、誰もさすがに万事を(次頁へ続く)。捨てて思い騒ぐのも難しいので、自分にもなく落ちる涙を、拭い隠しながら歩きなさる様子は、一乗の門をさえ見捨てては行き離れがたい御様子だけれど、院はただ、どうしてもこのような事を見ない所があればと急がれさせなさるので、御手洗川に禊をさせなさる事だけを、心もとなく思われる。時になって御車を寄せると、もう御覧に入れない人のように、限りの心地がして、多く立ち重なった御几帳に紛れ寄って、御衣の裾を引き留めなさった。ますます重くて、すぐにも動かれさせなさらないのに、不思議と見返らせなさると、そのまま引かれて、心にもなく近く引き寄せられさせなさると、狭衣が「今日や、そのように掛け離れた結びだすきなど、その上に別れなかっただろう」と言って、扇を持ち上げなさると、御手を捉えてお泣きになる様子は、甚だしげだ。「よし御覧なさい。この同じ様子で世に過ごしてきました。あれこれ御覧に入れ終わるまでと、強いて念じ過ごしてきましたのに、また御覧になれない様子もあるでしょうのを、この世の思い出にもするほど哀れとだけでもおっしゃってください」とむせ返りなさるのを、本当に甚だしい心惑いと見えるのを、そうは言っても今世(次頁へ続く)。
りは、このような心も見まいとするのだと思われるのは、前々の様子のような御心騒ぎではないけれど、大層こう気近い程では、ますます言い出させなさるべき言の葉も思い浮かばないので、ただ、どうしてか、こう疎ましい心を止めて、昔のように、隔てなく思い交わして見聞きたいと、例の神の御しるしを念ぜさせなさると、殿の御声で、「何処だ、遅いぞ。大将はどうして見えないのか」とおっしゃるので、お退きになることは本当に自分にもなく、死に果てたのをと思われながら、なおさすがに心強く御供に参りなさった。例の作法の事どもは思いやるべきだ。宮司が参って御祓いを仕え申し上げて、榊を青々と差したのに、大層神々しげなのを見るにも、心惑いして、うち休もうとも思えない。そのまま見えない山路へもあくがれたいと思うのに、堀川が「何処か。大将の宿直所に、常に侍られればよいだろう」など殿がおっしゃるのを聞くにも、このような心の中はお知りにならないでいるべきものと思われたことこそ、哀れどれほど思い惑うだろうかと、限りあるだろう御命などもどうしてか、と思い続けなさるには、また引き返し変えることができない。一方ならず悲しくて、狭衣が「心こそ野にも山にも」と言われなさるのは、どのような(次頁へ続く)。べき御有様か、その後は、今日か明日かとだけ、人知れず山のあなたに御心はあくがれて、何処も心のどかにはいらっしゃらず、殿でも、常にいらっしゃった御方を御覧になると、ゆかしいほど恋しく悲しくばかり思われるので、内裏にもさらに参り寄りなさらず、院に参りなさっても、この上なく隔たり遠くて、わざと差し出てお見えになることも思し召されず、御几帳を引き寄せなどしていらっしゃれば、この上なく思い疎んだようだとつらく口惜しい心の中を、神もどのように御覧になるだろう、こうばかり思えば、自分の身はこうこうしてはならない、と自らさえ道理に思われて、大層心細い。大宮は、そのままいらっしゃって、すぐにもお帰りになれないのを、殿は、それほどもどうしてかと、誘い申し上げさせなさるのを、院は大層心細げに思し召して、さらに許し申し上げさせなさらない程に、ただ常に院がちにいらっしゃれば、上達部や殿上人などは、ただ明け暮れ大宮・一条あたりを行き返りながら、そのあたりが物騒がしいほどになった。このような御急ぎなどに添えても、母宮などは、大将の御一人住まいを思い嘆かない折はない。
この頃になって物思い深げな御様子で大層痩せなさったのを、どういうことかと見驚かせなさって、常よりも御祈りどもを仰々しくさせなさる。母宮が「このようにばかりあくがれなさると、物心細く思われるでしょう。なおそうあるべき様子におとなしく思い定めなさい。このようにばかり物憂がりなさる程に、大層目安かった事どもも違い果てたので、不思議な業だ」と母宮も申し上げて嘆かせなさると、うち微笑んで、狭衣が「昔の世にも契った人がいなかったからこそ。今そうであっても、蓬莱の山も尋ね試みましょう」とおっしゃると、母宮が「いや、常に戯れにばかり言いなさるのが見苦しい。これほどになった人が、このように物儚く漂っていることがあろうか。今はますますこの院の御有様の心細さに、一所にもいないので、大層心配にお思いになるか。三の宮の御事の口惜しい代わりに、前斎院はどう思われるでしょう」とおっしゃると、狭衣が「そのような様子の物と厭われ申し上げることこそ、世の音聞きも恥ずかしくございましょう。あまりにやむごとなくない人はございましょうか」と申し上げなさると、母宮が「本当に、皆心憎い御宿世どもであることよ。母宮の御物言いがどうしてそれほどかと聞いたのにこそ違い(次頁へ続く)。なさらなかった、目安い」などおっしゃるのにも、若宮の御美しい有様は、まず思い出されなさって、お聞かせ申し上げたらどれほどお思いになるだろうと、御自分の御心にもこればかりは口惜しく哀れに思われて、恋しく思われさせなさる折々は、常に参りなさりながら御覧になると、日に添えては光るようにばかりなり増しなさる。若宮はこの上なく見付きなさって慣れ睦びなさるのに、ますます哀れで、御覧になる度ごとに涙もこぼれそうなのを、あまりだと人が見るかと、紛らわしなさるのもわりない。乳母たちなどは、なつかしい様子に語らいなさると、皆頼みに聞こえた様子にほのめかし聞こえた。あの院にもこうとお聞かせになって、大層嬉しく思し召された。女宮たちにも、睦まじく思しおっしゃるべき様子で、申し上げ知らせなさった。入道宮は嵯峨にだけいらっしゃって、この若宮の御事もさらに聞き申し上げさせなさらないので、ただ三の宮だけを、哀れに思い申し上げさせなさるのを、秋は外へお渡りになるだろうので、大層心苦しく、狭衣が「このようにしてはどうしていらっしゃいましょう。お迎え申し上げて殿に預け申し上げよう」とおっしゃるのを、院はなお、「前斎院が一人心細くて残りなさっているのに、同じことならそうしてそのままいらっしゃるのは、(次頁へ続く)。目安かろうとお思いになった」と申し上げなさるけれど、世は大層有り難くばかり思われ増しなさって、どのような隙にもと、心だけは西の山本にあくがれ果てたので、まして、大層優れているとも聞かなかった御有様が、だんだん盛りを過ぎなさるだろうのはさらにゆかしくないのに、御後見たちは、本当にそうあらせ申し上げたいと思い寄って、参りなさる度毎には、もしそのような事を申し上げさせなさるかと、心遣いして待ち渡ると、ただ大層すくよかで、若宮がだんだん歩きなさる美しさが、見る度ごとに、この世の物ともお見えにならず美しいのを、これこそは、この世の絆にと仏などがし置きなさった事か、と思い知られて、悲しく甚だしくお思いになる。御覧になる人々も、このような御様子を嬉しく頼もしい物に思い聞こえた。このようにばかり世の中をかりそめに思いながらも、本当に朧げでない御祈りのしるしであるだろう。このようにばかり物むずかしいのを慰めがてら、弘法大師の御住まいを御覧に入れて、なおこの世を脱れたら、弥勒の御世にさえ、少し思う事のない身となりたい、など思い立って、そうあるべき人々(次頁へ続く)。
の親しい者が、御供に候すべき旨などを、忍んでおっしゃる。寺の僧どもに賜るべき法服どもを、多く設けさせなさった。明日ばかりと思われる日、殿の御前で、狭衣が「乱れ心地が、例ならず思われなさるのを、もしそうしても治るかと、高野や粉川などに詣でようと思います。俄な様子でございますが、明日など日がよろしくございますので、忍んでと存じます」と申し上げなさると、自分もそれほど例ならぬ御様子と御覧になるのに、俄な御出立は、どのようにお思いになるのかと、御胸をお騒がせになって、まずただ御涙がこぼれ落ちるのは、どのように思し召すのかと心苦しくて、狭衣が「兼ねてから事々しくなったら、殿上人なども我も我もと出で立ちましょうに、世の急ぎになって、物騒がしくなったら、所に違って難しくございましょうので、一夜ばかり候すべきです」と申し上げさせなさると、堀川が「同じ都の内でもない。大事であるでしょう。はかばかしい人も具せずに、忽ちにはどのように思い立ちなさるのか」と言って、大層心配げに思われたけれど、また御心より外に留まりなさるのもどのようにお思いになるだろうと、心苦しいので、止め申し上げなさらず、そうある(次頁へ続く)。べき人々で心配でない者を、多く参るべき旨仰せられた。紀伊守には、船の設えを、心特に設けるべき様子など仰せられるけれど、兼ねてそのような事も皆おっしゃっていたので、心もとない事はない。今日になって、このようにと多くの人々が聞いて、我も我もと出立ち参ろうと騒ぐけれど、狭衣が「俄にはどうしてか。殊更に忍んで。精進などしない人は便がない」などおっしゃるのを、「兼ねて仰せ言がなかった事」と口惜しがり嘆くけれど、これさえ、大層思わずに人がちに難しいと思われるけれど、殿が強いて添えさせなさる人々は、止めなさることができないだろう。中務の宮の少将と言ったのは、今は三位中将で、この頃の殿上人の中では、何事にも優れて世の人にも知られた、中宮の御叔父の式部卿の宮の御ゆかりで、この御方々にも、人よりは睦まじく馴れ申し上げなさって、大将の御有様をも、なづさわしく思い申し上げたなどだけが、選び捨てなさらなかった。霜月の十余日なので、紅葉も散り果てて、山も見所なく、雪が掻き暗し降りながら、物心細くて、ますます思う事が積もりそうだ。吉野川のあたり、船が大層趣ある様子で多く候(次頁へ続く)。らせたので、お乗りになって漕ぎ行くと、岩波が高く寄せ隠すけれど、汀は氷がひどく閉じ込めて、浅瀬は船も行きかねて棹を差し煩うのを御覧になって、吉野川の浅瀬の白波を、辿り侘びて渡れない仲となったものを。思い寄せる事があるのだろう。妹背山の近いのは、なお過ぎがたい御心を酌むのか、御船も出て行きかねる。湧き返り氷の下にむせびながら、それほど侘びさせる吉野川だなあ。上はつれなく」など口ずさびながら、辛うじて漲り渡ると、あの底の水屑も思い出されて、ただこれほどの深さにさえ思い入りがたいのに、どれほど思ってなど、差し向かい合っていた有様の物深いなどはなく哀れであったのを、それほど思い沈んだだろうなど、疎ましい方には思われず、ただ今見る心地がしなさって涙がこぼれるのを、紛らわして、頬杖をついて、つくづくと底深く眺め入りなさるままに、より始め、御数珠にもてはやされた腕つきなどが、世に人がなべて持たない物でもないけれど、珍しく美しかった。
隈ない水の上に、ますます光が特に見えなさる。浮き船の頼りに行こう。渡津海の底と教えてよ、跡の白波よ。哀れ」と独り言ちになって、狭衣が「是人命終当生忉利天上」とうち挙げなさるのは、四方の山の鳥獣も耳を立てるだろうと尊く甚だしいのに、三位中将は物めでする人で、涙をほろほろと溢した。詣で着きなさると、御前の松山の様子、谷の下水の流れなど、ただ石山と覚える。寺の堂僧や修行者どもが、よろしいのも卑しい程のなども、多く籠もっていた。心細げにうち行い勤めた気配どもは、何事を思うのだろうと羨ましげだ。うちもまどろまれなさらず、夜通し行い明かしなさるのも、一方でもなく、心の中は乱れそうで、大層こう思う事が叶わないなら、ひたすらこの世を思い離れる導きをなさってください、など思い入りながら、狭衣が「薬王汝当知如是諸人等」というあたりを、心細くうち挙げながら読みなさると、深山嵐さえ荒々しく吹き迷いながら、御自分の御心の中にも心細く悲しい事は限りない。狭衣が「我爾時為現清浄(次頁へ続く)。光明身」など、心に任せて読み流しなさるのに、聞く限りの人々は、何事も聞き知らないあやしい修行者まで涙を流した。釈迦仏が説きなさったその庭にさえ、笑い紛らわしたであろう提婆達多や、外道などと言うだろう者さえ、今宵の御声には、皆囲繞するだろうと覚えるのに、まして身を縮めてとある御誓いは、違うべきではないので、御燈が大層ほのかなのに、御前の暗がったのに、普賢の御光が大層はっきりとお見えになって、程なくお失せになったのは、尊く悲しいとも愚かだ。恒順衆生の御願いもますます頼もしく、人天涅槃の上大を介する事も疑いなく、この世も後の世も人とは異なった身ながら、心の中の物思い深さは、人より特に口惜しかった契りと思い知られる。さらば、これこそ本当に、何事も人より少し増していた物に、思われた代わりだろうと、自分ながら思い知られなさる。ますます心も澄み渡って、うち休もうとも思われないので、そのまま、「作礼而去」まで通し果てなさると、御堂の内は静かとして、長閑なのに、行いの声も止め、各所作どもをうち忘れながら、聞き入っていると、暁方にもなった。千手陀羅尼を忍びやかに読みなさって、時々お眠りになる程を、う(次頁へ続く)。ちお休みになるとお思いか、三昧堂の方に、千手経を、大層功の入った声の尊さで読んでいる。「菩提の因となろう」という所が、中にも耳に止まりなさると、中将は大層哀れがって読んでいる。どのような僧かと、見せにやらせなさると、狭衣が「片眼の悪い僧が、大層哀れげでございます」と申すと、お呼びにやらせなさった。暁月夜がさやかなのに、紙衣の大層薄いのに、麻の裳裾という物を着て、うち痩せ衰えた程は、さすがに大層疎ましげな程とは見えず、わりなく寒げで哀れげだ。中将が、「大層哀れであった御声を聞き過ごされずに。今少し読みなさい」と言うけれど、僧は「このような御前などでお聞かせ申し上げるべくもございませんものを」と言うけれど、忍びやかに読んだのが、奥の方になるままに尊く哀れだ。大将殿は、少し奥の方に入ってお聞きになる。ひさうまにの天は、どのようにしてそれほど片端になったのだろう、何事も前世の宿世などと言うだろう事は本当か、自分の身には、随身自在陀羅尼という御誓いが違ったのか、など、このように浅ましい片端にさえ、御自分の御身を思い寄せられる。狭衣が「この御寺にお住まいか」などお問いになると、僧は「こうして百日ばかりと思ってございます。親などいう物が、(次頁へ続く)。
昔はございましたが、お亡くなりになった後、ただこのように生き寄る山の末、鳥の声も聞こえない木の空洞などで、苔の筵を敷き松の葉を食べて、虎や狼という物を、友と見慣れて過ごしてございます」と聞こえると、人々は大層哀れがって、「それにしても親はどなたと聞こえたか。いつまでこのようにしては」と責めて問われて、僧は「父の平中納言という人がございました。幼くて片端者になりございましたので、法師にして、比叡の山で行いしてあらせよう、など申した程に、うち続き筑紫で親たちがお隠れになった後は、安楽寺という所にまかってございました。妹一人、乳母などいう者がございましたが、行方も知れなくなりございましたのを、比叡の山を拝み申し上げようの心が深くて、一年、長門守の北の方は離れないゆかりと聞きまして、それについて都の方に詣でて来たのです。そうして、妹などの事をほのかに承ったのに、かえって夢のように哀れな事どもがございましたので、夜をさえ明かさずに、土佐の室戸という所に、この二三年ございました」というのに、さらばこの底の藻屑のゆかりであったと、大層哀れで、大将殿は差し出でなさって、近くお召し寄せて、狭衣が「さてその人はどのように聞かれなさったか。ここにもほのかに聞き(次頁へ続く)。した人の事なので、耳が止まって」などおっしゃる御容貌が、言い知れず清らかにお見えになるのを、そういう山伏の眼にもめでたくて、うち畏まって、僧は「その人とばかりはお見になりましたが、身を厭う心が深くて、お見になりましたので、髪なども削ぎやつしてございます」と言って、人々が聞くのに残りなくは言うまいとさすがに思った様子を、自分もゆかしく甚だしいと言いながら、中将が向かい居るので、ただ、どのようにも、海には落ち入らなくて済んだらしい、とお聞きになると、浅ましく嬉しく心安くて、狭衣が「あり所は御存じでしょうね。幼い人を具していたか」と、責めてゆかしく思われて、忍んでお問いになるけれど、その事は聞こえ果てず、僧は「かえって覚束なくてお別れしました。年頃よりも哀れな事が多くて」とばかり言い消って、僧は「懈怠になってしまいました。一と言って立つ。透き影の隠れもなくて、風が止るべき様子でもないのを、大層哀れと御覧になって、多く持たせなさった法服どもは、事々しい様子なので、御自分が着なさった白い御衣の、なつかしく着なしなさった移り香が所狭しまで薫り満ちたのを脱ぎなさって、狭衣が「山おろしも大層荒く嘆かわしいらしいと思いなさるので、僧も物を覚えた後、木の葉より外に身にも寄せ慣ら(次頁へ続く)。ございませんので、このような物は苔の衣に重ねましょうも大層辱くございましょう」と言って、さらに手も触れないのを、なお、狭衣が「我が君よ、また対面するまでの形見にもしなさい。世を背こうの本意が大層深くて、大層年頃になったのを、絆などの強いてなるも無い物から、然るべき所などないのを、朧げでなく思い定める程に、月日ばかり過ぎ行くのを、然るべきか、弟子にもしなさいと申し上げたく。けれどこの度は、うちつけに物騒がしい様子なので、万事心に込めて。京にはいらっしゃるだろうか。いつまでこのようにしていらっしゃるべきか」などおっしゃると、僧は「都の方は、今はお見になるべしと思いなさらずに。残りの日数は今いくらもございません。この程を過ごしたら、竹生島にまたしばらくございましょう」というのも、大層行方ない様子で、惑わそうのはかえって年頃よりも甚だしいだろうので、狭衣が「さらばただ、今しばしそのあたりにいらっしゃい。後夜の程を過ごして出でましょう。それに申し上げさせよう」と語らいなさる様子のなつかしさは、本当にそれほどなおぼつかない心にも燃え立ちかねる。僧が「お出でになる時に、あの御堂の方にお尋ねさせなさい」と言って去った名残も、胸がひしげた様子で、大層覚束な(次頁へ続く)。
い覚束なく、残りはゆかしいとも世の常なので、仏にも、狭衣が「この行方を確かに聞かせなさい」と、数珠を押し摺りなさる。しるしは如何とぞ。(巻二下終わり)
底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。
大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。