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狭衣物語 / 第14場面

今姫君をめぐる騒動(巻第三之上)

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今姫君をめぐる騒動(巻第三之上)をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

巻第三之上に入る。今姫君のもとへ宰相の君が忍び入り、母代が気付いて大騒ぎになる。今姫君は髪を削いで尼になろうとする。

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狭衣物語・第14場面0 / 128
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深山の里の寂しさは、本当に男鹿の跡よりほかの通路も稀であったのを、夜の程にますます閉じ重ねた氷の楔は、足も大層堪え難くて、歩みもなされかねる。底も知れず深い谷より生い出た木どもの根が、苔がちにうち物古びた様子、枝差しなど疎ましげなのに、苦しくて寄り居させなさる御顔の色合いや様子などは、山の中にも目を留め申し上げる者があるだろうかと、ゆゆしいまでお見え申し上げなさる。(巻三上冒頭)谷深く立つ苧環は我なのだろうか。思う心が朽ちて止んでしまう。例の事に触れて、まず思い出されなさるのに、これより山深くも入りたいのに、心配でわりないと思われた御様子どもが、思い出されて、いつかと思われるだろうに、行方なく聞きなしなさって、どれほど思い嘆くだろう、と思いやられるあらましごとに、味気なく涙も落ちそうなのに、またうち添えて、思わずに憂いと思われた折々の御様子は(次頁へ続く)。押し明け方の月ではないけれど、万事に優れて恋しく思い出されなさるのに、ますます道も見えないまで掻き暗させなさる。恋しさも辛さも同じ絆で、泣く泣くもなお帰る山だなあ。と、事々しい御心の内ながら、辛うじて、下山に歩み尽くしなさったのに、いつかと申し上げさせなさった御迎えの人々が、参り集まったそうあるべき若い上達部や殿上人など、遅らせなさった怨めしさの代わりに、我も我もと競い出て、吉野の川の所もないまで、心が慌ただしくなったけれど、いた山伏を今朝お尋ねさせになると、物騒がしくて、お会いになれなかったので、必ず尋ねて参り合えと、道季を留めなさったのを、お待ちになって休らいなさると、辛うじてお問いになると、道季は「この頃ございました所も取り払って、紙障子に、昨夜の御衣を掛けてございました。籠もっております僧どもに問い申しましたところ、妹が月頃患っておりましたが、限りになった旨を、告げに遣わしてございましたので、夜の間ございましょう、もし死ねば後の扱いも見譲るべき人もないのを、どうすべきか、よろしければそのまま帰りましょう。(次頁へ続く)

と申して、夜中にまかり出てしまった。その行き所などは、知っていると申す人はございません、一と申すのに、口惜しいなども世の常だろうか。昨夜、など今少し問わなかったのだろう、暁に召せと言ったので、心安くて、行いも紛れがましい。人目もどうと、など心長閑に思ったのも悔しく、甚だしいとも世の常の事をこそ言え、ますます都の方の物憂さもわりないけれど、人々が「お出でになった後、殿は物など全て御覧じ入れず、夜など、露ほども御殿籠りなさらず、覚束ながり明かさせなさった」と口々に語り申しながら、早く早く と急がせ申し上げる(次頁へ続く)。ので、心にもなく棚無し小舟に漕ぎ帰りなさる程、胸の関路は隙がない。笛など持たせた若い人々がいて、折に合った音を吹き鳴らしたのが、水の上では、ますます面白く趣がある。また櫂の雫の塩どけさも知らぬ顔に、手ずから漕ぎ帰りながら、声をかしくして、「あれは妹背の山か、そうあれ」と謡った様どもは、各々誇らしげに思う事なさそうなのは、なお自分ばかり物思い深いのはないらしいと、羨ましく思い渡されなさる。行き帰り心を惑わす妹背山よ、思い離れる道を知りたい。避ける方のなかったのも、契りが心憂く眺め入って、舟の端に寄り掛かりながら、お眠りになる御まぶたの様子がなまめかしくお見えになるのを、物好きな若君たちなどは、めでたくばかり御覧申し上げて、物心細げな御様子を、なおどのような御心の中かと、安の河原の千鳥にも問いたかった。殿には、ゆゆしいまで恋い申し上げさせなさったので、うち見つけ申し上げさせなさった嬉しさの限りないのにも、止めがたい涙の様子も御覧申し上げさせなさると、戯れにも、自分の思い寄る筋はあるまじいかなと思い知られるだろう。雪焼けに足も腫れて悩ましく思われるので、湯で繕いなどして、歩きなどもなさらない。はっきりした仏の御契りの面影が恋しく思い出されなさるのにも、なおどうしてこの世を、様子の悪くないように厭い離れよう、と心の中ばかりは、以前より特にあくがれ増して、行いに心を入れなさるけれど、斎院ばかりには、覚束ない程にもなさらない。そうして隔てなく御覧になる事さえ有り難くなったので、この世の厭わしさも催されなさるのだろう。

思い侘びながらこの世は捨てても、逢わない嘆きは身をも離れないだろう。ああ心憂い、この心ながらでは、後の世もどうと心配だ。それにしても哀れだった阿私仙をさえ惑わしてしまった口惜しさも、思いやる方ないままに、帰って来ているかと、粉川に人を度々遣わすけれど、無いとばかり言いながら帰り参ると、妹がはかなくなったのかと思われるのも、かえって稻淵の滝だ。ありなしの魂の行方に惑わさず、夢にも告げよ、ありし幻よ。池の玉藻と見なしなさった帝の思いも、かえって目の前に言い甲斐なくて、忘草もだんだん茂さが増しただろうのを、さらば、様々夢とも現とも定めがたく、心ばかり動かしなさる。本当にどのような昔の契りかと思い知られる。さらばあった暁、その夕べに消え果てたのだろう、と思われると、誰ともなく、その程より睦まじく思われる僧どもに言い付けなさって、七日七日まで、弔いを大層忍んでさせなさった。どのようなにでも、この忍草のありなしをさえ、聞く業があればなあ、と御心に離れる折もない。

まこと斎宮は寮へお渡りになったので、若宮はますます人少なく物寂しくていらっしゃるのを、大将は心苦しく思い申し上げなさるけれど、前斎院の一人住まいの心細さにより、嵯峨の院が、なおそのまま思い後見しなさいとおっしゃるので、大殿へもお渡し申し上げなさらず、常に自らお渡りになる。夜などもお泊まりになる夜がたいそう多い。若宮も見付き申し上げさせなさって、大層まつわり申し上げさせなさるのを、どうして疎には思い申し上げさせなさるだろう、だんだん住吉の里にもなってしまいそうだ。いずれも、この女宮たちを妹のように扱い申し上げさせなさるのにも、入道の宮が厭い捨てなさった辛さも、飽かず口惜しく思われた。あった雪の夜の枕の雫は、忘れがたく悲しく思い出されなさる。今はどのように思し召されるようになったのも、どのようにしてか、今一度気近き程の御気配を聞く業があればなあ、と思い侘びては、中納言のすけばかりを怨みなさるけれど、甲斐ない旨ばかり聞こえるので、大層心憂い。夢のようだった夜な夜な、泣きなさるよりほかの御気配は聞かずに悩んだ、一くだりの御返しなど、また見すべ(次頁へ続く)。の本に枝差し添えまいと、切に思い離れた折こそ、これを強いて怨めしいだろう物とも思われなかったが、万事に取り所なく、悔しい事ばかり尽きないままに、今更に日に二度三度、藻塩草を掻き集めながら怨み申し上げなさる様子は、海人の浜屋に余りそうだ。けれど見るべき物とも思われないとばかり聞くのは、過ぎた方の報いかと、辛く心憂い。限りない御身の程と言いながらも、自分の身はどうして、それほどの哀れもかけられ申し上げるべくないのかと、浅くない御契りの程も思い知るべくないかと心憂いので、拝み渡すのでも止みそうだけれど、月日が過ぎるままに、珍しい様子におよずけになる若宮の御様子を、さすがに余所の物と見なしなさらず、このように契り深くて自分の物に預かり申し上げなさるなどは、どうして世の常と思われよう。これより外の憂き世の慰めはあるべくなかった身にこそ、と思い知られなさる、哀れも悔しさも世の常ではない。大殿も常に渡りなさりながら、御覧申し上げ慈しみ申し上げなさる様子は、疎くないにつけても、ありのままに申し上げなさったら、どのようにと思われるだろう。宮の荒れた所々を繕わせなどさせなさって、そうあるべき家司など別にさせなさりながら、古(次頁へ続く)。宮に候した人々は、一方は嵯峨の院の斎宮などに別れ、残りは、さながら寂しくない様子にして候させなさる。雪が降って物心細げな夕方、大将殿が内裏よりお出でになるままに、どのように物心細げな故郷に、幼い人が、何心なく紛れなさるだろうと、思いやらせなさると、その方様にいらっしゃるのに、思いやりなさったのも著しく、山里の心地がして人目も稀なのに、若宮の御乳母たちばかりが、端の方にうち眺めていた程だ。今こそ引き返された御座どもを直しなどして、打ち解けた姿どもを、傍ら痛げに思ったのも趣がある。若宮は寝起きてむずかりなさっていたのに、このようにお渡りになると、喜んでむつれ申し上げなさる。大層哀れで、狭衣が「参らなかったら、どれほど口惜しかったでしょう」と言ってうち涙ぐみなさる様子などは、なおざりの志とは見えず、大層哀れと思いなさるのを、御覧になる乳母たちなどは、通う人がいらっしゃらなかったら、限りない宮仕えと言っても、この頃はどれほど心細く、寄る方ない心地がしたでしょう、と殿の御志を嬉しく思った。乳母が「お見えにならない程は、徒然げに思われて、大層(次頁へ続く)。

く恋い申し上げなさることこそ、心苦しい。院がそれほど疎かでなく思い申し上げさせなさるのを、怖がり申し上げさせなさって」など聞こえると、狭衣が「院の御志に劣るべくもございませんものを。なお幼い人は、かえって大人びさせなさるままに、思し召し知るのです」などおっしゃって、端の方の御座にうち臥しなさると、若宮も御懐に入りなさって、何とはかばかしくも聞こえない事を、申し上げ戯れなさる御間は、大層通わなければ見たら、傍ら痛いだろう、とお見えになる。白い唐の御衣どもの並々でないのに、同じ様な紅の重なったのは、常の事だ。けれど夕映えか、並々でなくめでたく見える。霰が大層おどろおどろしく降ったのに、怖がりになって、衣を引き被いて、身に掻き付きなさるのが、大層可愛らしく思われなさると、狭衣が「参らなかったら、誰の懐に入らせなさるでしょう。このように怖い雨も降らない、大殿など具して常にございます所にお出でなさい」とおっしゃると、うち頷いて、若宮が「大臣はよいな。嵯峨の院こそ頭はきらきらとして恐ろしげだ」と、まず貶め申し上げさせなさるのが趣がある。狭衣が「姫君も、髪は短くて、帽子げにいらっしゃるでしょうね」とおっしゃると、頭をうち振(次頁へ続く)。って、若宮が「いや、それでもそれは良いよ」とおっしゃる。幼い御目にもそのようにお見えになるだろう、かえって様変わりして、ますますどれほど美しくいらっしゃるだろう、と推し量られるのも、罪深く覚えながら、なおゆかしいので、胸がうち騒いで物哀れなので、枕上の笛を取って吹きすさびながら、狭衣が「宮よ、早くおよずけさせなさい。教え申し上げよう。どれほど美しく吹きなさるだろう」とおっしゃると、ふと起き出でなさって、逆さまに取って、美しい御口にあてて、笛の音のように声を細く出して、さて、若宮が「自分の吹くのに似ている」とおっしゃると、言い知れず美しく思われなさるのにも、つれなく思い捨てて知らぬ顔に見放ち なさった御心の中は、なお自分の過ちと言いながら、涙がこぼれた。憂き節はそれもあろう、音に立てるこの笛竹は悲しくないだろうか。それにしてもどのようにお思いだろうと、御心の中もゆかしく悲しい慰めには、懐に引き入れ申し上げたのも、大層冷たい御身形の美しさなどが、ただこのようなものとこそ思い出されて、大層悲しいのにも、本当に疎まれるべき形見ではなかった。目覚ましい御髪を切りにかかり(次頁へ続く)。やりながら、遊び睦れなさるのに、憂き涙はこぼれながら、うち笑われなどしなさる。硯を引き寄せて手習いなどしなさるのに、御殿油が参るまで、懐よりもお出でにならず、火を近く取り寄せ申し上げなさると、そのまま昼の空の様子から始めて、しつらいの有様なども違わず、自分の日一日を眺め暮らしていた様子などを、思う所なく絵に描きなさって、若宮が笛を吹きなさる傍らに、あった御独り言も書き付けなさって、塵積もり古い枕を形見として見るも悲しい床の上だなあ。と言って、泣きなさる所もある。嵯峨の院へ差し上げなさる。内侍が候する頃なのであるだろう。若宮の御方様につけて、今はどの方にも、疎々しくなく聞こえ交わしなさるけれど、かえって入道の宮にはなお聞こえなさらないのを、院は、「御返事など、時々は人伝でなくおっしゃらせよ。通う方様につけても、この人を誰の御為にも頼む」など、常に申し上げさせなさった。宮は念誦堂にいらっしゃるのに、例のを持って参って、広げて参らせたのを、誰かと目を止めさせなさるのに、御心得させなさるのか、御顔の色が移り増させなさって、御経に紛らかさせなさ(次頁へ続く)。

る様子などを、明け暮れゆかしがり申し上げさせなさるらしい人に見せ申し上げたいのに、いや、過ぎた方の怪しく思いもよらなかったのだ、何事の障りがあるだろう、と思い続ける。このようにばかり積もる御文の数も、定かに御覧じ続けないので、かえって何とも知らせなさらないのに、床の上の形見などは、残りなく聞き表しなさったと思われるのに、世の全ての人も、皆このようにばかりあるだろう、けれど余所の人は、何でこのようにも言い聞かせよう、中納言などを、その折は知らないとこそ思った、など思われるのに、その折の御心の惑いに劣らず恥ずかしく甚だしいのにも、身一つにさえない。強ちであった御心構えの程を、院も聞かせなさる様子もあるだろうと、他人よりも御心の中は大層いとおしく、この世も彼の世も、ただ憂き身一つのゆかりに塞がれなさったのだ、と思いやられる御心の内などは、長らえるも浅ましいとばかり思い知られながら、本当にこう死なない例もあったのを、この上なかった御心の深さだなあ、と羨ましく、亡き影が御覧になるだろうのも、尽きず恥ずかしく思われた。憂き事も堪えない命もあった世に、まだ長らえる身をどうしよう。など思い続けると、今は甚だしい事を尽くしなさっても、辛くないのではないのには、なし難い。今はなおこのような事も、ますます片端なのを、見ない業があればなあと、無い所のないのも、自分ながら思い乱れながらも、言葉に出してこそおっしゃらせないけれど、大層苦しい御様子を見れば、どうして聞こえよう。中納言が「常よりは御覧じました」とばかりの返事を、憂き物に思し占められた、自分の心の恨めしさを、今はどうしようと思い鎮めず、若宮の御美しさが並々でなくおよずけになる事は、口惜しく悲しく思われるだろう。まことあの、大殿の御方に傅かれなさる今姫君は、二十歳にもやや余りなさるままに、大層趣ありげに年増しなさるのを、母上は大層華やかに物好きなさる御本性で、斎宮の御有様を御覧になるのも羨ましく、行末の心細さも、年月を添えて思い知られるので、この君をこうまで取り寄せたのなら、同じことなら人並々にもてなして、このようにもて傅きなさる御方々の、草生いにもしようか、など、切に人に劣らない御心置きで、内裏参りの事など思い寄りになった。殿にもこのようになどお聞きになると、まことの御(次頁へ続く)。子とも覚えられなくても、本当にこの御為には、そうでなくても同じ事なので、どうして、そうもあるだろうのは、悪しかるべき事ではないけれど、母は内裏にも御覧になった物を、いや、御心の中もいとおしいのだろう、強ちな事と、世の人も言い戻すだろう、など思うのをばさる物として、時々御覧になるのに、どのようにか、そういう御交わりまでは、思い隠すべくもないだろう。堀川が「かえってなる事などもあれば、たどたどしいよりは、傍ら痛くこそございましょう。ただ大将さえ平らかでございましたら、自ら誰の御行末にも仕え奉りましょう、同じ御心に思い頼んでを、いらっしゃい」と申し上げなさると、ただ一人の御ゆかりよりほかに、思い扱わないだろうなど、怨めしく思われて、后の宮と申し上げさせた方は、尼におなりになって女院と申し上げさせますが、御同腹という中にも、大層懇ろな御仲なので、どのような事でも、御心に任せない様子はあるべくないので、洞院が「この人の事をこのように思います、心細いのを、同じことならと存じます。忽ちの徒然の紛れにも、様々羨まし(次頁へ続く)。

い慰めに」など申し上げさせなさったので、内裏のお渡りになるついでに、しかじかと奏せさせなさった。帝が「斎院の御事が大層口惜しくなったのを、託けばかりも、そのゆかりが聞こえさせなさった。御心の中には、大臣の思いやりしたのも脆く、ねじけがましい生い出などを、大層目安い事とも急ぎ思し召されなかった。このような御様子と御覧じ知るのもいとおしいので、肩故院の御事の後は、万事物にばかり思し召して、このような事を、只今は物憂げに。なお大臣の奏しなさるのが良いだろう」などおっしゃらせたのを、洞院が「殊更に大臣の御方様でなくてもと、存じます。御心にこそございましょう」など、度々申し上げさせなさったけれど、大層苦しく覚えさせなさって、例のお渡りになるのに、帝が「今大臣の様子を見てこそ。思う方が異にもあるだろうのを、進み出てはしたないよ」などおっしゃらせて、御心にも入らない事と御覧になるけれど、このように怨み申し上げなさると、ただ思い立つべき様子に申し上げさせなさった。甚だしく押し立ち物華やかな御心で、少しは御心の叶わない事でも、女院もこのように思し(次頁へ続く)。放たないゆかりにもあり、自分がもてなし傅きして候わせると、おろかにも思われないだろうのを、大臣もそうおっしゃっても、どの御事にも、思い落とされないだろう、と思い立ちなさって、殿にも甚だしくも聞こえ合わせなさらず、御心一つに急ぎ立って、二月ばかりにと思われた。徒然な昼方、大将殿がお渡りになるべく聞こえなさると、参りなさった。幼い時より、どの御方にも隔てなく、殿の慣らし申し上げなさったので、女房なども御覧にならない者はない中にも、この御方は自らも和らかに愛敬付きなさる御心様で、わざと隔て申し上げなさる事もなかった。紅の衣どもが多くの上に、桜の片紋のを着なさった御容姿は、華やかに清げで、見る甲斐ある御もてなしの有様だ。洞院が「年が積もりますままには、世の中も大層心細くばかりございますにも、後の世の為までも頼み申し上げさせてこそ、中宮の御方には、明け暮れ隔てなくいらっしゃるようですが、こちらには大層恋しい程にばかりなさせなさるので、思い侘びて申し上げさせたのです。この世は本当に、こうしても過ぎてしまいましょう。後の世の為を思いますにも、大層口惜しいばかりでございますので、この姫君の御有様をも、どうしてなど思う事(次頁へ続く)。ございましたが、同じ心に思い扱う人がない事は叶いそうもなくございましたのを、女院に、内裏が度々申し上げさせなさったので、どうしてもあの御事を否み申し上げさせようのが、辱さに、どうしようと思いございますようですが、いや、今は大層ぼけぼけしくおなりになった人ばかりを頼みにしてはどうなど、心が一つな様子でございますのを、申し上げさせようと。内裏あたりの御有様などは、そうは言っても御覧じ放たないだろうと、頼み聞こえて」などおっしゃると、狭衣が「どの御事も思い分け申し上げさせはしませんけれど、何となく身が忙しくございます程に、怠ってございます。中宮の御方などには、同じ百敷で、自ら覚束なくない心地がいたしますのを、本当にそのようにしていらっしゃれば、同じ事にこそ。通われた御急ぎをも承らなかった事」など申し上げなさる。洞院が「今様の人は、幼い時より相応しくこそあれ。これはどうなのか、あまり心もとない御有様らしいぞ、そのような御交わりには、甲斐ない様子かと見えますのを、そうあるべき事など教え申し上げる人があればなあ、と言ったのを聞いて、この御後見で、琵琶を趣ありげに弾く人がいると、この頃習わせ聞こえるのを、同じことなら、どうして真実しく、人の聞き(次頁へ続く)。

かせなさるばかりも、とこそ存じます。この頃ばかり、御暇の暇々に、この僻事も直させなさってくださいませんか」と申し上げなさると、狭衣が「人の師などするばかりでは、直されるばかりの僻事には、よもやございませんものを」と言ってうち笑いなさる愛敬が、こぼれるなどは、これを言うのかと見えたのを、うち守りなさって、洞院が「何事も、御有様ばかりは大層有り難くこそ。どうしてただ世の常の様子でも、このような人を一人儲けなさらなかったのに、今こそ大層心憂くございますので、このように強ちな事をする程は、このようにも覚えなさらなかったのに、も思い立ちなさるのですか」などおっしゃる。浅緑な空の様子が大層甚だしく霞み渡ったのに、この音も栄えないだろう程らしいのを、お渡りになって少しも聞き慣らしなさいと申し上げよ」とおっしゃるのに、これほどまで思い立ちになったのは本当に目安い程の御有様におなりになったのだ、本当に様々の物思いに、心も尽き果てて、憎くなかった風の迷いの後も、様子を見ないのだ、と生ゆかしいので、狭衣が「そのままあの御方に参りましょう」と言ってお立ちになった。(担当範囲終わり)

いつもの御簾のそばで、狭衣が「どなたかおいでですか」と声をかけなさると、蚊の声ほどの声で「内におります」と言うままに、走って隠れる音がする。上の御決め事なのであろうとお聞きになると、御簾を引き開けてお覗きになると、女房たちが大勢いたが、走り重なって、衣の裾をめいめい踏みながら、次々に倒れ臥した様子は、牧の馬のような心地がした。几帳なども倒れるなどして、ますます物騒がしいので、つくづくと見入って、すぐにはお入りにならないでいると、姫君も、端の方にいらしたのであろう、今になって立ってお入りになる。色々の衣の上に、濃く擣った桜の小袿をお着けになった後ろ姿が、大層趣がある。髪は少し色があって、ごたごたしてはおらず、梳きばらけた下がり端など、上品で艶めかしい様子で、小袿と同じほどに見える。振り返って、顔が大層赤くなりながら、すぐには座らず、あきれたような顔で、それでいて美しそうな様子をなさっている。そうはいっても、重々しくない習慣で立ち走りやすいのがよいのだ、この身の程では、と、それを罪とも御覧にならなかった。やっとのことで母屋の柱の列にお座りになったけれど、扇などの行方もお分かりにならず、ただうつ伏しなさった髪のかかり具合や、頬の様子など、少し近くでは、今少し目に留まらないでもない。狭衣が「疎遠にばかりお思いになっているのがつれないので、普段も参れませんが、また疎遠なこととお思いになるかと、心がときめくばかりは絶えません」などと申し上げなさるのを、言うべき事も思いつかず、恥ずかしそうに、汗ばかり流れて情けない様子でいると、初めておいでになり始めた日、女房たちの返事が遅く聞こえたといって、母代が腹を立てて罵り、女房たちをみっともなく言ったことを思い出しなさって、またどのように言われるだろうかとお思いになると、身も震えて、ますますまったく物も言い出せそうもないので、あの母が詠みかけた歌を、母上が聞いてお褒めになったとかと、まれまれに思い出して、ひどく怯えた幼い声で、今姫が「吉野川何かは渡る」と一文字も違えずに言い出しなさったのを、本当に人の忘れない節を詠み出したのだろうとお聞きになるのも、これより後、良いことも悪いことも数多く見聞きするのを、それほど御心にも耳にも留まらないのに、いつぞやあのように事が聞こえたと、思い出しなさったのは面白いことに、その折の返事は、またどうであったろうかと、忘れかけているのが大層口惜しいことよ。ほほ笑みなさった様子は、言いようもなく恥ずかしそうで、吉野川よ、繰り返し繰り返し渡れというのか。渡るよりまた渡れというのか、瀬において。苛立つのも殊に咎める顔をなさらないのは気楽だけれど、一渡りも心が劣っておしまいになった。母代が局にいるので、このようだと人が告げたので、急いで上って、姫君のお座りになっている後ろの方の几帳を下ろした所にいた。そうなのであろうと御覧になって、狭衣が「どこです。琵琶をお受けなさいと上がおっしゃったのは」とおっしゃると、母代が「いやはや、人が一様にお聞かせになるはずもございません、筋が特別にこそございます」と、大層したり顔の様子が特別で、琵琶を取り寄せて姫君に差し上げるままに、母代が「まず猿をつなげ」と囁くのも、いつものように露わに聞こえる。教えられて、大層頼りなく、ゆるゆるとおつなぎになる。また差し寄って、母代が「その次には、かなでをかなでを」と、肘で突くようなので、今姫が「いたち笛吹く、さるかなづ」とお弾きになるのを、母代が「大層面白く素晴らしいと思うのに、堪えきれず心も進んで立って、末に待ち取って、扇を打ち鳴らして、母代が「いなごまろは拍子打つ、きりぎりすは」などと、細い目を開けて首筋を引き立てて折れ返り折れ返り弾く横顔が、御簾に透けて見えるのは、面白いなどと世の常の事を言いなさい、明け暮れ物憂い心の中を、今日は皆忘れてしまったのに、思うままにも、うつ伏して転がって笑いなさる

(前頁から続く)…なさる。念じるのが大層情けなくあった。二返りほどお弾きになると、大層無理のない声を落とし上げ、唱歌するのに囃されて、かき返しかき返し、同じ「いなごまろ」で、時もやや移るのは、大層どうしようもないほどに思われなさる。御後見人が大層賢しらで、傍らで見ていて痛い様子をしたもてなしぶりで、良くなく怪しい若い者どもが集まって、人にうちはやり付きにくい様子である。御自身の御様子も、ただ怯えて、うち悟りなさっているのだろう、など世の常のように思っていたのに、大層思いの外でいらしたことよ。またこれを内裏に参らせようなどまで、思い寄りなさったであろう上の御心は、今少し浅ましいことよ。年来もどうであろう御心かと見たけれど、あまり才気が過ぎて、何事も持ち出して、好ましい所などはお進みになる、と見たのは、空事であったのだ。これほどまで心が遅れ、思いやりのない仕業をし出しなさるだろうとは、思わなかった我が心までも、口惜しいほどに思い知らされなさった。ああ恥ずかしいことよ。見るにただ国王といって、鮮やかに側々しくもいらっしゃらず、それほど艶めかして恥ずかしそうな御様子で、この辺りからといって御覧になられなさるだろうよ。本当に一概にはお思いになるはずもあ(前頁から続く)…らないけれど、大臣などが見る見る、差し立てたのだろうよと思し召されなさるだろう、大層名立たしく憂い事であろう、などお思いになると、どういう具合にか、この事を今日明日の程に止める方法もあれかしと、味気ない物嘆きへ添ってしまった心地がしなさった。本当に上の御心は、もとより、細やかに人の様子などを御存じになる事もなく、ただ一概に人に劣るまいという御心が華やかでいらして、女院の御方をも頼もしく思うのを、中宮の御様子に、やや立ち勝ってもてなしかづいて、自分も出入りして見世話しようと思い立ちなさったので、少々の片端な事も、お咎めにならないのであろう。時々うち渡って御覧申しなさるのには、ただ大層おとなしく、物慎みがちな様子で、お座りになっている姿などは美しいけれど、内々の頑なな御様子などは、お咎めにならないのであろう。けしからず声高になどするように御覧になれば、このようには思い立ちなさらないだろうに、もとより大層言い甲斐のないようにいらしたのを、ますます母上に遅れなさって、程もなく、知らない人の御そばに、付きにくく引き別れて、花々と大切にしなさるのに、我か彼かという心地もせずぼんやり惑いなさっているのに、この御後見人までも、心に任せないで、(前頁から続く)…大層荒々しく責め脅し聞こえるので、ひどく恐れ勝って、正気もない様子に、日々に添っておなりになるようだ。お持ちになっていた扇が、置かれていたのが、手習いなさったのは御自分の仕業かと興味深くて、取って御覧になると、まだはかばかしくも続かない文字どもが、大層幼く浅ましい様子なのは、どう解読できようもないのを、切に見つめると、「天地を袋に縫って」とあるのは、母代が習わせて聞かせた祝い言なのであろうと見えるのに、絵に苗代を作り、荒田打ちなどした所に、「母もなく乳母もなくて、春の荒田を打ち返し打ち返し、繰り返し繰り返し物を思う」とあるようだ。また、「柳桜を寄せ合わせ、失せないでいれば、乱れないようだ」とあるのは、歌かと切に読み続けるけれど、一つには余り二つには足りないのを、怪しく怪しくとお思いになると、さすがに絵の心どもなのであろうと見えるので、それでは御自分が詠み出しなさったのであった、三十一字とさえお分かりにならず、どうして扇の絵の歌を詠もうなどと思い寄りなさるのだろう、と面白いことに、書き様まで裏も表も上下が等しくて、一つに足りない歌を、そのまま扇の暇もなく書きなさった文字様、選び深く分けて置かれたことなど、すべてこのようなのはまだ見

(前頁から続く)…なかったのを、様子が変わって置き難く思われなさった。母代がうち見て起こして、母代が「きらきらしくお遊びになるはずでございます。今様の手は、草書きがちに濃く薄い墨付きで粉を振って、うちよろめいておりました。これ、強い文字遣いが昔様でございます。それは御覧お知らせになりましたか」と言うのに、堪えきれず打ち笑いなさった。狭衣が「そのような事もはかばかしく見知ってはおりませんが、本当にそうであろうと、我が御心の程が見えて、習わせて聞かせなさったので、琵琶も直せなどと上がおっしゃったのを、かえって歪んでしまうはずでございました」とおっしゃると、母代が「いやはや、それほど事を思うのに、母代が「本当に、思いがけない人の御文を持っておりましたなあ」と言うと、狭衣が「並々では散らさないものを、世にいないだろう」とおっしゃると、母代が「本当に世の常の御事とは見えませんでした」と思わせて、心立つのが憎いので、狭衣が「空言をした人なのだ。そのような事はまだ慣れていない」などと殊の外におっしゃるのを、大層高らかに打ち笑って、母代が「今日の昼間はなお恋しい」などと、優しげな心付きのなさが堪え難いけれど、狭衣が「ましてそれほどまでにはいつ習った恋(前頁から続く)…の道では。なお確かにおっしゃい」とあるので、母代が「大宮の辺りで御秣隠れをさせなさらなかったですか。万事推し量られる御口の清らかさよ。大層よく御存じでございますものを」と言うのに、耳が留まって、何となく胸が騒いで、狭衣が「まったく覚えがないぞ、本当に。確かにただおっしゃい。何の縁ですか」と今少し近づきなさると、母代が「では、そういうことでした。殊の外におっしゃいましたけれども」と言って、母代が「この御前の御母は、故平中納言の妹でいらっしゃいませんか。その御姉は女院に中納言といってお仕えになりましたのを、長門の前司何がし朝臣に盗まれなさったのでしたよ。守が亡くなった後は、尼になって常磐という所におります。中納言の娘は乳母のもとに心細げだとお聞かせになって、お召しになろうとしたけれど乳母が、心賢い様子でもてなそうとして、参らせなかった程に、御覧になる様子もございましたとか。前の別当左兵衛督が少将と名乗らせなさったのを、そのような生公達の陰妻で盆がないといって、三河の守何がしに付けて筑紫へ送り立てておりました。女は本意ないものと思い嘆いて、海の底にも入ってしまおうと逃げておりましたのを、あの長門の尼君が、不意に尋ね取って常磐に置きました。明け暮れ物を思い嘆いて、尼になっておりましたけれど、(前頁から続く)先頃ついに亡くなってしまったそうです。姿などは御覧になったでしょうね。それほどなのは御自分もございましょうか。ただ人柄などは、怪しいほど有り難く面白いほどに見えなさった」などと言うのは、どのような夢物語かと、心も殊に騒ぐけれど、狭衣が「今更にこそ覚えがない、聞き違いなさった事であろう」と言って、細やかに語り合うべき人柄でもないので、ただあの常磐という所を尋ねようと思ってお立ちになった。世にあると聞いても、今はその人をどうこう思い尋ねるのも、大層ねぢけがましいけれど、ひたすら亡くなってしまったのは、かえって心安く目安いのに、ただあのしのぶ草の行方がひどく聞きたいので、ますます御心地も静かでなく、道季をお呼びになって、万事を語らいなさる。所の程などは大層よく知っていたので、黄昏時の程に、大層忍んで京をお出になって、双の岡の辺りで馬にお乗りになって、これほどの程ながら多くの年頃がはっきりしなくて過ごしたのも、浅ましくひどいことに、ありありとしてない跡を、誰に逢い見るべきかと思われるのは、口惜しく悲しいとも、世の常である。月も遅く出て、空も霞み渡ったので、雲の

(前頁から続く)…佇まいさえはかばかしくは見えず、道の空もたどたどしく、慣れない御心地にますます心細くやりきれない。亡き人の煙はそれと見えないけれども、一様に雲井が睦まじいことよ。霞むであろう空を見るべきものとは思わず、程なくありありと立ち昇ったであろう亡き空は、恨めしさも悲しさも様々に、かえって心地がしてしまうだろうけれど、跡の白波をさえ懐かしがりなさったのだから、まして真木柱の縁もどうしてかと思われるのであろう。近くなるままに、風に付いて念仏の声々が仄かに聞こえるのは、その人の名残であろうと聞き付けなさった、あの「底のみくづ」と書き付けた扇を見付けなさったのに、尽き果てないと思われた涙も、残りある心地がしなさることよ。お着きになると、門などもなくて、ただ釘抜きというものをしていた。道季を入れて、もしやあの山伏がいるかと尋ねさせなさると、しばらくあって、「すぐただお入りなさい」とあるので、案内するままにお入りになった。少し離れた所が、紙障子などばかりで、荒々しい仮初の住まいと見えた。御座敷きなどを営んで騒ぐ姿を、見(前頁から続く)…なさった時よりは少し例の人に似ている。狭衣が「夢のようであった対面の後、万事を尋ね申し上げたのに、行方もなく惑わせなさったけれど、並々でない志の程には、本当に端山の茂りも障る所のない仕業でございました。今朝、思いがけず、この辺りに通いなさるだろうという人がおりましたので、喜びながら。この世でだけと契り申し上げなかったのを、心憂く」などと怨みなさると、本当に聞かせた妹が患っておりましたのが、末期になっておりました、今一度逢い見ようと消息をさせておりましたのを、必ず逢い訪ねようと思って参り出た程に、案内も取り申さないで。ついに亡くなってしまいましたので、念仏も真心に仕え奉って、後の世の弔いをだけでもと思って、このように籠もっておりますのも、明日が四十九日になります」と言うのをお聞きになると、涙が堪えきれずこぼれなさった。狭衣が「粉川で思いがけなかった御物語の残りを、細かに承りたいでしたけれど、良くない事どもを、並の人にも聞かせまい、と思いなさった程に、浅ましくかえってなってしまった心の中を、また今宵ついに甲斐なく聞きなしてしまいますのも、ただそれほどでこそ止んでしまうべきでした」と言って、押し当てなさった袖の雫、並々でなく(前頁から続く)…お見申しになると、思いがけない心地がする、そのような様子であろうと思うのに、このようにまで尋ねられ申し上げるはずであったのでは、本当に口惜しくもあった命の程よと、そのような山伏の心地にも、今は大層口惜しく悲しかった。僧が「都の内は、また顧みるべきものとも思いませんでしたが、この人とついに逢うべき契りがあったのでしょう。故何がし朝臣の女房が参上したのに、切に誘われましたので、通う序でに比叡の山を拝み奉ろうという志で、参上した道で、思いがけず見付けました様子など、取り申すのも大層気疎い心構えの程と、お聞かせになるだろうけれど、ひたすら身をないものにしてしまおうと思い入っていた海の底をも妨げて、この山里に尼になって過ごさせておりましたのを、あちこち修行の程に詳しい様子も承れなかったのに、大層物をばかり思っておりましたので、病が付いてついにこのようになりました」と言う様子が、大層すくすくしくて、詳しい様子などを問うべき様子でもないので、狭衣が「それでその筑前の尼君はここですか」とお尋ねになると、僧が「そうです。明け暮れ恋い嘆いて、ますますぼんやりした様子になっておりますけれど、彼に何事もおっしゃってください」と言って、僧が「このように案内を伝えましょう」と

(前頁から続く)…と言って立った。仏を作り奉った方に、御座などを引き繕って対面した。本当に年を経た様子は知れるけれど、理由のない様子ではなく、尼がお思いになるはずのない幻かと、ますます乱れた心地にも静め難い」とうち震える。狭衣が「魂の在り処はここにこそ尋ね参って来ました。細かであろう御物語に少しでも慰むかと、試みたい」などとうち始め、この年頃様々に思い慰める世もなく、嘆き過ごした様子などを、夥しくないものから、少しずつ漏らし出しなさる様子などが、大層堪え難そうに堰きやりなさらないのを、それではこの御心に、大層このように思われなさっていたのだ、本当に海の底に思い入っても、なお余りある仕業よ、と聞くままに、短かった命の程、今こそますます悲しく口惜しかった。まして聞く人は絞るばかりになってしまった。狭衣が「それで、その幼かった人はおりますか」とおっしゃると、尼が様々に甲斐なく聞こえるのも気の毒なので、我が君よ、すべて聞かせ申す方法もございません。このような御事をさえ、このように跡儚くしなければよかったのに。どのような事かなど、常に夥しく(前頁から続く)…した心構えをもお尋ねになりましたけれど、かけてこのような事とは仄めかしませんでしたよ。もとより心が儚く、言い甲斐のなかった心の程よと、今宵こそ承って明らめました。兵衛督と縁ある縁とばかりは、仄かに聞きましたけれど、あの御自身はさらに殊の外に思って、数ならぬ身の程に並びなさるのも、大層かたじけないものと思いなさっていたので、それではこのようであったのだ。世に知らない御美しさを聞かせなさったので、一品の宮が大層見たく思われなさったので、百日の折に参らせ奉ったのを、そのまま止めなさって、乳母たちなど数多くしてあほしか大切にする様子などは、今御自身が聞かせなさるでしょう。大層哀れに恋しいものに思い申し上げなさりながらも、通う山賤の垣根に生い出なさるのも大層口惜しいのを、どうしようなどと思っておりました。宮にも、かえって知る人などが出て来て、知り顔に言うのもお忍ばせになるようだ」などと言うのを聞くにも、まったく思い慰める方法がなく、万事大層甲斐ない中にも、なおこの忍ぶの露は、このようにして止むべき心地もなさらない。御前辺りでは、美しさに罪を許してもお思いだろう、仕える人々などは、どのように侮り恥ずかしく思うだろう、(前頁から続く)幼い程こそそう言う言うもあるだろう、物の心を知り大人びて行くままに、その数多く仕えている中納言、宰相の君などの列までこそあるだろう、そうはいっても今は、このようであったなどと聞こえ出るのも、人の迷う道と言いながら、なおどうであろうかと思われるので、遠山鳥で止んでしまうべき事であろう、と思い続けなさるのに、亡きものと思い続けた年頃より、今少し御心の中が大層哀れである。狭衣が「いや、様々に聞こえ申す方法もありません」と言って打ち泣きなさると、本当に我が過ちの心地がして、大層口惜しく嘆かしいので、尼が今御自身、然るべき御仲には、覚束なくない様子にもおならせになるでしょう。一様の様子にもおもてなしなさらないので、行く末が頼もしくございます。御自身も、今は参らないで久しくなっておりましたけれど、この御様子によって、時々も立ち出るはずでございます」などと言う程に、後夜の念仏も始まりつつある。尼君には、狭衣が「甲斐ない世の形見にも誰かはと、今からは頼み申し上げましょう。宮の辺りに、このようにと夢々お聞かせなさいますな。必ずなお見せてください」などと語らい置きなさった。明けない前にと急いでお出になると、遣戸を押し開けなさると、暁にかけて出る月影が仄かに霞

(前頁から続く)…み渡って、四方の山辺が心細げに見渡されるのに、近くの寺々の鐘の声々も聞こえ続けて、どこで誦むのか、経の声も仄かに聞こえる。所の様子も趣深く心細くなったのを、物思いがましく眺め過ごした心の中を思われると、大層ひどく哀れなので、しばらく眺め入って、すぐには出かけられなさらないでいると、ただこの仏の御後ろの障子の列で、若い人々が物語するのをお聞きになると、お出になったと思うのであろう。人々が「ああ口惜しい。今少し早く尋ねておいでにならないで」「趣ある御香よ。なお留まって枕にも移ってしまった。通う人を、この辺りに時々でも、待ち付けなさっていらしたら、どれほど素晴らしいだろう。ひどかった御心惑いは、本当に身を投げなさったのも道理よ、並々でない人々でさえ、どうにかとお思いになるのに、露ほども心をお留めにならず、心を尽くしなさる人々が多かったとか」「姫君の美しさに、並の子供とも思われなさらなかったのは、このようでいらしたのだ。年を経た名残をさえ、それほど堪え難くあった御様子を、この暁までの命さえおありでなかったのだろう。ひどかった幸いを、口惜しい事だよ」と言えば、今一人が出て来て、「三河守の妻でいらしたよりは、これ(前頁から続く)…こそ素晴らしい。私はこのようにして死にたい」なども言うようだ。大層若い声で、「今こそ思い合わせられる。明日お下りになるといって、夜に参っていたので、乳母の夫が騒がしく言ったのを」などと語る。あの「常磐の森に」とおっしゃった暁に、車にも乗せられなさらないで、「木綿鬘鳥も」とあった様子など見た事どもを語るのに、ますます哀れだけが勝りなさるけれど、万事大層甲斐ない。秋の色はそのようにこそあろう、頼みにしたものを、待たない命のつらいこともあることよ。(初句・結句に字余りがある)などと思い続けなさるのに、念仏の回向が終わる方は、ただ打ち聞く人さえ哀れなのに、まして御袖も引き放ちにされそうもない。「云何女身即得成佛」などと言う辺りを、大層密かに口遊みなさるのが、鼻声であったのも今少し哀れに素晴らしいのを、声を立てた人々が、「まだお出にならなかったものを。お聞きになっただろう」と言う。明けた旨を申すと、お出になるといっても、山伏に逢いなさって、狭衣が「人知れず思い立つ方の心深いのを、仏がお導きになるのかと、頼み申し上げましょう」などと語らいなさる様子が、大層悲しいので、自分も打ち泣かれて、僧が「それほどお思い取りになったのを、(前頁から続く)…どうして御心に違う事がございましょう。そうなるべきでこそ、釈迦仏も三途をもお出になったのだ。前の世の契りがおありなのだろう」と言って、明けてゆく光に、目もあやに素晴らしい御姿をうち守り続けて、僧が「本当にこの五濁悪世には余らせなさった。どうして仮にもお宿りになったのだろうと、うち嘆くようだ」と聞かせ申す。狭衣が「それでこの後は、どこにおいでになるべきですか」とおっしゃると、僧が「この尼君の最期に逢い申すまでは、遠い修行など仕え奉れそうもないので、和泉の岳、竹生島などに、今年明年はいるはずです」などと言うのも羨ましく、うち添いたく思われる。けれども、明るくなっただろうと急がし立てられなさってお帰りになった。あの、人知れず置いてなさった七日七日の果てにもなったので、忍んだけれどまたまた添えさせなさる事どもは疎かでなく、常磐へも、然るべき人々におっしゃらせて、僧どもの布施、かづけ物、誦経の料など、並々でない様子で数多くお遣わしになった。その後は、尼君に、まめやかな様子に思いやりなさり続けて、絶えず訪わせなさるので、かたじけない御志を見るままに、短かった命をますます悲しく、姫君をこのように思わない方にしてしまったと聞こえたのも、大層悔しく思われるけれど、今は引き隠し紛らわし

(前頁から続く)…聞こえるべき隙もたちまちにはあり難く、大切にされなさるので、すべき方法がないのであろう。二月には、今姫君の内裏参りがあるはずなので、大殿は、腰が痛いまで出入りを急ぎなさるのを、殿の内の人も、「幸いな君だな。今こそその人の御娘などとも言われなさる。いかにも物なげない母の局から生い立った様子」などと、素晴らしいことにつけても、世の人の物言いは聞きにくいもので、この頃の扱い種にこそ言い罵った。大殿だけが、さらに大層見苦しい事と思って、殊に口入れなさらないで、夜昼言いくねられなさる。大将殿も、あの「吉野川」の後は浅ましく、帝がお渡りになる度ごとに、詠みかけ奉りなさるのだろうと、傍らで痛く情けない事が限りない。琵琶の音も、母代が唱歌して囃し聞かせ申すだろう様子が思いやられなさって、独り笑みせられなさって、ひどい物思いになってしまった。どのような仕業をして、この事を思い止めさせ申そうかと、まめやかにわりなく思い嘆くなさる証だろうか、母上の御兄の宰相の中将が、離れない仲で、御自身御覧になって、懐かしい御容貌に思う心が付いて、仄めかしなさったのを、上もお聞きになりながら、このように思い立ちになったのも、大層妬ましく心が病むのを(前頁から続く)…帝も大殿も、大層もう受け引きなさらない様子などを見知るので、後の罪も堪えられないだろうかと思うのだろう、明後日ほどになってお寝みになっている所に、入り臥しなさった。ただ子供などの様子でいらっしゃるのが、様子が変わってかえって美しく思われなさるのに、前々から思っていたよりも、忍び隠そうとする程も苦しくなるだろうのを、どうしよう、と思いなった様子なども著かっただろうか、近く臥していた母代が驚き合って、ふと聞き付けて、母代が「いや、ここに男の気配がします。空耳か。出ておいで、出ておいで、今日明日帝の君が慈しみ愛しなさるはずの我が仏を、どのような盗人がどうしたのか」と言って、火も消えてしまったので探り寄ったのに、烏帽子も手に当たった。やはりそうだと心地も惑って、母代が「人々よ、紙燭を差して参りなさい。ここに大層怪しい知れ者がいます」と高らかに言うのに、寝ていた人が驚き騒いだ。母代が「さあさあ。まず上の御前に申しましょう」と言って立ち走って、足音が大層おどろおどろしい。近くにさえ寄らず、道中から、母代が「お聞きなさい。姫君の御前に、男が入り臥しております。どう仕え申そうとするのですか」と言う。夜の声が大層高いのに、うちお聞きになるのは、本当に浅ましいことよ。近く寄って来て忍びやかにさえ言えばよいのにとひどいことだった(前頁から続く)…と、急いでお起きになって、洞院が「静かに、静かに」と言い言い、どのような事かとお渡りになって御覧になると、消えた火どもはまだ灯し付けていないのであろう、帳の片側を裏返し続けながら、紙燭を手ごとに差して、まずまずこの頃参り集まった女房の限り、二十余人ほど重なって座って、見あざみていた。洞院が「ああ物狂わしい。忍びやかにしてこそ出しやってしまいなさい。どうしてこのように見苦しく集まっているのですか」とおっしゃるのも、聞き入れる人がないので、御供に参った宰相の君という人によって、人々を除け、紙燭どもを消させなどしなさる紛れに、男君が帳の内から大層忍んで出るのを、母代が追い付いて、袖を控えて、母代が「誰ですか、名乗りなさい。そうでなければ、天の下に出しやらないで、辛い目を見せます」と、叱りかかる様子が気の毒なので、浦を通う海松は常に変わらないだろうを、蛍の刈るという名乗りをしなくても。(第4句に字余りがある。詠み手は宰相の君=中将)と言う声をも、心が惑って聞き知らない。「浦通ふ」とあるのが仄かに聞こえるので、西の国の受領かと心得て、ますます悲しく心憂いので、付き座って、母代が「ああ悲しい受領の宿世よ」と、足摺りという事をして泣く声がひどいので、上が大層浅ましく思われて、今こそ近く寄りおいでに

(前頁から続く)…した。洞院が「静かに、なさい。どのような事でも、通う事は忍びやかにもてなしてこそあるだろう、世の音聞きのひどいのをさえ、もて隠しなさい」と、大層制しなさると、走って来て、また君のお臥しになっている所に寄って来て、床から荒く引き下ろし続けながら、母代が「これらの宝を尽くして、上が思い急ぐ幸いを、心として焼き失い滅ぼしなさるのでこそあああるようだな、今どれほどの日数の心もとなさに、受領男は急ぎなさるのか。下臈の身で物の用もないでさえ、名が惜しいので、若い頃からひたすら、物したたかな男は設けておりませんものを。どちらもどちらも早くお亡くなりなさい。恥をお知りにならないよ」と、顔に当てて爪弾きをし掛ける様子が、大層おどろおどろしい様子なのに、髪を振り掛けてお泣きになる灯影が、大層心苦しいので、上が「いやはや、それでは然るべきでこそいらっしゃるだろう。ただ私が、切に、通う方様の宿世がなかったのを、強ちに思い立って人笑いになってしまったのだけが心憂い。殿がお受け引きにならなかった事を、どのようにお聞きになるだろうと思うのが、万事よりは妬ましく恥ずかしい」と言って、大層物々しく思われたのも道理である。受領とさえ見顕わして、爽やかに言い続けたのを、か(前頁から続く)…ある人とはどうしてお知りになるだろう、本当にこのようにひどく思われるので、殊に物もおっしゃらないでお帰りになった御様子を見るのに、ますます腹立ちが勝って、母代が「早く早く尼法師におなりなさい。誰々でも、どうしてお見合わせ申し上げるでしょう。その受領の北の方としておいでの後見は、まったく仕えられません。同じ様子でまた殿の内にもいられません。さてもさても、どうして、入り来たであろう折に、声高らかに打ち泣きなさらなかったのですか。心安くひれ臥しなさっていたでしょう事よ」と言って、額髪を引き上げて、母代が「出ておいで、出ておいで」と睨みかかる顔の様子は、少しでもすれば食いかきそうだ。切に心地が思われるべくあるので、また立ち走り、北面に行って、母代が「誰も誰も、むけに知る人がなくて入り来る人はないでしょう。ひどい盗人でも、頼りを尋ねてこそ入るものです。誰ですか」と、いる限りの人々を言い責めると、めいめい何も言えない誓言を立て続けて言い誓い、泣き腹立つ様子どもも、聞きにくくよゆしい。このように言い合っているのを、姫君がお聞きになると、生きている心地もせずひどいのに、心より外の事さえあるのに、尼になれと言うのさえ聞かなければ、ついにどのようにされようか、と思われると恐ろしいのに、人が思うだろう事の恥ずかしさなどに(前頁から続く)…ではなく、尼になってしまおうとお思いになって、櫛の筥にある鋏を取り出して、髪をかい越して御覧になると、普段よりもこの頃は整えられて趣があるのが、さすがに惜しく悲しいけれど、昔物語にも憂い事がある時はそのようにこそしたなどと仄かに聞いたのも思い出されるので、泣く泣く、あちこちしどけなく削ぎ落として、泣き座りなさっているのに、母代がまた責めのために寄って来たのに、見付けて、跡も枕も知らず掻き臥して、「どうしよう、どうしよう」と惑い、死に入って泣き入って臥していた。上がお聞きになって、洞院が「尼になれ尼になれと責めるのでこそあるだろう。とてもこうでも、良くない人と見る見る、通う事を思い始めた私こそ、返す返す恥ずかしい」とおっしゃるのを、大臣がお聞きになって、「いや、それだからこそ、はかばかしい事はないだろうと思っておりました。世の音聞きも、ただであるよりは誰のためも恥ずかしくもあるよ。内裏にどうお聞かせ申そうとするのだろう。よくぞこの事に一言も私が口を入れ始めなかった。母代の足摺りは、道理だよ」と言ってお笑いになるのを、上が、本当に妬ましく、腹立たしくも恥ずかしくも、方々に思い嘆く事が限りない。大将殿は、いや、それだからこそと、やっと思いが叶った心地

(前頁から続く)…しなさるものから、あまり大層品が定まった響の君よ、大層名立たしく思われるよ。憎くなかった顔つきは、さすがに哀れにも思われた。内裏にはさらに御心も行かなかった事なので、何とも御耳にもお留めにならなかった。

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底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。