ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

狭衣物語 / 第16場面

狭衣の苦悩

この場面の挿絵を見る
狭衣の苦悩をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

狭衣は出家への思いと現世への執着の間で揺れ、ゆかりの人々との歌の交わりが続く。

原文の一節を選ぶと、発音の読みと現代語を確認できます。読むだけでは音は出ません。どの読み方から始めても読了を記録できます。

表示設定

音声設定

原文の一節を押すと、読みと現代語訳が出ます。「次の一節」でも読み進められます。

狭衣物語・第16場面0 / 55
原文の一節を選ぶか、「次の一節」で読み始めます。

原文・発音の読み・現代語

現代語で読む

昼頃、内裏から退出なさる時に、一品の宮のもとへ参上なさると、やっとのことで女宮がこちらにいらっしゃった。横になって臥せっていらっしゃるのを、まず近寄って、狭衣が「ああ珍しい。私の妻だと申し上げようという怠け心でしょうか」と言って、微笑みなさる匂いも愛嬌も、あたりが苦しいほどなので、ますます顔を隠して背けなさると、狭衣が「ああ鬱陶しい仕業だ。時々は内外をお許しください」と言って、例になく引き現して申し上げると、なるほど御年もそれほどだと見えて、痩せぎすに上品で、目元はたいそう恥ずかしげに、可愛らしく清らかでいらっしゃった。御髪の垂れ具合も、さっぱりと清らかで、丈は三尺ほども余りなさるだろうと見える、末などは細らせていらっしゃる。香染の御衣どもに、青い濃い薄いの我もこうの織物を差し上げたのも、ますます匂いがなく興ざめな気持ちがするにも、かつての雪の朝に、斎院の枯野重ねを差し上げた御寝乱れ姿が思い出されなさる。華やかな色合いよりも珍しくも見えたなと、まず思い出されなさる。武蔵野の霜枯れに見た私も、こうして秋の霜のように衰えた匂いであることだ。同じ色とも見えないのは口惜しい事だなあ、と心の中で思い続けなさるのをも、人の聞かない所で心に任せていた独り言さえ口が塞がってしまったのを、なおたいそう侘しく思い余りなさって、狭衣が「冬深い霜枯れの雪の朝こそ、この色は趣がある。この頃はあまりに大人しくしている」とおっしゃるのを、ああ味気ない事どもだと耳に留めなさって、引き被りなさったのも気の毒で、心解けた御様子に、何のために申し上げたのだろうと、なお煩わしいので、ますます口数が少なく、ぼんやりと眺めて臥せっていらっしゃる御心のうち、たいそう興ざめである。女院のいらっしゃる方で、幼い人々の気配がして、走り遊びなどしているのを、そうかと耳に留めてお聞きになるのも見たくて、宮に、狭衣が「幼い人がいらっしゃると聞きましたのは、どうしてお見えにならないのですか。この足音はそれですか。所在ないので、こちらへお渡しください」とおっしゃると、一品が「いつの間にそんなにまで」とお答えになる。狭衣が「幼い人は必ず程度がある事でしょうか。御心の慣れで疎々しくもてなさせなさるようです。どんな幼い人が見たく存じますのを、ただ見せてください」と申し上げると、一品が「さあ、馴れてしまうのは悔しいと聞きますから」と言って、扇の傍から稀々ほ(次頁へ続く)のかに御覧になる目尻は、可愛らしげで煩わしい。狭衣が「ああ厭わしい。たいそう軽々しい事までお知らせになるのですね。八重に立つ山のなどとこそ言います。ああ心憂い」などと、うちなよびなさる姿や気配などは、心得のある女は、高い者も身分の低い者も、どうして見知り申さないことがあろうか(次頁へ続く)例の姫宮は院の御方にいらっしゃる。所在ない昼頃、幼い人々の音のした障子のもとへお寄りになって、ほのかな穴からお覗きになると、八つ九つ十ばかりの子、またそれより幼い子など、次々に大勢いる中に、蘇枋の織物の細長を着て、髪は肩の辺りよりも長くて、若宮の御年頃かそれだろうと見える子が、物を言って微笑んだりした口つきの愛嬌は、たいそう趣があり美しいけれど、若宮の気高さには劣る目元が、たいそう笑い顔で可愛らしいのは、ただあの夜鳴く月影に変わらなかったと見るにつけ、涙もこぼれて、細い穴からますます見えなくなった。飛鳥井姫君が「私は宮の御前へ参りたい。何だか知らない人がいるそうだよ」とむずかりなさると、十ばかりの児が、「ただいらっしゃいませ(次頁へ続く)

帝にはお目にかからなかったのかい。ましてこれは今少し身分が低くてこそあんななのだ」と言うと、また、「その宮の御前の御男子だよ。だから姫君の御父にこそあんななのだ」と利口ぶって言って、「さあ行って覗こう。姿の立派でいらっしゃる方だよ。だから姉は、お目にかかるのが死ぬほど恥ずかしいと言っているよ」など言って、抜き足で近寄って来て、障子を放って少し開けるのを、こちらから広く開けて差し出ていらっしゃると、居合わせた者皆が呆れて立っている様子がたいそうおかしい。姫君を掻き抱いてこちらへお入りになった。近くで御覧になると、まさにその人と御覧になるにつけ、涙がこぼれた。忍ぶ草を見るにつけ心は慰みもせず、忘れ形見に漏れて流れる涙であることよ。と言って、顔に袖を押し当ててひどくお泣きになるのを、たいそう不審で恥ずかしいと思っているものの、声を上げて泣きなどもなさらず、顔も赤くなり、汗も出て、どう思っていらっしゃるのか様子など、これほどの年頃ながらたいそうよく似たものであることだと、哀れな事限りない。狭衣が「放しなさらずお育てになるべき人です。こちらへ常に渡っていらっしゃい。面白い遊び道具を差し上げ(次頁へ続く)ましょう」とおっしゃると、うなずきなさるなども、今から格別に可愛らしい事などは、ただその人と思われるようだと、たいそうなまでに見えなさるのを、思いがけず思いなさる御辺りもどうしよう。長年行方もなく思いなしていた人を、これほど見るのに勝る事が何かあろうか、こうでなかったならどうして見たろう、今はただこの人に慰められて生き長らえるべきかと、この上なく思い慰められなさった。一緒に添い臥しなさって、狭衣が「雛をお持ちですか。恥ずかしがらずこちらでお遊びになれば、立派に作って差し上げましょう。若宮がたくさんお持ちの遊び道具を取って差し上げましょう」などおっしゃって、さまざま面白い絵など描き散らして差し上げなさる。もともとたいそう懐かしい御心で、微笑み、物などおっしゃるのも、あきれるほどそっくり写し取りなさっているのは、並々でない心の惑いである。人が侮らしく思うだろうに、こうだと宮に聞こえたら、と思いなさるが、物語も打ち解けては聞こえにくい御有様なので、何をか、そうでなくとも、今は私がこうしているのだから、たいそうよくもてなそう、と思いなさる。女である者が、こう物怪のない様子であることこそ口惜しい、どうして今少し、人が漏れ聞くにつけ人(次頁へ続く)人並みのあたりに通う事がなかったのだろう、どれほど優れた事も見えなかった仕掛けの子草の種を留めたのだろうよ、など数ならず思い出しなさるにつけ、ますます昔の秋だけが恋しくおなりになる。万事ただ、このような方で思う事が叶わなかった宿世だなあ、と口惜しいことよ。涙を拭い隠して、宮の御方に、狭衣が「どうしてお渡りにならないのですか。所在なく侘びて、幼い人を語らって慰めております」と申し上げなさるが、我もこうの恥ずかしかったことに、ますます対面しにくく思われてお渡りにならない。先ほどの幼い人々が参って、こうこうと語り申すと、一品が「あれほど心の隈の多い人に、幼い人をわざわざ見せたのですね。どうして誰が連れて行ったのか」と、ものものしくおっしゃるので、子供が「誰がお連れ申しましょう。この子供たちが騒がしくて、御障子を開けたのです」など、乳母かと聞こえる人が参って、乳母が「今はお渡りください。人に知られない御歩きこそ、不審です」など申し上げるので、聞きつけて立ち去りたく思いなさったので、抱きなさって、声のする方の障子のもとへお寄りになって、狭衣が「ひどく疎々しく誰ももてなしなさるが、この心はたいそう美しく相思いなさるようであれば、はしたな(次頁へ続く)

う、似つかわしくない気持ちがしますが、今からは慰められましょう」と言って、差し出ていらっしゃる様子がたいそう眩いので、扇を差し隠しておいでの様子なども見苦しくないので、狭衣が「何とお呼びしましょう」とおっしゃると、姫宮が「母とこそ」とお答えになったのがたいそう可愛らしくて、狭衣が「今からは、それでは母をこそお頼み申し上げましょう。なお相思いなさい」と数え上げ申し上げて、引き立ててお退きになった。「忘れ形見に」とあった御独り言を、宮の御乳母子の中将という人が、御障子のそばでたいそうよく聞いていた。宮の御前で細々と語り聞かせなさると、それではこの児は、某の少将の子と聞いていたのは、そうではなかったのだ、これによってこの辺りに尋ね寄っていたのか、ひどく物思いしている様子なのも、この事にこそあったのだ、などお分かりになるにつけても、たいそう侮らしく思いなさっていた縁ではあるが、ただ美しかった人によってこそ、所在ない折に趣ある様子に育て上げて持とうと、思い静めなさったが、これほど見たくなく辛い人と思っていたのに、ますますこの子の縁だけで、心は空のまま見過ごそうとするのは、など思いなさるにつけ、人目も悪くたいそう口惜しい身の宿世だなあと、ますます思い嘆(次頁へ続く)きなさった。その後は、姫君をもお制しにならず、常に渡らせなさって、御自身は以前よりもますます疎々しくなりなさる。稀々にお目にかかる宵々も、またたいそう気遠くもてなして、たいそう無理な事が増していくけれど、内裏などがお聞きになる事を思いなさるので、宮のお思い寄るのも明らかで、ただこの忍ぶの露に通って、見知らぬ様子でお過ごしになった。姫君は、ひどく馴れ睦み申し上げなさって、ただこの御方にだけいらっしゃるので、抱いて可愛がりなさる。狭衣が「年が積もるうちに、通う人のないことこそ所在ないでしょう。心に任せる事などのように、殿などが、今まで見せない事と責めなさることこそ無理です。本当に持ち続けるべきではないのか。あちこち、例の人のようであったなら、自ら言い出してくる人もあったろう。今はどうしよう。姫君をこそお頼み申すべきでしょう」と素っ気なくおっしゃるのを、無理に隠すべき事だろうか、聞きたいわけではないけれど、万事に隈のある心の程だなあ、まして、どうなどと思いやられる心の中も恥ずかしく、いつまでと仮初めにだけ思われて、どうにかして、なお思い立った有様にもなりたいものだ、と思いなさった。

霜月頃には、若宮の御袴着の事をお考え立てて、大殿にもお急がせになるにつけ、この姫君も同じ年頃であろう、と思いなさると、この序に着せたいとお思いになって、宮に、狭衣が「この君はいくつですか。袴着はまだですか。それでは若宮の御事、殿のお考え立つのが羨ましいので、私が急ぎましょうかと思うのを、差し出がましいでしょうか。また知るべき人はおりませんか」とおっしゃる。たいそう気に障るとお思いになって、思うよりまた思うべき人がいるかと、心に心が問えば知るだろう。と言って少しほほ笑みなさるのは、お聞きになっているのだろう、常磐の尼君が聞こえていたのだなと思いなさるが、すぐにこれに書き付ける。思うよりまた心があるならばこそ、問わずとも知って惑うだろう。分からない事どもだなあ」と言っておやめになった様子、余りが多く恥ずかしげなのも、たいそう見たくなく思いなさるので、なるほど同じ心で、通う序に、どう着せたく思うだろう、ただうち任せて、そのように渡した序に、そうであってもよい。これが縁で、あなが(次頁へ続く)ちに堪え過ごすのも、たいそう人聞き悪く思われるのを、這う木が多くなったので、長く思っていた本意のままになって、どれほど嬉しいだろう、年月を重ねては罪だけが積もるだろう、こうして見過ごしても、どれほど目安がよいだろうか、などお思いになって、院にも、こういう次第ではあるけれども申し上げなさらず、ただ、「一宮・若宮の序に同じ所ででも」と申し上げなさると、女院が「序でなくとも、それほどの事は格別でも難しくはないでしょう。たちまちに、知らない人に何を任せなさるものか」とおっしゃると、一宮が「けれども、わざわざ仰々しく思い立つべきではないのを、何をか、ただでさえ、ひどく見たがりなさるのを、通う序にと思っているのでしょう」と言って、なお渡そうと思いなさったので、女院が「そういう様子こそ」と言って、その御心の準備をさせなさった。大将殿は、以前の後は、煩わしいのでまたも申し上げなさらず、人知れず口惜しく思いなさっていたが、明日になって、一品が「姫君は今宵お渡しになりますか」と申し上げると、平素そうおっしゃらなかったので、狭衣が「急にはどうして」とおっしゃると、一品が「予め皆思い用意したけれど、ここではわざとらしく思い立つのも煩わしいので、なるほど序がよいでしょうと、院もおっしゃっています」と辛うじて言い続けておっしゃるのも、お聞きになっているのだったと思いなさると、甘えて、序でなくとも、年が改まって二月頃にいたしましょう。こうも見聞きするので、自ら一人だけは同じ心で申し上げます。外へは、たちまちに、そうでなくともおりましょう」と申し上げなさるのを、またどうお思いになるかと思いなさると、返す返すもおっしゃらず、一品が「心もとなく思っていたものを、院の御方でも、忍びやかでもありましょう」と独り言をなさると、狭衣が「それもどうして。わざわざ院の御前で、女子は手に触れてお仕え申し上げたいのです。あちらでは誰が」と、事なしびにと言いなさるにつけ、なるほどお考え立った事どもも甲斐がなさそうなのを、突然の便りでなくとも、難しくあるべきでなければ、今は私が思い煩うべきではない。それほど事なしびに言いなしても、どれほどもてなしたく思うだろうものを、引き忍んでいたら、なお味気ないだろう、など思いなさると、院に、内々の事は申し上げなさらず、狭衣が「これほど思い立ちましたからには」などおっしゃらせて、御腰結いに、自らの代わりにと、大殿に申し上げなさると、お渡りになって着せ申し上げなさった。大将も若宮のお迎えに、昼(次頁へ続く)

より御暇はないけれど、あまり見入らないのも人目に不審なので、同じ様に扱いもてなしなさった。その程の有様は思いやるべきである。大人びて仕立てられなさった美しさを御覧になるにも、人知れず哀れな御心のうちである。若宮は、やがてその翌朝お渡し申し上げなさった。御供には乳母たち二人、女房二十人が参った。紅どもに、竜胆の表着、菊の唐衣を押し渡して着ている。御支度など、並々でなく目出度い事は更なりである。万事よりも若宮の御美しさを、上は、よそに聞きなさっていたよりももっと美しく、有り難く御覧になるにつけ、類ないものと思い申し上げなさる。大将の御子として生まれに違う所なく似ていらっしゃるのは、なるほど前世から契りのあった御仲かと、美しく有り難く、哀れにお思いになる。大将の出入りなさる時に、御指貫の裾にまつわって、抱かれようとばかりなさるのを、たいそう悲しげに思い申し上げなさる様子なども、近くで御覧になると、なおどうなった事かとまで思われなさった。暮れたので、御子たち左右の大臣を始め申し上げて、世にある人、高い者も下る者も、参らない人が誰かあろうか。御前の御支度の有様な(次頁へ続く)どは思いやるべきである。立ち明かしの昼よりも明るいのに、若宮の御直衣などを鮮やかに仕立てられなさった、大人びた御様子の立派さを、誰も彼も涙を流して見申し上げるにつけ、大将の御心のうちは、ますます掻き曇らされなさるのも今らしく、堰きあえずお泣きになった。その夜の事も書き続けたいけれど、長くもなるかと漏らした。その後は、若宮を母宮が、見申し上げないでは片時もどうしてと、様子の悪いほど御目を放し難く思い申し上げなさって、更にお返し渡し申し上げなさらない。前斎院の御所在なさも心苦しく、大将は推し量り申し上げなさると、狭衣が「どうして」など思いおっしゃるが、大殿も、「大人びさせなさるままに、あちこちでは、自然と心ならずも、疎くもありましょう。またたいそう所在な(次頁へ続く)い慰めにも」などおっしゃって、お許しにならないので、気の毒さに、こうして後は、たいそう丁寧に参りお仕え申し上げなさると、御後見たちも、実直に有り難い御心だなあと、嬉しく聞こえるにつけても、どうして、今少し思いのない仲らいでさえ、見お世話申し上げなさらないことがあろうか、と思った。大将の御心にも、同じ憂き世の有様ならば、そうであってこそしかるべきなのに、こま(次頁へ続く)かである、御姿などはどうだろう、大方の御有様は、たいそう上品で気高いものながら、筋の異なる御有様どもを、どうして今思い寄りなさったのだろう。黄昏時のたどたどしい程にお参りになって、狭衣が「若宮までお移し申し上げて、ますます紛れ難い御所在なさを、推し量り申し上げながら、御殿居も、心ならず怠っております」など申し上げなさるのを、女房たちが「今はまして、こうお定まりになったのを、あまりに若々しく、お分かりにならない様子なのも、かえって様子に合わないのでは。嵯峨の院も、そうこそどちらをも申し上げなさるでしょう」と、集まって申し上げるけれど、どうにもお分かりになるのではなく、ただ世に知らず恥ずかしげな人にどうして、とたいそう強く思いなさって、わざわざおっしゃらないけれど、近しい程にお参りになった折々は、なるほど余りであるのもどうと、気の毒な御心の様子も御覧じ知られるので、ほのかだけれど、そうかと漏れ聞こえる御気配は、ただ入道の宮の同じ様子かと思われるにつけ、もの哀れに思い出されなさる。それほど無理な心も遣わなかっただろうに、もて離れていた御宿世どもだなあ、心ゆかずながらも、今(次頁へ続く)

日まで見申し上げる人はなくてあったろうか、逃れ難かったからこそ、思いがけなかった濡れ衣さえ乾かしあぐねて、誰も彼もこう思いなさったのにまさか、過ぎ去った方の隠れ蓑を、見現す人のなかったことこそ、そうしたはかの心が遅れていた懐紙の序に、取り騒がれなかったばかりのものを、よしやそれは、しかるべき長き世の物思いとなるべき宿世でやんだとしても、この御藍染の程に、どうして空言など言う人はなかったのだろう、と過ぎ去った方の悔しい御癖は、そうもあるまじき事さえ取り返して嘆かれて(次頁へ続く)同じことなら着せておくれ、天の濡れ衣を。よそふる浦に、憎からん親よと。何となく言い消ちになるのは、人が聞き知るはずもないけれど、院は少しお分かりになるだろう。しかし聞き知った顔をするのも強ましいので、ますます奥深くさせていらっしゃるのも、飽かず思いなさるべきである。本当にあの常磐の尼君の娘は、長門のにはなかったからか、小宰相といって、心ばえや姿など並の若い人よりは目に安らかだったので、昔の友と思い睦む方もこの上なく、事に(次頁へ続く)触れつつよそに見せつつ、懐かしく語らいなさるのを、姫君を思い聞こえる方様には、どうして疎かに思い申し上げようか、過ぎ去った人の事なども、ますます耳に留めなさるばかり、申し上げる折々などのあるのを、忍びあえない様子で、同じ心に語らいなさるのを、自然と様子を見る人は、心安からず言いさよめくのを、どの方角につけても同じ心であったと、宮は気に障ると思し召されるけれど、通う方の物憎みして見えるのもたいそう恥ずかしく、自分の心の中では事が違っているはずである。ただ今日明日にでも、女院が見申し上げさせなさるようになった後にこそ、身をもどうにかしよう、と思い取りなさって、どうにも見入れさせなさる事がなくて、ただ明かし暮らしていくよりほかに事はない。夜もお渡りになる事がないので、ただ山鳥の様子で明かし暮らしなさった。

任意の復習へ

底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。