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狭衣物語 / 第17場面

故姫宮の亡霊(巻第三之下)

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故姫宮の亡霊(巻第三之下)をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

巻第三之下に入る。故姫宮の亡霊が狭衣の夢枕に立ち、常磐の森では太秦の女君の書き付けが見つかる。

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狭衣物語・第17場面0 / 132
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現代語で読む

違う所と思い慰みなさっていた一条の宮にも、若宮がいらっしゃらないので、隠れ所がなくて、若宮に事寄せなさって、殿勝ちにばかりおなりになるのを、内裏にお聞かせになる事は、たいそう便りのない事と、大殿が申し上げなさると、大方世に名ありそうと思いなさったのと、難しいので、斎院に参ってお隠れになった。常の冬よりも、雪や霰がちで晴れ間のない空の様子も、たいそう異様に乱れまさりなさるようだ。御前の方を見やりなさると、小さな几帳を引き寄せていらっしゃるので、はかばかしくも見えないけれど、御衣の袖口などは隠れもない。蘇枋の御衣どものたいそう濃い色から薄く匂っている上に、唐の浮線綾の、白いような籬の菊の枝ざしから始めて、移ろったのにも、色々に織り浮かされているのも、例の事である。しかし人柄では、なるほど並々でなくああ目出度いと見え、御髪が、肩の辺りからこぼれ出ている、御額髪の、袖口(次頁へ続く)まで、ゆるやかに引かれ出ていたのも、様子が格別に見えるのに、御衣の裾に溜まって行った裾の削ぎ末など、絵に描いたようであるのも、こうもないのを、万事に口惜しい目映りの、ますますしきなめりである。ますます外様にも見られなさらず、つくづくと見守り聞こえなさる御心のうち、たいそう口惜しく、憂き身の宿世をお知りになるべきである。残りなく差し向かい聞こえた折、何事を思ったろうと、過ぎ去った方まで恋しく思い出なさるにつけ、御懐に寝ていた猫が、起き出て、端の方へ出る綱に引かれて、御几帳の帷の引き上げられたところから見合わせなさると、御顔がたいそう赤くなりながら、わざわざ引き入りなどもなさらず、御扇に紛らわせて少し傾きなさった御簪、御髪の垂れ具合から始めて、久しく見申し上げなかったからか、なお様子が格別に目出度い御有様だなと思うにつけ、心憂い身の有様や、どうして、たいそうかばかりの事こそ堅いだろう、少しもなぞらえるばかりの、寄せ見るべきでない、物思いを知らず、幼かったその頃から、何事も斜めな人を見まい、ただこの御有様に劣る宿世があれば、世にもあるまい、と安い空もなく思い砕いた心の中は、どうして露ほども叶(次頁へ続く)う事がなかったのだろう、いやはや、私の心は、万事に言い甲斐がなく、男らしい心がなくて、親にもひどく任せられ申し上げて、心からたいそうこう憂き世にも生き長らえるのだなあ、と思い続ける、身の外に辛い人がなくて、例の脆い涙だけが、道理を知らないものである。紛らわしに扇を打ち鳴らして、猫を、狭衣が「こち来い」とおっしゃると、近寄って来て、可愛らしい声で鳴きつつ懐く移り香も、身に添わせたく懐かしいので、袖から隔てなく入れなさると、喜んでむつれる様子が、たいそう美しく可愛らしい。くねくしく侘しい目を見るよりはこうしてこそあるべきだ、と思いなさって、狭衣が「この猫はしばらく預けさせてください。人肌に付けるよりは」とおっしゃるのを、宣旨という人が打ち笑って、宣旨が「今でさえ何という人肌を尋ねさせなさるのかと、大人しい御扱いさえさせなさるというのに、猫は所狭くこそ思われましょう」と聞こえると、狭衣が「もちろんだ、岩間をくぐる水さえ漏らすまいから」と言って、打ち笑いなさるものの、たいそう頼る心のうちも、今はお知らせにならないので、思い直して、いつしかとお思いになるものだから、しかるべき縁の睦まじさまでして、もて扱おうと思し召すのだろう、同じ様子ながらだ(次頁へ続く)

に見申し上げるまいと、聞こえ知らせ申し上げるまいものを、と恥ずかしくひどいとも世の常である。御前にいる人々の、絵など描き散らした筆どもが見えるのを、お取りになって、紙の端に、見てはいるけれど、あるのかないのか分からないこの身を、人は人と思ってくれるだろうか。手すさびのように、片仮名でお書きになって、懐の猫の頸綱に結び付けて、人が少し立ち退いた時に、狭衣が「ああ寝汚いなあ。今は起きて参りなさい」と押し出しなさると、聞き知った様子で、外様へも行かず、参って睦れ参らするのがたいそう羨ましいことよ。年の果てになっては、あの常磐の事を果たさせなさった。御志の印には今は何事をか、と思いなさると、経仏の御飾りは並々でない。本当に目の中に仏道が成りそうな様子にお思い置いていらっしゃった。その日は、ひどく忍んで自らおいでになった。講師は山の座主であった、講僧は六十人、七僧なども、並々でないのをさせなさった。常の法の詞とはいえ、一乗の法文が優れるよ業にや、願文の心ばえを泣く泣くお読みになるのも、涙を流さない人がないのに、ますます大将殿は、直衣の袖も引き放ちえず、そうした人は(次頁へ続く)目もあまり心弱いかとお慎みになるけれど、ただうち聞く物語、古い歌などさえ、私の思う筋であるのは、この上なく目に留まって哀れな業であればなるほどである。見申し上げる限りの人々、僧なども、誰であろう、たいそうこれほど思いなさっていたのは、なるほどたいそう口惜しい命の程だなあ、と見て驚かない人はいない。様子よくたいそう尊い事どもは多いけれど、長くえまねばねば、たいそう甲斐がない。事が終わって僧どもなども皆退出したけれど、自らは留まりなさって、尼君にお逢いになって、姫君の御有様など語りなさって、尽きせず哀れと思いなさった。入相の鐘の音がほのかに聞こえた夕暮れの空の様子も、所の様子が言い知らず心細いものを、簾を巻き上げてつくづくと眺めなさりつつ、行い澄ましていらっしゃる気配は、ひどく哀れである。暁近く成ったろうと思われるまで居明かしなさって、あまりに苦しいので、やがて端の方でうちまどろみなさると、ただ在りしながらの様子で、傍に居てこう言う。亡霊は、暗いところから暗いところへ迷う死出の山を、問うにつけ通う光をも見る(「亡靈」を除く歌本体は31音)。と言う様子の可愛らしさも珍しくて、物を言おうと思う程に、ふと覚めて見上げると、遥々と見え渡されて、月だけが仄かに、移りゆく雲の果てまで、残りなく爽やかに澄み渡った空の様子は、ただの寝覚めでさえ物心細いに違いない程なのに、先ほどの面影はただ現実に覚えなさって、見回されなさるのを、人々は皆遠く退きつつ、たいそうよく寝ていた。一人つくづくと空を眺めなさりつつ、泣く泣く越えるだろう死出の山路まで思いやられるように、あの芳野の山本が恨めしげだった様子などの、何となく懐かしくおかしかったのも、ただその折の気持ちがしなさって、遅れまいと契ったその人の、死出の山の三瀬川にや待ち渡っているだろう(30音、1字足らず)。と思いやるにつけても、枕は浮きそうだけれど、起きなさって経をお読みになる。「皆如金色從阿鼻獄」という辺りを心細げに読み流しなさる、言い知らず悲しいのに、寝ていた人も驚いたのか、ここかしこに、鼻をすする者がある。仏さえ現れなさった御声なので、人はまして忍び難かった。明けたので、所々に誦経などをしに遣わして、今日は帰ろうとしなさる。昨日しつら(次頁へ続く)

に、万事取り拵えられたのをご覧になると、常に居た柱に物が書かれている。頼みにしていた、常磐の森よ、これは人の頼みになる名にこそあったのだ(32音、字余り)。言の葉をなお頼もう、はし鷹の解き帰る山は紅葉しなくとも。などとあるのは、あの「しひしば」とあったのを忘れなかったと御覧になるのは、どうして哀れにお思いにならないことがあろう。暦など苦しく覚えた折の手まさぐりか、臥しながら書いたと見えて、下の方に、その文字とも、はかばかしく見えない様子で、なお頼む常磐の森の真木柱、忘れ果てるな、朽ち果てるとも。とあるのにも、夢の面影まで立ち添って、更にお思い澄ましになれなかった。寄り居た跡も悲しい真木柱、涙の浮木になってしまうだろう。と言って、すぐにも立ち退きなさらないでいると、殿から尋ねて奉らせなさった人々が参って、人が「昨日の今宵など、おいでの所をお知らせにならず、夜通しお騒がせになった事」など申すと、狭衣が「会いましょう。さて懲りさせてください、あまり難しくおっしゃるのに」とは呟きなさ(次頁へ続く)いながら、今日さえ音もなく暮らしなさるべきではないので、お出になるにも、真木柱はたいそう顧みがちに思われなさった。年が改まったので、今年は斎院がお渡りになるはずと、本院を造り磨かせなさるにつけ、大宮辺りの賤の垣根まで、心格別に思い用意して、同じ板檜垣などとはいえ、程々につけて用意を加えたのは、なるほど情けこの上ない。今年の賀茂祭は、今から様子格別に、世の中を揺るがして思い営むのは、どうなるべきか。その日は一条の大路を、お渡りになるべき際の高い賤しい家々のうち、思い急いだ牛車、随身、小舎人、雑色の姿も、馬鞍、薄大口、馬添の装束の飾りを、どうにか世に珍しく人に優れてと思い営むのはもちろんのこと、然るべき宮々、また人数に少しでも我はと思いなさる所では、立ち上がる人々は、物見なさるべき出し車の袖口、童べの姿、けいし、葵の飾りまで、珍しくと心を尽くしなさる様子ども、中の品の程でさえ、一条の大路に差し出すべき所もないかと聞こえるのに、遠い田舎の民どもも、苗代水の行く末を知らず、早苗を引いて植える田子の蓑裾どもも、皆川上にささら(次頁へ続く)すを役にして、物見する事を営んだ。まして都の内の賤しい男は、道や大路の往来にも、明け暮れの身の営みの苦しげさに添えて、言い数え思い用意する有様は、どうだろうと思うと心もとない。殿の中でも、いつしかとこの御営みをこそ思い用意なさったが、限りがあるので、栄えのない御有様で騒々しい事を、人々ももつれくに思っていたのに、この折にこそ、物の清らかさを尽くして、神さびた様子ではなく、珍しく人が見思いそうな様子に、と思い置きなさったけれど、何事も限りある事なので、白銀黄金を打ち重ね、高麗・唐の錦を裁ち重ねても、目に慣れない様子はあるまじきと口惜しかった。世の人が、たいそう仰々しく言い思うだろう印には、出し車の数など例に優ったのを見よと言って、やがて女房の仕える限りを、引き続くようにお思い置きになった。やむごとなき人々十人ばかりは、今四十人、童八人が乗るべき車は、所々に透き通って女別当などの同じ糸毛で、隠れなく目出度くして参らせるべき旨、受領どもの辺りで、我も我もと心を尽くし(次頁へ続く)

た、なるほどどれほど目出度かったろう。狭衣、近衛司の使が、年に一度駕を出していたのさえ、その日の見物にはそれに優る事があろうか。これほど挑み合って駕を出したらん透車に、生半可な頭つき、姿形で乗っていたら、眩ゆくなりそうな業だなあ」と、今から大将殿が明け暮れ言い囃しなさるにつけ、若い人々は実直に侘び惑うのは、道理である。然るべき人々の娘たちが、心の迷いに傅き立てて、親や兄などにさえ、絶え絶えに差し向かう事もせず、帳の内、母屋にさえ、小さな帳を身から放さずなど慣れているのは、ただ簾を上げて、昼中に一条を渡るのさえ、たいそう侘しくなりそうな業なのに、まして扇などさえ隠れなくばかりなされたので、実直に泣きそうな様子どもが多かった。御禊の日も近くなったので、早朝から大殿が立ち居お急がせになって、堀川が「人の上で見るだけでも、日がひどく暮れるのは心もとないのに、遅い」とおっしゃるので、常より格別に事どもが早く成って、出し車どもを寄せて載せさせなさる。無理もないと思いくるざり出た人々(次頁へ続く)の姿有様、なるほど年頃三十余りを具えた人を尋ねさせなさった印は、この上なく見えるので、心格別に世に聞こえる透車の透きかけを、心安く御覧じ渡す。衣の色は格別珍しくないけれど、長き世の例と思し召すのか、松の深緑を、いくつともなく打ち重ねた多さは仰々しい。同じ色のさうかんの表着、藤の浮線綾の唐衣に、「松にとのみも」と縫い物にしている。裳は青い海部の浮線綾に沈みの岩を立てて、黄金の砂に白金の波を寄せて、浸れる松の深緑の心ばえを縫い物にしていた。童は、同じ色で、上の袴、汗衫など、女房の裳唐衣などの同じ心でいた。言葉に書き続けたのはたいそう見所がなく、これがひどかったと言って、非難され笑われそうだけれど、その折車が引き集められていたのは、なお常よりは見所この上なしとあった。どの色も、言い続けたよりは、染め柄が清らかにあるのだ。同じ綾織物、禕物などとはいえ、清らかさはこの外に、同じ者の仕業とも見えずとこそあるので、こう書き続けたよりは、見るのは目出度くこそあったろうと思いやるべきである。御車は唐ののか、例よりは小さくて、珍(次頁へ続く)しく美しい様子この上ない。殿、大将殿が、御几帳の左右を押さえて立ちなさっているのに、上が万事に繕いつつお載せ申し上げなさるのにも、なおためらいがちにお思いになって、すぐにもお載せ申し上げかねるのを、大将殿が、帳の傍から少しお覗きになると、唐撫子の三重の織物に、同じ色の三重の小袴を着させなさって、笄を寄せなさった元結に、御額髪がうち添ってなよなよと引かれ行く様子は、たいそうもてはやされて、艶めかしく目出度く見えなさるのにも、心の迷いはまずして、なおこれほど見なし申し上げたよ、ああ口惜しい、と覚えるのを、神もどう御覧になるだろう、いやいや、こうばかりさすがに立っても離れず覚えるので、更にはかばかしくもないと、自らさえお断わりになる。御車を引き出すと、上も物をお覧になって、やがて本院へお渡りになると、また御車を寄せて申し上げる。兼ねて聞いていたのに違わず、一条の大路は露の隙もなく、河原まで立ち重なっている。車桟敷の数の多いことなど、すべて徒歩の人が頭を差し出すこともできないのに、賢く身のなる様子も知らず、同じ上に重なった様子はたいそう侘しげである。然るべき所々の桟敷の有(次頁へ続く)

様子、物見車の袖口などまで、なるほど兼ねて聞いていたのに違わず、目も眩む事ばかり多かった。まして御供の人々は、例の数よりも多かった。めいめい出し立て急いだろう家の中、なるほどどうなっているだろうと見えて、目出度い年の禊の有様である。河原にお着きになった有様など、例の作法にも事が添って、長き世の例にもと、何事も目出度く見所が多かった。宮司が参って、御祓えを仕え申し上げるのは、たいそう神々しく物恐ろしく聞こえるけれど、大将は昼の御有様だけが心にかかって、狭衣(の歌)禊をする八百万代の神も聞け、私こそ内心思い初めたのだなどお思いなのは、後ろめたい御兄の心ばえであるよ。お帰りになってはたいそう苦しいので、誰も皆休み過ぎして、又の日早くお起きになって、珍しい院の有様を御覧じ渡すと、たいそう狭くて、はるよ方なきこよちせさせなさるのも、見慣れない様子に鬱々と御覧になるよ。今はこうしてこそはと、行末遠くお覚えになるのにも、広く面白かった殿の内の池、山、木立の景色、又は見るべき様子もないのだよと、恋しく思い出されるように、御前に流れているのは、有栖川と名乗るとお聞かせになるのにも、斎院は私だけ流れようか有栖川の岩漏る主は今は絶えまいなど契り深く御覧じやって、東面の母屋の中柱に寄り居させなさっている様子、御髪の余りなどは、絵に少し畳み似せても、人に見せたいほどだ。折しも、大将殿が、上のいらっしゃる北の対の南の戸口から、隅の間の妻戸の御簾を引き上げて参らせなさったのに、御障子の開いた所から見通し申し上げなさったのは、なおたいそう忍びがたくて、榊をいさよか折りなさって、少しお伸ばしになって参らせなさる。狭衣(の歌)榊葉に通う心をどうしよう、及ばない枝に思いは絶えるけれど見ることさえお返しにならない、ひどく恨めしいなあ。祭の日の事どもなど、例の作法である。近衛司の使は、大きな大臣の御孫の少将であるよ。権大納言の御子で、たいそう若く美しい御様子で参りなさったのに、やがて内裏の文を付けさせなさったので、南の隅の間の戸口から取り入れる様子は袖口を思いやるべきである。上は御覧ず(次頁へ続く)ると、帝(の御歌)我が身にぞ葵は余所になりにける、神の印に人は挿頭すけれど(読みは30音で1音不足、要再照合)葵重ねの紙の、並々でない色・肌など、なおさらの事である。今日は御返事があるべきでないので、御使もお立ちになった。出し車どもは、今日は春夏秋冬の花の色々、霜枯れの雪の下草までの数を尽くして、十二月まで色を尽くさせなさった、表着、裳、唐衣などまで、その色に従いつつ、高麗・唐の錦を尽くし、瑠璃を延べ、白金黄金の置口をし、蒔絵、螺鈿をし、絵を描きなど、すべて真似び尽くすべき様子もなかった。この世の人の着るべき物でもなくお仕立てさせなさっていた。御輿の駕輿丁の成り姿まで、世の例にも、実に書き置きたいほどである。お渡りになる間は、そこら広い大路、世にも知らず香ばしいのに、私はと思った数多くの車どもが、榻を下ろさせてお過ぎになるのは、なおたいそう気高い。御社に参り着かせなさる有様など、例の事で思いやるべきである。殿もやがてお留まりになったので、どの上達部殿上人が、おぼろけの身の大事でない者はお帰りになるべきか、若上(次頁へ続く)

上達部などは、土の上に、片の様な御座ばかりで、夜通し女房達と物語しつつ、明けるのも知らない様子なのに、京には音もなかった郭公も、斎垣の辺りには声が馴れていた。若い人々の耳に留めないことがどうしてあろうか、内にも外にも言い交わす事どもがあるだろう。けれど、一人二人の事ならばこそ書き留めよ、皆ながらは煩いので止めた。吹き渡した川風の音も、今少し物心細く、草の枕は、ますます露ほどもまどろめないのに、ただこよもとに寝た声をして、うち咳ぶくのである。大将殿が御前近くお仕えなさったので、狭衣(の歌)思う事が成るともなしに、ほととぎすが賀茂の瑞垣を訪ねて来たと独り言ちになるのを、女別当(の歌)語らえば神もお聞きになるだろう、ほととぎすよ、思う限り声を惜しむなと明け離れる山際なども、外には似ず趣があるのを、若い人々は、面白く思う事限りない。

万事はさすがに例なからむ事はいかどと恐ろしさに、古い跡をお尋ねさせになると、いらっしゃる所の、ただ仮初めに物儚い御屏風などばかりを、いらっしゃる御辺りで、露わになるのに、風さえ他にも似ず物騒がしくて、倒れ騒ぐのを起こし扱うのを、大将殿はお覗きになりつつ、狭衣「たいそう露わな業だなあ。いらっしゃる所ばかりは、なお例にも違いそうだ。斎院こそ、生半可にいらっしゃるのは悪しかりそうだ」と言って、繕い歩きなさると、大人しい人々が、「このような定過ぎた様子などでは、差し出で難くございます。万の人にただ向かったようなので、この若い人々さえ、何しに車を降りたのだろうと侘び惑った」と聞こえると、狭衣「それは、車でも同じように隠れなかろう、けれど、たいそううつつげに侘び恨みかける人々もいるようなので、ただ心安く思え。杜の下草こそ辛い業なのだ」と微笑んで見送らせなさる御眉の痛々しげさには、何事が優ろうかと見えた。例でなく花々しい所では、ますますけざくと光るように見えなさるのに、例の過(次頁へ続く)し難くて、御几帳などを引き繕いなさる迷いに、狭衣(の歌)見るたびに心を惑わす挿頭かな、名をだけ今は掛けまいと思う(読みは32音で字余り、要再照合)と言って御衣の袖をただ少し引き動かしなさると、思いもかけず少し見返らせなさった御顔の、隈ない所では、ますます千歳を経て守っても飽きる世はあるまい、並大抵の所さえない心がたいそう悲しかった。物見ると言って、人々も皆端の方である程であるべきで、気近いのもさすがに物恐ろしいのでお立退きになるのは、たいそう口惜しいなあ。いやいや、こうだと見定め申し上げた折など、身をあらぬ様にして消え失せていたら、こうばかり心尽くしに侘しくなくて、今はようやく思い忘れもしたろうものを、なおこうしてあり果てまいそうだったとお思いになる。事が果てたので、狭衣「あのあった御返しを申し上げさせなさい」とそよのかし申し上げさせなさるけれど、斎院「ひどく苦しいのでと言って、やがてお臥せになると、母宮は大束ながらむやは」と言って、上ぞ申し上げさせなさる。母宮は余所にやは思いなるべき諸鬘、同じ挿頭は掛けも離れず(次頁へ続く)鬘にお着けさせになった。御覧になるのにもなお口惜しい御心の内は絶えない。女御・御息所が数多くお仕えなさるけれど、いずれも優れて時めきなさる方もない。なお古くからお仕えになって、宣耀殿ぞ取り分けなさる様子でいらっしゃるけれど、皇子がどうにもいらっしゃらないので、今まで后にもお居でないのである。御年もようやく三十にお余らせになるのに女宮たちさえいらっしゃらないのを明け暮れの御歎きで、嵯峨院の若宮を、どうして預かり申し上げなかったのだろう。そうは言っても大将が、我が物に思い申し上げているのも羨ましく、実に並々の国王よりは目出度い人の、縁となりなさっているのは、実にたいそうあらまほしいけれど、自らの有様もただ人として見るのは、たいそう心苦しく惜しい心地がするのに、又同じ様子で立ち添いなさるよりは、などおっしゃせたのを、嵯峨の院にもお聞かせになって、嵯峨「斎院のお扱いにとお思いになってここにお譲り申し上げた。その本意が違いになったので、今は実にそうでなくてもありそうだったけれど、どちらの御為にも有り難い心の程を、今はと改めるのも軽々しいようにぞある(次頁へ続く)

のお世話によりなさるべきでもない。それで、生な宮腹で後ろめたくする人がいないよりは、大将に任せたのに、悪くもなかろう」などおっしゃせた。男皇子がいらっしゃらない事を、世の人どもが心もとない事に言い思って、娘どもを持ちなさる人などは参らせ集めなさるのを、大殿はたいそう羨ましく、今更に堀川「通う人の少なくいらっしゃった事」とお歎きになると、大将は、前斎院の御事を申し出なさって、狭衣「昔から嵯峨の院の御志が有り難くお思いだったけれど、様々に甲斐ないように御覧ぜられて止みました代わりに、同じくはそのようにでも、甲斐なかった心の程を見え申し上げたい」など申し上げさせなさるのを、実に若宮の御有様などを見申し上げなさるのにも有り難い御心ばえぞと、こうした御大人心を、美しく思い申し上げると、堀川「私もたいそうつれづれなので、斎院がそのままいらっしゃるよと思い做して、お扱い申し上げよう」とおっしゃって、嵯峨の院にも、堀川「このように大将がすよめます」など、申し上げさせなさるのを、どうしておろそかにお喜びになろう。御後見がなくては、そのような御交わりがあるべきでないので、万事心苦しく見置き申し上げさせ(次頁へ続く)のを、これほど思い寄りなさるだろう大将の御心ぞ、行く末までたいそう頼もしく思し召される。心行かなかった御後見どもも、通う心でけざやかに過ぎなさるのにこそ、入道の宮は思いがけずお成りになったのに、寄り付き喜び顔に、同じ枝の縁に木伝っては見え申すまい、と心深くお思いなのにこそあった、と心行った人が多かった。自らの御心にこそ、年頃罪深い様子だったのをどうして、とお思いの本意は深いけれど、良い人の御身はなかくゝ万事任せ難かったので、心より外でお回りになった。御局はやがて昔の弘徽殿である。帝も兼ねては、大将が思い放ちになった親心はどのようなのかと、人悪く思し召されていたけれど、そうは言っても、並々でなく心憎い御有様などは、格別お優れなので、たいそうやむごとなくあらまほしい御覧である。嵯峨の院にも、ただ大殿にお任せ申し上げなさるので、真実の御娘のようにお扱い申し上げている。大将殿などにも、自ら独りこそ世に受け遠い御もてなしであるが、女房などは恥じ申し上げられず、一つであるように、あの「安らいにこそ」と悔しがりなさった樋の戸も慎ましくなく、出入りなさるのも(次頁へ続く)哀れに思い出されるように、御前の設えも、夢路に惑いなさったお座り所も変わらず、御几帳ばかり隔ててお居になる、御衣の裾などがほのかに見えるのも、怪しく並々でなく、気高く艶めかしい心地がしなさるのを見るのにも、思い出される事が多くて、狭衣「このお座り所を見ますにこそ、実に夢心地がします。まして思い出なさる事もございましょう」と言って、狭衣(の歌)飽きなかった跡や通うかと、いそのかみ古野の道を尋ねてぞ見る人が聞き付くこともできず紛らわしなさって、哀れとお思いになる様子、なおどうした事かと思われるけれど、弘徽殿(の御歌)いそのかみ古野の道を尋ねても、見たのにもない跡ぞ悲しいと言ってお泣きになるのかと聞こえる御気配、ほのかだけれど、ただ入道の宮とお覚えになる。一品の宮の御同じ程と聞いたけれど、これはこの上なく若くたおやかにもやと推量されなさるのにも、悔しい事が多いけれど、今は甲斐ないものから、少しも思い隔てられまいとお思いになると、(次頁へ続く)

実直にねんごろな御心ばえばかり見え申し上げなさるので、有り難く哀れなものにぞ思い申し上げていた。程なくただならぬ様子にお悩みになるのを、もしかして(懐妊か)と人々も見申し上げるけれど、あまり嬉しい事は、言うことさえ出られなかった。殿にも申す人もないのに、上の御前ぞ常にそうかと案内しお尋ねさせになるのを、御後見など、けざやかにも申しやられず、それほどもいかどと言って、殿にこう寝むと申し上げさせると、お驚きになって、二月も弥過ぎたので奏せさせなさる。上の御心地、嬉しいともおろそかでない。後の男女でいらっしゃるかは知らず、どうにもこうにも、まだ御覧じ知らない事なので、珍しく思し召す事限りない。おとど、大将など、甲斐甲斐しい御有様を嬉しくお思いだった。大方の世にも、今から様子格別に言い思い申し上げたにつけても、大将は、若宮がたど人居て交じりなさるのを心苦しく、人知れずお思いだった。入道の宮を、院が取り分け思いか(次頁へ続く)しい御覚えなどはいらっしゃったろうものを、とお思いなのにも、なお我ながら罪の去り所ない心地がするのに、私は素知らなく、世の常の有様にさえ定まり居て聞き申し上げるのは、どうしてなお口惜しくあるまじき心地がするのを、なおどうして、ひどく胸の痛い心の内を、少し申し上げ知らせて、思う本意が解けて止もう、と思い続けるのに、又なお忍ぶもぢずりは、託ち申し上げさせそうに思い出されなさるのも無理もないなあ。狭衣(の歌)憧れるよ、私の魂も帰ろう、思う辺りに結び留めればなど手習いに書きすさんで、添い臥しなさっているのに、宮の中将が参りなさったのに、紫苑色の御衣の色で、眺め臥しなさっている様子が、言いようもなく目出度く見えなさるのにも、人知れず思い扱われる人の御事、まず思い出されて、この人の御辺りの塵ともなりたいほど、この中将の魂の通う辺りでなくとも結びやせまししたまへの妻(次頁へ続く)と書き付けたので、狭衣「人の真似びした事を、筆のすさびに」と紛らわしなさって、何やかやと世の物語をしなさるついでにも、怪しく長かろうまじき心地ばかりするのを、心より外に知らぬ顔で過ごす様子など、実に物心細げにお思いになった様子など、すどろに懐かしくひどくばかりお覚えになると、中将「嫉妬ならぬ月の光は有り難くございます。思し召すだけ隔てなければ、慰め参らせましょう。言うとも人に」など言う様子も、並々の人よりは趣があるのに、あの身に寄せられていた妹の姫君も、どうだろうかと思いやられなさって、ゆかしい御心が絶えない。狭衣「ひどく事あり顔にも言い成しなさったなあ。この心得なさる方様ではなく、御覧の通りに、事に触れて世の厭わしい癖の付いたのが、我ながらも哀れなのだよ。実に羈絆などの強ちであるなどがあれば、少しは思い慰められよう。身に添う影より外に、言問う人のなければこそと、試みたいとも思いますけれど、いやいや、長からざらむものの故に、なかんづくならむ絆などのあろうこそ痛々しかろう。あまり仰々しく頬ばしい事などはなくて、うち頼み心苦しそうな人などをみば(次頁へ続く)

実に少しは命も惜しくなりそうな業ぞ」とおっしゃる様子も、少し心得る事があるけれど、いやいや、目出度いにつけても、思い数えられなければ、どのような物思いの種とかはならぬ、と思うと口惜しかった。中将の扇に、秋の野を描いて、風をひどく吹かせたのに、本荒の小萩の露が重げなのを、しがらみ伏する牡鹿の様子も趣深く描き成したのをご覧になって、「声の秋風は月のみつこと頻りなり」とお書きになったのは、様子格別に小さくて、狭衣(の歌)我が方に靡けよ秋の花すすき、心を寄せる風はなくとも狭衣(の歌)心には占め結い置いた萩の枝を、しがらみ伏する鹿や鳴くらむいつしか妹が」と書きすさんで、様々の御才といっても目も及ばないのに、これは、少し物見知るだろう女などの、目に留めないことはあるまいと見えた。中将(の歌)招くとも靡くなよゆめしのすき、秋風吹かぬ野辺も見えないのに(読みは30音で1音不足、要再照合)中将(の歌)おしなべて占め結い渡す秋の野に、小萩の露も掛けまいと思う(読みは32音で字余り、要再照合)など書いて見せ申し上げると、狭衣「味気ない賢しらかな」とお笑いになって、狭衣「色どる風は」と(次頁へ続く)口ずさびなさる愛敬、なおくゝこの御辺りの塵ともなりたいほどである。狭衣「実直には、昔から頼み申し上げたのもお知りでないこそ心憂い。竹の中も尋ねて世に暫し定まっては、たいそうむとくにこそございましょう」など言う程に、然るべき人々が数多く参りなさったので、物むづかしい紛らわしで、文作りなどして、夜通し遊び明かしなさった。二三日ばかりあって、あの中将の許に、狭衣(の文)「打付けな様子にお思いだろうけれど、あの聞こえた竹取の翁をお語いになってほしい。野辺の小萩もさていかど。頼み申し上げて。 これも賢しら交ぜなさらないで」。と言って、中にあるのは、狭衣(の歌)一方に思い乱るよしのすすき、風の便りにほのめかしいことよ(区切り・音数は要再照合)とある、返事はなくて、中将は竹取にはほのめかしましたけれど、たいそう有り難げにこそ。中なるのには、思い落され(次頁へ続く)させなさったのか、扇も散らし侍っていたけれど、吹き迷う風の様子も知らないな、萩の下なる蔭の小草は口惜しげな様子にこそ。これも一方に包み侍っていて。とあるのを、実に少し幼い程かと思しやる。九月には、嵯峨の院の入道の宮がお作らせになった、法華の曼陀羅を供養ぜさせなさって、やがて八講を行わせなさる。その間は殿も日々に参らせなさるので、ましてそうでない上達部殿上人などで参らない者はない。朝夕に替わる講師どもの選り優らせなさった、めいめい年頃心を尽くした真実の学問の程、見えるべき、度なので、心を尽くした印があって、尊く目出度いのに、問者どもの劣るまいと争う口強さどもも面白く、聞き所ある事限りない。宵暁の懺法などにも、声の優れた者を選らせなさったので、哀れに尊い。西方念仏の折は、蓮の花の色々が散り交じったのに、名香の燻り合ったのは、極楽もこうかと推し量られる。宮はますます幻の世を背き捨てさせなさるのが、嬉しく思し召されて、御心の内は涼(次頁へ続く)

しく、一心に行わせなさるのに、大将は日々に参りなさって、人より格別に濡らし添えなさりつつ、忍び合えなさぬ袖の様子ぞ、澄み難く思い侘びた。若宮もこの頃は渡し申し上げさせなさるので、内外紛れ歩かせなさるのは、実にいとどしい心の催しである。この程の有様、面白いのも哀れなのも、細かならば夢の導きの真似をしたのになりそうなので、皆漏らした。果ての日は十三日なので、月の光さえ隈なくて、兜率天までたいそう安く澄み昇りなさいそうに見える。嵯峨野の花はようやく盛りを過ぎて、女郎花は色変わり、尾花の袖も白み渡りつつ、心細げにうち招いたのに、露は重げにきらきらと置き渡ったのは、如意宝珠かと見え渡されたのに、虫の声々様々で、懺法阿弥陀経にうち添えたのは、伽陵頻伽の声にも劣らず、尊く哀れに聞こえる。事が果てて、僧どもも人々も皆罷り出て残りなく、人目が枯れぬる心地するのに、大将は罷り出なさることができない。川霧さえ麓を込めて、道を妨げに立ち渡ったのに、堰に漏り煩う水の音も、ますます咽び返り、物の(次頁へ続く)悲しいので、やがて川の上に作りかけた釣殿に、つくづくと眺め入りなさって、狭衣(の歌)大井川の堰はさこそと年経ぬれ、忘れずながら変わりける世になど独り言ちになって、狭衣「我所有福業今世若過世及見仏功徳尽回向仏道」と、うち挙げてお読みになる、日頃お聞きになる様々の尊さにも似ず、身に沁む心地がした。この御声を聞いて、若宮が出ようとお騒ぎになると、宰相の乳母が抱き申し上げて、そちらの渡殿に参った。乳母「今は御殿籠り寝と聞こえますけれど、御声をお聞かせになって、暗うございますのにも障らせなさりそうもありません」と言うと、立ち寄って、狭衣「今宵は罷り出ますぞ。宮の御前で御殿籠れよ。明日参ろう」とおっしゃるのを、若宮「宮は仏の御前で経をお読みになるのだ。例も抱きなさらないぞ。ただいざ二人で寝よう」とおっしゃるのを、たいそう悲しく哀れで、狭衣「ああ心憂い事や」とお語らいになるついでに、狭衣「密かに、宮のいらっしゃる御堂の妻戸をお放しなさい。仏の御前のゆかしいのを覗こう」とおっしゃると、若宮「何のゆかしいのだ。不動尊の恐ろしげなのに食われようとや」と脅かしなさる様子、我が恐ろしいとお思いだったと見えるのがたいそう面白いなあ。狭衣「それなら、みそ(次頁へ続く)かに、知らせて覗こうと思うぞ」とおっしゃると、若宮「格子も下ろさないでこそあった。いざ見せよう」とさよめきなさるつくしさぞ、世の常でない。狭衣「それはなお不動尊が見つけなさるだろう。西の妻戸を放たせなさい。さて、人にこうとおっしゃるな」と、大人しく語らわれてお入りになったのも、どのような事をしなさるかと危ぶむけれど、西表は月も暗いので、そっと入って戸の元にお立ちになった。宮は、この程は、仏の御前にのみお仕えになって、百万遍を満てていらっしゃったのである。御格子もいまだまゐるで、御灯のほのかな方に、御几帳を押しやって、障子から少し覗いて、脇息に押し寄って、小倉の山も残りない月の光を眺めやって、行わせなさる御姿、肩付きなど、人よりは細く小さやかで、御髪のゆらゆらと零れ通った裾のけじめ見えないほどの月影は、言い知らず美しく可愛らしく見えなさるのに、数珠を、脇息に時々引き鳴らされたことなど、今宵始めた事でないけれど、なお飽かず口惜しく見えなさるのを、まして明け暮れのかしがりなさる人に見せ申し上げたいと、中納言のすけは見申し上げる程である。人々もお出になったと思し召しつ(次頁へ続く)

ると、あった御経の声にぞ例の胸が潰れて、御格子もお下ろさせになった。いつも、わざとお召しでない限りは、近く参る人もないので、御障子の後ろに、中納言のすけだけがお仕えしていると、若宮がいらっしゃってそよき歩きなさるのを、すけ「まだ御殿籠らざりけり。大将殿はお出でさせになったか」と聞こえると、乳母「慕い申し上げさせなさって、まだ御殿籠れずにございます」と言うと、すけ「ああ心苦しい事や。どうしてとまりなさらなくなったのだろう」と言って、抱き申し上げると、若宮「今宵は宮の御前で御殿籠れ、早朝に迎えに来ようと言ったのだ」とお語りになると、すけ「さて例になく懐き回らせなさっているのである」と言って笑うけれど、宮は見もおこせなさらない。あちこち紛れ歩きなさって、心安い掛け金か、放ち置きなさっていたのを、誰が知ろう。戸のそっと開く音として、ざっと匂い入った追い風も、紛れることもできないのに、ただ何とも思い合えず見やりなさると、冠の影がふと見えるのに、物もお覚えさせにならず、仏の障子口に入って引き立てさせなさったのも、手だけ戦かれて、頭にぞ立てられない。あのあった寝覚めの床に、濡らし添えなさった濡衣を思い出されて、(次頁へ続く)今宵さえそうだにあるならば、やがてこうしながら伏籠の少将の様にもなりそうだと、心の迷いも世の常でないのに、御衣の裾も残りなく引入れさせなさった御心の疾さも、限りなく恨めしく悲しいのに、この障子も引き破りそうに覚えるけれど、胸だけ騒いで急には動けない。宮はかしこく入り果ててお立てさせになったのに、わだくゝと震われて、遠くも逃れなさることができず、あなたは塗籠と見れば心安くて、隔てなども破りなさらず、ただそのまま寄り居なさって、しばらく物もおっしゃらず、涙だけ堰きやる方がないので、押さえてためらい侘びていらっしゃる。狭衣「これより隔てなくとまでもお思い掛けずなのだ。ただこれほどにでも今一度申し上げさせてこそはと、憂きを知らぬ様子で過ごし侍っていたのを、ただ心安く思し召せ。身に従わない心の悔しさも、こよらの年頃皆お思い知り渡れば、又思し召し疎まれるばかりの心の程は、よも使い侍るまい」と言って、あの思い掛けなかった真木の戸の心ばえから打ち始め、今宵まで思い歎く心の中を、泣く泣くしめじめと言い続けなさるのは、真似び尽くすこともできない。狭衣「かばか(次頁へ続く)り物思う人の生ける例には、実にしつべく聞こえる中にも、故宮が、嶺の若松と人知れずお思い祝ったろうと、ほのかに聞いて伝える人のあったのを、聞き付けた心の中を、言いやりなさりもしない。隠れればとは本当にや。恥ずかしさも同じ涙に流れ出でそうだ。又思い侘びて、かしこく尋ね参った雪の夜の、枕の下の釣舟に思い焦がれて立ち帰ったのに、聞き付けた鶴の一声の後は、どうにかして、雲井の余所には放すまいと思った印か、今は憂き世の絆で、こう掛け留められ侍る程に、心より外な事も侍って、見たのにも似た、あった反故を見侍ったのは、人やりでなく生ける心地も少し待てないけれど、その後にもただこのようにもやと、待つのに心を掛け侍り続ければ、今ぞ心の内が少し涼しくなって、年頃の本意も遂げ侍りそうだ」など、すべて真似びやるべくもない事どもを言いもやらす咽び返りなさるのには、過ぎた方の憂さも辛さも忘られて、千世経る末も傾きそうだ。けれど宮は、夢にさえこれほどの気近い程では又聞くまいと思われたのに、たいそう物恐ろしくて、どうにも、動かれさせなさらない(次頁へ続く)

を、男君、これより隔てなき程などまでは、お思いも寄らなかったので、これをこの世の思い出で止みそうだけれど、内身動きなさる様子さえないのは、浅ましく覚束ないのに、思い侘び侘びなさって、障子を探りなさると、掛けられていた。ますます恨めしく心憂いのに、思い侘びて、たよう紙を差し入れて、障子の掛け金を探りなさるのに、離れそうな様子なので、狭衣「ただ少し開けて、申し上げさせる事どもは聞かせなさらないのか。どうにも、御気配を聞き侍れば、少しも慰みそうなものを、浅ましくもございますかな。たいそうこうしてはなかなか過ちも失いそうだ。狭衣(の歌)藻刈舟、なお濁り江に漕ぎ帰り、恨みまほしき里の海人かなどうにもおっしゃせよ」と言って、御手を引き寄せなさったのに、どう死なない歎きをなさっていたのか、今宵ぞいかどと覚えた。袖濡らすという物語の、承香殿の女御も、哀れな心ばえを、お見つけになったからか、「ねにさわる」とも言い出でなさった。これはただ、(次頁へ続く)女二の残りなく憂き目かづきした里の海人を今繰り返し何を恨もうかとはつかしに思い続けられなさるけれど、ただ一言葉も答えられない前に早く死にたいとお思いなのに、実に消え入りなさりそうな御気配の、あるか無きかであるなど、ただ昔のままに、言い知らず心苦しげに、可愛げな御有様の並々ならず過ぎた方は、心に深く思い沁みた方があったからこそ万事お思い懼れる方が多くて止んだのか、今となっては逢うのは限りない御心の中を、こう強ちに近づき寄りなさる、なかんづくに心の迷いも世の常ではないけれど、強ちに心強くお思い返して、どうとも申し上げ悩ましなさらないのに、ただ御髪の限り所狭いほどだったのを、たいそうふさやかに手に触ったのは、なおひどい心騒ぎである。万事盛り惜しげな御身の有様を、やつし捨てさせ申し上げて、私は知らぬ顔に、今はと思い定めた様子さえ聞かれ申し上げたよ、なお同じ様子で世にありと申し上げ聞こえるのは憂い事かな、と思い続けるのに、余所でこよら思い歎いたのは数でもなかった。我この御身の程で思うだろうになかんづく言い知らず憂かれるべき業かな、と我が(次頁へ続く)心にさえ思い知られるように、悔しく悲しくて声も立てそうだ。狭衣(の歌)八千返り朽ひ間の水も甲斐なきに、よし見よ同じ影や見える(読みは30音で1音不足、要再照合)とただ今宵ばかりこそは、こうまでも申し上げさせよう」と言って泣きなさる様子は、人の御袖さえ絞るばかりになってしまったのに、この御気色もたいそうひどい様子で、御衣の上まで透り出て、汗もこちたいのに、狭衣「何事も皆理にお思い知った身の、過ちとは言いながら、又こう無下にお思い捨てられるべき契りの程ではございません」と言い出でなさるのも、かえって辛い節しげな心地がなさるのに、ただ言いやる方なく悔しく悲しいので、心安い間には、涙だけが蚕も飰するばかりになっていく。中納言のすけが、たいそう頼る御気色を、心苦しく思い明かすのに、院の後夜起の程にもなってしまった。お行わせになりつつ、例の此方様にぞたよずませなさるそうだ。宮はあるか無きかの御心にも、ますますひどく思い惑われたのを今更に便なき事と思うと、立ち出でてしまいそうなのに、ますます今は世にあるべき心地もなさらないのに、これや限りと思い閉めなさるので、なお世の常ならぬ御心の迷いである。

後の世の逢う瀬を待とう、渡り川、分かるる程は限りなりとも(齋院の歌)と言って、御袖は直ちにもお許しにならず、さくりもよよとは、これを言うのかと見えるのに、院もたいそう近くお出ましになるので、心にもなく引きすべして、立ち出でなさる。魂はやがて遊離し出でてしまった心地がして、昨夜入った妻戸を押し開けなさると、入方の月が隈なく差し入って、一方に在りか定めた雲のたよずまい、言い知らず心細げなのに、実に心は空になり果てた。狭衣(の歌)待て暫し、山の端分くる月だに、憂き世に暫し留めざらなむ(読みは30音で1音不足、要再照合)誘えば」など眺め入って、すぐにも立ち退きなさることができない程に、月も入り果てて、霧の迷い辿々しい程に、辛うじてお出でになった。世にあるべき程は、実に心より外に過ごされる業か、引き返される心地はしながら、殿にぞお帰りになった。年頃は、心づからの物思いにこそ安からなかったが、真実らしく人恨めしいとも、強ちに哀れ悲しいとも、お思い知ることは、何事であろうか、今宵は、哀れであった御髪の、(次頁へ続く)手当たりだけが心に通いなさる。ただ思う方一つの口惜しくひどいだけでもなく、情けない者に思し出でられて止んでしまうのを、今は晴らしやる方ない代わりには、又我が身も誰の故これほど背き難い身を背き捨てようとだけでも、我が心一つ思い慰め、あの御心にはひどく申し上げ知らせても、それを真実とも思われまい、寄せた心を、哀れと今は思い返しなさるべきでもなく、ただやつし難い身をたちまちに剃り捨てて、仏は哀れと思し召して、あの一際憂し辛しと思い入りなさった人の、悪業の離れなさるべき導きとは、必ずなりそうだ、と偏にお思い立ちになったのにも、言い知らず物だけ悲しいので、慰めに、傍らにある琵琶を引き寄せて、わざとならず弾きすさびつつ、(歌へ続く)「あさんづのはし」と歌いなさる声など、我ながらも、実に並々ならず、やつし難く思し知られそうだ。殿も御目覚ましなさって、堀川「大将はここにこそあった。昨夜は嵯峨の院に、愛しい宮の御事をいとまるべしと聞いたのを、どうしてそうとも言わなかったのだろう。愛しい宮の御事を言えば、忍び隠れるこそ怪しい。世を心に飽かず思っていたのを、思えば味気ないや」(範囲ここまで)

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底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。