ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

狭衣物語 / 第18場面

出家の決意

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出家の決意をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

狭衣は出家を思い立つが果たせず、賀茂へ詣でて祈る。一品の宮・斎院との歌の交わりがある。

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狭衣物語・第18場面0 / 51
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とて、人任せでなくうち歎きながら涙をお落としになるのを、帝も、母宮もどうかひどくおっしゃるな。こればかりでは、世にも生き長らえることはできまいと、内々にも言うのである。このほかの心遣いなどは、決してするまいなどと、お二方で言い歎かせなさる。翌朝は、たいそう早く、嵯峨の院へ人をお遣わしになる。狭衣「長く続いた心の迷いののち、すぐに出立しておりました。見えない山路も、なおいつかと語り合っていた人に、言い置くべき事どもがありましたので、心弱く留まっており、今朝は悔しい事がますます数添いました」。などというように、細かく書いて、狭衣「命さえ尽きないものを思うことだな、別れた程に絶えも果てないので」とあるのを、いつものように広げて人前へ参らせるけれど、今更天衣の褄ばかりもお手馴れにはなるまい。たいそうあさましく憂い身が、今まで生き長らえてきた事とお思いになるのに、仏も辛く悲しく思われて、ただ、早くお迎えください。かかる目をお見せになるな、と一つの心にお思い入りになって、外向きにもお向かわせにならないので、たいそう甲斐がない。大将殿も、一方にお思い立ちになったので、万事たいそう仮初めにのみ思われて常はさほど目も留まらなかった木草につけても、哀れだけがまさりなさる。まして殿や帝などがお思い惑いになる御有様などは、疎かに思い置かれるべきでもないけれど、「もとの雫」はいつでも同じ事なので、五濁悪世を早く免れて、あの契りなさった阿私仙人に仕えようという事だけを、人知れずお思い立ちになりながらも、霜月にもなったので、斎院のあやえの程ますます見捨て難くて、御神楽の夜にもなった。例の上達部や殿上人などが参り集まって、御前の庭火がおどろおどろしくて、昼よりも明るい。御几帳の帷子ども、菊の二重織物の色々、色づいた枝ざしも、本当に咲いた籬と見えた。女房の袖口どもは、紅葉重ねの擣ったものどもに同じ色の二重織物の上着、竜胆の唐衣の、地は薄いのに紋はたいそう濃く織り浮かされたものが、夜目におどろおどろしく清らかに見えた。さまざまの楽器の音どもを吹き合わせて、笏の音も、あちらこちらで打ち鳴らしたものなど、ほかの遊びには似ず、そぞろ寒く聞こえるのに、簾筵のすぐれて響き出たのは、なおたいそう面白い。人長が「其駒」を舞って、脱ぎかけた火影がたいそうまばゆげなのを、つれなく才ある男どもを召し出せば、若い殿上人などはたいそうまばゆげに思って、たいそう麗しくて帰る者もあり、またうちすがって愛敬づいてもてなすなどもありながら、さまざま趣深くもあった。更け行くままに雪が折々降りながら、木枯らしが荒々しく吹きしきる、庭火もひどく迷って吹きかけられるのを、払い侘びながら、煙の中からにがみ出た、主殿司の者どもの顔どもが、たいそうおかしく見やられなさるのにも、いつもの並々ではなく、消そうとしても消える思いだろうか、煙の下にくすぶり侘びながら(狭衣の歌)。など、思い続けられなさるのに、今日明日と思い立った心の中には、ますますあるまじき事と思い離れなさるけれど、それにつけてもなお安からず覚えなさるのも、我ながら心憂い。暁になって、事どもは皆終わった。しかるべき上達部などが、受け張ってお遊びになる様子は、そうはいっても優美で趣深いのに、大将の「明星」を謡いなさった扇の音も、並々でなく面白いのを、神も耳をお留めになるだろうと聞こえるのに、うち添える声々こそ、心が後れた

様子であった。明けるまで遊んで退出なさるのに、取りあえていたのに従いながら、細長や小袿どもを押し出させなさったのを、皆お掛け渡させになった。このような夜の紛れどもさえ過ぎてしまうと、忍んで竹生島へ参りなさろうという事を、人知れずお考えになるのにも、若宮の日を経てまつわりまさりなさったのが、たいそうひどい妨げに思われたけれど、殿も帝も、私より疎かに、思いなさるべくもないので、そうは言ってもと心安いのを、さすがの忍草が、かえって尋ね寄りなさって、宮がお隔てになった様子に拝見なさると、ますます跡が絶えた後は、どのような様子でか、など心苦しいのを、お思い余って、母宮に、その所々にあったなど、詳しくはないけれど、頼る縁の限りではないお思いになるべき様子を、ほのめかし申しなさった。帝はひどく聞き驚きなさって、このように隔てて過ごしなさった事と、恨みをおっしゃるけれど、狭衣「必ずそのようにございまして、たちまちあの辺りにも何かは、と思いなさるので」となど申し上げなさるけれど、取りもあえず涙まで落として、ゆかしくひどいとお思いになったので、狭衣「今去りゆくべき序でに」などと申しなさった。一品の宮には、こ(次頁へ続く)この頃例になく心のどかにおられになって、思う様になり果てれば、どのように思い出もなくあさましい、借りた心の程とお思い出しになるだろうと、流石に畏れ多い御身の程を、心苦しく思われながらも、駒のつまずくほどではないので、ただ、狭衣「数ならぬ身ながらも、生き長らえてだけでも御覧に入れたいのに、命さえ有り難くお思いになることこそ」など心細げにお思いになったのを、常の慰め草になった風の前の木の葉は、見果てまい心ざまになるので、このように耳を慣らさせることこそは、とお心得させになると、耳もお留めにならない。暁にお出ましになろうという夕方、斎院へ参りなさると、帝もこの御方で、琴の御琴を弾かせ申して聞かせなさるのであった。御覧じつけて弾き止ませなさるのを、狭衣「久しく承らないのに、なお」と申しなさるけれど、ほかの事よりも挑ませなさる事なので、お聞きになるには、例も弾かせなさらないので、たいそう口惜しく思われる。母宮「神がこの頃夢に続いてお見えになるので、たいそう恐ろしくて、常よりも祈りどもをさせなどするのを、通う程は精進でおられなさい。何某僧都が今年までは京にも出るまい様子なのを、山に七日ほどお籠もりになって、心のど(次頁へ続く)かに護身させなさい」などおっしゃらせて、ますます由々しくお思いになったのを拝見すると、今宵だけとはお知りでないのだな、明日の今頃などは、どれほどお思い惑いになるだろう、と思い続けられなさるのに、御返事も申し上げなさらず、涙がこぼれそうなのも、心弱く口惜しい心だなと、つれなく振る舞って、狭衣「たいそうよい事でございます。いつを限りにお惜しみ留めさせになるのでしょう。世は皆不牢固とお勧めになっているものを」とおっしゃるのを、母宮「私がお側にいなくなる後の事は知らないけれど、拝見する程だけは、かかる事を冗談でおっしゃるな。おぼろの物語のようにであれば最期の道にも、お見捨てにはなるまいと思える」と言って、うち涙ぐみなさったままの、親とも思えなさらず若く美しげで、たいそうこうお思いになったのを拝見しなくなるのだなと、今日は常よりも目が留まりなさる。暮れたので、対へお渡りになった。御見送りにしかるべき人々も参って、近くには特に人もいないのに、独りお住まいになって、つぶつぶと聞こえ聞かまほしい事どももあるけれど、かえってひどくばかり思われて、ただ、狭衣「世は尽きるのだろう」とだけ口ずさんで、長押に寄りかかっておられた。音無の(次頁へ続く)

滝は、漏れ出し始めたら、せき止める方もありえまいけれど、なおたいそう胸の痛い気持ちがするので、狭衣「世を厭う心は程経ちましたけれど、誰もこうばかり、冗談まで忌々しいものにお思いおっしゃりなさるので、心の外であろう命だけでも、掛け留めたく思いながら、憂いを知らない様子でにどうと心細く思いなされようのを、心のほかに思し召そうというのだろう。御前にこそ、今は最期の川瀬もお尋ねさせになるまい。言の葉に留まる命もあるとかいう。辛いのは道の導きで、終の世のためには悪くもなかった」など、事もなげには言いなさるけれど、常よりもどうにも、本当にお思いになったのだと見える御様子を、院も思いがけず治ましい御心ばえを御覧になった折こそ、どうして見え聞かせまいと、疎ましく由々しく思し召されたが、このようにならせなさって後は、思うままの心の中さえ、漏らし出でなさる事は有り難くならせなさるので、昔隔てなく思い申し上げなさった名残も変わるべきでないので、大方については、疎かにも思い申し上げなさらないのに、ますます本当にそのようにもお思いならば、殿や帝など(次頁へ続く)がお思い惑いになる御有様、限りある御命どももどうと、予想ごとにさえ、たいそうひどく由々しかるべきなのに、私も御涙が落ちそうだけれど、どうにもお答え申し上げなさるべき様子もないけれど、言わなくても私の心にも通わないだろうか、しばらくの程に思いそうだったならば(斎院の歌)。わざとらしく言い消させなさった、実に薬師の法要をしても、四十九日あっても生き返りそうに思われるよ。狭衣「誰によってかは、通う心も付き始めたのです。行き帰り辿った道に迷いながら身は中空になってしまえというならば(狭衣の歌として分離。要親確認)。忍ぶもぢ摺はなお言いかこち申せそうだ」と言って、ほろほろとこぼし始めなさった御涙は、籠とかましくひどいのに、御見送りに参っていた人々が帰り参ったので、さりげなく隠して、眺め出でなさった。月が出たので、嘆きの蔭も、外よりはこの上なく枝ざしが茂っているので、心もとなげに、所々から漏れた影が、心苦しげなのに、はらはらと吹き払う木の下風の音なども、例の所には似ず、神さびて物心細げで、心ある人々に、見(次頁へ続く)見せたい御前の庭の様子を、ますます並々でなく眺め入りなさる様子は、言い知らず哀れげである。御前にある琴を引き寄せなさって、黄鐘調に調べて、「仙遊霞」をお弾きになるのが、空に澄み昇って、世に知らず哀れで面白い。院が何よりも御心をお留めさせになる事で、常に聞かせなさるけれど、あいにく御耳をお慣らさせにならないのを、このように例になく御心をお留めさせになる様子なのも、嬉しくめでたいと思し召す事限りがない。御自身の御心にも、またそうかと思えば、二返ほどお弾きになるのは、本当に昔あったような様子に、現れ出るものがあるだろうと、聞く限りの人々は涙も留まらない。母上がお聞きになると、あった文の折をお思い出しになるのに、ますます由々しいので、お惑い渡らせになった。流石にどうも聞かせなさらず、たいそう由々しく恐ろしく思われて、涙を流しながら近くお寄りになる様子がひどげなのに、実に風が俄かに荒々しく吹いて、村雨がおどろおどろしく降った空の様子、どうなるのかと物むずかしいのに、神殿の内が三度ほどたいそう高く鳴って、言い知らず芳しい匂い、世の常の限りではなく、さっと揺り出たのに、本当にかしらの髪が逆さまになる気持ちがして、もの恐(次頁へ続く)

ろしい事限りがない。面白くめでたかった楽器の音が皆冷めて、聞く限りの人々は目を見交わして物も言えず呆れている。若い女房などは動くことさえできず、死に入ったような様子で、皆うつぶして臥している。殿上にも、しかるべき上達部などが数多くお仕えになっているので、かかる楽器の音に聞き驚き騒がない人はいない。「そうであれば本当に天照らす神も世におられる業でこそあった。並々でなく有り難い人の御縁には、さまざま珍しい事を、見る人も多くこそあった」と聞き驚くのに、御前ではまた、そうでなくてもわりない御物怖じに、ますます御心地も違うまで思し召したので、帝もお渡りになって、さまざまお思い慌てになった。このようにはかない事につけても、際立っておどろおどろしく、神仏もお驚かせになる様子が明らかな御有様を、たびごとに、殿や帝は御心をお動かしになる様子が、並々でなく痛ましげである。御自身の御心地にも、通うままに、この世は仮初めに物心細くばかり、お思い離れになるようだ。大殿も神殿に参りなさって、度々伏し拝んで、宮司を召して、御祓えなどをさせなさって、対へお渡りになった。堀川「すべてすべて、今よりはこの御手すさび、我が君我が君(次頁へ続く)お留めください。このようにばかり心をお惑わせになるのは、かえって不孝の中におなりになるでしょう。たいそう忌ましく恐ろしい」と言って、由々しくひどいと思われた御様子どもは、実にたいそう道理である。堀川「怪しくこの頃夢が騒がしくも静かでなかったのは、かかる事があるべきだからである。法楽荘厳のためとまでおなりになるのも、たいそう余りにもあることだ」と言って、空をお仰ぎになる御様子などを御覧になるのにも、お思い立ちになる心の中をどう、と思われるのに、涙の落ちそうに聞こえなさるのにも、はかばかしく御返事も申し上げなさらず、心騒ぎだけお見せになるにちがいない。暁にお出立ちになるべきなので、狭衣「夜が更けないうちに退出して、翌朝参りましょう。今朝女院が、風邪をお起こしになって例になくおられるというのも、お見舞い申し上げましょう」と言ってお立ちになると、堀川「道の程も遠いのに、今宵はどうして参りなさると思っていたけれど、院がそのようにしておられるので、実に参りなさらないのも不便だろう」と、まれまれ急ぎなさるのを目安く思われて、お留め申し上げなさることはできない。堀川「特に、そうであれば翌朝たいそう早く参りましょう。承ら(次頁へ続く)で、今日も参らなかった旨を、かねてお伝えください」とおっしゃると、狭衣「わざとの気持ちではございません。何か、内裏にも奏するな、とこそ伺候していたのです」と言ってお出になると、堀川「御前は誰々が伺候しているか。それも彼も参れ」など、たいそう後ろめたく思し召したのを御覧になるのにも、どうして悲しくないだろう、涙だけ先立ちなさるけれど、お立ち帰りになって、狭衣「若宮は御殿ごもりなさったか」と申し上げなさると、眠たげな御様子ながら、急いでお出になって、若宮「宮の姫君だけを思って、常に私を抱かないようだ」とお恨みになる御顔の美しさなども限りがない。狭衣「ああ由々しいこと。宮をこそまさって思い申し上げる」と言ってお抱きになるのにも、このようになども言い知らせ申し上げるべき様子もないけれど、たいそう甲斐がない。今少し物心をお知りになるまで、お見えにならなくなることよ、このようにとも誰が言い聞かせ申し上げようとするのか、顔などもはかばかしくお覚えにはなるまい、夢ほどもお思い出しになっても、世の常の哀れほどをこそはお掛けになるだろう、と思うのに、ひどく悲しくて、袖も引き放さずお泣きになると、怪しいと思われて、例の様にもお戯れにならず、真面目になってひどくお静まりになるのを、見捨てて出てお出になるまいけれど、

大白牛車をお退けになるまいとお思い取りになってしまったので、万事に慰め置きなさって、お立ち出になる道すがら、並々でなく背き果てた心の程だなと、我ながら有り難く思し知られるのに、涙だけがなお心弱くこぼれた。涙だけが淀まない川となって流れながら、別れる道は行きもやられない(狭衣の歌)。何の心もなくお恨みになる面影は、この世のほかになっても、身を離れる折はありえず、引き返される気持ちがしなさったということだ。

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底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。