ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

狭衣物語 / 第19場面

姫君の出現(巻第四之上)

この場面の挿絵を見る
姫君の出現(巻第四之上)をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

巻第四之上に入る。斎院・女御との桜の贈答の後、花見・蹴鞠の折に狭衣は式部卿宮の孫の姫君の姿を垣間見し、その素性を知る。女一の宮が生まれ、女御は后に立つ。

原文の一節を選ぶと、発音の読みと現代語を確認できます。読むだけでは音は出ません。どの読み方から始めても読了を記録できます。

表示設定

音声設定

原文の一節を押すと、読みと現代語訳が出ます。「次の一節」でも読み進められます。

狭衣物語・第19場面0 / 174
原文の一節を選ぶか、「次の一節」で読み始めます。

原文・発音の読み・現代語

現代語で読む

「光が滅びる気持ちこそせめて、照る月が雲隠れゆく程を知らないならば、珍しい宿世もあって、思う事なくもあるだろうものを、早く尋ねよ。昨日の琴の音が哀れだったので、このようにも告げ知らせるのだ」と、日の装束を麗しくしてたいそう貴げな様子をした人が言うと御覧になって、うち驚きなさった殿の御心地は、夢か現実かもお分かりにならない。どのような様子の事かと思い続けなさるのに、昨日の琴の音というのは、ただ大将の御事だとお心得になるままに、物も覚えず襲われなさった御様子のひどいのを、帝もどのような御事かとお思い騒ぎになるのに、すぐには聞こえなさらない。しばらくあって、辛うじて、堀川「しかじか夢ともなく見えた。どのような事か」と語り申し上げなさる。帝の御心地は、まして世の常であろうか。母宮「常の事と言いながら、昨日の様子などなお怪しく目に留まったのを、どうして昨夜もお留め申し上げずにしまったのか。常磐で、例もせ(次頁へ続く)させなさる事どもの料として、法服を数多くお設けさせになると、この日頃聞いていたのも、そうであればどのように思い置いていた事があったのだろう」と、お二方でお思い惑いになる様子は、片時だけでもひどげである。殿は切にお思い寄りになって、お起き出でになるけれど、そうであればどの野山へ行き交じりなさったのだろう、と思いやるのに、立ち動くべき気持ちもなさらないけれど、早く尋ねよと、賀茂の明神がお教えになったのを慰めとして、装束などをなさって、まず堀川の院へおいでになった。あの御方の御門からお入りになると、馬どもに鞍を置いて、ただいま人が出るべきかと見えた。大将殿もたいそう夜深くに急ぎなさって、お出になる程であった。殿の御車を俄かに引き入れたのに驚きなさって、差し出でなさったのを、うち見つけなさると、かえって今は涙も取りあえずこぼれなさって、賀茂御社の御方を伏し拝みなさって、直衣の袖を押し当てなさる御様子など、怪しいのを、どのような事をお聞きになって、このように夜中にも迷い渡りなさるのだろう、と思われるのに、堀川「いやはや、たいそう心憂い御心だな。数多くあろう中でさえ、少しも取り分けた志の程を見るには、たいそうかかる心の程(次頁へ続く)は近づくまいのに、ましてこれほど、思い紛らわすべき類さえなく、一日片時も、聞こえない程は恋しく悲しいものに思い申し上げているのを見ながら、どのような方にお思い立ち、世を背き捨てようとお出立ちになったのか。まあよい、自分をこそお見捨てになるだろう、妻として、またなくお思い紛れる方なくお慣れになった御心に、御覧にならずにおなりになったら、片時生き長らえなさるべきかと御覧になる。限りある命の程をさえ、あの御覧になる程は、掛け留めようとはお思いにならないことがあろうか。仏も孝養をこそ重い事にはおっしゃるようだ。このように不孝の御心では、お見捨てになった道の妨げにもおなりだろう。何事も、皆しかるべき昔の契りでこそあろう。このように思うと心美しくおっしゃれば、無理に制し申すべきでもない。ただ我が身は、残りのない齢になったのに、振り捨てられ申し上げたらも、心一つの悲しさは別として、人の見聞きする事も恥ずかしく、仏のお思いになる事も、罪の取りどころなく、悲しかるべきなのを、ただ諸共にどうにでもなさってください。仏のお勧めになるのにもあろう、どのような方様に今一所の御有様こそ、後の世にも、(次頁へ続く)

たいそうかかる御心の乱れながらは、同じ所でお逢いし拝見する事、難しかるべきようだ」と、ひどい事どもを、泣く泣く言い続けなさるのを、つくづくとお聞きになると、人知れぬ心の中を、どのようにお見あらわしになったのだろう、と思われるのにも、実にこれらの年頃、この世も彼の世も、露ほど思い残すことなくお見捨てになったけれど、ただ今たいそうかかる御心惑いを拝見するのには、たいそうこれほどまで思いあくがれた心の程が、我ながら辛くいたふかひなく、思し知られた。実にまして帝の御心の中をお思いやるのは、今少し心苦しくて、人任せでなく袖もお濡らしになるものだから、このようにまでお聞きになったので、まず今しばらくは不要なようだと思いなさるのに、なお思う事が叶うまい身かと、かえって、たちまちお思い立ちにならなかった過ぎた方よりも、ひどく口惜しいとも悲しいとも世の常でないけれど、ただ心得ない様子にもてなしなさって、狭衣「女院の御心地、特ににもおられず承りましたので、常磐と申す所に、懇ろに語らいするべき尼が、患う旨を承り、お見舞いしましょうとて、今朝退出するのを、もしかどのような方様にお聞き召しになったのか。何事によってか、たちまち(次頁へ続く)にそのようにもお思いになるだろう」と、つれなく申し上げなさるのも、たいそう辛く心憂くて、袖を引き離しなさることができないのを、一方では、いやいや、向こうに後の世も顧みず、つれない心の程と御覧になるだろうか。浄蔵浄眼の往反遊行をしなさったのを見なさってからこそ、妙荘厳王も、心清い三昧どもを勤めなさって、花徳菩薩ともおなりになった、実に、かかる序でに私が先になっていただろう、これほどお思い立ちになったので、ついにはお妨げ申し上げまい、などとは思われるけれど、例になく狩装束におやつれになって、どうにも思い乱れなさる御様子が、ほのかな空の光に由々しく見えなさるのを、あさましい四方の嵐に例え、苔の衣におやつし申し上げては、さらに皆成仏道にも心清からずかと、うち守りなさるのも、なお昔の契りが知られた。夜も明けるまで、お休みにもならず、なおお思いむせんだ御様子が、たいそう心苦しく、罪を恨むかと本当にお覚えになるので、思いかけない様子だけを、返す返す申し上げ慰めなさって、いつもの御方へお渡し申し上げなど、さりげなくもてなしなさるけれど、御心(次頁へ続く)の内はますます乱れまさって、胸もすっと塞がりなさる。明るくなると、殿は、帝への御もとに、お出立ちになった様子などを、細かに書いて差し上げなさったのを御覧になるには、どうして神の御心を疎かに思い申し上げなさろうか。院の御前だけには、この御夢を語り申させなさった。堀川「神殿にお入らせになって、いよいよかかる心をお思い直るべき様子に申させください」など申し上げなさる。そうであれば、このようにお思いになって、琴の音も例になく心をお留めになったのだろう、そのようにおなりになっていたら、どれほどあさましかっただろう、と思し召す。殿には、思い掛けなかった御夜中歩きより始めて、例ならぬ御気色などを、心得ずどのような事かと人々は思うのに、帝などもお渡らせになって、やがてその日より、賀茂の御社にてお始めさせになる御祈ども、たいそう大げさだ。参らせなさるべき日など、お定めさせになる様子など、何事がどのような事かと、世の人も聞き驚いた。大方の御祈ども、いつとめても、この御用とお思い至らない事ない中にも、取り分けてお頼ませになる御祈りの師どもに、詳しくおっしゃらせながら、一心に祈り申すべき旨、泣く泣くおっしゃると、

皆驚きながら、心を致し祈りなさりながらも、また、一方ではしかるべきでこそこれほどめでたい御身ながら、たいそうさほど思われるだろう、仏はどう御覧になるだろう、と哀れに思われた。その後は、ますます片時の程も、後ろめたく危ういものに思い申し上げなさって、歩きなどもさせ申し上げなさらず、ただ、堀川「今しばらくお待ちください。ああ畏れ多い、お遅らせになるな」とおっしゃるままに、涙をお流しになると、たいそう心苦しく、また世の人の聞き伝えるだろう事が、かえっては心浅く、物狂おしくなりそうなので、思いかけない様子だけを返す返す帝にも申し上げなさって、どうして物思いの様子をお見せ申し上げまいと、万事にもてなしなさると、ゆえにかえって、過ぎた方よりも、帝だけは晴れ晴れしくおなりになるけれど、心の内の口惜しさは、なお思い直されず、ひどくお思い嘆かれる慰めには、入道の宮に、狭衣「後の世にまで見捨てられ申し上げるべき宿世か、あさましく本意ない心の内」など、少しお漏らしになって、急いでも行きもやられない憂き島を、どうして海人の漕ぎ離れたのだろう(狭衣の歌)。言ったのに変わる心の程を、ますますどうと恥ずかしいまで、など書き尽くしなさったのを、いつものようにほのかにうち御覧になって、ああ、どれほど思い焦がれた海人でなければ、この憂き島を誰が離れられようか(入道の宮の文中の歌)。など思い続けられるけれど、はかなかった筆のすさびも、見た様子に申し上げなさった後は、後ろめたくて、御心の内からもお漏らしにならなかった。一品宮へ参りなさらない事を、誰もひどく申し上げなさったけれど、この後は、そのような事を、苦しくお思いになったのかと、掛けても聞こえ出でなさらない。昼の程だけでも、お出になるのをたいそう後ろめたげに思い申し上げなさるけれど、そのようにお籠もりになっていたらも、音を聞き見苦しかるべきなので、一品宮だけには参りなさって、紛らわしい歩きもなさらなかった。しかし世の中は隠れなくて、自ずから聞く人々もいて、本当に剃りやつしなさる様子に、惜しみ悲しがり聞こえると、宮もお聞かせになって、ますます心憂く思し召す事限りがない。思う筋が別の人を、お伽などの無理に言いながら、これほどでもなければ思い侘びて、さ(次頁へ続く)までも思いになるのではなかろうと、ますます恥ずかしく見えにくく思われるので、お渡りになる事もたいそう稀なのを、どうこうと、懐かしく申し上げ明らめるべき方もないけれど、ただ心得ず見知らない様子でお過ごしになるのに、あまりにしきる独り寝は、ますます目も合わず思い続けられなさる事が多い中にも、阿私仙の遠く待つことを思い起こすだろう、なおたいそう本意ない気持ちがしなさって、枕も浮きそうだ。この頃は苔の寒い筵を片敷きして岩根の枕に臥すのがよいだろう(狭衣の歌)。など、安げなく思しやられる。昼はつれない様子作りをなさるのにこの上なく紛れるのを、夜々は、このようにだけは、生き長らえる事を有り難く思われる。殿の御賀茂詣が近くなったので、舞人に選ばれた殿上の若君達などが、心特に思い急いでいる。大将殿には、あった御夢の事などを、帝が詳しく語り申し上げなさった。実にそのように確かに御覧になったのだろう。鎮め難い心の中をお思い咎めず、無理に憂き世におらせたく思われるだろう神も、御心の有り難いものから、方々に辛い方に勧め(次頁へ続く)

みなさった。参らせなさる日の事どもなど、推し量るべきだ。いつどのような御願で来させなさるのかと、御社の神人どもが驚くのに、神もますます御心特に守り育もうと返す返す申し上げる声引きが、たいそう頼もしげだけれど、御自身の御心の中には、神もなおもとの心を顧みよこの世とばかりは思われないだろう日暮らし面白くめでたい事どもは、真似び尽くせそうもない。このように祈り申し上げなさる様子は、過ぎた方よりも仰々しい。宮に参り始めなさっては、このおられる所も、わざともない様子にもてなし申し上げなさって、稀々に立ち留まりなさる夜ごとをも、諫め申し上げさせなさるけれど、今は昔の様子に磨き立てて、明け暮れ辿る女の御身をお思い鎮めるような様子で、父母「どのような業をして、この御心をお思い直させるか。少しも心をお留めになる、たいそうこれほどお思いになる人々もがな、限りがあれば、男はそうしてこそあくがれる心も留まるだろう。たいそうこれほど思い迷うけれど、親を絆とも思われなかった」と、言い合わせなさって、お二方で尋ね歎かせなさ(次頁へ続く)ぶ様子どもは、たいそう哀れに苦しげである。かかる事を、嵯峨の院にも聞かせなさって、ひどく恨み歎かせなさる旨をお聞きになると、そうであれば、たいそう聞きにくい事まで出て来た事を、むずかしく思われるものだから、歎かせなさる様子も畏れ多く哀れなので、殿に御暇を申し上げなさって、若宮をお連れ申し上げて参りなさった。御覧になるたびに、珍しい様子にだけお成長まさりになるのを、かかるのでたいそう危ういことだとお守りになるのに、先に御涙をおこぼしさせになった。嵯峨「幼くおられした時より、大臣にも劣らず思い始めたのを、今となっては、たいそうさまざまの絆までお譲りになってしまったので、所狭い齢の程をも、どのようにして、やがてとこそ思うのに、たいそう本意なく、厭い捨てられる様子に聞くのも、たいそう尊い事ではあるけれど、恨めしい方に」などおっしゃるのも、実にたいそう畏れ多いお仕え申し上げない事を、このように持ち騒がれて、山へ帰るなどいう名も留まりましたら、はしたない様子に思われましょう」と少しお笑いになる、愛敬はこぼれなさった。狭衣「若(次頁へ続く)宮の御有様を拝見し捨てて、最期の道にもどうしてか」など申しなさる。公私の御物語が、いつものように細やかで、日も暮れたので、お出になる様子に、入道の宮の御方へ参りなさった。宮は御念誦堂におられるので、やがてそちらの御簾の前へ、近くお仕えになると、中納言の介もお仕えする程で、宮「御歩きもますます有り難げに、承るのを、思いかけない程には、どうしてか一つと聞こえると、狭衣「どうして常よりも固くございましょう。板田の橋よ、どのようにとか」と言って、御簾を引き被きなさると人々も皆滑り入ったのに、御几帳も押しやって御覧になると、御経箱も開いている法華経であるようだ、巻々数多く軸の元まで巻き寄せられて、御数珠は脇息にうち掛けられて、樒の香の香りが華やかなのに、さまざまの移り香どもに囃されて、哀れに懐かしいのに、あった夜の手探りをまず思い出されて、ただ今差し向かい申し上げたいのに、いつもの涙がこぼれそうな様子で、つくづくと見渡しなさったままなど、尽きず物哀れと思われた。狭衣「年頃は万事に思い立ちながら、思う事一つに急かれながら過ごすよな、あった夜の後は、たいそう(次頁へ続く)

と進める気持ちがして、一途に思いなったけれど、憂きは限りも真実にありえまいか、今日までも同じ様子で、聞かれ申し上げることこそ恥ずかしい」と言って、お泣きになると、「いやはや、たいそう心憂い御心でございました。若宮を思い申し上げなさるなら、そうは言っても、たいそうそこまでの事は、思い寄りなさるまいとこそ思いなさった。行く末は自ずから、かかる方様につけても去り難くばかり聞かせなさる様子で、ございそうなものを、ますます思いがけず心憂いとこそは、人知れぬ御心にも思い申し上げなさるだろう」と、聞こえると、狭衣「いやはや、甲斐ない方様は別として、ただそれほどだけでもお思いになったと思いそうだったなら、どうして、たちまちにこうまでも思い寄っただろう。たいそう聞きにくく言い定められるのも、どのように本意なく聞かせなさるだろうと思うだけこそ、万事にまさって口惜しくございます。かかる方様にまで、御心に違う宿世よ」など尽きない御涙である。薄香の御扇があるのを、切に指で取り寄せなさると、懐かしい移り香だけは昔にも変わらない気持ちがするのに、華やかでない下絵などの様子が変わったのは、なおたいそう哀れに飽かず悲しく思われた。

手に馴れた扇はそれと見えながら、涙に曇る色こそ異なる(狭衣の歌)。と片仮名で書き付けて、元の様子にお置きになった。本当に院の女御は、五節の程に、堀川の院へお出になったということだ。斎院のおられる方におられる。大殿のもてなし静かに申し上げなさる様子を、嵯峨の院にも、どうして疎かに思い申し上げなさろうか。まして思う様子にだけでもし出でなさるならばと、所々にも、所ごとに、御祈りどもを取り々に、御心を尽くさせなさる様子など、行く末は知らず、ただ今は目安く、取り始めさせなさった御宿世と拝見するにつけても、入道の宮をこのようにしなし申し上げた事と、大将殿はなお心苦しくも、辛い方にも、心に離れず思い申し上げなさるままに、宇治の川長にまでなされ申し上げなさった。斎院は、女御の御母宮が、今際の際まで、哀れだった御消息なども、忘れ難く思い申し上げなさるので若宮を限りなく思い申し上げなさるのを、幼い御心にも、取り分けてまとわりなさるけれど、限りがあるので、今は御辺り近くにも参り寄りなさることはできない、口惜しく思われた。この女御も、(次頁へ続く)このように疎々しくない御仲らいに成り増しなさるのを、嬉しいと思われて、文なども時々は通わせなさった。御手跡などの並々でないにつけても、どのような世に隔てなく拝見しようと昔の友には、余所ながらも思い申し上げ交わさせなさった。弥生の朔日頃、斎院の御前の桜がひどい盛りなのを、つれづれな昼頃、御髪上げの間にいざり出でさせなさって、見出させなさると、空の色は浅緑で、うらうらとのどかな野辺の霞は、御垣の内まで続くようだけれど、なおこぼれた匂いが所狭げなのに、この対の御前である桜の匂い得ない傍らに、榊の青々ともてはやしたものなど、ほかの木立には似ず様子が変わって、趣深く御覧ぜられるにつけても、明け暮れ御覧じ慣れた故郷の八重桜はどうだろうと思し召しやって、一重をさえ今は見るまいことだなと、花の上にはなお日を惜しむ御心の内である。一重ずつ匂いを起こしておくれ八重桜、こちらへ吹く風の便りを過ごさずに(斎院の歌)。など、思し召すのも待ち遠いので、女御殿に申し上げさせなさる(次頁へ続く)時を知らない榊の枝に折り返して、余所にも花を思いやることだな(斎院の歌)。榊の枝にお付けさせになった。思しやるのも著しく殿の桜は、峰続きもこのようかと見えて、散るも盛りなのもさまざまめでたいのを、女御は悩ましい御心地の紛らわしにも、眺め出でさせなさった程に、この変わらない色を珍しく思われて、過ぎた方がますます恋しく思し出でさせなさった。榊の葉になお折り返しておくれ桜花、またその昔の我が身と思おう(女御の返歌)。並々でない枝に、差し替えて差し上げさせなさった。大殿が、内裏からお出になるままに、まずこちらへ参りなさって、近い御几帳の元で、帝の御消息などを申し上げさせなさると、あった榊が御前にあるのを御覧になって、堀川「その昔の気持ちがする枝ざしは、思し召し出る事もございましたか」と、申し上げさせなさると、女御「斎院から賜わせたものです」とおっしゃると、堀川「それではどの様子ですか」と、ゆかしがり申し上げなさると、あった文を差し出させなさったのを、取って御覧になるままに、堀川「ああ趣深げな御手跡だ」とうち笑みながら、繰り返し繰り返し(次頁へ続く)

御覧になる様子は、並々であろうとするのは恥ずかしげなのを、めでたいと思われた様子こそ並々でない。堀川「実に思いかけなかった御住居どもであることよ。数多くのうちに、高い八重のを、幼い頃から我が事と取り分けてなさって、静かな心なげにお思い扱いになるようだったのを、どのようにゆかしく思し出るだろう。何事も、世の中ほど思い通りにならないものはございません。ましてこれより年を積もった人が、どのような事を見ないだろう。何事も見る人なくて、お過ぎになるのは、かえって口惜しい様子に物しなさったので、思い立つ事はございましたけれど、このように引き返し、締めの外におなりになってしまったのも、これこそはあるべき事と思いながら、なおしばらくは本意ない気持ちがしました。けれども昨日今日お思いになるのには、たいそう目安い御宿世と思いなさる。女は高いも卑しいも、ただ一筋によってこそ、心のほかに人にもどかれ言われ、あるまじき心の程をも、見え知られましょう。私の心と、あわあわしく身を絆す心はないけれど、自ずからそれに従って、そうでなくお仕えする人がいなくなったので、身を心に任せない様子で、果て果ては思い歎き扱うようであるのに、命の限りは、(次頁・挿絵を挟み次々頁へ続く)とかく乱れる気持ちなくて、心のどかにてお過ごしになるべきようであれば、世にお仕えしなくなる後も、無理に後ろめたい事もございません。ただ仏の御方様を背きなさるだけが、後の世のため口惜しい事でございます。それも女の御身は、斎宮斎院にお定まりにならなくても三千大千世界を照らす玉の行く末を知らなければ、仏におなりになる事は難しくございましょう。そうであるのは三十二相も、たいそうよくお備わりになって、仏の御意も用い加えなさるべき様子が見えなさる」などおっしゃる程に、大将殿が参りなさると、この文をお見せ申し上げなさって堀川「ただいま、この御手ほど書く人は誰かいるか。式部卿宮の上が名高く物なさるけれど、文字様の細やかに趣深げな様子などは、なお優れてこそ見えるのは、思いなしでしょうか、どうでしょう」とささめきなさるのに、まして、何事も類ない物に、思い染め申し上げなさった御目には、珍しく様子特にばかり覚えなさるので、うち置かれずお守りになった。狭衣「今も昔も、これほどなのは難しくございましょう」とだけ申させなさるけれど、我が物と見なくなる口惜しさは先に胸が騒ぐので、参らせなさった。女御は、我が御身の行く末が心細く(次頁へ続く)思われるままに、殿のおっしゃる事どものみ、耳にお留まりになって、この御有様を羨ましく思われた。狭衣「この花を差し上げさせなさったのでしょうか。どの様子ですか」と、ゆかしげに申し上げさせなさるけれど、変わらない色の哀れだけ心に掛かって、女御「花の色はどう申し上げさせましょう」と、しどけなげに言い紛らわしなさる御気配の趣深さを、昔の御名残と変わらない御心においでになる。御几帳から、琴の爪ほど差し出して、桜萌黄の三重の御衣どもに、紅の擣ったものが、桜の二重織物の小袿など、重なった御袖だけが見える。狭衣「女御殿の御前に、ゆかしげに申し上げさせなさっていましたので」と言って、参らせなさるのを、見苦しかった事を御覧になったのかと、かえって知らない人よりも恥ずかしく思し召すのに、御顔がたいそう赤くなって、御扇を差しやって花をお入れさせになるというので、少しお傾けになるのに、はらはらとこぼれ掛かった御額髪の掛かり、御頬つきなど、久しく拝見(次頁へ続く)

なかったからだろうか、様子特別な御匂いにこそならさせなさったと、急に花もうち置かれず、つくづくと守られて、涙のこぼれそうなのを、人々が怪しく見るだろうかと思うのに、無理に侘しいので、あった女御殿の御返事が、硯の上にうち置かれていたのを、取って御覧になるけれど、ますますこのように近づいた程の心の内は、なおさらに紛れ難い。文字様など、わざと上手めかしくはなくても、墨付き筆の流れも、怪しく並々でなく優美な、文字様などは、優れなさるものを、先にお思い出されなさる。何事もこの御有様は、この上なく劣りなさっていたのに、このように並々でない様子にもてなさせなさったものを、と思われるのに、我が過ちの心苦しさも、疎かでなく思し知るべきだ。狭衣「斎宮の御手など、どれが優れてございませんか」と申しなさると、斎院「どれも趣深げに見えます」とおっしゃるのにも、味気なく、狭衣「あはれ」と独り言ちて、(次頁へ続く)取り分けて、並々でない様子に傅き申し上げさせなさっていたものを、それが、この世を甲斐ない様子におなりになったことこそ哀れである。後の世は、優れなさりそうだ。心は先立ちながらも、先の世の勤めからか、清々しく人の思い立たない筋を、どれほど深くもお思い取るだろう事を物しなさらなかったものを、限りなく行い勤めなさる様子こそ、羨ましげでございます。山へ帰るとかいう、たいそう聞きにくい名までお留めになりました。そうであってもどのような夢かとだけでも承りません。人こそ物の哀れを知る事は難く哀れと御覧じ知らない様子でございましょう。ついには思う事ないべき身だと、御覧じになった音か。帝や、院などこそ皆お思い合わせなさったようだ。自ずから見聞く人があれば、どれほどおこがましく、例にもならせなさるだろうと哀れに。そうであっても心の内は思う事なくもございませんものを、本当に神の御心寄せが特別であれば、別様でこそその御夢は叶うのでございましょう」と言って(次頁へ続く)狭衣「儚いことよ夢の渡りの浮き橋を頼む心の絶えも果てないことよ、浮き木に遭う事よりも、難しい事どもだな」と、忍んで申し上げなさるけれど、悩ましい様子にもなさせなさって、寄り伏させなさったので、はしたなくてお出になると、東の隅の間に、花見ようとて、人々数多く座っている所に寄り座りなさって、狭衣「君たちまで、あまりにお慎みになって、今は目もお入れにならないので、ひどくつれづれになってしまった」とおっしゃると新少将といって大人しい人が、「物があればなあとこそ、皆思っている様子どもでございますので、まして何かは見入れ参らせる人もございましょう」と聞こえると、狭衣「心憂い事だ。物が恐ろしくなくて過ごした末の中頃が、悔しく思い出される」など、誰となく言い戯れなさって(次頁へ続く)見守る野辺の霞路、暇もなくて折らずに過ぎ行く花桜だな(狭衣の歌)。わざと無く言いすさびなさると、少将(次へ続く)花桜、野辺の霞の暇もなくに、折らずには人が過ごすものであろうか(少将の返歌)。

様子では、どう諌めましょう」と聞こえると、うち笑いなさって、狭衣「独りだけ思し咎めるということこそお気の毒だ、それではどうすべきか。あの東の対に、昔もそんな事があったのは」とおっしゃると、少将「逢うことに替えれば、ましてこれほどの身は、何か惜しくございましょう。この世の面目にこそは」など、笑いやかに戯れ申し上げるのを、若い人々は、どうにも汗をかいて聞いていた。先の声が数多く聞こえるので、誰だろうと思われると、あの物語が悪かった大納言は、この院の別当だそうだ、その弟の新中納言の中将と言ったのも、今は宰相中将と言うそうだ、それより下の若君たちなど、鞠を持たせて参ったのであった。狭衣「花のために情が遅れた事だけれど、何となく心行って、見所のある事だ」などおっしゃって、狭衣「いづらづらく」とおっしゃると、色々の姿どもを脱ぎこぼして、足元を整えながら、数多くうち連れて歩み出た。御簾の中からわざと無く所々漏れ出た袖口ども、例の事だけれど、内裏辺りの好ましく思われた御方々よりも、なおこの上なく心憎く、故深く見え渡(次頁へ続く)それゆえ、心特別な用意どもで、花の下にさまよう姿ども、どれとなく趣深いうちに、宰相中将を、大将殿が無理にお勧めさせなさると、宰相「若々しい業だな」とは言いなさるけれど、実に人よりは、趣深くなまめかしい様子・形で、数もこの上なく多くお蹴りになるのを、大将殿などもお興じになって、狭衣「どうかすると、降り立ちそうな気持ちがする。若くてなかっただろう」とおっしゃると、御簾の内の人々が、「真面目な人の大将がどうして今しばらくは、花の散るのも惜しくないだろう」など、口々にたいそう立て申し上げたげな様子どもである。狭衣「そのひどく屈した名指しこそ、余所へ付けられそうだ。この上なく見比べなさるのが妬ましいので」と言って、うち笑みなさる愛嬌は、花の匂いよりもこの上なく勝りなさった。花がひどく散り掛かるのを御覧になって、狭衣「かうりたまかへりて、あとなるはふかし」と、忍びやかに口ずさみなさって、勾欄に推し掛かりなさった目つき・様子、御声などは、あの「桜はよぎて」と言って、花の下にお休みになっていた御様子を、その折は趣深いと見たけれど、この御有様、類なげに、何事の折にも見える(次頁・挿絵を挟み次々頁へ続く)る。日が暮れたので、皆お上りになったのに、いつの間にか夕月夜が差し出て、梢どもがたいそう面白く見え渡された。さまざまの御琴どもを、御簾の中からお出させになると、取り取りにお譲りになりながら大将は手もお触れにならないのを、大納言が、「あってはならない事だ」と言って、琴を無理に差し上げなさると、狭衣「御前ではさらに珍しげなく、かえってでございます」とおっしゃって、ただ扇をうち鳴らして、しばらく遊んで、人々が退出なさるのに、織物の細長、小袿などといった物どもを、お与えになった。大将もお出になると、日頃語らいなさる事のある人が参り合って、「今宵こそ然るべき」と聞こえるので、それではどうしよう、たいそうこのように物むずかしい心も、もし慰めようかと、その方様へおやらせになる。薄霞に曇った月影、明らかではないのも、ますます物の心細げな空の気色を、道すがら眺めなさっても、思い立った本意は、やがて違えて止(次頁へ続く)

みするべきだろうか、あの明らかな師仏は、そうは言ってもと頼もしく思っていたのを、なぜかこのように拠なし歩きも、数が積もれば、たいそうあってはならない事だな、と思し出ると、物凄まじくなって、引き返す気持ちがしなさるので、しばらくおし留めさせなさると、築土が所々崩れて、花の梢どもが、面白く見入られる所がある。道季を召して、狭衣「どのような人の住まいか」とお尋ねになると、道季「故式部卿宮にお仕えします。宰相中将も、ここにおいでです」と申すと、今しばらく御心が留まって、近く遣り寄せて御覧になると、門は閉ざしていた。風に従って、柳の糸が起き伏し乱れるのに、花の梢も、見る間に残り少なげになるのは、たいそう見捨て難いのに、琵琶や筝の琴などを弾き合わせて遊んでいるようだ。有様もゆかしい辺りなので、お降りになって、崩れからそっと入って琴の声する方に尋ね寄りなさった。寝殿南表の端隠しの間、一間ばかりを開けて、人はいるようだ。近い透垣の側に寄ってお聞きになると、琵琶はただこの御簾の元で弾くのであった。筝の琴は奥の方に聞こえる。これが姫君だろうかと、耳をお留めになると、入道の宮の御琴を(次頁へ続く)類ないものに思い聞こえるのを、これは今しばらく愛嬌づき面白い方は優れてか、とまで聞こえるのに、ますます御心が留まったけれど、心解けてもお弾きにならずに止んだのはかえってであるのに、万事たいそうゆかしくなったけれど、少し物の様子が見えるべき様子もないけれど、お帰り出でになるのに西面の方に、たいそう幼い声で「有漏無漏法」と誦する声が、たいそう美しく聞こえるので、宰相の弟で法師になるべき者がいると聞いたのに違いないと思われる格子の隙間から火の影が見える所を、なおも案じず、そっと立ち寄ってお覗きになると、几帳どもが数多く見えるけれど押し遣られなどして、奥まで見通された。帳の前に、脇息に推し掛かって経を読む人、三十には足りない程かと見えて、ひどく気高く愛嬌づき、見たい様子など、ここらで見た人になぞらえるべくもない。白い衣どもに、薄色などのひどく鮮かではないものを着て、顔なども繕ったのは見えないのに、髪の掛かり・色合いなど、本当に趣深げなのを、これこそは姫君だろうと思われるべきだけれど、さすがに聞く年の程とは言えるべくもなく、もてなしなども、大人しく安らかで、この誦する(次頁へ続く)児の七つ八つほどのなのを、経読みさしながら、たいそう美しいと思って、うち笑みなさる様子どもが、中将の母かと見えるのに、あまり若く趣深げなのを、ひどく怪しいと御覧になる。我が御母上をこそ、類なくめでたい御有様と拝見なさってきたのに、そうは言ってもこのような人も、ある世にこそと思われるのにも、これにお似いになって、今しばらしくはっきり若いであろう姫君の御有様は、我が思う事の叶うべきだろうかと、嬉しいのはさるものとして、この見る人をも見さして、出るべき気持ちがしなさらないのを、ありありてひどく頑なな業だな、我が年の程より、もっと大人しい宰相中将の有様を、ただ思い合わせなさるのに、ひどく似げなくあってはならない事だなと、独り笑みせられなさった。折り見ればなあ朽木の桜、行き交う蔦に飽きない匂いは盛りであることよと(狭衣の歌。底本の読みは6・7・6・7・7で字余り・字足らずを含む)独り言ちてお出になるのも、我ながら物狂わしく思し知られる。心ざしなさった所は、致仕の大納言と聞こえる人、ただ独り傅きなさった御娘、限りなく趣深げで、斎院に少しお似い申しなさると、上の御方に古人としてお仕えする右(次頁へ続く)

右近君という人から語り聞こえてあちらにも、そのような便りがあって親しく通うので、ほのかに見せよと、語らいなさるのを、親たちに知られては、さすがに有り難いことに、今宵は然るべくであろうか。案内を申し上げさせたのであった。中宿に心が留まりなさって、ますます物憂く思われるけれど、ただここ元と申すので、なお本当かと見現そうとしなさる方があるので、え過ぎやりなさらない。伝手の人の元に、消息を言い入れなさると、「ただ早くお入りなさい」と聞こえたのでお入りになった。人目のない方から、帳の後ろに導き入れて、火など心細い程ではないように仕成したのに、ゆに趣深げだなども言いそうであったけれど、掛けても思い寄せ申し上げるべき方は、あるべくもなかったので、ひどく興醒めしてお出になった。一晩中思わずに有り難かった面影は、お忘れにならずこのように世づかない心の内をもゆに知らせないのが口惜しいので、慰めがてら、例の姫君の御方に申し上げなさるようだけれど、別様の心も添っていただろう。散り紛う花に心を添えた時から、人並みならず物を思うことだな(狭衣の歌)。などであった。折しも宰相中将が参りなさったのを、さまざまに思し離れ難い縁が懐かしくて、常よりも細やかに語らいなさるついでにも、琴の音を聞いた様子は見たいけれども、思いも掛けない程の歩きをしたとは聞かれまい、今から後も、然るべき隙があれば見定めて、本当しく思い定めよう、など思われるので、言いも出でなさらない。中将の形はひどく清げだけれど、火影には、さすがに似ていなかったなど思し出されて、うち守りなさるのも、どうして知ろう。狭衣「そうであっても聞こえる事は、お聞きにならずに止むべきだろうか。結び留めようとかいう、一言に、今まで永らえているのを、どうしておなじく助け果てて下さらないのか。先の事の宣旨書き、かえって心病ましく腹立たしいことよ。人の許さない辺りに、身の程知らない文などが落ち散るのは、おこがましい事と思ってきたけれど、身の上になると、そうは言っても思い止むことができない業でありました」と言って、ひどく慎ましいと思われた様子が本当しく思われないので、そうであったかと見るのは、人知れず嬉しいけれど、宰相「心一つにはえ任せできませんので、母にございます人に、常にこのようになど物しございますけれど、浅ましく古めかしい有様を、何事に(次頁へ続く)付けてか。思し数えなさるほどはあるだろう。そのような物のから自分たちをもお思し疎み、変わる御心も、通う習わしに悔しくこそあるだろう、我が心にもつらい方に思いなし申し上げさせようとは、本意ないことよ」など、慎ましげにばかり物しございそうなのを、さほどでもあるまいなど、強いてお勧め申す事もいさや御心の煩わしいからこそ。宣旨書きは、お仰せにならない先に老人も行いに暇なしと言って、ただやがて申し上げさせよとだけ、お譲られなさるのだ。今よりはさらにさらに」など聞こえて、まめやかに、宰相「女子こそ人がお持ち申し上げるべきではありませんでした。親の心を乱し申す事も、男子はさほどございませんでした。故宮がお隠れになった折、やがて容を変えて、都の外の住処にと思い立ちましたけれど、幼くございました折柄、通う容の人を、世に知らず怖れて、このようだと聞こえて後は、立ちも離れず泣き暮らしてございましたので、するするともえ背きやらず。また何処も同じ寂しさと言いながらも、山の彼方の家居にも心苦しい様子を引き籠めようもどうなど、思い躊躇いございますのを、今はまた春宮に、故宮の(次頁へ続く)

申し置かれた事もある。なおそのような谷の下水にはなさで音のみ、中宮から責めおっしゃるけれど、後見のない人の交わりは、思い立ち難いべき旨を、申し上げさせながらも、ゆにさのみ言ってもついにはどうなるか、など様に、ただこの有様を明け暮れの歎きにて、清々とこの世も背きやり申さないでこそ。何としても何としても見定めて早く籠もり居ようと、思い置いた所もございそうだ。そうは言っても、まして容の様な有様に見置こう、心安く、ふっと見放すばかりの事は、ひどく有り難いべきなので、なお長き世の絆とはなるべきでございましょう。男こそ安いです。司位など言う事も、目安い様子ではありませんけれど、ただ公がお思し捨てない事ばかりを畏れ多いとして、自ずから過ごし申さないはずでした。世の中に棄てられれば、出家をしても、この世にこそ思い出ないだろう、仏になろう事を思えば安いです。女の、思い傅く人なく然るまじき有様をして、身を思い結ぼおれようのは、見申すのも、どれほど安くないべきか」と言って、果ては涙ぐんだ様子、心特に思い置いていた妹の君と見えて哀(次頁へ続く)れである。狭衣「春宮にどうして思し置かれようを、掛けてさえ、このように申し上げさせようのは、ひどく便ない事でございましょう。そうはあっても、そのお思い立とう都の外にも、そのような御交わりを見放ち申し上げては、有り難いことこそございましょう。このように真心な後見をお設けになっては、後の世の勤めども、紛れなく物しなさいましょう。あの御方のため目安いとまでこそ思われないでしょう、ただ然る方に、後ろ目安い方にはどうしてかは、とこそは思いますけれど、その思し疑われよう後の悔しさなどは、いさや心を測るものなので、慣れない事であれば、どうしてさほどあろうかとこそ思います。僻々しいまで世を思い捨てて、聞きにくいまで、誰にも騒がれ申す有様などは、お聞きでしょう。稀々に、このように心に入れて申し上げ始めた事を、名残ない心の程など見え申す様子は、どうしてあろう。見譲る方がなく、心苦しかろう御有様を見始めては、惜しくない命も、危うくなるなどこそ思われましょう」と、細やかにお語らいになると、宰相「いでや、まして宮へお参りになる事は思い掛け申さ(次頁へ続く)ないでしょう。あまり心安げにおっしゃる御心も、数ならざる人は、まして門はと、ひどく慎ましくお思いになられそうだ」など、宮の御為が疎かなのを、例に言い出すのは味気ないことか。道芝の露は、袖に掛けなさらない日なく、お忘れにならなかったものを、本当にあった御返事を持って参ったのを、中将が見て、中将「そうか。このようにばかり暇ないのにはどう」と、煩わしがるをも趣深くて、引きそばめて御覧にな(次へ続く)散る花にそのように心を留めては、春より後はどう頼もうか(狭衣の返歌。底本は「いかど」とある)とあるのは、昨夜の火影であるべきだ。ひどく慎ましげに抱えなどはせず、一行きに、引き渡された筆の流れ、文字様など、これを上手とは言うべきだなと見えて、ひどく口惜しく思われる。中将がほの見て、「透かさせなさるのでございました、ひどく古めかしい宣旨書きは、また難しくなさせそうだ」と言うのも、ひどくしたり顔である。四月朔日に、院の女御が、ひどくもお悩みにならず、女宮をお産み申し上げなさった。同じくば(次頁へ続く)

どうしてかと、嵯峨の院などには、ひどく口惜しくお聞かせになるけれど、内裏にはまだ慣らわせなさっていない事なので、御佩刀や何やとお扱わせになるのも、珍しく嬉しい事に思し召された。御湯殿の儀式の有様、九日の夜までの御産養ども、書き続けなくても思い遣るべきだ。万事大殿、大将殿など、もてはやし、傅き申し上げさせなさる有様、並々でないので、思う様でない御事とも見えず、めでたい御宿世とのみ見える。内裏には、心もとなくゆかしく思し召しながら「疾く疾く」とだけおっしゃるので、御五日ほどにお参りになった。いつの間にかと珍しい人を拝見させなさるのに、目慣れただろう人の目にさえ、通う類は有り難いかと見える、御美しさなので、まして、時の間も御目をお放しなさるべきとも思し召されず、御膝の上にて、終日もお守り申し上げさせなさる程に、ちうが添いめでたいのに、まして、思う様子に物しなさったならばと、女御は飽かず口惜しく思われた。もとよりさえ甚だしい事どもをさえ、お持て扱わせになる御様子、添いめでたいのに、まして、思い取り分けなさった御覚えなので、ただこの方にのみおいでのを、御方々には安くない事(次頁へ続く)思われるべきだ。今まで后がおいでにならなかったのに、女一の宮の御珍しさに、今は誰かは思し知ろおうと言って、ついに院の女御がお据わりになった。うち続き、春日の神もどう思われるかと世の人々は悩むけれど、それに依るべきではないので、やがて堀川の院にお出になった。御設えの有様が引き返し、宮仕えども、さまざまになりなどして、めでたい御有様なども常の事だけれど、目近く見るには、なお女子をこのように見ないのは、生きる甲斐もなくあるべきかな、と覚えた。春宮の御母宮を、皇后宮と申し上げさせた。七月住まいの頃に、今の中宮が、儀式特にてお参りになった。春宮には、御元服の夜お参りになった右大将の御娘、麗景殿の女御独りがお仕えになるのも、この上なく大人びなさって、遊び敵には合わすか思われそうだ、大将殿がひどくお褒め申し上げになる姫君の御事を、今より御心にお入れさせになるけれど、まだひどく待ち遠い程とお聞かせになるのに、心もとなく思われた。式部卿宮の姫君を、故宮が必ず御覧ぜさせようと、申し置かれていたのを、大人びさせなさるままに、お忘れにならずながら、御心一つに(次頁へ続く)は、お驚かせできなかったのに、この母宮も、「児顔の、世に知らず美しく物しなさったのがどのようにお育ちになっただろう」などおっしゃらせ出て、宮にもその様子を見させなさって、御文などは、常に差し上げさせなさるのであった。あの宮にも、通う御消息などを、事の外にもて違えても、また頼もしい御縁などもない御身なので、どのようにかはもてなされ申そうなど、思われながらも、そうでは我が本意の向きに違い果ててしまうべきを、どうしたものかと、思い乱れなさりながら送り迎える年月ばかり過ごしながら、姫君もようよう盛りにおなりになるままに、帝や春宮と申し上げさせるとも、この御有様になぞらえるべき様子も見えなさらないのを、宰相「大将殿、ほのめかしなさって程が経ったのに、ただお見せ申し上げなさい。その御様子ばかりが似つかわしいだろう」と、宰相中将が常に申し上げなさるけれど、さすがにわざと下り立った御志とは見えず、ともすれば、西の山元に心を掛けなさって、夜と共にあくがれなさるのを聞く聞く、なおひどく危なく慎ましい心地がして過ごしなさるうちにその年も過ぎて、夏の初めにもなった。

早いうちに五月雨がちで、物むずかしい昼頃、大将殿が、春宮の御方にお参りになると、御手習いなどなさせなさって、色々の紙である文どもが取り散らされていた。狭衣「どうして、時々はこのような物もお見させ下さらないのですか。ひどくうるさい事どもにはお召し付けして」と、怨じ申し上げなさると、生恥ずかしいと思われた御様子で、かえってふともお取り隠しになれないのに、紫の紙の並々でない様子をした結び目なども、ただ今のと見えるのを、ゆかしがり申しなさると、え惜しみなさらず、春宮「式部卿の宮の姫君に申し上げよと、大宮がおっしゃったので、宣旨書きを教えたままに、書いて遣った」と言って、お与えになった。狭衣「どのように甚だしい事を申し上げたでしょう」と言って、御覧になると、妹ののどかにも頼まないのにはたづみ影が見えるべくもない眺めをとかいう所々ほのかな墨付きが甚だしくないけれど、母君の手にひどくよく覚えて、思いなしだろうか、今少し若やかに、らうたげな筋まで添った。今まで見なかった事まで口惜しく、うち置き難く思われる事限りない。まだひどく幼げな御手などもな(次頁へ続く)かなく心安い方でも、理だなと思われるものから、狭衣「これほど見所が多いのを、今までお見せ下さらなかったのが恨めしい。これはひどく趣深げでございます物だなあ。娘の手本に取らせたくございますけれど、あわあわしい様子でございます」と言って参らせなさった。狭衣「このように何事もめでたい人を御覧じ始めては、思し落とそうと思いなさることこそ、ひどくつらいでしょう」と申し上げなさると、御顔をうち赤らめて、春宮「これは参らせようともない物を」と言って、生き苦しいと思われたのを、ああ幼い御心様だと、趣深く拝見なさる。引きそばんでお書きになるのは、やがてこの宮へであるべきだ。いつまでと知らない眺めに、はたづみ・うたかた、合わずに私は消えてしまうべきだな(狭衣の歌。総31音だが句の切れは変則)。理を知らないのを慰め侘びてであろう。口惜しいことよ、緒絶えの橋は文を見なくても、雲居に通う跡は暇がない(春宮の歌か)。などお書きになるのを、春宮「何処へ。お与えあれ。見よう」とはおっしゃるけれど、うち探り引き奪いなどはしなさらない。今よりひどくうるわしく気高い御心映えであるのに、この殿をひどく打(次頁へ続く)解け難く恥ずかしい物にと、思い申し上げさせなさっている。ひどく隙なくて、狭衣「世の中に有り難くばかりお思いになられるので、どうしようと言って、生女の哀れに成すべき案内をし得て、語らい申すのです」と申し上げなさると、ひどくお笑わせになる。このようにお参りになる折々は、然るべき文どもをお取り出させになりながら返事どもなどの、しどけなく慣らわし聞こえた所々をお直しになる。心得ず思われた文字など、細かに知らせ申し上げなどなさるので、今日も数多くの文どもを取り散らしながら、面白くうち誦じながら、慣らわし申し上げさせなさるのに、蔵人が参って様子が立つのは、あった返事か、と思われてお立ちになるのに、それなので、隠れの方にて、引き広げなさるのを、物言い性なき権大納言が、ふと差し覗きなさると、引き隠しなさるのを、例の眼の疾さは見てしまっていた。権大納言「いでや、今さえこうであればぞかし」とうめき掛かるのを狭衣「これは文めなさるべきでもない。娘の一書きなので、散らすまいと言って」とおっしゃる。水浅く隠れも果てないにほ鳥の下に通った底も見たので(権大納言の歌)。

物言いの後ろ安さは、思し出る事もあるだろうを、ただは見させ下さらない」と、むつれ寄って、切に探すのを、さて言い出して、侘しい目は誰が見せるのかと言いたげな、狭衣「取り集め、またもない名を立てようとや、後ろの岡に掛かりせしや君、たどすの神にも、憂え申し上げたくあったものだな」と言って、これは例の宣旨書と御覧になると、強ちにもゆかしくなくて、細々と引き破って差しやりなさるのを、妬がり腹立つ様子も、一重に華やかな様子で憎くない。庭のたづみを御覧になって後は、ますます外様に聞きなしなさろう事が口惜しいのを、睦まじい御中にて、后宮などが本当しくおっしゃらせると、思い包む方が多かろう、我が方様には、よもや思いならない、と思われるのが口惜しいのを、どのように思われたか、御気色もゆかしいので、后宮の御方にお参りになって、物語など申し上げなさるついでに、御子の大人しい御心を遣わせなさって、式部卿宮の姫君に申し上げさせなさる事など申し上げなさると、后「故宮が、ただこの君のことのみ繰り返し言い置かれましたが、外ながらは、その志の印も無(次頁・範囲外へ続く)(前頁から続く)…を、同じことならそのように、などと聞こえるけれど、あの母君が、どのようにも後ろ安からん人に、親のように預けて、私は跡の絶えた住家に籠もっていよう、とおっしゃるので、大方そのような交わりはと聞くのを、この古い人たちの、類のなかった見た様子を、どのように育ってか、などと語り聞かせたので、若い御心には、見たく思われたに違いない。本当に、これほどの子は世にいないだろうと思い出される。どうにかただ迎え取ってしまいたいものだ」と、おっしゃる様子も、思わぬ方に聞かせたなら、人間も不都合でこの御心どもも、どうして治まろう、気の毒でなければならないけれど、このように並々でない有様を、昔から聞き始めて、ついに見ずに終わるのは、やはり本意でないだろうから、このように懇ろに思われたことと見た後も、思い絶えることができなかった。文は、わざわざ使いを差し上げなさるのも、競い合うような顔つきになるだろうから、宰相中将のもとに、絶え間なく責めてよこしなさりながら、その中に混ぜてお入れになった。春宮から御使いが参ったと見置きなさって、お出になるままに、いつものように細やかに恨みなさる中で、浅間山の煙と比べてみよ。誰の思いが焦がれてまさるだろうか。そうはいっても、類がないだろうとこそ思われるのを、今日だけは、やはり取り替えても賜らせてほしいものだ。ある御文の書きぶりは、まことに類のない様子の聞き交わしをなさるのも、似つかわしくないことはないだろうけれど、差し放ちがたい御返事を、まず勧めながら、書かせて差し上げなさるのに、どうにかいろいろに聞こえてほしいものだと、いつもの上の方にお書きになる。母は、おさましや、浅間の山の煙には立ち並ぶべき思いとも見えません、とある。宰相の君は、なお、宰相が「そうは言っても、空しく聞かせたと思うなよ、まじめにおっしゃる折に、許し聞かせてほしい。春宮にも、この殿の娘として、一品の宮にお生まれになった姫君を、今から特別に思い聞かせなさる様子で、今二、三年過ぎたら参上なさるだろうとのことだ。たいそうだとしても競い聞こえなさるだろうか、そのような御交わりは、ないまでも、上なき位におなりになるだろう頼みをかけてこそ、うちうちの苦しさを慰めてもお過ごしになる。

はめ、思い隈なくては何が賢いことがあろうか。また自分のような上達部は、隙のない様子でも、なお口惜しい御有様でいらっしゃろう。この殿は、一品の宮がいらっしゃるにしても、内々の御心ざしなどを見ると、どうしてかとこそ見る。余所の思いやる程よりは、名残のない物忘れなどなさるはずもない御心を、たまに時々にでも通いなさるなら、生きる甲斐のあるべき事かな」と聞かせなさるのを、本当にそうかなどと思い弱る。夏の方から、母上が患いがちにおなりになるのを、いつもも暑気にはその程度こそはと、見申し上げる人も自分も思っていたのに、恨めしい風の様子を、待ち受けなさっては、ますます苦しがりなさって、物心細く思われるままに、ただ姫君の御事を思うよりほかの事はない。そうあるべき様子にお見申し上げるのを、このように私まで急に亡くなってしまったら、どうなさるだろう、宰相も我が身一つだけでも人に任せられているのに、たいそう思い聞かせなさっても、どうお世話なさるだろうと、思い続けるのがたいそう悲しいので、一日にでも私が見る世に、大将にでもなってほしいと聞こえてほしい、ある人々の心も気がかりなのにと、苦しいことに加えても、思い急ぐ事もあることをお知りになるので、大将殿の方から、御心地のことを詳しくお聞きになって、狭衣が「一方に偏ってしまったら、どうしてふた道に思い悩むべきことがあろう。とにかく苦しくなさる程に、御返事がない。日に添えて、たいそう弱くなりまさりなさるけれど、ただこの御事を見置きなさるのだと、あらゆることを紛らわして、忍びなさって、事々しくないけれど、情けない様子だと思い置かれたけれど、なお待ち受けなさるはずもないのに、限りの様子に見えなさるので、尼におなりになる。たいそう若々しく美しい御様子を、仕える人々も、盛りの御身をお捨てなさる心地して、飽きず悲しむべきだ。姫君は、やがて別れまでも思いよらなかったのに、悲しさも類なく思われて、泣き沈みなさるのを見なさっても、まして跡かたなく見えない後の御有様を思いやるのに、見捨てがたい心地がする。大将殿もそのように聞きなさるのにも、身をお捨てがたかった様子を思い出されて、変わらない様子をまた見ないようになることとお聞きになって、宰相の御許しに、あわれな御問いかけを、懇ろに聞こえたまひて、いつもの御文もあれば、やがて取り具して、上の御方に参上なさった。忌むことのしるしに、今日は少し物思いなさる様子なので、このように悩むとお見せ申し上げなさる。尼が「本当に飽きるまでなさけ有りぬべかりける御心様を、口惜しく見申し上げ置かずなりなむ事」など、弱々しくおっしゃる。今一つの御文には、狭衣が「私だけが憂きことも知らずに過ごしてきた。思う人さえ背を向ける世の中に」とある。このように常に仰るのを、聞くでのみあるも、物思い知らぬように思すらむかと、姫君の、御傍らに同じ様子で臥し沈みなさるのを、ただこの御返事を聞かせなさり、後ろ安く見置き申し上げて後、姿をも変え、限りの命も絶え果てむとこそ思い侍れど、かなわぬ業なりければ、ついに見申し上げ置く事もなくて止みぬべきを、思わずなる有様にて、人にも哀れ深い心の程を、知られ給はむよりは、侍らずなりぬとも、この人の御もてなしにしたがひ給へとぞ思ひ侍れば、このように見なさる折に、言うとしからぬ様子にも聞えならひ給へかしと思ふなり」と、御髪を掻きやりつつ聞かせ知らせなさるのに、たいそう涙のみ流れ出て、起きも上がりなさらないけれど、硯など取り寄せなさり

て、頭もたげつつ、ただなほ」などと聞かせなさると、泣く泣く起き上がりなさる様子、髪の通いなどはじめ、ただ余所の人にてだに、見初めたなら、限りの路の別れも、行きやるまじげなる様子を、ましてどうばかりかは、後ろめたく悲しいと思われなさったのだろう。妹という憂きものと今こそ知りました。限りがある身と思いながらも背いてしまう世の中を、などように一方の様子で差し出しなさったけれど、待ち見なさるところには、珍しい様子で、たいそうど見では止むまじく、静かな心ない様子で、御心に通いまさった。また立ち返って聞こえたけれど、宰相が「今朝は少し隙のある様子に見えなさったけれど、なおその状態のみでは難しいのに見えなさったので、ただ今渡しなさる」など、宰相ぞ聞かせなさる様子だ。

任意の復習へ

底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。