ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

狭衣物語 / 第21場面

譲位と結末

この場面の挿絵を見る
譲位と結末をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

帝は譲位し、姫君は宮の代わりとして参内する。一品の宮の崩御、嵯峨の院の最期を経て、狭衣は故姫宮の絵日記を読み、物語は閉じられる(巻第四之下は p.484 から)。

原文の一節を選ぶと、発音の読みと現代語を確認できます。読むだけでは音は出ません。どの読み方から始めても読了を記録できます。

表示設定

音声設定

原文の一節を押すと、読みと現代語訳が出ます。「次の一節」でも読み進められます。

狭衣物語・第21場面0 / 192
原文の一節を選ぶか、「次の一節」で読み始めます。

原文・発音の読み・現代語

現代語で読む

には、どうしてあろうか。互いに心の中どもは、さわやかでなく思いなし、心苦しくお思いになるよ、度ごとには、また昔も思い出しなさる折はない。数ならぬ身の際と、侮りはしかったけれど、このような人の類も特にいなかったので、行く末は、無理にでも落としめなさらなかったであろうものを、など、大方過ぎ去った昔を忘れぬ御癖の涙もろさは、絶えるべき世もない。飽きることなく素晴らしい人を御覧になりながらも、このような心の内どもが、絶えず慣れてしまった忍びがたさの、物嘆かしさなどは、自然と漏れ出て、慣れるだろうとのみ思い聞かせなさる甲斐なく、姫君も、うちとけにくく、隔てが多くなりそうな御心と、人知れず見知られなさった。大殿にも、姫君を慕わしく口惜しい事と、常に聞かせなさるけれど、なおなおある様子であるので、今は、ついには御覧になるだろう」などとのみ申しながら、過ごしなさった。暑い頃になっては、ますます思うあたりの涼しい所よりほかには、立ち離れがたくて、起き臥し共に乱れ過ごしなさる頃に、斎院にも、例ならず心もとない日数が隔たっていたのを思い出しなさって、涼しい夕風を待ちつけて参りなさると、人少なく静かな心地がして、御前に二三人仕えていた人も、皆うち臥して寝入っているところに、そっと近くに参り寄って、御几帳のそばから見入れなさると、御前にもお休みになっていたのだった。二藍の薄物を差し上げて、引き被らせなさると、御顔も身も露ほども隠れなく、御髪は、行く方も知ら。ず、つやつやとただ流れて行きて、額髪の少し返った分け目、簪など、かえってこのように細かには、久しく見申し上げなさらなかったので、珍しく嬉しくて、つくづくとお守り申し上げなさると、昔よりなお、並々でなく思い染み申し上げていたからか、たいそうこれほどである匂いは、さらに、並び申し上げるべき人こそいなかった。ああなお、私の宿世の口惜しくもあることかな、これを私のものと見申さずに終わるよ、逢うにしかへばとかいう、たいそうこれほどであった人を、それでも、言い置かなかったのかしら、この御身に代える命は、さらに惜しくなかったものを、心清く見ないで申し上げた私の心は、並々でなく心強くもあったことかな、今とても、人をも身をもひたすら無いものと思いなせば、難しくもあるはずはない、など月頃少し思い紛れていた心の内も、かき曇らし思い続けなさって、長押に寄りかかりなさって、つくづくとお座りになっているところに、ふと身じろぎして見合わせなさるのも、あさましい寝汚さを、どのように御覧になったのだろう、と恥ずかしくお思いになって、御顔もたいそう赤くなりなさって、ようよう几帳に紛れ入りなさったのも、たいそう口惜しい。人々は今起きて、少し居ざり退きなどしたので、狭衣が「常よりもたいそう堪え難いみだれた心地で、出歩くこともできず、久しく参りませんでした。そうはいっても一日も参って御覧に入れないのは、たいそう苦しく思いなさることにこそ。御前には、それほどお思い至らないものを」となど申しなさると、斎院が「例よりは妙に時が経ったけれど、御心地は知らなかった。どうして宮も久しくは」とおっしゃるのを、例よりは待ち遠しくお思いになっていたよ、このように心別である人の印と、お思いになったのだろうかしら、と胸うち騒ぎなさって、苦しくお思いになるのは味気ない。狭衣が「宮は、たいそう参りたくお思いだけれど、上が、やがて今日明日お渡りになる時に共に、とのみ聞かせなさるので、今日も内裏よりやがて参りましたら」など申しなさって、狭衣が「まことに人知れず心一つに思いあまりなさる事こそありました

荒ぶる神も、道理を知りなさる業であるのであろうか、とは思いなさりながら、かえって形代をこそ御覧になったのだ。いやいや、けれども、しばし忘れる心は神もお付きにならない業であろうか、今少しあやかりやすくはなっております。空目であろうかと、どうにかして、御鏡の影に御覧じ比べさせよう」と言って、うち微笑みなさる御様子は、大貳が言うと言って、上がおっしゃった人の事であろうか、と聞かせなさるけれど、御答えもないので、うち泣きながら、大方は身を投げようかと思うほど、見るからに慰めの浜も袖を濡らしたことだ。と言って、果ては例の、忍びがたいために漏らし出なさる涙の様子に、また掻き尽くし心付きなくお思い慣れて、なお眠たげな様子にもてなして臥させなさったのも、かえって何しに聞かせ申し出たのだろうと、悔しくお思いになる。

その頃、世の中はたいそう騒がしくて、道の大路を行く由々しい者も多く、やむごとなき人も大勢お亡くなりになったりなさったので、あわれにはかない事を誰もお思いになる。帝も例ならずお思いになって、心配な様子の夢を騒がしく御覧になったので、我が世が尽きるのだろうかと、心細くお思いになるにつけても、次の帝がおいででない事を、どうして口惜しくお思いにならないことがあろうか。大殿が参ってなさったので、御物語をこまやかに聞かせなさると、帝が「命も宿世も尽きてしまった心地がするのを、知らぬ顔で過ごして、この世を別れないことの、罪深く口惜しいはずであるのを、大将の預かりの若宮は、ただの人になそうという本意が深いと聞いたが、襤褸に包まれなさった女帝にお譲り置き、あるいは、一世の源氏の位に就く例を探して、年長くなりなさった大入道君が、坊にお住まいになるよりは、会おうとこそ思うのはどうだろうか。そのように言いながら、なお一日位を惜しんでも、限りある命のほどは、心にも叶うはずのないのを見る折に、なお一日であっても、心穏やかな様子にもなりたいものだ」とおっしゃるのを、どうして、ふと良い事ともお思いになるだろうか、堀川が「世の中が静かでない事は、自然とそのようなものでございます。前の世の契りのほども聞き入れさせなさるべきでもございません。お思い申し上げられることこそ不都合にございますけれど、それは御祈りなどさせなさって、なお静かに、試みさせなさることこそよかろうと存じます。あまり物騒がしい様子でお仕えしましょう」と奏上なさっても、実に坊にお住まいになるはずの皇子がおいででないのはどういう事か、とお思い嘆きなさった。内々には、若宮の御宿世がたいそうもったいない事と、丁重に聞かせなさるのを、大将殿は、あるまじき事かとお聞きになるけれど、どうしてそのように聞かせ申し上げられようか、女帝も、そのような折、昔もおいでだったか、どうなるべき世か、と人知れずお思いになるにつけても、あの「峯の若松」とかいう、祝い置きなさった生まれの前途が、実に叶うべき様子も現れれば、どのような心地がするだろう、そのような事が現れればこそ、実に生きる甲斐のあった身とは思えないものかしら、あの冷淡な御心にも、そうはいってもどうして、たいそう無下にお思いになるだろうか、など心一つにお思いになるにつけても、向かい合ってあれこれと、互いに心の中をも聞かせ合う世もなくて過ぎてしまうのは、なお返す返す思うにも言うにも余って、口惜しく心憂くお思いになった。中納言の助と、大貳の妻とは同じ同胞であると言っても、同じ身を分けたように、互いに思い交わしていたので、この人の露ほども漏らした事は、心からほかには散らすはずもないけれど、亡き御姿を御覧になる事もあり、そのように隠し忍ばせなさって過ごさせなさったのを、心からほかに、私が心得て知り始めた事さえ、傍ら痛かった。また入道の宮は、この御辺りには残りなく知りなさっていたのだろうと、そのようにお思い疑いなさっていたものを、末の世にも自然と聞き合わせなさって、思いの外であったとお思いになるだろう、どうであっても、今は若宮の御ためには、誰も疎かに思い聞かせなさるはずはなかった、と思えば、大貳にも、この御事を少しも語らなかった。夏が深くなるままに、世の騒がしさもますますひどくなって、高い身分の者も卑しい者も、残る人が少なくなっていくにつれ、月日や天の星の様子、雲の佇まいも静かでなく、慌ただしいままに、

帝もますます病がちにだけなりまさらせなさるので、なお我が世は尽きてしまうのだと思し召して、昔の一條院に退いてお住まいになるべき定めになった。年頃も、次の帝がおいでになるはずもないだろうかと、口惜しい事に明け暮れお思いになっていたけれど、そうはいっても何か様子があろうなどと、頼みに過ごさせなさったのを、昨日今日となっては、なおたいそう本意ない事にお思いになる事は限りがない。世の人も、「まだ盛りの御年齢である。父帝でさえ、ただの人になし申し上げなさった宮を、再び取り返して坊にお据えになって、位をお去らせになることは、あるまじきこと」と悩むけれど、大殿などは、「そのようにやむごとなくおいでだった后腹に、並々でさえあらぬ様子でお生まれになったものを、あるまじい事であるぞ」などおっしゃるのを、たいそう滑稽な事と大将はお聞きになる。嵯峨の院にも、お思い離れた方面の事であるけれど、並々でもどうしてかお思いになるだろうか、命が長かったのが嬉しい事と喜ばせなさるのに、齋宮も妙に悟りがちで、宮も病みがちになさる様子が聞こえるので、嵯峨の院などもお思い嘆くところに、天照神の御気配が、著しく現れ出なさって、はっきりとおっしゃる事などがあった。「大将は、顔ほ。立ち身の才から始めて、この世に過ぎて、ただの人には有り難いほどの宿世のある様子を、世間が知らなければ、世は味気ないものだ。若宮は、その次々に至って行く末こそ知ることがあろう。親をただの人にして、帝にお住まいになる事は、あるまじき事であり、そうでなければ、公のための事がたいそう悪かろう。やがて一度に位をお譲りになれば、御命も長くなりなさるだろう。この旨を、夢の中にもたびたび知らせ申し上げても、なおご理解なさらないのだろうか」などというように、はっきりとおっしゃる事が多かったけれど、あまりに恐ろしいので漏らしながら。そのような理由を、忍んで、内裏にも大殿にも奏上させなさったところ、聞いて驚かせなさる事は限りがない。若宮の御事を、誰も理解せず妙にお思いになった。大殿の上ながらも、あまりにそうあってはならないほどの事は行く末もどうだろうと、恐ろしい方も、様々に心が静かでなくお思いになるけれど、このようにお聞きになってからは、思い寝だろうか、帝の御夢にも、殿の御夢にも、「早く代わってお住まいになれば、悪かろう。一つの事だけでも、しきりに御覧になると、。たいそう心慌ただしくお思いになって、まず我が御子になさせなさって、八月に御国譲りがあるべき定めになった。近い世に、このような例も特にない事である、世間をお謗り申し上げるべき様子もないけれど、なおどういう事があるのだろう、と言い悩む人が多いところに、道理を辿って知らない者などは、高い者も短い者も、時々も見申し上げる事が絶えてしまう事と思い嘆く様子は、世にお亡くなりになった人のように、あまりに由々しいまでであった。ご自身の御心にも思い立った方面は、たいそうかけ離れて果てて、今更たいそう慌ただしく、落ち着かない心地がなさるはずであれば、相応しくない身の宿世と、お思い嘆かれる中にも、齋院を見申し上げなさる事が、今はあり難くなってしまうはずの口惜しさは、今さらに言いやるべき方もないけれど、この世に言い合うような様子に、実にあり得ない事であるので、たいそうこのようにも思えるのだろうか、また保つことができないのだったろうかと、さすがであるのを滑稽な様子を現し果てる事よ、など方々にも穏やかならず、無理な御心の中は、来た方にもますますひどくなっていた。

けれども、帝の御心地は本当に重くなりなさったので、一條の院にお渡りになったので、逃れるはずもなくなったので、お思い悩んで、今は御歩きもあるはずもないので、齋院に、夕方頃忍んで参りなさった。常よりも暑さの厳しい年で、御前にも病がちにお思いになる時に、かろうじて夕風が涼しく吹き出たので、人々は端に出て座りながら、月の頼りなさを待ち渡るほどの頼りなさに、紛らわせなさって、少し這い出させなさったのだった。思いがけず音もなく参らせなさったので、ふと入り来させることもできない御気配が、常より近い心地がするのにも、ますます心の中は掻き乱れて、忍び難い。狭衣が「このように参る事も、今よりはあるまじき様子に承りますので、今宵だけでもなお見申し上げてからと思っております。またそうでなくても、見申し上げる事も、今宵だけこそ限りでもございましょう」と、えご存知であるのに、ましてこの御様子は、心許なくては実に過ごし難いとお思い申し上げなさるだろう、道理であることよ、など、あわれに御覧になる。御前にも、見ることを逢う事として止めるべきものとお思いになっていたのを、思う様に嬉しい御様子ながら、頼りなさは実に、と少しは、耳に留めなさったけれど、例のように、続けてあるべき御答えもないので、我が御心の内は、晴れるはずもない。明らかでない空の様子も、なお心を尽くすほどに曇っていた村雲が晴れて、月影が華やかに差し出ているのに、御几帳から外れて、はっきりと見えさせなさる御髪の通い方や、顔つきなど、等覺の位に定まるとしても、見申し上げなくなる事は口惜しいはずであるのを、まして元より、この世の榮耀は特に好まない御心であるので、どうして並々に思われるだろうか。あさましい御心の内の、懸け隔てた方面は、今はどうなろうとも思い寄るはずもないけれど、水の白波のような御様子を、雲のよそにだけ思いやり申し上げなさるには、長らえないはずの命のほどであるとしても如何、と思し続けて、月の顔だけを眺めさせなさった。狭衣が巡り会う限りさえない別れであることよ、空行く月の果てを知らないのでと言って、押し当てなさる袖の様子も、限りある世の命でないのは、実にどうお思いになるのだろう、あまりにまばゆいので、御几帳を引き寄せさせなさって、そっと入らせなさる紛らわしさに、齋院が月だけでもよその村雲が隔てなければ、夜ごとに袖に宿しても見ようと、なおざりに言い捨てさせなさる慰めだけでも、実になかなかであるのを、思い離れられないほどにもなってしまうはずだ。仕える人々などをも、御覧になる事が絶えて果ててしまうのをあわれにお思いになるのに、すぐにでもお出ましにならず、はかない事も懐かしく聞きたい御様子で、あわれに心細げな事などを仰せになれば、見申し上げる人も、この世に珍しい御喜びとも思えず、袖も濡れ渡りながら、月も入りそうになってしまった。今はこのように軽々しい御歩行も、たいそうあってはならない事であるので、そのまま夜を明かさせなさるのも都合が悪くて、お出しなさったところ、まだ夜は深いであろうと

お思いになっていたけれど、明けてしまったようだ、道のほどに、恋草を摘むべき材料かと見える力車どもも、数多く押しやり続けて行き違いする。御車なども、ひどく慎ましくなさって、人少ないので、はばかる様子もなく、近いほどに乗りながら通り過ぎるのも、恐ろしいまでに思いなさるけれど、思う方面へと御覧になれば、目に留まりなさって、なお見送りなさるのに、どうしてこの姿も見えず物狂おしい様子どもを、それほど思い知らないで、安らかに乗りなして、この頃、童べの口の端にかけた不思議な今様歌どもを、たいそう白々しい声で、歌って過ぎる様子は、心をやり過ごすこともできないで、思う事もなげであるにつけても、七車摘んでも尽きない、思うにも余る私の恋草はとお思いになった。このようにして八月二十日、御国譲りがあった。かねてより、珍しいはずの事に天の下で言い古していたけれど、今はと替わってお住まいになるほどの様子などは、なお現実とは思えなかった。何事も、出入りもなさっていた人々は、あさましいとだけお思いになるのに、見慣れたのだろうか、御姿や様子は、このように再び様変わりして、珍しい光が差し添いなさって、ただの人としてお過ごしになった事がもったいなく見えなさった。大殿も、関白を左大臣にお譲り申し上げなさって、退かれた帝の位に定まりなさって、堀川の院と聞かせなさる。母宮は、皇太后の宮と聞かせなさった。このようにお思いかけなかった御様子どもも、そうあるべきだと言いながら、一條院の御志が疎かでなくお思い知られるので、一品の宮をなお疎かに思い申し上げなさるはずもなく、堀川の院に聞かせなさりながら、留まらせなさるはずと聞かせなさったけれど、一品が「心からほかに、時々見え申し上げただけでも穏やかでなかったのを、今は、どうして、雲の上にまで、人に笑われて、滑稽な様子を現し果てようか。浮世の中も、このような序でこそ、思い離れよう」など仰せになって、参らせなさる事はお思いもかけなさらないので、一條院が聞かせなさって、ただ出してしまうのはたいそうあるまじく、なお素晴らしい御心である」と不満に思い聞かせなさって、ただ出して申し上げさせなさると、たいそう扱いにくくお思い嘆かれて、その夜にもなってしまったので、辛い所は多くはなさじとお思いだったのだろうか、姫君を代わりに、乳母たちなどを添え申し上げさせなさって、参らせ申し上げなさった。仕える女房なども、はっきりと知らないので、まして殿上人などは、留まらせなさったのも、知らなかった。帝は、例の御様子の煩わしいのを、どうだろうとお思いになりながら、様変わりした有様をどう御覧になるだろうと、恥ずかしい方面にも、心が緩まずお思い申し上げさせなさりながら、心を特に引き繕って待ち申し上げさせなさっていたところに、「御心地が例でなく留まらせなさった代わりに、姫君が一所参りなさった」と奏上するのをお聞きになると、たいそう妙で、本意ない心地をさせなさるけれど、いやいや、たいそう思いもよらずに、素晴らしい御心であるのは、見づらく思いなさるだけだった。送り置かれ申し上げなさった御様子の、あわれに懐かしくお思いになるので、そのままお渡りになった。雛を据えた様に、小さく美しそうにしておいでのを、御覧になりつけた、まず掻き暗さる心地をさせなさった。狭衣が「どうしようか、

たいそうつれづれであるべきなのを、心を慰める所にも人の思うほどにもてなそう」など、御乳母たちにも仰せになって、たいそう心苦しそうに思い申し上げさせなさった。このように宮が留まりなさった事を、一條院も聞かせなさったので、一條院が「たいそう物憂く、ご自身を恥じる御心である」と、返す返す申し上げさせなさったけれど、どうにも思い始めなさった事を直すことができない御癖であるので、一品の御心地がたいそう病がちにお思いになっている」などと、聞かせ申し上げさせなさった。内裏からも、日を経て恨み申し上げさせなさったけれど、このように持て成しさせなさったので、ほとんど御返事もなかった。弘徽殿には、日々にお渡りになって、琴などを教え申し上げさせなさりながら、たいそう敏く美しく弾き取りなさりながら、何事も優れて、見所のある様子にお生まれ出なさるはずなのを、あわれに美しくお思いになるにつけても、ああであれば、心安い私的なものとして、交わすだろうものなどを、忘れ難く思い出させなさる事は、ますます勝っていた。このようにばかりこの御参りが、すっきりせず、煩わしいので遠慮させなさって、あの名草の浜にも、今まで御覧にならないのは、ますます御心も紛れる方がなく、物嘆かしいのを、今はそうであってもあり得るべき事でなければ、宰相中将にも、参らせ申し上げなさるべき様子にだけ、仰せになるけれど、例ならず病がちになさるので、どうだろうかと見申し上げなさって、そのように奏上なさるのをお聞きになっても、ますます静かな心もなく、心許なくお思いになるままに、急に夜の大殿にも入らせなさらず、はかない琴や笛、然るべき文どもなどを御覧になりながら、今夜もなく更けて、お休みになるようなのだけれど、心も行かない道のほとりどもまで思い出しなさって、夜を明かし難い。月がたいそう明るい夜、端の方においでのところに、限りなく差し出ているのを御覧になるのにも、あの「夜ごとに袖に」と仰せになった御様子を、まず思い出させなさって、たいそう恋しく思いなさるのに、月影も、そのまま掻き曇る心地をさせなさって、ますます心も空になってしまった。狭衣が。恋いて泣く涙に曇る月影は、宿る袖も濡れる顔であるなどというようにして、殿上の童を齋院に差し上げさせなさると、実に雲の上はましてどうだろうかとお思い巡らせなさっていた秋の月影であるので、素晴らしい御消息であるので、待ち御覧になるだろう御様子が、恥ずかしく思い巡らせなさるけれど、今は人伝えに聞かせなさることもあるまじき事であるので、あわれを添える秋の月影は、袖でなく大方にだけ眺めるだろうかと、ほんの少しだけである。御使いに、菊の二重の織物の袿を賜わせたのを、被りながら参った頭つきなどが、月に映えて美しいのに、珍しい御移り香まで、並々でない匂いとばかりに、うち振るっているのは、ますます恋しく思いなさって、人目も知らず引き寄せて、涙も落としそうにお思いになる。文の様子なども、ただ大方に思わせた懐かしさは、疎かでない様子に言いなさせなさった様子なども、差し向かい申し上げさせた心地だけさせなさって、ますますお休みになることもできないので、狭衣が「燕子樓の中」と、独り言をなさりながら、「丑四」と申す頃になってしまった。心安かった御様子でさえ、身を心ともし

ない世の嘆かしさをお思い扱いしたのに、今はますます、様々に際して、立ち舞うべき心地がなさらなかった。このような御様子を、一品宮の御方に心を寄せ参らせる上人などは、付き付きしく見なし申し上げながら、あわれに語り聞かせなさるけれど、元より物思いしそうな人癖で、ますます宮の女御が参らないからこそと、滑稽に聞かせなさった。御使いも絶えず参りながら、このようにあさましく本意ない事を聞かせなさるけれど、御恨みの限りでもなく、過ぎた御様子どもの様に、いつともなく悩ましくお思いになる折々があれば、それだからこそ、長くもないだろうものをと心細くて、御返事などだけは、かえって懐かしげに聞かせなさるけれど、参ろうと思う事はたいそうお思い絶えて、様を替えさせようとだけお思いになった。宮の女御の御心地が、ただならぬ様子に、人々が見申し上げ知って、大宮にも申し上げたので、こ。なさらないのに、このように目に近く鮮やかな御事を、珍しく嬉しく、どうしてかお思いにならないことがあろうか。この御事の後からこそ、あさましく思い乱れた御様子も少し治り、このように有り難い御位にも定まりなさったので、ますます疎かでなかった御宿世のほどまで、見付けられるべき事と、院などがお喜びになった様子は、今よりたいそう仰々しかった。内裏にもこのように奏上させなさったところ、「たいそう懐かしい事まで添えて、心許なさは、道理なくお思いになるけれど、この月は忌むべきであるなどあるので、忍び過ごさせなさって、十月に神事などしたけれど、強ちである間に参りなさった。御局は藤壺である。墨染にくたびれなさっていた御様子でさえ、御手洗川の影にも慣れ聞かせなさるはずで、有り難かったのを、紅葉の錦に立替えなさって参りなさったので、今一層の見所も増しなさったところに、心許なく過ごさせなさった日数も、恨めしく思いなさった。このようなほどは、少し御心も慰む様子であるのに、またどうだろうか、ただそれかとまで、思い申し上げなさった御姿や様子も、ふと思い出されさせなさる方々は、まず御胸が塞がって、この世の中でありながら見申し上げずに終わるはずだとは思いかけなかった事であることよ、と思い続けなさるほどは、これほど見ても飽きない御様子を差し置いて、つくづくと眺め入らせなさっても、狭衣がこのように恋い慕う者と知って、かねてより逢う事が絶えると見て嘆いたのだろうと思われるにつけても、比べ苦しい心の中はなおたいそう無理である。そうはいっても様特にうち悩みなさる様子の、可愛らしさなどにも、立ち並ぶ人々がいたならば、どう心からほかには苦しく扱いにくかっただろう。事をたいそう古びさせずにいたのも、来た方まで、嬉しいほどに、立ち離れず、起き臥し語らい聞かせなさった。年頃、どのようにであれ、稀に通わせ見申し上げる業もがな、と思い願いなさった上達部や御子たちなどは、「このように公的な様子にならせなさったからには、否みなさることもないだろう。煩わしかった一品宮でさえ、このように世をお背きになるはずであるのは、この御宿世の素晴らしさである。

素晴らしさを授かる人々が多かった。その中にも人知れず絶えてしまいなさったのも、再びそこまでではないけれど、さやかな月影、あるいは燈火の光のようなものであっても、少し奥ゆかしい辺りどもは、心許ないこともなく、懐かしい事がなかった御心の内であるので、このようにいつかと、軽々しくそれなどを取り分けさせなさるはずもなければ、ただ狭衣が「このようにしても、長くもいられない様子であるので、何事も慎ましいのを、今しばらくも生き永らえて、左様であって」など答えさせなさる一方で、人知れない心の中どもは、たいそう恨めしく思い出しなさる辺りもあるいは見なさらなかっただろう、とさすがに心苦しく思い巡らせる所々もあるけれど、いやいやこの世もあの世も思いなさった事が違ってしまったことは、こうしながらも、そのように乱れがわしく心を分ける方さえなくて、今二三年だけでも過ぎては、たいそうな絆どもを振り捨てて世を背こう、とお思いになった。霜月には、五節などいう事どもによって、女御が退出しなさるはずなのを口惜しく思い侘びながら、狭衣が「どうしてこのように安らかでない身となったのだろう」とだけ、同じ事を仰せになりながら、許し難い御様子であるけれど、実に限りある御事であるので、そのようにも惜しみ果てさせなさらないで、退出なさった名残も、たいそう無理であるのは、あまりに紛れる方もないのは、慰める方もない事にこそと思い知られた。年もはかなく改まって、賀茂の祭りの頃にもなったので、御禊の御前どもや、使いなど様々に、過ぎた方の事どもを思い出しなさって、齋院の辺りが、常よりも恋しく思い巡らせなさるのに、大方の殿上人などの心得でいながら、数多く参らせた扇は、そういうものとして、ご自身の御料などは、我が御心に留めさせなさりながらお持ち申し上げたのだけを、持たせなさっていたので、公的な絵所などで、粗く美しいにはあらず、然るべき蔵人どもが承って、日毎に変わるはずの女房の料どもなど、様々にさせなさって、相応しい様子は心特に、素晴らしいなども世の常ならぬ様子に仕立てさせなさって、。という御料であるのは、別な包み紙に書き付けさせなさっても、院なども御覧になり尽くそう、と思い返しなさるけれど、しどろもどろにお思いになったのだろうか、引き替えさせなさらずにしまった。御使いは五位の蔵人だろうか。思い巡らせなさったのも、院がおいでの頃であるので、御使いをたいそうもてはやさせなさる。扇どもの目も及ばないのを、あまりに公的でないものかと愛でさせなさるのに、また別に心特別であるのは御前のものと見えるのに、書き付けられた事どもを御覧になりつけたので、たいそうこれほど多くの年月を経て、思い焦がれなさる御心とも知らせなさらないので、ただ大方の事を仰せになったのだけを御覧になって、御手をだけ、珍しいだろう人のように、袖を休みなく押し拭いながら愛でお座りなさった。齋院は生半可に苦しくお思いになるけれど、堀川が「御返事を早く早く」とだけ聞かせなさるので、お思いも至らず、ただ葵という名をさえ今は惜しみながら、変われば風が辛いだろうかとあるのを御覧になっても、例の心をだけ尽くさせなさる。祭りの日、近衛司の使いの仕立て

狭衣が引き連れて今日は挿頭と、葵まで思いもかけない注連の外であることよと思い続けなさって、眺めさせなさる御眼差しなどの、なお国王と聞かせるには余って、気高く華やかに見えさせなさった。このようにして藤壺の女御に御様子があるということで、院の中が所もないほど、法師も俗人も、世にある限りは立ち込めて、揺すり満ちているところに、内裏の御使いが、雨の足よりも頻繁だけれど、行き帰るほども頼りなく、どうだろうと思い巡らせなさるのに、たいそう無事に男の御子で、など聞かせなさる御心地が疎かであるはずもない。まして目に近く御覧になり扱い申し上げさせなさる堀川の院の御様子は、道理も過ぎて、限りない女御の御幸せと見えた。一品宮の姫君の御事さえ世の人は知らないので、ただこれを始めた事と思うのに、「素晴らしく、若宮の御覚えは今はどうだろうか。坊においでの事も、そうは言っても横の事の当代今上が第一の宮を、お落とし申し上げなさるはずもない」など、まだ早いのに、聞きにくく定め聞かせなさるのは、滑稽な事である。この宮の御美しさの、嵯峨の院には、実にどうと聞かせなさるので、並々であるのでさえ、内々の事をお知らせにならない御心どもには、実に行く末も思い落とし申し上げさせ難い御様子も、道理である。ただ大宮や院などの御膝の上に、代わる代わる扱い申し上げさせなさる様子は、実に世の人の物言いも叶うはずだろうかと見えた。大貳の三位などが内裏に参りながら、このような御様子になど奏上するのをお聞きになるのにも、一の宮の折、よその事に聞き流して過ごしたのに、稀に中納言の助がほのめかし出したことから、浅ましく悲しく、正気もなくなり始めて、あの鶴の一声を聞き付けたはずの事であることよ。私が年頃、心一つにあわれにもったいなく心苦しい方面にも、また飽きず口惜しい人の御事が、年月が経っても、少しも思い直されない心の中の代わりにも、取り集めて、今行く末に素晴らしい人が出て来ても、等しく思うはずもないものを、今からこのようにさえ人が言うだろうのを、もし耳に留めて、あの辺りにもお聞きになるような事もあろう、と心苦しく思い続ける折にも、光るほどの御顔付きで差し出して。なさったのを、引き寄せて申し上げなさると、ゆらゆらと女のような御髪の清らかなのを掻き撫でて、狭衣が「堀川の院には、この宮を可愛がり大切にしなさるので、宮を久しく御覧にならないことこそ心憂い。私よりほかに限りなく思い申し上げる人のないことこそあわれである」と仰せになるのを、年のほどよりも非常に大人びて静まりなさった様子だろうか、その通りだとお思いになるのに、少し涙ぐんで、眉の辺りもうち赤んで、うつ伏しなさる頭の様子、髪の掛かり具合、額の様子などは、あの昔のほのかであった火影にも、たいそうよく覚えなさったものかしら、と御覧になると、ご自身も涙をこぼさせなさった。このような様子につけても、そうはいっても見直しなさる心のほどもあっただろうものを、行く末は高いような人もいれば、憂き世とだけお思いになるはずもなかったはずのものを、どのようにしてしまった私の心か、と昨日今日のように、悔しくあわれな事がなお限りないのを、御硯の空いた筆を取らせなさって、悲しさもあわれも君に尽き果てて、これはまた思うものと知らないのをと書かせなさって見せ申し上げなさると、さすがにうち笑みなさって、若宮が「これには必ずお返事を

差し上げましょうかしら」と言って、うち側を見てお書きになる手つきなどは、女宮にこそさせたいものだ。若宮が道理も知らない涙がどうなるのだろう、私よりほかの人を思えばとお書きになった御手の美しさを、道理であることよ、誰に似なさったのか、何事も並々でない、と御心にも道理とされなさるのに、この「知らない涙」こそあわれにお思いになるけれど、嵯峨の院がおいでのほどは、この御心にも言い知らせ申し上げまい、とお思いになるのだろう。そうはいっても御心が留まらない辺りにさえ、男の御子がお生まれになった時に行幸がある事は常の事であるのに、これはまして、大宮を見申し上げさせなさる事もたいそう難しいので、様々に心もとなくさせなさって、七日が過ぎるままに行幸がある。久しく見申し上げない事を嘆く人が、高い者も低い者も数多くいて、この頃に立ち込んだ物見車どもや、徒歩の人ども、こちらが多いほどである。久しく御覧にならなかった賤の庵どもも、あるいは再び、稀に立ち寄りなさった妹の住む巻の戸どもを、あわれに過ぎ難く見入れなさるのに、故なからぬ御様子はっきりと、それほどかと見える棧敷や、車どもの前では、どれほどつらい心と見るだろうかと思素晴らしくて、尻目ばかりただならでお過ぎになるのを、実に「あるべきものを」と、かえって飽きず口惜しくお思いになる人々が多かった。待ち付け聞かせなさった院の中にも、上下珍しい御行幸を見申し上げ喜ぶのに、まして大宮は、忌々しいほど涙もろくていらっしゃる。あれこれと御物語をしばらくの間だけで、若宮を見申し上げにはお渡りになった。言いようもなく美しい御顔付きなど、一の宮に違い申し上げなさらない。同じ様子でうち臥させなさるのは、「ものと知らず」とか仰せだったけれど、実にこれも疎かには思うはずもなかったと御覧になった。女御は、悩ましそうな御様子で、弱々しく細りなさっているのは、ますます心苦しく、上品で可愛らしい事がまさりなさって、見置き難くお思いになるけれど、暮れてしまったのでお帰りになった。院のお別れ、家司どもなど、例の事であるので加階した。このように思う様に素晴らしい御事をお聞きになるのにも、一品宮は、物だけをお思い嘆く様子だろうか、御心地も本当に苦しがらせなさって、ついに尼におなりになったのを、一條の院にも内裏にも、返す返す口惜しくあわれにお思いになるのに、どれほどの日数も経たないで、お亡くなりになったので、たいそう浅ましく悲しくお思いになる中にも、内裏には心が解けないでお過ぎになったのを、心苦しく、これほど短かった御命のほどを、どうしてそのようにも見え申し上げなさるのだろう、など例の過ぎた方を忍ぶ御癖であるので、常よりは異なる御涙もろさである。けれども宮の女御を后になし申し上げさせなさって御覧になるには、そのように心深い御心であると言いながらも、様のものと、どうして沈み入らせなさるだろうか。露ほども分ける心がなくて、この世には過ぎ果てて後の世にも同じ蓮に乗り、言い契らせなさりながら、明け暮れ差し向かって、ただ人のようにしてお過ぎになる御様子は、昔に例もないのも、ただこの御幸せの並々でなかったことだけ、よその人が言い思った。月日もはかなく過ぎて、宮の御果てなど言う事も過ぎて、再びの年の秋冬は、大原野や春日、平野などの行幸がある。初めて珍しい御行幸であるのに添えても、帝の御顔立ちや様子は、この頃盛りに成長し整い果てさせなさって、少しも並々である事は、飽き

ず口惜しいはずの御時であるのだろうか、強ちに物好きな人だけが多くなって、上達部や殿上人などの、馬鞍の飾りも、舎人や馬添えの出で立ちなども、世に珍しい様子にもと、誰も思い営みなさるので、見所はこの上ないのを、どのような人が見ないことがあろうか。堀川の院にお渡りになったほどでさえ、立ち込んでいた物見車の仰々しさであるので、まして度毎に飽きず見申し上げたいままに、例にも違って、心慌ただしい道の大路の様子である。賀茂の行幸は、九月の晦日であるので、野辺の草どもも、皆枯れ枯れになって、道芝の露だけが、見たのと変わらない心地がした。心は行かないながらも、数多く行き帰りしたその昔は、何事を思ったのだろう、と恋しく思い出しなさるのに、例の掻き暗さる御心の内も知らず、川をお渡りになるほどは、駕輿丁の声々も聞きにくいのに、身も投げそうな川の契りを、どうしてこのように言うのだろうと聞かせなさる。狭衣が思う事が成るともなしに、何度も恨み渡った賀茂の川波であることよと、頼りない様子の心のほどは、来た方も行く末も、この上なく思えるのを、露ほどもお思い留めず、このようにあってはならない様子にさえ、なさせなさった神の御心は、思えばもったいなく有り難く思い知りなさるのを、一方だけでも見難いだけであるのが、なお更に恨めしく思いなさる。上の御社に御祓いを仕え申し上げるのにも、過ぎた年に立てなさった御願が叶いなさって、今日参らせなさった様子は、今より後百二十年、代を保たせなさるはずの様子など、聞きよく言い続けるのは、実に天照神たちも、耳を立てなさるだろうかしらと聞こえて頼もしく、それほど長くとはお思いにならないのを、御心の中には嬉しいはずと聞かせなさらなかった。狭衣が八島を守る神も聞いただろう、会いもしない恋がまさるという禊をしなかっただろうかその昔に思った事は、皆違ってしまったのだろう、とお思いになった。十月十日は、平野の行幸であった。この度は紅葉の盛りで、柞原を趣深く分け入らせなさるのに、山は皆紅色であるのを、見渡させなさるのは、北山の辺りの報恩寺とか。袖を濡らす宰相が通いなさった所などは素晴らしかったのも、思い出しなさるのに、梢の色も心特に見やられるのを、煙も所々に立ち、麓を込めた霧の隔ても頼りない様子は、かえって留まる恋しい事が多く御覧になり渡すのに、齋院の辺りの紅葉も、たいそう盛りで、色々の錦を引き散らした様子に見え渡されたのに、峯の嵐が荒々しく時々吹き渡して、散り紛れているなど、絵に描きたいほどなのを、それほど思う辺りでなくても、心だけは飽き足らないはずなのを、ますます一方だけを眺め入らせなさった。狭衣が神垣の杉の梢ではないけれど、紅葉の色もはっきり見えたと御覧になるのにも甲斐がない。船岡の明け暮れ差し向かっていたのを、珍しい友と思い慰めてお帰りになるのも、飽きず無理で、引き弱い業もがな、ただ今何事をして、どのようにしておいでだろう、など見申し上げたくお思いになるのに、魂も早く抜け出てしまうのだろうとまで、振り返り見させなさる。狭衣があれと見る身は船岡に焦がれながら、思う心の底は行けるだろうかなどというように、野山川の底を御覧になるにつけても、お思い染みた方面の事は、さらに忘れさせなさらず、かつて見る人の御様子の、素晴らしく思う様に御覧になる

のにつけても、私の御宿世が素晴らしかったことは、方々につけても、並々でなく思い知られる一方で、御心の中は、さらに安らかであるはずもなかった。弘徽殿に一人でお住まいの姫君の御事は、心苦しくお思い扱いしたのに、宮がお亡くなりになって後は、堀川院にも大宮も、常にお渡りになって見申し上げさせなさるのに、たいそうはかなく聞かせなさった道芝の露の形見と、紛らわすはずもなく、優美で素晴らしい。御姿は、背負っただろう母君の御様子まで思い巡らされて、たいそうあわれにもったいなく御覧になるので、今まで軽々しい御名指しも、あるまじき事であるのを、一の宮の御元服があるはずなのに、そのまま御襲着の事をお思い急がせなさった。何事も、公的な様子ではなく、堀川の院の御急ぎであるので、世の例にもするほどの御急ぎの様子である。常磐の尼君の娘は、乳母たちよりほかには、宮のお持て成しが、たいそう侮られそうにお思いになっていたので、仕える人々も、内々には、生半可にどうだろうと思っていたけれど、今は上下ながらこの御方に参り集まって、たいそうやむごとなく誠実な人々が大勢仕える。一條院。にも、一の宮をあわれにお思い扱いした事を、御覧になり知ってしまったので、形見にも誰をかと思いなさって、このような御急ぎをも、聞き放させなさらず、心特別な御装束や扇、薫物などのようなものを、御志の印特に、差し上げさせなさった。その夜の様子は、書き続けなくても思いやるはずだ。二の宮の御袴着も今宵であるので、あらゆる事が重なって様々の素晴らしい事だけが余りであるので、少々に真似たならば、かえって損なわれる事もありそうなものかしら。あらゆる事が清らかな中にも、様々大人びさせなさる御様子どもは、なお優れて見所が多く見えさせなさった。その中にも、一の宮の御明けまさりの由緒しさは、なおどこで知った人だろうと、胸うち騒いで、あわれに浅くない御志が優れていた。この道芝の露と数ならず思い侮った名残とも、見えない御様子を、今宵そのまま一品になし申し上げさせなさりながら、思いかけず浅ましかった道行き過ぎに、心憂かった法師の足元など、ただ今の心地がして、珍しくも哀れにも、思い出しなさる事が多いのに、今宵の御様子を見なさらない口惜しさを、なお飽きずお思いになる。「この。世には」とかいう夢が覚めて、もしどのようにである事があったのだろうかと初めて理解し難く思い惑った暁から始めて、私のものとして見るはずもなかったので、どうしようと思い弱って、見申し上げた人さえ一人に任せて、私は亡くなりなさったのも、思えば様々にはかなく、あわれな世であることよ、など取り集め、涙がこぼれそうなのを、忌々しく思い返しなさるべきだろうけれど、何事の折にも、まず心の中が物あわれな事は、絶えるはずもない御様子どもである。一の宮を兵部卿の宮と聞かせるはずであるそうだ。翌日、嵯峨の院へ参りなさった。御前で、あらゆる事を繕い聞かせなさる御様子の美しさは、さらに成長していく御末を推し量られて、あまりに由緒しい様子まで御覧になるのを、そうはいっても無下には、見放し申し上げなさることは、恥だと、激しくお思いになる一方で、どれほどの心で、年月が経っても変わらない御心の辛さであるのだろう、と今日は今少し恨めしさも類がないので、雲の通路が跡絶えて後は、ますますやる方のない心の内だけに、細やかになった。昨夜の様子を一人で見ておりましたのも

哀れな事が多くなどというように、狭衣は「年を積もる印が子となる今日よりはあわれを添えて辛さは忘れない、そうでなくとも見える様子を、今日は御覧に入れられないのも、あまりに人目が若々しい。」など書かせなさって、狭衣は「例の忍びてを」と、聞かせなさると、引き隠して、お立ちになった名残も、涙がぽろぽろとこぼれて眺めさせなさった。嵯峨の院にも待ち受け申し上げさせなさって、どうして並々に御覧申し上げさせなさるだろうか。こうしては、ますます内裏の上にも露ほども遠ざかり聞かせなさる事がないのを、浅ましく、天照神がほのめかしなさった事も、ある理由があっての事にこそ、と思い巡らす方面にも、故宮のためにこそ痛ましかった。例の作法で拝し申し上げさせなさって、入道の宮の御方には、ただ参って仕えなさるのが哀れであることよ。忍んで、以前の文を差し上げなさるのを、このような事をほのかに聞き出して、ささやき怪しむ人々が大勢になってしまったのに、ますます様々物を思い嘆く事がひどいのに、。今日の御様子は、ますます他人とさえ思えなさらない面影が、恥ずかしささえ堪え難くて、御覧になるはずもないのに、まして今日はあわれを添えさせなさるはずでもない。以前は、一途に責め聞かせなさった御返事も、今はこのように苦しそうな御様子を見知りなさるので、なおとも申し上げなさらない一方、今日ははかないと仰せになったものを、どうして本意なくお思いだろうかと方々に苦しく思っているのを、出雲の乳母だけが、見申し上げ知っていたので、人知れず涙なども落とした。世の中をたいそう恨めしく思われて、内裏にお帰り参りなさると、藤壺においでだった。そのままそちらに参りなさると、端の方に出でさせなさって、狭衣は「さて院はどのように仰せになったか。宮の御前には、御覧に入れさせなさったか」など仰せになって、尽きず美しいと思い聞かせなさっている様子は、院がお思いになったよりは、この上なく勝りなさっているのを、物の心を知りなさっているままに、私の心も疎かでなく思い知られるはずだ。御答えを聞かせなさる様子も、程よりは大人しく、今よりは、この辺りに慣れた聞かせるのも、恥ずかしくお思いになるので、例のように、内にお入りなさいとも仰せにならず、狭衣は「以前のものは、どうなったのか」など、忍んで聞かせなさった。「一の宮が参らせておりました」とだけあるので、甲斐甲斐しい御様子もなかったと見える様子も、常の事であるけれど、大方につけても、今はたいそうこのように引き籠もって、情けなくはお持て成しなさるはずだろうか、と人が悪く思うほどまで、辛くお思いになるのに、どうして今よりだけでも、これほども聞かせ驚かせまいと、返す返す思い固めなさるけれど、ただ今も差し向かいなさる御様子の並々でない哀れの深さには、どうしてそれしも恋しく、どのように思い出し聞かせなさらないだろうか。とだけ物も仰せにならず、うち眺めさせなさって、「やはり立ち帰る心であることよ」と、御心にもなく忍びやかに、言われさせなさったのを、中宮はほのかに聞かせなさって、やはりお持て離れなさり続ける御仲ではないのだと、理解させなさって、藤壺の女御が立ち返ってしたわさ分けても、昔の野中の水は水草が生えてしまった「どのように契ったのか」など、手習いに書き散らさせなさっているのに、近く寄らせなさると、墨を黒く

引き付けて、御座の下に差し入れさせなさるのを、狭衣は「これほどの仲であるのにさえ、やはりはかない事につけても、隔て顔な御心は余りであるのを、慣らしなさるのは並々ですな」と言って、引き出して御覧になって、以前の忍び事どもの、御耳に止まる事や交じっていただろうか、余りに紛れる方面がないので、心の内も見知られ申し上げるのだろうかしら、と思い知られる。狭衣は今さらにもう恋いないだろう、汲みもしない野中の水の行く末を知らないのでと書き付けさせなさって、狭衣は「見咎めるはずの御筆の素晴らしさではないけれども、思う私の心には、何事だろうかと、心ときめきして、書いておりますぞ」と言って見せ申し上げさせなさるものだから、このように人にも言わせ申し上げ、私もはかない口遊びにあるはずの人の御事であることよ、などお思いのにも、私の過ちの痛ましさも、例の罪が去る所がなく、涙さえ落ちて、人にも咎められさせなさるはずの紛らわしさに、狭衣は「嵯峨の院が、強ちにお思いになった余りに、並々でなく思い大切になさった宮の御後見にとさえお思いだったけれど、今まで世にあるべきものともお思いにならなかったので、見知らない様子で終えたのは、思えば過ちした。昔からして、今日今にも、この方面につけては、生きながら仏になりそうだったものを、見申し上げ始めた時からこそ、この世を捨て難いものと思いになったのか。あわれに味気ない事であることよ。そのようであればこそ、仏も止々不須説と仰せになった」と言って涙ぐませなさった。兵部卿の宮は、月日が過ぎるままに、上の御姿や様子に違い聞かせなさらない所がなく、素晴らしくいらっしゃるので、春宮に参らせようとお思いだった人々の御娘ども、このような御姿や様子を、よそにはどのように見申し上げるだろうかとお思いになりながら、内裏にもほのめかし申し上げなさる。中にも、あの吉野川を何度も戒めなさった、今姫君の御頼りとなり立ちなさった宰相の中将は、この頃一の大納言で、春宮の大夫を兼ねておいでだった。西国の受領として、母の代わりに入り揉まれなさったけれど、そのままその辺りを取り放して、また類なくあわれな志に、思い大切にし聞かせなさったので、頑なだった御心も、自らお持て隠されて、数多くの年も過ぎてしまったので、たいそう素晴らしい御子たちが多い中に、大君が過ぎなさったのを、大納言は、「どのようにまれ、春宮に差し上げて、必ず后にするだろう」とお思い仰せになるのを、母君は、「今姫君は昔の本意に違い、帝をも見申し上げることができず、疎々しくなった代わりに、この宮をだけ、近しくこそお置き申し上げよう」と、ようやく御心強く仰せになれば、稀々に素晴らしくお思い寄るだろう事を違い聞かせまいと、大納言も思い寄りなさるのだろうか、一品の宮の御方より、伝え奏させなさった。あの几帳の綻びを争った様子なども、ただ昨日今日の事にだけ思い出されるのを、私も人もこのような事を言い交わすほどの末々が、余りに立ち出なさるまでになってしまったよ、とあわれにも素晴らしくも思い出しなさる。心の限りお持て大切になさるだろう、姫君の様子などもどうだろうか、大納言は、大方のお決めだけこそあろう、内々の事は、母君の教えのままであるだろうかし、それを見苦しく思うだろうかには、大納言まではあるのだろうか、何事も荒々しく心を馳せて、うち流行った人柄であるのでかし、と思い巡らされるのに、一人で笑わせられさせなさって、甲斐

甲斐しく答えさせなさらなかった。狭衣は「たいそう若い頃は、余りに落ち着き居る事は辛く思えたのを、今今年来年過ぎれば、自らもこのようにしてもあるはずがないので、そのような程に、誰も参らせなさい」など仰せになった。桐壺を、女宮の御設えのように、素晴らしく清らかにさせなさって、女房など、姿や心が勝れた限り、数多く仕えさせなさっておいでだった。堀川院にも、上が早くおいでだった方に、同じ様子で、お出でなさる折々は、お持て大切にし聞かせなさっている様子は、並々でない。中宮もあの御志があって作らせなさった三条殿に、今はお出でなさるので、この院には、一品の宮がおいでだった所を、返す返す磨き立てて、朝夕の営みには、この二所の御事をお思いになった。そうはいっても私的な御心どもには、二の宮の御思いには、並びなさるはずの様子もないけれど、兵部卿の宮の御事を、内裏がやはり勝って思い聞かせなさるので、上へだけは、落とさせなさる事はない。一品の宮も今は大人びさせなさったのを、春宮は、昔からの御志が変わらず、今は御使いが繁く参りながら、恨み聞かせなさったけれど、故宮の御様子などを、思い合わせなさるのも、さあやはり宮たちは、ただ心憎くて止むだけこそ、安心できるはずである、私の御心の程よりは、私ながら比べ苦しく、心苦しかった心の中であることよ、ましてこのように長くなかった御命の程では、このように思い出し申し上げる人もなくてお過ぎになるだろう、どのように素晴らしいだろう、とお思いになれば、すがすがしく思い立つはずの様子でもなかった。そうはいっても御母方などにつけても、頼もしく思い後見し申し上げなさるはずの人もなくて、行く末が心苦しいはずの様子であると言って、明日の淵瀬を知らない程の、何かいいえ急に年に急がせなさるだろうか。御乳母たちや、仕える人々より始めて、心ばえが優れ、後が安心できるはずの様子などであるのを、御辺り近くにも仕えさせなさるなどして、大方たいそう気高くお持て大切にし聞かせなさっている様子は、並々でない。たいそうでもなかった宮の御思いであるのだけれど、とりむすめの御事まで、このようにお持て成し聞かせなさる事だと、一條院を始め申し上げて、世の人も有り難い事に聞かせなさったけれど、この御襲着の程から、このようににこそあったのだろうなど、道理に思った。あの行く末も知らず果てしもなく思い惑わせた三河守も、その後人知れない御心の内だけには、どうして思い事の少しも違わないだろう、年はたいそう若くて、大弐にもなってしまったので、大切な妻どもを、数多く引き具して、思う様子で下るけれど、昔の事どもを思い出して物哀れであるのに、唐泊では果たして、言忌みもしきれず打ち泣かれて、道成に帰り来た甲斐こそなかったけれど留まりかねて昔の人の行く末は、物の折々に、有り難かった様子や姿などを、打ち解け語り合う事さえなくて終わった口惜しさ、また人を徒にしてしまった罪の深さなども忘れないのに、この御襲着の程に上へ会ってか、皆並々の世にも、当然にこそあった、など言い定めるのに、浅ましかった過ちも思い合わせられて、今は、心の中に畏まり嘆きながら、かけてだけでも思い出して忍ぶ事をして、辱だと思いになってしまった。

常磐の尼君は、お亡くなりになったのであることよ。心地の限りに思えた折、たいそう小さく素敵な小唐櫃を取り出して、尼君は「これ、穴賢く、疎かになさるな、忍んで宮に御覧にならせ申し上げなさい。御産着、昔の人が書き散らしておいでだった絵どもなどの、破り捨てるのが惜しかったものどもを、取り置いていたのです。全くその人の御様子として、聞かせなさる事がないだろうよりは、物の心を知らせなさるだろうのに御覧にならせようと思ったのです」と言って、女に預けていたのを、お亡くなりになって四十九日などが果てて参ったのに、御前に人が多いこともないので、尼君が深く申し出ていたのを、絵をたいそう見事にお描きになったなど、以前々も聞かせなさってあれをだけ御形見に見たいなど、お思い願ったので、たいそう深く思いなさったのも道理であるので、御几帳の近くに引き寄せなどして、取り出した。御産着があったのを先に取って御覧になるのに、私が着ていただろうものとも思われず、物寂しく哀れなのにつけても、これほどの程を、引き放ってもて彷徨わせなさっただろう程の、悲しさや恨めしさも、言いようもなく悲しく。お思いのにも、飛鳥井の人知れない入江の沢に知る人もなく鳴く鶴の毛衣とまで、書き付けられていたのを見付けなさったのは、どれほどお思いになるのだろう。たいそう心苦しい御様子を、中将は、どうして御覧にならせたのだろう、今少し大人びさせなさって、物の哀れも滞るほどでこそ、取り出すはずだったものを、とまで思いながらも、私も忍ばれず悲しい事が多く、見所のある絵どもも深ければ、片端ずつ広げる程に、音もなく、上がふとお渡りなさったので、何となく取り入れて、中将は退いたのに、近くで物をさせなさって、狭衣は「たいそう徒然であるので、御琴も弾かせ申し上げようと思って、参って来たのです。どのように同じならば、聞き所のあるほど、教えなし申し上げましょう」など仰せになるけれど、例でない御様子で紛らわせさせなさると、驚かせなさって、狭衣は「例でなくお思いになることよ」と聞かせなさったけれど、御答えもなくて、ただうち臥させなさっているのに、こぼれかかった御髪の際から、顔の様子など、ますます愛らしさが勝らせなさっているのも、ただ昔の人と思わせさせなさった。余りに怪しがらせなさるのも傍ら痛いので、中将が、「あの常磐に仕えていた老人が、昔見えていた怪しい反故どもを取り置いて、仕えていたのを、お亡くなりになった後、御覧にならせよと言い置いておりましたのを、思い出し申し上げ出して、徒然の慰めに取り出しておりました。あわれな事どもがございましたのでしょうか」と奏すると、狭衣は「実にもお思いになるはずの事にこそ。昔の人の代わりには、笹の脇葉でも頼むはずの様子に言い契った甲斐がなく、限りの程をさえ知られなかったのは本意ない事である。後にこそ、道季も言い出していたか。日次いでなど選んでいたとか。今一度消息をさえしないで、口惜しい事であることよ。そこの仕えていないのは、常の里がちに目慣れて、咎めなかったのだよ。この御様子も、たいそう深く物なさったものを」など仰せになって、以前の小唐櫃を引き寄せさせなさって、狭衣は「これが昔の跡だろうか。見ればはかないとか、光源氏が仰せになったものを」とは仰せになるけれど、御覧になるのに、ご自分で書き集めなさった絵どもであった。世に並々の人のする事とも見えず、有り難かった筆の立ち所は、どれも見所があって。

素晴らしい中にも、私が世にあった事どもを、月日を確かに記しながら日記にして、そのような所々は絵にお描きになった。私が時々も御覧になり始めた程からの事どもは、今少し目だけを留めさせなさって、あわれに悲しくお思いになる事に限りがない。ご自身の様子や御姿なども違う事がなくて、うち忍びながら立ち寄りなさった夜毎の月の光、風の音に靡く、宵や暁の空の様子なども、私の心に素晴らしくもあわれにも、目に留まり心を占めなさった折々を、書き現しなさったのは、あらゆる事よりも、あの人の心にもなく筑紫へお下りになった程の様子は、目だけが霧り塞がって、はっきりとさえ御覧にならない。歌どもは、扇に書かれていたなど、同じ事であるので留めた。常磐にお帰りになって、心地が少し落ち着くままに、思い続ける事が多く、口惜しかった身の宿世がたいそう情けなく、私とは驚かし申し上げるはずもなく、人は底の水屑とだけ聞きなさるだろう、今は世にあるものともお思いでないだろう、忘れなさったのだろうかし、などお思いになった程だろうか、故姫が忘れないならば、端山の茂った山を分けては来ないで、水の下で思い入っているのだろうかこの宮がお生まれになって後、ますます物思いがしそうな様子がまさって、たいそうひどく、心地も生きるはずも思えなかったので、一品の宮にお渡し申し上げてしまおうと、お思いになった様子は、悲しいとも世の常である。御迎えに、乳のある人などを賜わせたので、心地の苦しさを念じて、抱き取り申し上げるのに、何心なくうち笑みながら物をお語り高らかにしなさるのを、顔に涙が取りきれず、ぽろぽろとこぼれかかるので、袖を顔に塞いで、枝にも見申し上げられないのに、尼君が「御心地がますます苦しいのに、たいそうこのようにお思い入りなさるな。平かにいらっしゃれば、忍びながらは常に見申し上げなさるでしょう。行く末長くこそお思いなさい。いけない、軽率な事を」と言って抱き取り申し上げるのを、「やはりしばらくは」などもおっしゃれないで、故姫の書いた行く末を頼りにともない命で、まだ岩根である松に別れると書き付けてあるのを見なさっただろう宮の御心地は、本当にどれほどお思いになったのだろう、とお思いになるのに、また尼におなりになってしまったのにも、言い契りなさった事どもを、まず思い出させなさって、たいそう泣いておいでの所に、故姫が「遅れまいと契らなかったならば、今となって背くこともどうして悲しかろう」と、あるのを御覧になり出すままに、しゃくりも激しくとか、乱れた涙の様子を中将が近くで聞いている事も、余りに心弱い様子である。とお思いになりながら読んでも、泣くよりほかの事はない。狭衣が霞めよな、思い消えるだろう煙にも、立ち遅れては燻るだろう狭衣が落ち滝つ涙の水脈は速いけれど、過ぎた方に帰るだろうかなど、書き付けさせなさっても、返す返す甲斐なくお思いになる事に限りがなければ、宮には、狭衣は「御覧になる度毎に、かえって涙の催しともなるはずで、またあの人の足枷にも、ますます関わるはずのものでございますのを、この一巻だけは、涼しい道の案内になさるな」など、聞かせ慰めさせなさって、この絵一つを取らせなさってお渡りになったのを、宮は、心のどかに見なくなる事と、飽きず口惜しく思わせなさって、日

暮らし、泣き暮らさせなさる様子は、たいそう心苦しそうである。上は一所に置き伏し御覧になるのに、海山や波風の様子から始めて、女の仕業とも見えず、書き済ました筆の流れ、引き籠めて止むのは口惜しく、素晴らしさもあわれさも、見知るだろう人に見せたく思うのを、齋院だけには、たいそう御覧にならせ申し上げたいけれど、ご自身でない限りは、さすがに目を離し難いものを、心のどかに置いただろうのも、明日もあるとは思うはずもない世に、見るほどの志には、これをだけでも弔うのがあるに任せてあったはずの身の程を、ただ私のためにこそ、この世を厭い捨て、あの世の妨げともなるだろう、とお思いになれば、私の御許に残し置かせなさるのも痛ましくお思いになって、狭衣が過ぎた方を見るだけでも悲しいのに、絵に描き留めて別れてしまったことよなどお思いになっても、以前の扇だけを残させなさって、皆細々となして、経の紙に加えて透かさせなさって、金泥の涅槃経を、御手自ら書かせなさった。あの常磐を、そのまま寺になさせなさって、この御料の功徳は、そこに月日に添えて作り重ねさせなさった。嵯峨の院の御心地が病ましくお思いになって程が経ってしまったけれど、このようにこそなども仰せにならず、うち続いた御斎も、御散飯だけを取らせなさりながら、風の居催しほどで、阿弥陀仏に向かい聞かせなさって、ただ早く迎えさせなさいと念じ入らせなさるのに、この十余日となっては、抑え起き居させなさらないようになさってしまったのに、誰も見申し上げ騒いだ。一條院の后や兵部卿の宮なども、この頃は一所に集まらせなさって、お嘆きになる様子はたいそう心苦しそうである。帝も元からあるはずの程の御志だけではない御仲であるので、心もとなく聞かせなさるのを、院からも、今一度の対面は必ずあるはずの様子に聞かせなさったので、八月一日に行幸があった。院はたいそうお喜びになって、強ちに起き居させなさって、御対面があった。見申し上げさせなさった頃よりも、素晴らしい御盛りで、あるべき御様子を待ち仕えて今日までも」など仰せになる様子も実にたいそう頼もしくなく弱らせなさってしまったのと、たいそう悲しく見申し上げさせなさる。狭衣は「たいそうこのようにならせなさるまで、御祈りなどもさらにさせなさらず、音もなくてお過ぎになろうとしているのは、たいそう悪い事でございます。少しも例でなくいらっしゃるだろう折などは、明け暮れお仕え申し上げるはずのものとお思いになった本意がなく、今まで見申し上げなかった事」と言って、うち泣かせなさるのを、たいそうもったいなくあわれにお思いになる。「嵯峨の院は、何かと惜しむはずの年齢でもございません。亡くなった後に、この留まりなさるだろう宮たちを訪ねさせなさらないだけこそ、嬉しい事にお思いになるはずです。兵部卿の宮は、今はそうはいっても徒にはなさせなさらないだろうと、御志の程も頼もしくお思いになっておいでなので、たいそう心安くなっております。入道の宮こそ、この世を別れる事も諸共にとお思い願いになって、またご自身も、留めようとする事は心苦しい事にお思いになっていたけれど、ついにはその思いも違うはずになっておいでの様子を、怠らず訪わせなさい。公的にならせなさっては、かえってこのように、寂しい宿をお思いになることは難しいはずでございますけれど、御心の程を見置いておりますので、頼もしいのです。位を去らせ

なさっても、ここを荒らさないで、必ずお住まいなさい」など申し置かせなさると、何事も、お思い置きになるのに違いさせなさるはずもない由を、聞かせなさるのに、暮れてしまったので、お帰りになろうとして、入道の宮がおいでの、中隔ての障子の口に寄らせなさって、御扇を少し鳴らさせなさると、中納言のすけが聞き付けて参ったのも、昔の心地をさせさせなさって、ますます物哀れである。狭衣は「九重の宮仕えの無下に疎かなのも、この頃はたいそう道理と見える野辺の景色であることよ」と仰せになって、狭衣は「このような序などに、ご自身で聞かせなさるのでなければ、またいつか」と、例の心尽くしな御様子も、珍しく参り聞かせなさると、常よりも物思い乱れる心で、女は「何事を聞かせ申し上げるはずだろうか」と言って動かせなさらないのを、院も聞かせなさって、嵯峨の院は「ご自身でやはり聞かせなさい。人伝てにはあるまじき事である」と御消息があると、たいそう初々しく慎ましいけれど、そのままおいでの所が近い程であるので、少し寄らせなさったのを、当然とお思いの御匂いがうち香っているのも、まだ慣れさせなさっていなかった事であるので、心が騒いで嬉しいのに、胸まで驚くほど鳴るのも、人が悪くい御心である。今はどうして、懸命な様子も見え申し上げないで、ただこのような方面につけても、見直され申し上げる業もがな、思い出しても甲斐のあるはずの御様子でもないのを、など無理にお思い慰めながら、この御心地の事などを、素直に聞かせなさせなさると、実に傍ら痛く聞き苦しい事ではないけれど、はっきりとお答え聞かせなさるはずの事も思わせなさらないので、ただうち嘆かせなさるのも怪しく、並々でなく物哀れに、心苦しい御様子は、やはり人よりは特に思われるのを、このようにしなし申し上げてしまったよとお思い続けるのに、忍び返させなさった涙が、漏れ出させなさってしまった。狭衣は「浅ましく覚束ない御持て成しを思えば、全て身よりほかに辛い人はないけれど、やはりどうして早く、ない所もがなと願いながらも、さあ、そうしてもこのように憂いものに思い果てられながら、どこにも有り難いことよ。後の世も、徒らとかになしなさるだろうのはたいそうひどい。死にもしないでとか。本当に身をこそ思いなさって侘びていた。消え果てて、屍は灰になってしまっても、恋の煙は立ちも離れないだろうと仰せになるままに、御簾の内に半ばは入らせなさって、御衣の褄を引き寄せて、泣き嘆かせなさる涙の雫の所狭いのも、恐ろしく堪え難いのに、院の御方から、「道が辿々しいのでお帰りなさい。乱れた心地も、今は消えるだろうようにお思いになるだろう」と聞かせなさったのを、聞かせなさる御心地どもが、様々に乱れて、物も思わせなさらないのに、右大将が参りなさって、御輿を寄せた旨を奏しなさると、お出でなさる御心地は、かえって覚束なくてお過ぎになった月頃よりも、飽きずあわれにお思いになって、御輿にもたれ申し上げなさらない。御前の花が盛りに咲き乱れて、夕露が重そうで紐を解き渡した色々が、どれともなく見置き難い中にも、女郎花が、人の見る事が苦しいだろうか、霧の絶え間が堪え難い様子で、立ち隠れているのは、やはり過ぎ難くお思いになる。狭衣が立ち返って折らないで過ぎる憂い女郎花よ、やはり休むだろう霧の紛れにと眺め入らせなさっている御容貌の夕栄えは、やはりこのような例はあるまいと見えさせなさっているのに、世と共に物をお思いになってお過ぎになってしまったのは、どのようであった前の世の契りだろうかと

こそ見えなさった。

この作品の最後の場面です。狭衣物語の一覧から、もう一度読みたいところへ進めます。

任意の復習へ

底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。