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狭衣物語 / 第5場面

飛鳥井の姫君と今姫君

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飛鳥井の姫君と今姫君をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

狭衣は飛鳥井の姫君を訪ね浅香の沼の贈答歌を交わす。太政大臣邸に迎えられた今姫君の境遇が紹介され、狭衣は西の対を覗き見する。

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狭衣物語・第5場面0 / 51
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おっしゃる御声は、珍しいというほどのことではないが、若い人々は死んでもよいほど素晴らしいと思ったのも、もっともなことである。それほどあたりまで香りが満ちて、向かい合ってお仕えする人は物思いも忘れてしまうような愛敬などを、一方的に誇らしげに振る舞いなさらず、ひどく静まって、気持ちよさそうではなく、何か思うことがありそうに、余情の多い御様子で、折々は物思いに沈んだふうに心細げな口ずさみばかりなさるので、荒々しい夷でさえ泣いてしまいそうな御様子である。日が暮れてゆくにつれて、紐を解いて一面に広がる花の色々が趣深く見渡されるにつけ、袖の外にまで置き渡す露もまことに堪えがたいのかと眺め出して、すぐにはお立ちにならない。虫の声々が野も狭しという心地がして、かしましいほど乱れ合っているのを、自分だけでもと、もどかしく思われたのだった。月が出て更けてゆく気配に、あの狭い軒で眺めているであろう様子も、ふと思い出されなさる。並々でない評判であるに違いない。おいでになって御覧になると、思い遣っていらしたのもはっきりと、蔀などもまだ下ろさずに、端近くの方で眺めて臥していた。来なかったらどうなったろうと哀れに思われ、袖を交わして細やかにお語らいになるにつけ、昼間の御様子が思い出されるにつけ、万事に格別な目移りなどに何の慰めになるだろうかと思い出されながらも、わざと気高く誠実であるよりは、かえって打ち解けた様子などから始めて、物はかなげに愛らしく飾らないもてなしなどが、不思議なほど愛らしく、見ては栄えがあるはずもなく思われるので、思うことが叶わないまま終わってしまうだろうと思う世の中で、絆とまでなるだろうかと思い続けられるにつけても、いつもの脆い涙がまず知るのを、どうして心得られようかと、常よりも物嘆かわしげな気色の哀れであるので、狭衣は「長くこの世に生きられそうもない心地がするので、世の人々のような心遣いなども、特に無くて過ごしてきたものを、どういう因縁なのか、はかなくも見初め申し上げてからは、見捨てることが哀れに思われなさるのを、それならどうしてお思いにならないことがあろうか。はずがない。それをさえ後にと言ったのは誰だったか。逢うことには代えたいと思うものを、ひとつとして押し拭いなさる袖が少し濡れているなど、さやかな月影に、これはやはり評判に聞き及ぶ人でいらっしゃるのだろう、我が身の程を思うにつけても、やはり頼みにできる御様子だろうか、このように思い捨てなさらないうちに、雁の羽風に迷うようなことこそ奥ゆかしくないだろう、と思うと、まことに涙が取りあえず溢れてしまうのも、みっともなくて、顔を懐に入れたまま、花かつみを摘みながら見ることさえできるのに、浅香の沼の水が絶えてしまうだろうか(いや絶えはしない)。物はかなげに言いなした様子などは、若々しいものから、とても愛らしい。狭衣は「年月が経っても思う心が深ければ、浅香の沼に水は絶えることはないでしょう。このようにひどく浮ついたこととお思いになっても、長生きしていただければ心の程も今に御覧になるでしょう。慣れない、なおざりな言葉などは、人に言うものとも知りませんでした。心ならずも外のことが自然とあるとしても、私の志は変わらないと思います」などと、心深げにお語らいになるにつれて、ひどく悲しくなってゆき、さらに、このようになどとほのめかして御様子を見たい、と思うものの、思い立つ方のことはもちろん、少し人並みな様子にさえなく、かえって思い遣られるにつけても浅ましく恥ずかしいので、ただ行方もなく終わってしまうのだろうと思い取る方は強いものから、浅ましかった心の程よと、しばらくはどう思い出されるだろうか、と思うにつけ、堰きやる方ない袖の柵(しがらみ)を、君はただ一途に、若々しい様子に、私の行方のないもてなしなどを、つらい方に思った心地がなさって、「ひとつに帰る山の椎柴」とだけ契りなさったのだった。

まことにあの太政大臣の御方では、この姫君を迎え取って、西の対に玉を磨くようにしつらえてお世話なさって御覧になると、上品で、そうであってもよい様子であるので、長年の本意が叶って、晴れ晴れとお世話なさる様子は、世間離れするほどに見える。殿の内でも世の人々も、素晴らしかった幸せだなと感心したのだった。年は二十におなりになったけれども、ひどくのんびりし過ぎて、あまりに幼く、物はかない様子で、まことにおぼろげに思い世話する人がはかなく頼りないのでなければ気がかりな様子でいらっしゃった。心に思い余ることがあっても、表に出しなさるはずもなく、このほかに浅ましいことがあっても、人さえ放っておかなければ、自然と忍び過ごすことができそうでいらっしゃるのを、よい女性に世話されなさっているのはこのようであられるはずだと思われるものから、あまりに埋もれていらっしゃる気色などは、このように華々しくもてなされなさっている御様子とは食い違って、将来をどう見るべきかと心苦しかった。また、無いもののように思い世話されていた親の御もとでさえ、このように晴れやかな所のなかった御心遣いが、まして急に母にも先立たれ、悲しくした乳母も、引き続いて亡くなってしまったので、心の中ではひどく悲しかったけれども、真心から思う人さえも付き添わずに、このこのように知らない所に迎えられて、落ち着かず、晴れ晴れと持てなされなさるのに、ひどく我ながらではない心地がして、ぼんやり惑いなさった。亡くなった母の生まれの親族で、高い交わりをして、人並みでなく世に侘びているが、さすがに古風ぶって物見知り顔で、傍ら痛い物好きが去らないと感じられる者がいた。伯母の尼君が、通う人を呼び取って付き添えているのは、まことに古風な様子で母代にしていた。上(太政大臣)が時々御覧になるにつけ、ああともしげに御覧になるけれども、細やかな御心の様子ではなく、さすがに大らかで、人の様子などはひどくお見知りにならず、心を遣って上辺ばかりはお世話なさるのに、この御母代が、悪くすれば傍ら痛いこともありそうだった。心に任せた作り親どもが仕立てた若人で、思い遣りの少ない限り、数も知らず集めてお仕えさせて、夜となると、殿上人や諸大夫まで出し合せて騒ぐ気色どもは、ひどく今風である。君はただ赤子の襁褓に包まれた心地がして、あるにもあらず任せられなさっている、しつらいの様子などが素晴らしく、同じ我が身とも思えないのを、人知れず心のうちでは、母や乳母などにこれを見せられたらどうだろう、どうして人並みにしようと明け暮れ言い思っていたものを、よしなき人に任せられて、心に思うことも言いたいことも遠慮がちで恥ずかしくて、闇に向かったように感じられることと思い続けては、忍んで泣きなさったのだった。しかし、ただ見るには、現(うつ)し心もない様子でいらっしゃった。九月朔日の頃、直衣のもののあるときに、中将の君が中納言におなりになったのだった。大殿はこれをも忌々しげにお思いになったけれども、そうばかりもいえず、次第のままに上がりなさるのだろう。お祝いを申し上げに内裏や春宮などに参上なさるとて、装いを整えて、まず殿の御方に参上なさったところ、姿かたちや様子などが、官位に添えて素晴らしいことにばかり光り増しなさるのを、ことさらに忌みもなさらない気色で、立ち居振る舞いをなさる気色は、道理にも過ぎて畏れ多く哀れだった。太政大臣の御方に参上なさったついでに、この今姫君のお住まいになる西の対の前をお過ぎになるままに、どういう様子かと気色も興味深いので、渡殿から少し覗きなさると、御簾は所々押し張って、人々が数多く気配がして零れ出ていた。あの后宮の人々も数多く渡って参上している、と人が語ったのも心恥ずかしく、まだ御覧になったことのないあたりなので、用意して歩み出でなさると、人々は見

付けて入り騒ぐ気配どもが、ひどく物騒がしいのを、不思議だと御覧になると、几帳どもを奥から取り出して、がばっと素早く立て渡し、裾を広げ、紐どもが緩んでいるのを、と引き締め引き、二十人ばかりが立ち迷い、直し騒ぐ衣の音、几帳などの音に、物音も聞こえず、慌ただしく見つけられない心地がなさるけれども、今や収まるだろうと、物も言わずじっとしていらっしゃると、やっとのことで几帳を立てて後、それぞれ衣の裾、袖口、童女の汗衫の裾などが、乱れがわしくなっているのを繕って座り、ここかしこから押し出して渡して、ようやく収まるのかと思われる頃に、几帳の綻びを払うように解き騒ぐ音もはっきりして、一つの綻びから五六人が顔を並べて、まず私が見ようまず私が見ようと争っている気配どもが、忍んでいるだけにひどくかしましい。やっとのことで見えたのだろうか、女房が「まことに素晴らしかった。ああ物狂わしいこと。日頃御覧になる殿上人などは、ただの土だった」と囁き合っているのが、ひどく面白く感じられて、狭衣が「ここの御簾の前は今まで初心くしくございましたのも、お咎めなさるべきかと恨めしく思います」などとおっしゃる御気配に、まことに並々でない人は、ふと答えにくそうに恥ずかしげであるからだろうか、そこらが騒がしいと聞こえる人で、お答えが聞こえる者はなくて、女房が「騒動だ、まずは用はない。君のおっしゃること」などと突き退け囁き、立って逃げる者もいるだろう。女の一人が「ああ無理だ。物に狂う君だな。私はまして用はない」と言ってそそくさと走るので、衣の裾を引き留めるのだろうか、倒れない。ぎゅっとわざとらしく笑い入って、咳き込む者もいる。ある者はまた、「ああうるさい。ああうるさい。それほど恥ずかしい御様子を、並々の程とお思いになるのか」などとも、制するのである。さまざま不思議な心地がなさって、尻目に恥ずかしげに見入れながら、長押にもたれかかって座っていらっしゃる気色は、この御簾の前では哀れなものであった。やはりただ消え入るように扇など打ち鳴らして笑い濡れる気配どもが、物狂わしいので、狭衣は「これはどうしたことか。琉球の島の人とも思われますよ」と言って、少しほほ笑みなさる気色などは、御簾の内では恥ずかしいことである。奥から人が寄って来て、「几帳の前にいる人に、ただ恨み歌を大声で読みかけよ」と囁くので、女君は眺める声はよい。私はさらにと言って笑い入ると、「ああ眩しい色好みだ」と言って、肩のあたりを扇でひどく打つので、「寿命は君なし」と言って包むのだろう。

「悪くしてしまった。ひどく。そこは放っておいて」と忍びきれない声が、どこだろうと面白いことに、死んでしまいそうなので、立ち退こうとする頃に、大人しい声を高らかにしたのがほのかに出て来て、母代が「出なさい、仕えている人々ゆえに、よい人は面白い名も取らせなさることだ。これほどでは若人たちが仕えていらっしゃるはずがない」と、さすがに忍んで、憎みながら差し寄って聞こえる。母代が「珍しい御声ですこと。お間違いになったのでしょうか」と言って、母代が吉野川をどうして渡ろうか、妹背山よ、ただ事でない波が流れて(いるのだから)。と母に詠みかける気配は、舌が早く喉が乾いているのを、若々しく優しい様子で言いなす。これこそこの母代であるはずだとお聞きになる。狭衣は「恨むにつけ浅さがまさる吉野川、深い心は汲んで知ってほしい。頼りない心地がしておりましたところ、嬉しい御気配とお思いになるのに、物を悪くおっしゃるはずでした」とおっしゃると、さわやかに微笑んで、母代が「それなら、今からの勤めを、真心から勤めさせなさい。若い人々が思い詰めているようなので、犬も時々はと高らかに言う。ひどく不思議な例である。「真心からでは、面目なく思われるだろうと言って、今まで参りませんでしたが、今日は変わる印も御覧になれるだろうとてのことです。御前にこう申し上げなさい。この御簾の前は慣れておりませんので、みっともなく思いますが、格勤の薄さに、今日ばかりは慰め仕るのを、今から後は恨み聞こえるでしょう」と言ってお立ちになると、荻の上を風が荒々しく吹き越してきたところ、急に御簾を高く吹き上げて、几帳も倒れたけれども、すぐには引き直す人もいない。女房が「ああ侘びしい。あれを御覧なさい、あれを御覧なさい」と言いながら、自分も衣を引き被りながら、一つに転がり合っている程に、のんびりと見入れなさると、香染めに鈍色の単衣、紅の袴の黄ばんだのを着て昼寝していた人が、人々の騒ぐのに驚いて、あわてず起き上がったところ、ひどくよく見合わせて、浅ましいのだろうか、急に顔を背けるなどもせず、呆れた様子で、顔はひどく面白そうである。心なしの様子かと見えながら、女房の様子どもよりは、格別に見所があったのだったと思い増しなさった。あの兄がかこっていた故だろうか、少将にひどくよく似ていた。殿の御子とは言うべくもなくあったと御覧になると、たどたどしくなくだろうかお思いになるだろう。様子のものと、不思議な心遣いかと、自分ながら好ましくない。母代がやっとのことで几帳を起こすと、お立ち退きになった。翌日、殿の御前で、昨日の事どもなどお申し上げになるついでに、堀川は「あの東院には行ったか。西の対に住むという人をまだ訪ねていない。どのような気色が見えるか」とおっしゃる。内々の様子のひどく不思議なのを、子ながらもどうして御覧になるだろうと恥ずかしくお思いになるのだろう。几帳の綻びを争った透き影どもが、思い出されてひどく面白いのを、念じる気色がはっきりと御覧になるだろうと、微笑んで、堀川は「よしなき物の扱いをお好みになる程に、誰のためにもかえってよくないことがあろうと見える。長年もこのように言う者がいるとは聞いていたが、覚えのないことなので、このような人の少ない草這いにも取り出さないものを、何の便りでこのようにまで付き合い始めたのだろうかと、落ち着かないこと」と呻きなさるのも、まことにと聞くと、浅ましいと、呆れた顔は、さすがに憎むこともできなかったので、狭衣は「つれなく思われるだろうに、他人よりはどうして悪くもございましょうか。確かな名指しで、あれこれさせられるのも、お気の毒にございましょう」とおっしゃる。堀川は「いざ

や、このように言い始めたのも覚えがないことだ。夜目に見たところ、宮の中将にひどくよく似ていた。兄の痴れ者がいるそうだ。それもあの宮の御子だと言うそうだ。これもそうであるはずだ」などとおっしゃる。まことにあの飛鳥井では、乳母は皆出立して、君までも引き連れようとするのもひどく心苦しく、そうかといって留めるべきでもないので、さすがに思い嘆くにつけ、人知れず声だけが流れて、誰を頼みにしてか立ち止まろうか、山より深い谷に入るのもそうであろうなどと思い仕えるのも、我が心と思い離れて聞こえることは忍びがたく哀れに感じられるのも、一方ではここがましい心と思った気色が、ひどくお気の毒なのを見るにつけ、乳母は「それならどうして下らせなさることがあろうか。京にも頼りがなくて独り留まらせなさることこそ、心配でもございましょう。また私もどうともお思いになるまい。女は千人の親や乳母も益がない。御夫がいらっしゃらない程である。ましてこのように大切で物頼もしい人でもいらっしゃる。御志がひどく丁寧なのを、引き離れて、通う東路に立ち添いなさるようなことは、ひどくあってはならず畏れ多い」など、さすがにあるべきことを言いながら、どう思い構えることがあろうか、この人のいらっしゃる宵暁の門も心安からず、鍵を失いがちに持て成して呟く気配を、御供の人々が聞いて、目覚ましく浅ましいことに、踏み壊して入りたくなる折々があった。殿にも忍んで、従者が「誰と思ってか、このようだ」と申すと、女の気色が不思議なばかりであるのは、この見た火影の女を、いた法師に取らせようとしてすることらしい、そのようなことに思い結ぼおれたことらしいと御心得になる。ひどく好ましくなく理由のあることだったけれども、女君の様子が不思議なばかりに見えるのは、ああそれならばと言って止めることもお思いにならないので、どうしようか、殿に仕える人々の列でいさせようかとお思いになるけれども、人知れず思うあたりが聞きなさることにつけ、冗談でも心を留める人がいると、どうして聞かれ申すまいか、と思う心が深いので、そうもできそうになく、そうでなければさすがに、ここかしこの扱いなさるのもどうだろうか、とお思われながら、今自然と自分と知れば嫌いもしないだろう、隠れるべき所もありそうなら、様子に従って、とお思いになるのだろう。女君にも、狭衣は「老人が憎むのだそうですよ。道理です。大切だった法の師を引き違えて、このように物はかない身の程ですので、大人しい里を尋ね出してるならば、さあいらっしゃい。煩わしい人の指図があるので、しばし人に知らせまいと思う程に、このように頼りなく他愛ないものにお思いになったのももっともである。私は、何事についても、無理に知られまいとお思いになるはずがない。言い知れない賤しい女であっても、これより変わる心はありそうもないのに、やはり頼む心のありそうもないらしい」と恨みなさると、誘う水さえあればと、物哀れに思って、この別当の少将と思わせなさっているらしい、制すべき人がいるなどとおっしゃれば、と思うにつけても、かりそめに頼んで、行くべき方を思い止まることはありそうもなく感じられながら、ひどくこのように素晴らしい御様子で、懐かしく哀れにお語らいになるのを、行く方の目安であろうことにつけても、どうして哀れでないことがあろうか。森の空蝉と言って涙が零れそうなのを、紛らわした気色は、ひどく愛らしい。このように言う程に、この女君などでもなくなったのだった。一途に物思いだけして、以前の様子でもない気色であるのを、誰もただこの御出立を思い嘆きなさっているのを見るにつけ、明らかな事どもがあって、乳母も見知って、乳母は「ああ困ったことだ。このようにまでおなりになったものを、どう

がなさるのだろう。君にやはり聞こえ合わせ申し上げなさって、御意向に従いなさるだろう。このようにおなりになったとお聞きになれば、まさか他愛なくもお思いにはなるまい」と言うけれども、堀川は「どうであっても頼むべき様子ならばこそあろう。見えない山路だけがよいだろう」と言うものから、まことにこのようにまでなってしまったのを、露知らせずに終わることは、などとひどく感じられるけれども、まして況して言い出すべきでもないので、日を数えて泣き嘆くよりほかのことはない。この殿の御乳母は、大弐の北の方であるのだった。子どもが数多くいる中に、式部の大輔で、来年官職を得るはずの者が、このような人などの中では、心遣いや姿が目安になって、ひどく好色である者がいた。どうであっても姿の優れた人を見ようと、妻もなく過ごすところに、この女君が太秦に籠っているのを覗いて見て、思う様子だったので、消息などしたが、自分からは聞き入れないところ、この乳母は、ひどく耳に付くように感じられたけれども、ただ今このように頼む僧が言い契ったので、断ることもできずに、すぐの承諾はしないけれども、「官職などを得て下りなさる程には、そうも」となど契ったところ、このように事どもが食い違って、身は便りがなく、生まれの公達がひどく隠れて、夜ごとに時々おいでになるするのを、ひどく相応しくないので、東国の男に付いて去ってしまおうかと、脅すのだった。しかし、この式部大輔が、「親とともに筑紫へ下るのに、思う様子である人を連れて行こうとする」と言い送ったところ、ひどく思う様子である心地がして、「一別当の御子少将が通っているけれども、乳母が承知せずに難しくしている」と言う人があったのを、乳母は思うように素晴らしく感じられて、消息したところ、寺ではあってはならない様子を申し上げたのを、乳母は「本当にそうお思いなら、しばし君には聞かせ申し上げずに、下りなさる程にお迎え申し上げなさい」と言ったので、ひどく喜んで、そのような細公達に掛け目においておいでになるよりは、ただ試みなさい。おとどの御幸運でこそいらっしゃるだろう」などと、事よく語り合う。出立の物などを、まことに良さそうに送ってよこすと、心が行き果てて、上下の人を求めるなどしたところ、式部大輔のもとからは、式部の下も近くなったのだったが、それでは違いなさるな」と、日に千度言い送ってよこすので、乳母は「ああ紛らわしい。世に違いはいたしません。その暁に御車を下さい。そうでなくて、ふとお渡し申し上げよう」と言い送って、心のうちでは皆出立していた。君には、乳母は「出立は止まりました。たどたどしくなく

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底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。