ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

狭衣物語 / 第6場面

太秦の女君

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太秦の女君をもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

狭衣は雨の夜に太秦の女君を訪ね「さよ衣」の贈答歌を交わす。帰宅後の夢に女君の懐妊を暗示する姿を見る。

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狭衣物語・第6場面0 / 45
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さえいらっしゃるのに、ひどく心苦しくて、今度は言い放ってやってしまったのだ。今はどうにかいらっしゃるのを見てから、どちらへも退出すべきらしい」と、心が少し落ち着いた。一途に気分までも悪かったのも、惜しくない身は、早くどうにでもなってしまえばと急がれたのを、このようになってしまったと聞き表して、哀れな因縁だなと思い知られて、憂い身とだけ思い入られたのを、少し痛ましく思うようになるのも哀れである。野分めいて風の音が荒々しく、窓を打つ雨も物恐ろしく聞こえる宵の紛れに、いつものようにひどく忍んで紛れ入りなさった。いつも萎れるようにやつれていらっしゃらないのに、雨にまでひどく濡れて、香りばかりはひどく所狭しまで煙り満ちているのを、隣の山賤どもも不思議がったのだった。狭衣は「このような様子はまだ慣れていなかったのに、人にやらせるのではない仕業だな」と言って、濡れた御衣を解き散らして、狭衣は「隙間なく重ねても、心ならずに隔てる夜のどうしようもないことを、そうはお思いになるか。これほど人に心を留めるものとは、慣れていなかった」などと尽きることなくお語らいになって、狭衣は(歌う)逢って見ては袖が濡れることが増す小夜衣よ、一夜ばかりも隔てないでほしいものだ。どうしようもない心が入れられないなどとは、いつ習ったのか」とおっしゃると、姫は姫は(返す)隔てるならば袖を干すのに困る小夜衣よ、ついには身までも朽ち果ててしまうだろう。と言うのも物はかなげである。狭衣は「よし御覧なさい。世のはかなさなどこそこのように気がかりですが、名残のない心などは、どのような人のする仕業でしょうか」などとおっしゃるのを、そうでもあるまいなどと、角々しい様子でもなく、心のうちではどうだろうか。目の前はたどたどしく同じ心である様子に持て成して、このように確かに言い知らせなさらないのをも、あれこれと強いても尋ね知らず、また我が身の行方も、そうとは言わないものから、柔らかく愛らしい様子で靡き聞こえた様子は、不思議にまことに愛らしいのを、見るままに、限りない人々の御様子にも劣りそうもなくて、忘れるべきものとも思われなかったのだった。いつものように夜更けてお帰りになって、御自分の御方に臥しなさって少しうとうとなさった夢に、この女が私の傍にいると思うと、お腹が例になく膨らんでいるのを、狭衣は「これはどうしたことか。通うことのあるのがあるのを、どうして今まで知らせなさらなかったのか。通う因縁もあるのだから、どうして行く末をも疑いなさるのか」と言って、夢の中でも哀れと思うところ、この女は(歌う)行く当てもなく身はなってしまうだろう、この世を、跡のない水を尋ねても見よ。行く当てもなく身はなってしまうだろう、この世をば、跡のない水を尋ねても見よ。と言うと思うところ、殿の御方から、「今日明日は固い御物忌であるのを、お忘れになってしまった。ああ畏れ多い、外からの御手紙など取り入れさせなさるな」などとおっしゃらせたところ、ふと目覚めて胸が騒ぐので、抑えて、「承りました」とは申し上げなさるけれども、心騒ぎさせられて、不思議だ、どう見たのだろう、本当に例のないことがあるのだろうかと、今こそ思い合わせることもあった。心細そうだったのはどういうことか、などと常よりも頼りなく知りたくて、夜も行くことができないだろうので、細かに御手紙をお書きになる。狭衣は(手紙に)常よりも今も見たいものだと、夜も、物忌なので、行くことができないのだろうか。飛鳥川を明日渡ろうと思うにつけても、今日の昼間はやはり恋しい。まことに、早く語り合うべき夢を見た。心もとない。

などと細かであるけれども、返事にはただ、姫は(返す)渡ろうとする水が増すならば飛鳥川は、明日は淵や瀬にもなってしまうかもしれない。渡ろうとする水が増すならば飛鳥川は、明日は淵や瀬にもなってしまうかもしれない。筆遣いや文字の様子などは、わざと良いというわけではないけれども、懐かしく面白い様子に見えるのは、思いなしだろうか。あちらでは、筑紫の人が、「暁に。決して間違えなさるな」と言ったので、乳母は「ただ暁に、そのようにして車をふと寄せなさい。違うということはとんでもない」と言いにやって、女君が独り眺めて臥していらっしゃる所に来て、乳母は「明日の朝早く、この西に井戸を掘ると言って、家の主が外へ渡りました。どうしておさせになるのだろう。車のことを誰に言おうか。君、このような折にこそ、威儀師は思い出される。このようにばかり世の中に便りがないことにこそ、思わない山もなく困ることはない。ひどく思っても、寡婦は思うことが叶わないのが口惜しいことだ。通えば、似非宮仕人は、忍び語らう人は参るということだ。本当に、この隣の駿河の妻君こそ、物の情けがあって、言うことを聞こうと言ったのだった。言いにやろう。それでこの蔵人の少将殿のの御乳母の家を借りて、しばしお渡し申し上げよう、どういうことがございましょうか。長年ひどく知っている人である。この御事の後、かえってひどく遠慮深くて訪れもしないのを、このようにお聞きになるだろうか。それでは悪いことだろうか」と言い散らして立ってしまうのを、堀川は「ああ見苦しい。以前も懲りたので、土忌までもあるだろう。まして、その知らない人の許には、どうして」とおっしゃると、乳母は「ああ紛らわしいこと。たどたどしい人でさえ土忌をしないことがございましょう。ましてこのようにいらっしゃる人は、ああ恐ろしい、ああ恐ろしい」と言う。万事よりも、あの少将殿と思って、どのような僻事を言おうとするのだろう、夜ごとの月影も常に前を渡りなさる光に見合わせると、紛れなさるはずもないものを、と思うけれども、あれこれとこの事を言い始める主にも、良いことと思っていない気色であるのには、ひどく遠慮がちなので、どのような過ち事どもをし出してしまうのだろう、と思い続けるにつけても、もとより、物はかなく不思議だった身の様子が思い知られて、このようにまでさすがに、お目にかかる因縁は浅くなく、自分ながら、思い知られるのを、この事が本当にそうであるなら、そうであってもおっしゃり契る様子も、そうであっても空言ではないだろう。

などと思うにつけ、我が身が少し痛々しくなってしまったのを、この頼りもない人がどう持て成し果てようとするのだろう、源氏の宮の御方へと思ったのも、このような人に見え申し上げるのが恥ずかしいので、心強い様子で止めてしまったのを、まことにこのように思う様子で見え申したのだった。今はまして、どこにもどこにも、そのような筋など思い立つべきでもないのだ、などと言い続ける果ては、気がかりに思い続けられるにつけ、枕も浮いてしまいそうになった。乳母がまた来て、万の物を取り整え、然るべき物は塗籠に置くなどしながら、乳母は「京の内では一夜ばかりと思うはずがないものです。ましてこの井戸は五六日にもなってしまうだろう。筒など立てる程までこそいらっしゃいましょう。車も有り難いところに、たまたま歩かせなさるのも、このように煩わしがらせなさるらしいのに」などと言うらしいので、君は「ここをおっしゃった所か。それならやはり行くまいとこそ思う。知らない所にどうしてそのようでいられよう」とおっしゃると、乳母は「そうお思いになるなら、常磐殿にお渡りなさい」と言うのは、故中納言が領していた西山のあたりであるのだった。乳母は「いざまた、それも長く土を忌むまいとお思いになるなら、御心次第です。私が申すことは捗々しくないでしょう。あれこれいらっしゃる折の御様子も、さすがにそれまで生きておりましたら、不思議な女の身こそは見申し上げるだろうとお思いになるのに、忌々しいことだ。そうでなくても、子を生むには土用というものは必ず出て来る。御忌の方にさえあるのです。この頼もしい人の御心遣いは、そのような程であっても、甲斐なく持て成し扱いなさるはずだと見えなさるでしょう。言い思えば、苦しいことでございましょう。このような君たちは、親などが居て頼もしいあたりをさえ、少しでも後ろ見を止めれば打ち捨てなさる。まして何の数とお思いになるだろう。ああ馬鹿馬鹿しい。また御志があれば所が変わっても、いらっしゃらないはずのことがあろうか。恋こそ道の」とさすがに打ち笑って言う。このように外へ行きにくくさせるのも、この人によってと思うことだと思えば、その事ではなく、不思議な様子なので、以前も物憂く感じられるのを、いや、ますます物懲りして」とおっしゃると、乳母は「それではそれも悪いとございました。それによってこそ通う御幸運も御覧になるでしょう。あちらはかえって、若い人が通っていらっしゃるのを見るべき所なので、忍んで、二三日もいらっしゃる様子もありましょう。何某それ某と留めておりましたら、御使いにもそこと教えましょう。おいでになった時にも、よくよく案内しなさいと言い置いておりました」などと、留める下司どもを呼び立てて言うのも、傍ら痛いので、堀川は「そこまで尋ねる人もいないだろう」とますます頼りないものにおっしゃる。まことに行方もなく、昔物語などのように、わざとらしくお思いになるだろうか、本当にこのように聞こえれば、と思うにつけ、姫は(歌う)変わらないと言った椎柴を待ち見たいものだ、常磐の森に秋が見えるだろうかと。変わらないと言った椎柴を待ち見たいものだ、常磐の森に秋が見えるだろうかと。帰る山の、とあった月影は、この世の外になっても、忘れなさるはずもないのを、どうしてしまったのだろうと、不思議に物心細く、火を点して眺めて涙ぐみなさっている目の気色は、ますます愛らしいのを、乳母はさすがにちらと見て、心も知らない人に任せ申し上げて、遠い程に出立なさるのは、口惜しい様子だな、と涙ぐまれたのだった。暁に車の音がして門を叩くので、乳母は「ああ哀れ、人のために真心である駿河殿の声だな。あまりに早く車まで下さったよ」と言って、引き入れさせるのを、聞くにつけても胸が騒いで、飛鳥川を心もとなくおっしゃらせていたのは、夜などはいつものようにいらっしゃるだろうのに、どのように言ってお帰りになるだろうなどと、やはり怠いも、ひどい心だなと、乳母の物言いも心恥ずかしく

ながら、頼りなくおいでになるだろうことは、心ならずも身の不思議さを、まず思い続けられて動けないのを、妻戸を押し開けて、乳母は「それなら早くお渡りなさい。人が急いで帰るだろうのに、長くなってもお気の毒だ」と言って、鮮やかな衣を持って来て打ち着せ、櫛の箱のような物を車に取り入れるなどして、ただ急ぎに急いで、乳母が「遅い」と押し出すようにすると、自分でもなく居ざり出るところ、何と思い分けることはないけれども、心が騒いで胸が塞がっている心地がする。鶏も今鳴くようだ。姫は(歌う)天の戸を休らうために出てきたのだと、夕付け鳥よ、問われたら答えよ。やはり今すぐにでも聞こえたいのに、すぐにも乗れず、涙を堰き止められない気色を、まして道の程の様子が思い遣られる。乳母はまた人一人ばかりを、後に乗せた。門を引き入れる時から、胡籙などを負った者や、見知らない姿をした者が数知らず多く、火は昼のように灯して、「明け果てないうちに」などと言う気色も、不思議に物恐ろしいことに、これはどういうことかとただ掻き曇らす心地がすると、衣を引き被って臥していたところ、あの「行き「方も知らない」とあったのを、聞き始めたときから、幾月も言い交わしてきた言葉や様子、ありさまが思い出されて、自分の身がどうなってしまったのかと思うだけでもたいそうなのに、淀という所に行き着くと、舟に載せようという趣旨を知り合っていたので、ああやはり常磐ではなかったのだと思うと、物も覚えないのに目は見えるのだろうか、岸に舟を寄せて乗り移らせようとして、二十歳ばかりの男で、汚らしくないと言えばよいのか、櫛をさしてそぞろな容貌などが、ますますたいそうに何事もない様子で、満足そうな様子でもてなして、男が「大弐殿は、今は鳥飼という所あたりまでいらっしゃったでしょうね。中納言殿の御物忌が固かったので、すぐには出られず、遅れてお供しました。ご機嫌がよくなかったので、暇も申し出られそうにないようだと思っていたのに、名馬を賜ったのです」などと言って、見送りの人々らしい、同程度の者どもが、「江口の逍遙は今回は不要なようだ。大弐殿はお急ぎだ」などと得意げに笑っているのを、どういう者だろう、行幸や賀茂の祭などで別当の後ろに、恐ろしげな物を提げて付いている者こそ、このような容貌をしている、と見るだけでも疎ましいのに、車に寄って来て、「お舟にお乗せ申そう」と言って、か抱いて乗せ移す間の心地は、どれほどであったろうか。乳母が満足して、ものを言い笑いなどするのを聞くと、妬ましく悲しいのも世の常である。どんな者がどこの世界へ連れて行くのだろうと、まったく言いようもないのに、ただすぐに起きて走って川に落ちてしまいたいと思うけれど、頭さえも差し出さず、引き被って臥していた。男が添い臥して、言いようもない事どもを慰めると、ますます泣けてきて、つれない様子なので、式部が「そうおっしゃっても大したことはなさいますまいと思うと、おこがましいことよ。何がしの少将の蔭妻として、道行く人ごとに心を尽くし、胸を焦がしなさるのだろうか。あやしくとも、この上なく大切にお仕え申すのを取柄と思ってほしい。半端に分からない夢とあったのはどういうことかと、聞き合わせもせずに見る侘しさよ、ただの公達は、かえってたいそう気分の悪いものだ。殿がいらっしゃる限りは、何がしらをば、その公達は侮りなさいますまい。あれほどの少将には、なろうと思えばなれるでしょう。まあ見ていてください。来年あたり、帰って殿上して五位の蔵人になって、その主とどちらが優れているかというほどになってお見せ申そう。口惜しく本意ないとお思いでも、今は言っても甲斐がないので、ただお

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底本:有朋堂文庫『狭衣物語』武笠三校(有朋堂書店、大正15年[1926])。本文画像:所蔵機関の公開資料。

大正15年(1926)武笠三校『狭衣物語』(有朋堂文庫)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の字句を残し、各頁上部の内容細目(梗概)・柱・振り仮名は転写していません。発音の読みと独自訳を添えています。