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土佐日記 / 第8場面

川路を上る

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川路を上るをもとにした創作画
あらすじ・人物・読み方

川のほとりに難渋しながら上り、渚の院の故事に触れ、山崎へ至る。

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土佐日記・第8場面0 / 46
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八日、なお、川のほとりで〔舟が〕進みかねて、とりかひの御牧というほとりに、泊まった。今宵、舟君は、いつもの病気が起こって、ひどく悩んだ。ある人が、ささやかな物を持って来た。〔その代価として〕米を出して、返礼をした。男どもは、ひそかに言う。いひぼ(飯粒)で〔釣りを〕して、持って来るのだよ、このようなことは、至る所にある。今日は、節忌みをするので、魚は用いない。

九日、気がかりで、まだ〔夜が〕明けないうちから、舟を引いて上るけれども、川に水がないので、ゐさり(膝で進むように少しずつ)でしか進まない。この間に、和田の泊まりの、あかれ(人々の集い離れる所)という所がある。米や魚などを求めると、〔人々が〕送ってくれる。

こうして、舟を引いて上ると、渚の院という所を見ながら行く。その院を、昔を思いやって見ると、趣の深かった所である。遠く離れた岡には、松の木どもがある。中の庭には、梅の花が咲いている。

ここで、人々が言うことには、これは、昔、名高く聞こえた所である。亡き惟高の御子の御供に〔いた〕、亡き在原業平の中将が、「世の中に、まったく桜が咲かなければ、春の心はのどかであろう」という歌を詠んだ所であった。今、興ある人が、〔この〕所にふさわしい歌を詠んだ。

千年を経た松ではあるけれど、昔の〔松を渡る風の〕声の寒々しさは、変わらないでいることだ。また、ある人が詠んだ〔歌〕、君を恋しく思うと、年月を経た宿の梅の花は、昔の香りのままに、今も匂っている。と〔歌を〕言いながら、都が近づくのを喜んで上る。

こうして上る人々の中には、京から下った時には、皆、子どもがなかった。〔土佐へ〕着いた国で、子を産んだ者どももいる〔というありさまである〕。皆の人は、舟が泊まる所で、子を抱いて、下りたり上ったりする。

これを見て、亡き子の母は、悲しさに堪えきれず、〔もとは子が〕なかった人までも、〔子を連れて〕帰って来るのに、いた子さえなくして帰って来る〔私〕の悲しさよ。と言って、泣いた。

父も、これを聞いて、どうであろう〔と〕、このようなことは、歌を好むからするのではないし、唐土でも、ここでも、〔心に〕思うことに堪えられない時の業である、と、か、今宵、宇土野という〔所に泊まる。文は範囲外へ続く〕。〔宇土野という〕所に止まる。

十日、差し支えることがあって、〔川を〕上らない。

十一日、雨が少し降って止んだ。こうして、〔川を〕差し上って行くと、東の方に、山が横に折れている〔ように見える〕のを見て、人に尋ねると、八幡の宮だという。これを聞いて、喜んで、人々は拝み奉る。山崎の橋が見える。嬉しいことは限りない。

ここで、相応寺のそばに、出ばし舟を止めて、あれこれ相談することがある。この寺の、岸のそばに、柳がたくさんある。ある人が、この柳が、川のところに映っているのを見て、詠んだ歌、さざれ波が寄せる、その波の文様を、青柳の影を糸として織っているのかと見えることだ。

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底本:『国文講義土佐日記』池辺義象著・朝野書店・大正4年[1915]・国立国会図書館蔵 320-189。本文画像:所蔵機関の公開資料。

『国文講義土佐日記』(池辺義象著・朝野書店・大正4年[1915]、国立国会図書館蔵 320-189)の大字本文を原画像と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補っています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。